「学園天国」のただ一つ
テレビで何かの時に流れていた歌を聞いて、自分も鼻歌混じりで歌っていて、ふと、気になりました。
「この歌詞おかしくない?」
気になった歌は「学園天国」です。元はフィンガー5の歌で、後に小泉今日子さんがカバーしたヒット曲。
調べてみたらフィンガー5は1974年、今からもう49年も前の歌なんですね!
小泉今日子バージョンですら1988年12月リリースのアルバム収録ということですから、本当に昭和の最後の最後!
私の知らない人もいっぱいカバーされていて、今年、令和5年にもやはりカバーバージョンが出されています。そりゃ今でもそこかしこで聞くはずだ。
で、なんとなく口ずさんでいたんです、そしてこの部分で「あれ?」と思ってしまいました。
あいつもこいつもあの席を
ただ一つねらっているんだよ
このクラスで一番の
美人の隣りを
どこに「あれ?」と思ったかと言いますと、
「ただ一つ」
この部分です。
教室での席の話ですよね、ということは、
「一つ」
って、おかしくない? そう思ってしまいました。
この美人がどこの席に座っても狙う席は「一つ」じゃないと思うんです。
もし仮にこの美人が部屋の四隅、角の席だったら「隣」は確かに「一つ」ですが、その場合、後ろとか前にも席ない?
角じゃなかったら「両隣の二つ」が狙い目になると思うし、運良くこの美人が教室の真ん中の席になったら、「両隣」「前後」「斜め四つ」の「八つ」が結構狙い目だと思う。
なのにこの歌は「隣」の「ただ一つ」って言ってるんですよね。
おかしい!
で、もしもその「一つ」だけが狙い目になるとするとと考えて思ったのが、
「あ、昔の机と椅子ならあるか」
でした。
今は机って一人に一つだと思いますが、うちの小学校はまだ木の机で2人一組の机の時がありました。
あの机と椅子だったら、そりゃ「ただ一つ」になるかも知れない。
すぐ隣の机の席の子も隣になるけど、くっついた隣と通路挟んだ隣はちょっと距離感が違いますもんね。
ってことは、フィンガー5が通っていた学校、もしくは作詞者の学校の机のイメージはこのくっついた木の椅子だったんでしょうかね?
作詞者は調べたらあの有名な阿久悠さんでした。
阿久悠さんの世代なら、やっぱりその机と椅子がイメージなんだろうか。
うーん、でもなあ、時代を作る作詞家が、わざわざ古い机のイメージで作らない気もします。
当時、そういう木の机の人は「分かる分かる」と思ってるかも知れませんが、一人一つの机と椅子の人は隣ってやっぱり両隣だよなあ。
本当につまらないことが気になってしまいましたが、まあこれからも鼻歌混じりで歌う時には、全然気にせず歌うんだろなあ。