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小椋夏己の千話一話物語  作者: 小椋夏己
2023年 10月
467/1001

子どものお出かけ

 ある県でかなり厳しい条例ができそうだったんですが、できずに終わったそうです。


 正直、気持ちは分かるけど、ほぼ誰も守れない、守りたくても守れない、そんな規則ならあっても意味がないと思います。でも本当、気持ちだけは分かるので、まずその規則が守れる状況にしてから作ってください。それだったらみんな喜ぶと思いますよ。


 内容的には、


「子ども一人で出かけさせたり、家に一人ぼっちにするのもだめ、そんなのは虐待だあ!」


 というものでしたが、お隣に回覧板を持って行かせるのもだめ、ゴミ捨てに行く間に留守番させるのもだめって、無理だから、そんなの。


 思わば、私が小さかった頃は、もっと大らかでいいかげんだったと思います。今はそれだけ厳しい状況になっているというのでしょうが、それにしてもこれはちょっと行き過ぎだと思います。


 私が親なしで、お友達と、または一人で電車に乗って移動したのって、かなり小さい頃から記憶があります。


 まず、お友達とですが、小学校2年か3年の頃には山陽電車に乗って、須磨のある駅から明石まで天文科学館のプラネタリウムを見に行ってました。同じように、妹も一緒にですが、5年生の頃には確実に映画館もお弁当を持って子どもたちだけで行ってましたし。博物館とかも行ってたなあ。当時、近くに考古学の博物館があって、歩いて行ける場所だったので。


 一人電車に乗った確実な記憶は4年生の時です。近視になり、最初は母に連れて行ってもらいましたが、2回目か3回目からは須磨からやはり山陽電車に乗って神戸まで行ってました。今みたいに携帯もないけど、気をつけて行きなさいと言われて一人で通ってたのは記憶にあります。

 もしかしたら、もうちょっと前にもう少し離れた駅のところにある、伯母の家や大伯母の家にも行ってたかも知れませんが、そのあたりはあやふやなので、確実に年が分かっているのはこの時ですね。


 こういうの、今だったらとっても信じられないですよね。そういや、バスに一人で乗ってというのもあった気がします。車はあったけど、母は運転できないし、そもそも父が仕事用に乗ってた社用車だったから、平日に車移動ってのは、よっぽどの時でないとなかったです。


 歩いてだったらもっとあっちこっちに行ってました。以前も書きましたが、須磨寺の「おだいっさん」も近所の子が一緒の時もありましたし、現地でもっと近い場所の子と合流するまでは一人で移動してました。


 習い事もそうでしたね。ご近所で教育に厳しいおうちがあったんですが、そこの男の子はテストで通らないといけない難しい塾に小学校の時から一人で通ってました。帰ってくるのは夜の10時とか11時という話も聞きました。今みたいに車で送迎なんてしてなくて、一人で電車で帰ってきます。さすがにそれはちょっと心配という話ではありましたが、そのへんはそのおたくの事情なので。


 もう一度そこまで戻せとは言いません。治安が悪くなってるのも分かってますし。ですが、今の時代、何か道具を駆使してお留守番とかお使いぐらいなら、できるようにはしておいてほしいなと思います。そうでないと、どこでも1人で行けない大人になってしまいそう。


 それに子どもだってそういう機会、ほしいと思います。誰かと一緒も楽しいけど、一人で何をするのも楽しい。貴重な経験じゃないでしょうか。

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