永遠聖女と問題児〜問題用務員、永遠聖女誘拐事件〜
――誕生日は好きではない。
その日は6月9日で、リリアンティアの誕生日だ。
リリアンティア・ブリッツオールといえば治癒魔法・回復魔法の無償提供で世界中に健康と平和を広めんとする『エリオット教』の教祖だ。最高精度の神託を受けることが出来る神に愛された少女であり、僅か11歳ながら回復魔法・治癒魔法の達人として名を馳せていた。
それ故に、ついて回るあだ名が『永遠聖女』である。農夫の末娘であったリリアンティアにはもったいない称号だ。
「聖女様、息子は治りますか?」
「はい、身共にお任せください」
濃紺の修道服に身を包んだリリアンティアは、熱でうなされている幼い子供の額に手を当てる。
ただの風邪にしては症状が重すぎる。子供の全身は汗で濡れ、呼吸も荒くて苦しそうである。時折、激しく咳き込むので風邪とはまた違った病気かもしれない。
子供の額に手を当てて瞳を閉じ、リリアンティアは祈りを捧げる。
「エレノア様、この子供にどうか救いの手を差し伸べください」
すると、リリアンティアの頭の中に女性の声が響き渡る。
――重度の肺炎です。
原因が分かってしまえば治療できる。
風邪の症状に似ているものの、肺炎と神託を受ければ納得できた。これ以上に症状が悪化すれば子供の命はない。
リリアンティアは瞳を開き、
「〈治癒せよ〉」
緑色の光が子供を包み込むと、子供の辛そうな表情が柔らかいものになった。治癒魔法が成功し、病気が子供の中から去ってくれたのだ。
幼い子供をリリアンティアの元に連れてきた母親は、涙を浮かべて我が子を抱きしめる。急に身体の辛さがなくなり子供の方は混乱している様子だったが、母親の強い抱擁を甲高い声で笑いながら受け止める。
母親は綺麗な瞳に涙を浮かべ、
「ああ、よかった。治って本当によかった」
「いたいよ、おかあさん」
「貴方が無事で本当によかった、よかったわ……!!」
我が子の回復を心の底から喜ぶ母親は、リリアンティアに涙声で「ありがとうございました……!!」とお礼を言う。子供はぎゅうぎゅうと母親に抱きしめられながら、リリアンティアの部下である修道女に案内されて教会から去っていった。
あの幼い子供はこれからどんどん成長し、やがて自分も親になって我が子を慈しむのだろう。子供が風邪を引いた時、もしかしたらリリアンティアが治癒魔法をかけることになるかもしれない。そうして命は巡っていくのだ。
リリアンティアは、普通のことが出来ない。成長することも、家族から抱きしめられることも叶わないのだ。
「…………」
去りゆく親子の背中を眺め、リリアンティアは一抹の寂しさを覚えるのだった。
☆
「ごめんなさいね、リリア。貴女を置いていくことをどうか許して」
そう言って、リリアンティアの姉はシワシワになった手で頬を撫でてからこの世を去った。
病ではない。神に愛されて寿命という概念がなくなってしまったリリアンティアとは違い、姉は老衰で安らかに眠ったのだ。
父も、母も、兄も同じように見送った。みんなしてリリアンティアを置いていくことを悔やみながら死んでいった。98歳まで長生きした姉も、最後の最後までリリアンティアの存在を心配しながら冥府へと旅立ってしまった。
人間の輪から外れてしまったリリアンティアは1人ぼっちだ。どれほどリリアンティアが病を治療しても、最後には寿命というリリアンティアにも治せない死の原因が訪れて置いていかれてしまう。
「姉様、リリアは11歳になりました。今年も11歳です」
患者の波が途切れ、休憩時間を得たリリアンティアは1枚の写真にそう語りかける。
色褪せた写真に映っているのは、リリアンティアの家族である。藁の帽子を被って笑う父親に抱かれているのはまだ幼いリリアンティアで、肩を抱かれている美しい女性は母親だ。仏頂面で佇む兄の側に、穏やかな笑みを浮かべる姉が寄り添う。
ごく普通の農夫の家庭で育ったリリアンティアは、歳の離れた姉のように自分もどこかの男の子のことを好きになって結婚するものだと思っていた。その未来が永遠に閉ざされてしまったのは、11歳の誕生日を迎えて初めて神託を受けた時からだ。
だからリリアンティアは誕生日が嫌いだ。神様がリリアンティアを『普通』でなくしてしまったから、家族みんなを悲しませることになってしまったのだ。
