月代の謎
今回もまた長髪の話題なんですが、その歴史を考えていて、ふと、思い出すのは、
「月代」
です。
日本では武士が時代劇でよく知られるように頭の前の方だけ髪を丸く剃る風習ができましたが、これは、
「兜をかぶってると中が蒸れて熱くなる」
かららしいのですが、剃るだけじゃなく、抜いたりもしてたそうで、痛そうでひえ~となります。
いくら髪に魔力があるといっても、髪を伸ばしていて熱中症で死んでしまっては戦どころじゃありません。実際、のぼせて亡くなった武将がいるとも読んだことがあります。
気持ちの上では「髪は大事」と思っていても、実際に耐えられないから剃るか抜くかするしか方法がなく、まあ「みんなで剃れば怖くない」って心境でみんな月代を作ってたのかも知れません。
自分だけその部分の魔力が減ったら嫌ですが、みんなでなくなるなら問題ないですもんね。
有名な信長の「茶筅曲げ」は兜をかぶる時用の髷らしく、あの上に兜を乗せるとずれない、落ちない、で大層実用的な髷だったようです。確かにあの髷だったら兜も止まるわな。
そうして合戦がなくなった後も髷の文化は残り続け、「髷を切られるのは大変な恥」という文化も残ったようです。
その頃になってもまだ魔力を感じていたのか、それともただ単に風習として残っていたのかは分かりませんが、もう戦もない時代、兜をかぶる必要もないなら、月代作って髷作る必要もないように思うんですが、身についた習慣はなかなか変えられないものなんでしょうね。
江戸時代になったら武士どころか町人も髷、女性も色々な髷をファッションとして取り入れるようになっていき、なくてはならないものになっていきます。ファッションどころか、その髷でその人の職業や身分まで分かったらしいので、もう魔力とは関係ないですね、そうなると。
私の曽祖父だったと思うのですが、明治になって廃刀令と散髪令が出ても、なかなかちょんまげをやめなかったと父から聞いたことがあります。特にお侍さんでもなかったんですが、一般人でもそのぐらい髷を大事にしていたらしい。髷をなくすってことはそれほど恥ずかしかったということでしょうか。
そしてまた思い出したのですが、大学時代の友人にかなり髪が多い子がいまして、その子が腰あたりまで髪を伸ばし、三つ編みにしていたのがそりゃもう太く強力でした。
一度、その子が呼びかけられて振り向いた時にその三つ編みが私の顔にヒット! かなりのダメージを受けたことがありました。
やっぱり髪にはそれなりに強い力があるものなんだなと、自分の経験から思い知った気がします。




