場面的トランスジェンダー
今朝、ネットをのぞいたら、こんな文字が目に飛び込んできました。
「場面的トランスジェンダー」
初めて聞いた言葉です。
一体どんな意味があるのか。
気になって見てみて、思わず吹きました。
「体も心も男性だが、トイレや公衆浴場は女性用を使いたい」
は?
えっと、私の読み間違いじゃないよね?
何回も読み返しましたが、間違っていませんでした。
それ、トランスジェンダーって言うの?
単なる覗き願望じゃないの?
違うの?
いや、さすがにネタでしょう?
そう思いましたが、言い訳にしてもよく考えたなと、笑ってしまいました。
トランスジェンダーにも色々あり、本当に一言では説明ができないのだそうです。
そう生まれてしまったら、生きるのはしんどいだろうなと思います。
性自認に限らず、どの場面でも一番生きやすいのはやっぱり大多数派でしょうから。
そしてそれだけにこうも思います。
本物のそういう方は本当に苦しんでいらっしゃると思います。
今は割りと社会に受け入れられるようになったとはいえ、外国では少し前まで同性愛が刑罰対象だったところもありますし。ってか、今でもそういう国あるよね。
自分の性的欲求だけで異性のトイレやお風呂に入りたい。
そんなことを、まるでそういう本当に苦労されている方と一緒にして、当然のように異性のお風呂に入れさせろ、そんなことを主張する人は許せないなと思いました。
ごく最近ですが、どこだったか公衆浴場には、その体の性別の人しか入れないようにする、と決めた市町村がありました。今の段階ではそれが妥当かなと思います。すでに今でも、自分は体は男性だが心は女性だと言い張って、覗き目的で女性浴場に入る人が何人も出てきていますから。
多数派に何もかも合わせろというのは違うでしょうが、ことこの問題に対しては、それしか今の段階では仕方がないのではないかと思います。そうでないと、あまりにもそれに便乗して自分の歪んだ欲望を満たそうとする人が多すぎますから。
それにしても、
「場面的なんとか」
が堂々とまかり通るようになったら、本当にみんな好き勝手し始めてめちゃくちゃになりますよ。
あまりに暑いので、 私も今日は場面的怠惰で仕事さぼりたいなあ。