「姉様、心配しないでください。リリアは元気です。これからもたくさんの患者様を治療して、世界中に健康と平和をお届けします」
亡き姉にそう誓い、リリアンティアは写真をしまう。
患者の波が途切れたとはいえ、またすぐに新たな患者が教会に駆け込んでくることだろう。すぐに対応できるようにしなければならない。
すると、
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「すいません、コイツ腹痛で!! 何か悪いものでも食ったみたいなんです!!」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「ほらこんなに痛がっているんです、どうか治してください!!」
閉ざされた教会の向こう側から痛みを訴える絶叫が劈く。
慌てた様子で修道女たちが教会の扉を開き、患者を内部へ案内する。
運び込まれたのは非常に背の高い男である。腹痛が酷いのか、腹を押さえて「痛い痛い」と訴えている。付き添いである銀髪碧眼の女性は男の背中をさすって心配そうにしていた。
これほど痛がるということは、よほど酷い病気かもしれない。思考回路を切り替え、リリアンティアは運び込まれた患者に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「ああ、聖女様。どうかコイツを治してやってください、友人なんです」
付き添いでやってきた銀髪碧眼の女性が、リリアンティアに縋り付く。
「何か朝になって急に『腹が痛い』って言い出して、医者にかかろうにも昨日財布を擦られたから金がないんです。何にも返せるものがありませんが、どうかコイツを助けてやってくれませんか」
「金銭を要求することはございません。身共は回復魔法や治癒魔法を無償で提供しておりますので、ご友人を必ず治してみせます」
女性を安心させる為に声をかけてから、リリアンティアは腹痛を訴える男は頬に手を当てる。
こんなに酷い腹痛を訴えるぐらいだから、きっと毒性のあるものでも食べてしまったのだろう。見たところ成人は超えているので多少の痛みには耐えられそうなものだが、早く治療しなければ命を落とす危険性だって考えられる。
リリアンティアは祈るように瞳を閉じ、
「エレノア様、どうかこの方に救いの手を」
そして神託が下る。
――その者は病気ではない。
まさかの仮病である。
「え?」
リリアンティアが驚くと同時に、丸太のように太い腕がリリアンティアの小さな身体をぎゅうと抱きしめてくる。
弾かれたように男の顔を見上げれば、彼は笑っていた。まるで悪戯が成功した子供が見せるような、少しだけ意地悪っぽい笑みである。
男はリリアンティアを抱き上げると、
「取ったどー!!」
「でかした、エド!!」
銀髪碧眼の女性はリリアンティアを抱き上げる男の肩を掴むと、
「じゃあな修道女ども、永遠聖女は誘拐していくぜ!!」
明らかな誘拐宣言のあとに、銀髪碧眼の女性は雪の結晶が刻まれた煙管を魔法の杖のように一振りする。
青色に輝く魔法陣が足元に展開されると同時に、視界が一瞬にして切り替わった。
今まで見ていたはずの教会の景色から、広々と果てしなく続く青い空に投げ出される。眼下に広がるのは見覚えのある街並みで、リリアンティアは銀髪碧眼の女性と仮病を使った男性と一緒に高高度へ移動していたのだ。
銀髪碧眼の女性は「あ」と言い、
「座標間違えた」
「ユーリの馬鹿あ!!」
「ッかしーな、ちゃんと練習したはずなんだけどな?」
呑気に笑う銀髪碧眼の女性を、リリアンティアを抱きしめる男性が「このバーカ!!」と子供のように罵倒する。
ゆっくりと落下を開始したことで、ふわりと臓器が持ち上がるような重力が襲ってくる。徐々に空が遠ざかっていき、石が敷かれた舗装路が近づいていく。
寿命という概念から外れてしまったリリアンティアだが、高高度から全身を叩きつけられればさすがに死を免れない。誘拐されたと思えば死の危機が目の前まで迫っていた。もしかしたら大往生した姉に追いつけるかもしれない。
死を覚悟して瞳を固く閉ざすリリアンティアだったが、
「ほいっと」
