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愛国心なんてなかった

作者: 七代金平

昔っから図体だけはでかかった。小学生のときには担任の先生と同じくらいの身長だったし、柔道をやっている友達でも俺を投げるには一苦労していた。


俺は自分の体格が恵まれたものであることに早くから気付けたから、ガキ大将やらいじめっ子やらにはならないように気を使って生きてきた。友達も最初こそ俺を怖がるが、俺が温厚で攻撃的でないと知るとすぐに打ち解けてくれた。打ち解けたように関係を維持しようとした。


俺、小林幸雄が生まれた場所は地方の中でも田舎の都市。フィクションの世界でよくあるような、「昔大地主だった関係で今でも威張っている町内会長」や「小さなころから手が付けられない、半グレカップルとその息子」と言ったものが幅を利かせていた。


俺らのような平凡な家庭に生まれた子供は親に耳にタコができるほど言われる。「あそこの息子とはけんかをするな。あそこの娘には逆らうな。」


当の影響力を持った子供たちも、俺と同様に自分が恵まれた家庭に生まれたことを分かっていて、クラス内では相当な態度で過ごしていた。


そうなると俺のような存在は、みんなにとってありがたかったようだ。権力者の息子たちは俺に直截的な力じゃ敵わない。かと言ってまだなにもされてないのに親に言いつけても何も起こらない。ほかの一般家庭に生まれた子供は固まって俺のそばに居る。手が出せない状況が誰も意図せずして作られていた。


だから低学年の間は表立ったいじめがなかったんだ。


高学年になって、俺らの学年に転校生がやってきた。三島鈴って言う女の子だった。


俺と同じように、彼女は恵まれていた。小学生の時点で、そこらのモデルよりも美しかった。


学校中が沸き立っていた。彼女が都会から引っ越してきたって言うのもあって、小学生の俺らにとって、芸能人が転校してきたような感覚だったんだ。


でも彼女に表立って話しかける人間は現れなかった。理由は二つある。


第一の理由は、彼女が美しすぎたことだ。彼女は自分の魅力を数値で知っているかのように、自分が一番美しく見える角度、姿勢、表情で佇んでいた。その異様な雰囲気に、面と向かって話せる人間はいなかった。彼女もそんな反応は慣れっこだったのか、周りが話しかけてくるまでは本の世界に身を置いていた。


第二の理由、というよりこれが主原因なのだが、権力者の息子、娘たちが目を付けたことだった。最初のうちは彼らも物珍しさで話しかけたそうにしていたのだが、彼女に話しかける勇気が出ず、ほかの生徒をけしかけて話のきっかけを作ろうとしても、その生徒も話しかけれずに失敗に終わる。そんな状態が一週間ほど続いた。


大人になった今、一週間なんてあっという間だが、小学生だった俺らには一週間は長すぎたんだ。権力者の息子たちが、「お高くとまった嫌な奴」というレッテルを張るのには充分すぎる時間だった。


最初は教科書がなくなった。次に筆箱が盗まれた。上履きはゴミ箱に入れられ、酷いときは机もなくなった時があった。


誰も彼らを止められなかった。今までは一般生徒が徒党を組んで俺と言う盾で身を守っていたが、彼女は俺の後ろに入り損ねたし、今から盾の後ろに誘うには、誰かが盾から一度出なければならなかった。小学生でもわかる、ハイリスクローリターンな状況だ。


そんないじめにあい始めた彼女は、それでも美しかった。いつも毅然とし、涙を浮かべることさえ一度もなかった。そんな姿に俺らは甘えていたし、奴らはエスカレートしていった。


ある日、彼女が読んでいた本がなくなったことがあった。その時ばかりは彼女が少し焦っていて、権力者の息子どもが喜んでいたのを覚えている。


みんな探すのを手伝いたかったと思う。そわそわと視線を動かし、でも行動には動かさないみんなの気持ちが俺にはわかった。俺もそのうちの一人だったからだ。


皆と俺の違ったことは、おおもとをたどればやっぱり体格の差だったんだと思う。俺はいざとなれば奴らと喧嘩しても勝てる自信があったし、奴らが俺にビビって声をかけてこないんじゃないかって言う見立てもあった。だから俺は皆が帰った放課後、学校中を周って本を探したんだ。


