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小椋夏己の千話一話物語  作者: 小椋夏己
2024年 10月
926/1001

禁域の綱

 SNS界隈で、


「あの祠を壊したのか」


 というワードが流行っているようです。


 元々はどこから出たのかはよく分からないんですが、神社の鳥居で鉄棒したり、聖域でヨガやったりと、あまりに失礼な海外の旅行者がいたことが始まりなんでしょうかね。そういや他にも神社に落書きしたり、言葉にするのもちょっとなことしたり、最近は日本人が大事にしてる場所にそういうことやられることが増えてるようで、少しばかり目に余る状態です。もしかしたら、そのあたりからもう出てたのかも知れませんが、私が知ったのはつい最近です。


 私も海外に行った時に日本とは違う宗教の方の施設、イスラムのモスクとかヒンズー教の寺院とかに行ったことがありますが、いつも「お邪魔いたします」という気持ちで行きました。そこにふさわしい格好をしろと言われたら、もちろんそういう格好をして。それが礼儀というものじゃないかと思います。

 だから日本に来る人にも、神社仏閣だけじゃなく、日本人が大事にしている場所に来る時にもそういう気持ちで来てもらいたいと思いますが、おかしなことじゃないですよね?


 海外だけじゃなく、長崎の教会やもちろん日本のお寺や神社、その他どなたが大事にされている場所に行く時には同じ気持ちで行っているつもりです。小学校1年の時、そういうことを知らずに須磨寺近くにある某新興宗教の施設に行った時、お葬式と間違えてそこの信者の子どもに怒られましたが、これは小さい子どものしたことなので許していただけるとありがたいかな。

 だから、海外の人も知らなかったのなら、知った時には素直に謝って、そして他の人に「こういうことはしてはいけない」と自分の失敗を話してほしいと思います。


 日本人には古来より、


「禁域、神域、聖域」


 と言われる場所に綱を一本張ると、そこから先には入らないという意識があったそうです。例えば「山のこの先にはもう選ばれた浄められた人しか入れません」と綱を張ったら、鍵や柵がなくてももうそこから先は入らない。自分の心の方に鍵をしたり柵を作ったりする感じかもしれません。 

 それから「何かを畏れる気持ち・尊重する気持ち」から、その聖域を汚す者、綱をくぐったりまたいだりした者には神罰がある、そんな気持ちもあったはず。

 特に神仏を信じるとかじゃなくても、やらないでと言われていることはやらないというのは、大事な気持ちだと思います。誰かが大事にしているものを大事にする、結局はその部分が重要です。


 綱一本でその気持ちを大事にした日本人、その心をこれからも大事にしたいと思います。そして日本に来る人が知らずにその綱をまたいだりくぐったりしたら、ちゃんと教えてあげましょう。それを知ってごめんなさいと謝って、それ以降は大事にしてくれる人は大事におもてなしして、そんなの関係ねえって人は、もう来なくて結構と断固とした態度を取ることも必要だと思います。


 曖昧にアルカイックスマイルを浮かべてるだけだと思ったら大間違いだぜ、本気で怒ると神罰与えるぐらい怖いんだからな、日本人って。

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