それまで襲いかかっていた重力が唐突に消え失せ、地面へ落ちる速度がガクンと遅くなる。やがてふわりと何事もなかったかのように地面へ降り立つと、ようやくリリアンティアは男の腕から解放された。
何が起きたのか分からず、リリアンティアはその場にヘナヘナと座り込んでしまう。こんなことは初めてだ。あまり教会の外へ出る機会もないので、通行人がジロジロと怪しげな視線をリリアンティアたち3人に突き刺してくる。
これが、あの問題児と名高い魔法の天才ユフィーリアと、その相棒であるエドワードの初対面だ。
☆
「いやー、初めまして。お忙しい聖女様を連れ出すのに手荒な真似をして悪いな」
「い、いえ、あう……?」
銀髪碧眼の女性は満面の笑みでリリアンティアの手を握ってくる。目まぐるしく変わる状況に混乱しているリリアンティアはされるがままだ。
彼女の手は驚くほど冷たい。黒い手袋で覆われているが、氷のように冷たいのだ。死んでいる訳ではないようで、ただの冷え性と言っていいのだろうか。
女性は快活な笑みを見せ、
「ユフィーリア・エイクトベルだ、ステイシアの友人でな」
「あ、姉の友人様ですか……?」
「そうそう。妹が聖女様をやってるって話を聞いていたから教会を片っ端から巡ったけどさ、まさかあの噂の永遠聖女様だなんて思わねえだろ」
ユフィーリアと名乗った銀髪の女性は隣に立つ背の高い男の脇腹を小突くと、
「ほらお前も挨拶しろよ、ステイシアには世話んなったろ」
「分かってるよぉ」
背の高い男はわざわざリリアンティアと目線を合わせる為に膝を折ると、
「エドワード・ヴォルスラムでぇす、よろしくねぇ。さっきはそこのお馬鹿さんがごめんねぇ」
「何だよ、お前だってノリノリで腹痛の演技をしてたじゃねえか」
「だって永遠聖女様がこんな小っちゃい子供だとは思わないじゃんねぇ」
エドワードと名乗った背の高い男は、ユフィーリアの後頭部を軽く小突く。ユフィーリアが仕返しと言わんばかりに彼の膝を蹴飛ばすと、互いに鋭い眼光を突き刺して睨み合っていた。
これはまずい、非常にまずい空気である。このままでは話が進まずに日が暮れてしまう。
リリアンティアはユフィーリアに飛びつくと、
「ど、どうしてステイシア姉様と仲がよかったのですか!?」
「どうしてって言われてもなァ、天文魔法学に詳しいってんで色々と話を聞いていくうちに仲良くなったんだよ」
「あ……」
そう言われ、リリアンティアの脳裏に姉の姿がよぎる。
美しき姉は聡明で、魔法に詳しかった。畑に雨を降らせる魔法、嫌いな子が必ず転ぶ魔法など物知りだったのだが、特に詳しかったのが星の魔法である。星の動きを読んで天気を当てたりするのだ。
その話をする姉の姿はとてもイキイキしていて、楽しそうだったことを覚えている。リリアンティアは魔法の話をしてくれる姉が大好きだったのだ。
だけど、その姉はもういない。もう、冥府に連れていかれてしまった。
「姉様……」
リリアンティアはジンと熱くなっていく目頭に、手の甲で目元を拭う。それでも何故か涙が溢れ出てくるのだ。
それまで互いの頬を抓っていたユフィーリアとエドワードは、姉の姿を思い出して涙を流すリリアンティアに「ええ?」「おいどうする?」と困惑気味である。初対面の彼らを困らせてしまいなんて、永遠聖女として情けない姿を見せてしまった。
どうにかして涙を止めようと試みるも、やはり涙は止まらない。絶えず瞳から零れ落ちて、石畳にポツポツと濡れた跡を残す。
ユフィーリアが白い手巾をリリアンティアに差し出し、
「アタシはさ、ステイシアに頼まれて荷物を届けに来たんだよ」
「荷物?」
「ステイシアが天文魔法学について教えるから、代わりに礼装の作り方を教えてほしいと頼まれてな。聞いてみたら、妹の誕生日に服を贈りたいんだと」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管をリリアンティアの目の前で一振りすると、
「誕生日おめでとう、リリアンティア・ブリッツオール。永遠に生きる聖女に幸多からんことを」
リリアンティアの全身を青色の光が包んだと思えば、着ている修道服の色が変わる。
夜の空のような濃紺の地味な修道服から、純真さを感じさせる真っ白な修道服に変わった。随所には金色の糸で細かな刺繍が施されており、気品さが滲んでいる。胸元から下げたエリオット教の十字架とよく合っていた。