なんて本だったか、題名は覚えていない。ただ、なんとなく聞いたことのある作家だから、見かければすぐに彼女の本だと分かる自信があった。結果から言うとそんなもの無くても彼女の本だって判別は出来たんだけどな。


旧校舎三階の男子トイレの中、個室便器の中にその本はあった。彼女がここまでされなければならない理由が分からず、しばらく呆然としていたように思う。常にポケットに入れていたハンカチでその本の水気を落としながらトイレを出たところで、三島さんと出くわした。


「それ、見つけてくれたの?」


三島さんの声は見た目通り綺麗で心地の良い響きだった。俺は自分が隠していたわけではないことを説明しようとした。口はパクパクと動くのに、肝心の声が出ない。視線は挙動不審に彷徨い、傍から見れば俺が犯人に見えたことだろう。


「一人で探してくれたの?」


その言葉にがくがくとうなずきながら、俺はようやく三島さんの顔を見た。彼女は嬉しそうな目をしてこちらを覗いていた。本を隠され、水浸しにされてしまったというのに、なぜそんな顔ができるのか、俺は不思議に思ったものだ。


三島さんは俺に何度もお礼を言うと、ここで話していて奴らに見られていたら幸雄君もどんな目に会うか分からないと言って、少し遠くの公園に移動することを提案した。


俺は、多分その時肯定の旨は伝えれていたと思う。あの三島さんが俺を知っていたばかりか、下の名前で呼んでいることの方に気を取られていたんだ。


公園についてから、彼女は本の状態を入念に確認していた。ところどころ破けてしまっていたが、彼女が言うには何とかなるレベルらしい。


「水に濡れた本は、各ページにティッシュを挟んで冷蔵庫に入れると大分マシになるのよ。本好きなのにそんなことも知らないの?」


「俺は別に本が好きなわけじゃないよ。」


悪戯っぽく笑う彼女に俺がそう言うと、三島さんはとても驚いたようだった。


「この本が好きだから、本を探してくれたんじゃないの?本好きでもないのにいじめられっ子に助け舟を出すなんて、あなた変わってるわね。」


この時に初めて三島さんが本好きの少し変わっている人だと知った。俺はどうして助け舟を出したのか、その理由を話そうか迷ったが、自分の体格に自信があるなんてとても言えず、話を逸らすことにした。


「その本は、大事なものだったのか。」


三島さんは少し考えこむと、「大事と言うより、大好きかな。」と言った。視線は本に向けられたままそう言った彼女の横顔はとてもきれいで、俺はなんだか恥ずかしくなった。


「この本を書いた人はね、もうずいぶん前に死んじゃってるの。それも病死とかじゃなくて、自殺。」


今いじめられている彼女の口から自殺と言うワードが出て、俺はドキリとした。


「なんで自殺したんだ。」


「分かんない。もうずいぶん前の事件だから、資料なんて残ってないみたい。でもね、噂によると、自殺前に彼は演説をしたらしいわ。」


「演説?」


「そう。」


三島さんは突然走り出して遊具の方へ向かうと、遊具の上に登り、こちらを見下ろしながら叫んだ。


「聞け!聞け!男一匹が、命を懸けて諸君に訴えているんだぞ。」


彼女の後ろに沈んでいく夕日がまぶしくてよく見えない。でも、声だけはハッキリと頭に残る。なんでだろうか、それから十年以上の年月が過ぎた今でも、この時の声は鮮明に思い出せる。


三島さんは遊具を下りると再びこちらに駆け寄り、照れたように笑った。


「全文は覚えてないんだけどね。このあと、この国の行く末を語って自殺をしたらしいって。もう百年は昔の話だから、本当かどうかは分からない。でも、本当だったらとてもすてきだと思うの。こんなにこの国のことを考えて、この国を愛して、この国に文学と言う遺品を残して死んでいった、その生きざまに。」


少し喋りすぎたかな。そう言って三島さんは舌を出した。俺は少し考えた後に、静かに話した。


「俺はそんな良い話だと思えない。昔偉かったり、昔から怖かっただけの奴らの言うことにいまだに逆らえないこの町も、それを放置するこの県も。知ってるか。昔、この権力者たちに抗おうと、この町の一部住民が集団で国に訴えたことがあったんだ。だけど、国は無視した。そんなこの国に命まで賭けた人を、俺は尊敬できない。」