真っ白な修道服を目の当たりにしたリリアンティアは、
「これは、姉様が?」
「そうだ、アタシが付きっきりで教えたから永遠聖女様の活動にも耐えられる修道服になってるよ」
ユフィーリアは「それと」と言葉を続け、
「今日が誕生日なら、アタシらからもお祝いだ」
「はい、お菓子ねぇ。まだまだ子供なんだから甘いもの好きでしょぉ」
ユフィーリアからは白い箱を、エドワードからは紙袋いっぱいに詰め込まれたお菓子を手渡される。白い箱は有名なケーキ屋のものだった。
初対面なのに誕生日をお祝いされるとは思わず、リリアンティアの瞳からさらに涙が溢れ出てしまう。今まで家族以外に誕生日を祝われたようなことがないので、嬉しくて堪らない。
お礼を言おうとリリアンティアが口を開くと、
「聖女様を誘拐したのはどこの馬鹿だーッ!!」
「いたぞ捕まえろーッ!!」
教会の修道女たちが、鬼のような形相で駆け寄ってきた。
ユフィーリアとエドワードは分かりやすく「げ」と顔を顰める。
姉から預かった誕生日プレゼントを渡すのに、彼らはリリアンティアを連れ出した訳ではなくて「誘拐だ」と宣言してしまったのだ。取り返そうと修道女たちが躍起になるのは理解できる。
「じゃあな、リリア。元気で過ごせよ!!」
「ばいばぁい」
「え、あの、ちょっと!?」
リリアンティアが止める間もなく、ユフィーリアとエドワードはその場から走り去ってしまった。人混みに紛れてその姿はあっという間に見えなくなってしまう。
ようやく追いついた修道女たちは目を血走らせてリリアンティアを連れ去った2人を探している。見つかって説教をされるのも時間の問題だ。
硬直するリリアンティアの存在に気づいた修道女の1人が、
「聖女様、ご無事ですか!?」
「はい、身共は問題ありません」
平然とした態度で応じるリリアンティアに、修道女は首を傾げる。
「そのお召し物とお荷物は一体?」
リリアンティアの格好は濃紺の修道服から変わり、姉が仕立ててくれた純白の修道服となっていた。さらに「今日が誕生日だから」と姉の友人たちがリリアンティアの為に贈ってくれたお菓子とケーキである。
誕生日は嫌いだった。神様がリリアンティアから『普通』を奪った日であり、家族を見送るきっかけとなってしまった日だからだ。誰にも教えていないから祝われることなんかなくて、リリアンティアの誕生日を祝ってくれる人は全員いなくなって、いつしか忘れ去られて。
それでも、覚えておいてくれた人がいる。
「誕生日の贈り物です」
「はあ、どなたのでしょう?」
「身共の誕生日です」
「えッ」
固まる修道女をよそに、リリアンティアは純白の修道服の裾を翻して歩き出す。今日は最高の誕生日だ。
そして、ヴァラール魔法学院という史上初の魔女・魔法使い養成機関の設立の為に再びユフィーリアとエドワードの2人と巡り会うのは、もう少し先の話である。
《登場人物》
【リリアンティア】エリオット教の教祖を務める11歳の聖女様。11歳の誕生日から神託を受けたことで時が止まり、寿命で死ぬことがなくなってしまった。姉お手製の修道服を身につけて聖女の活動に勤しんでいたら、いつのまにか最高位の聖女は白い修道服を身につけるという規定が出来てしまっていた。
【ユフィーリア】リリアンティアの姉から天文魔法学について熱く議論を交わした魔法の天才。その議論は20年にも及ぶものだったし、何なら今までの内容を全て覚えている。本当は80歳ぐらいで死ぬ予定だったが、議論が白熱したことと礼装の仕立て方を教えてほしいと頼まれたので教えていたら時間がかかり98歳で見送った。
【エドワード】ユフィーリアの相棒。リリアンティアの姉からは食べられる野草などの知識をくれた。ユフィーリアと白熱した議論を交わしているお婆ちゃんの姿が非常にイキイキとしているので特に何も言わなかったが、内心では何を話しているのか分かっていない。あとで全部ユフィーリアから分かりやすく手解きを受けていた。
【ステイシア】リリアンティアの姉。魔法に詳しく、特に天文魔法学の分野に長けている。妹であるリリアンティアが永遠に生きられることを悲しんでいる事実に悔やみ、ユフィーリアから彼女と一緒の時間を過ごしてくれる礼装の作り方を伝授されて修道服を仕立てた。