言いながら俺は少し後悔していた。好きだ、すごいと思っていると言っている相手にわざわざこんな話をする必要がどこにある。これじゃあその作家を侮辱しているのと何も変わらないじゃないか。でも一度口をついて出た言葉は止まることを知らず、終いにはこの町であった昔の話までしてしまった。


恐る恐る三島さんを見ると、また嬉しそうな顔でこちらを見ていた。彼女が何かを言おうと口を開く。どんな言葉が来るのか、俺は想像ができなかった。


その時、午後五時を知らせる放送が鳴りだした。彼女は開いた口を閉じ、公園にあった時計を見る。


「あ、もうこんな時間か。私、もう帰らないと。」


そう言うと三島さんは止める間もなく公園の出口へと走っていく。引き止める言葉を知らなかった俺は、ただ茫然とその姿を見る。


最後に彼女は振り返り、こちらに手を振りながらよく聞こえる声で言った。


えっと、なんて言ったんだっけな。思い出せない。


三島さんと話したのはそれが最初で最後だった。彼女は卒業までいじめられ続けたが、頭が良かったので私立の中学校を受験し、都心の方へと引っ越していった。


俺はと言うと頭は良くないもので、中学校では合計点数二桁などを叩き出した。


高等学校に進学するか、兵役についてそのまま軍人になるか選べ、と三年の夏に当時の担任に言われた。中学に入っても俺の体格は頭一つ抜けていて、体力にも自信のあった俺は兵役に着いた。


やはり俺は体を使うのが得意だったようで、そのまま軍人となった。


「昨日、隣国からの侵攻が確認されました。」


綺麗でよく通る、聞き覚えのある声をしたアナウンサーの開戦宣言は、つい一週間前のことだった。


「小林さん、もうこの侵攻を止める術はありません。」


当然名前はあるのだろうが、何回聞いても忘れてしまうような、そんな存在感のないこの地方都市を隣国が攻めてきている。空から火の玉が雨のように降り注ぎ、家や肉の焼けるにおいがする。


後方には守るべき地方都市が、前方には国境代わりの橋を挟んで隣国の軍が迫ってきていた。


部下たちが俺の指示を待っていた。一分一秒も無駄にできない状況で、俺は小学校のときのことを思い出していた。部下たちの顔をゆっくりと眺め、その後方にある地方都市をもう一度眺める。


考えてみれば、この町は俺の故郷の町に少し似ている気がする。


俺は一度深呼吸をすると、町にも聞こえるように声を張った。


「聞け。聞け。」


一度目でみんなが俺の声に耳を傾けているのが分かった。なのに繰り返したのは、思い出に引っ張られたからなのか。


「今からわが軍は市民の避難に専念する。一秒だって無駄にするな。避難の指揮はこいつに任せる。俺は……。」


指揮を任せた部下は俺が何をするのかを理解したようだ。厳しい訓練をともにし続けた相棒だ。こいつにならすべてを任せられる。


「小林さんはここでやらねばならない仕事が一つある。後から合流するはずだ。総員、今すぐ避難誘導を始めろ。」


俺の言葉を引き継いでくれた相棒は、部下を市内へ派遣させ、自分の荷物をまとめ、走り出した。最後にこちらに体を向け、敬礼をした。


俺はそれを無言で見つめ、準備に取り掛かる。用意していたありったけの手りゅう弾、爆薬、それらを橋のあちこちに仕掛け、軍車の影に潜む。


歩兵の足音が近づき、いよいよその時が来た。消音で流していたテレビに目を向ける。


三島さん、俺はやっぱりこの国が好きじゃない。国民性も、文化も、何一つ気にくわない。どうか今からすることに、愛国心なんて感じないでくれ。


そこまで願って俺は思い出す。あの日、あの公園で三島さんが言った言葉。今ならその言葉に言い返す引き出しがあるのに。


最期に俺は苦笑しながらスイッチを押した。


その日のニュースを、女性キャスターは涙を浮かべながら読んだ。


「隣国からの侵攻を一人の兵士が身を挺して止めました。唯一の橋を壊されたことにより、その都市は一時の安全が手に入ったと言っても良いでしょう。これは彼なりの愛国心ゆえの行動であると私は……。」


女性キャスターは原稿を最後まで読むことができなかったそうだ。

戦争が廊下の奥に立つてゐた

渡辺白泉

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