1st line:懐中時計のリデス
S;G世界線に留まることが出来なくなった岡部が、紅莉栖によって救出されてから5日が経過した。
時刻は午後3時になろうかという頃で、夏も真っ盛りなこともあり、とても暑い。
こころなしか陽炎すら見える。
そんな時分に、ラボの近くの公園には同い年ぐらいの男女が一組。
紅莉栖「どうしてこんな所にいるのかしら。」
額を伝う汗をハンカチで拭いながら悪態をつく紅莉栖。
岡部「さぁてなぁ?よりにもよってこんなに暑い中、外で日光浴とは。これもシュタインズ・ゲートの選択…。」
同様に汗を拭う岡部。
紅莉栖「もっと過ごしやすい場所ぐらいあるでしょ?!涼しくて、眩しくなくて!」
岡部「ラボにいろとでもいうのか?二人でいる所をまじまじとダル達に見られる、そんな羞恥プレイがお好みだったとは。流石のこの俺もわから」
紅莉栖「今すぐこのドクペをあんたの頭にかけて冷やしてあげましょうか?」
岡部「なんでもありません!」
紅莉栖「…はぁ。秋葉原のことは詳しいと思っていた私が間違っていたわ。」
岡部「俺だって場所があれば連れていっている。ここは電気街であり、サブカルチャーの街であってだな。」
紅莉栖「はいはい、どうせあんたは漆原さんを連れて秋葉原から上野まで往復させるような甲斐性なしでした。」
岡部「!?また、覚えているのか…。」
紅莉栖「えっ…?そういえばそうね。これも別の世界線での記憶…なのね。不思議な感覚よね。でも、漆原さんとデート?男の子だから修行の一環とでもいって連れ回した…?」
岡部「それはその、かいつまんでいうとだな…。」
ルカ子の母親のポケベルにDメールを送ることでルカ子の性別が変化したこと、ルカ子の願いを叶えるためにデートしたことを紅莉栖に話す。
紅莉栖「なんていうか、漆原さんには悪いけれどとても複雑な気持ちになるわね…。べ、別にヤキモチを焼いたとかそういうことじゃないんだからな!」
岡部「ダルがいたら『はいはい、ツンデレ乙!』という所だな…。」
紅莉栖「ツンデレじゃない!でも、たった一つのDメールでそんな大きな出来事が起きてしまうのよね。しかも、あんたはそれを4通も。α世界線の束の中を散々移動して、β世界線、その後やっとこのS;G世界線へ辿り着いた。」
岡部「留まれるようにしてくれたのはお前だがな、紅莉栖。」
紅莉栖「岡部…。」
程々に冷えていた二人のドクペは熱気に当てられ、既に熱を帯びていた。
岡部「俺はDメールで、萌郁、ルカ子 、フェイリス、鈴羽の事象改変に関わった。鈴羽以外の3人については軽い気持ちで。そして、その罰だと言わんばかりにまゆりが死に、自分がしでかしたことの大きさを思い知った。どうやってもまゆりは死に、その度に、お前とダルが作ってくれたタイムリープマシンで時を遡り。元凶と思われたDメールを取り消すために奔走した。」
紅莉栖「けれど、Dメールを取り消してもまゆりの死が遅くなるだけで、結局死という結果に収束してしまう。まゆりを救うためには、岡部が最初に受信しSERNに捉えられてしまったDメール。このDメールの痕跡をSERNのデータベースから消去すれば良かったのよね。」
岡部「だが、それではまゆりが死ぬα世界線からβ世界線へ戻るだけで、今度は紅莉栖が死んでしまう。運命なんてものがあるとしたら本当に残酷としか言いようがない。」
紅莉栖「それは岡部がいくつもの世界線を行き来し、その上、その記憶を保持できるが故に感じることね。他の人達は別の世界線の記憶をデジャヴのようなレベルで感じることはあっても、それを現実のものと捉えることはない。おまけにDメールやタイムリープで何度も何度も同じ世界線をやり直すことで、その世界線でまゆりや私が必ず死ぬということを知り得てしまう。そんなことがない人にとっては、収束する事象によって死等が起きるものだとは思いつきもしないわ。」
岡部「そうだな。…いや。デジャヴのレベルではなく、別の世界線の記憶を保持する運命探知の魔眼の力は他の人も持っていたじゃないか。」
紅莉栖「えっ?そんな人あんた以外にいないじゃない。」
岡部「いや、いただろ。去年、ラボのクリスマスパーティに来ていたまゆりの友達の中瀬克美さん。俺と同時に倒れて病院に運ばれた。」
紅莉栖「あんたが運ばれたなんて聞いてないわ。どういうこと?!」
岡部「あぁ、まゆりたちがお前を心配させまいと連絡しなかっ、いや。紅莉栖、お前その頃何をしていた?」
紅莉栖「ヴィクトルコンドリア大学の研究室にこもっていたわよ。先輩と一緒にね。」
岡部「…その先輩というのは、髪は長くボサボサで、小柄すぎるあまりよく子供に間違えられる…?」
紅莉栖「そうよ。でも私あんたに真帆先輩の話ししたことあったっけ?」
岡部「比屋定さん…!」
紅莉栖「もしかしてどこかの世界線であったことがあるの?アメリカに来た時は、あってないわよね…。」
岡部「どういうことなんだ…。」
紅莉栖「幾多の世界線漂流で記憶が混濁しているのかも知れないわ。一度休んで整理し直しましょう。」
岡部「あ、あぁ。」
紅莉栖「けれど一つ覚えておきなさい。例え他の世界線で何があったとしても、今のあんたがいるここが唯一無二の世界線。気にすることはないわ。」
…
紅莉栖「つまり、こういうことね。」
俺の記憶を聞いた紅莉栖がホワイトボードに簡潔にまとめる。
『タイムマシンで私(紅莉栖)を救出する作戦に一度失敗した後、もう一度タイムマシンに乗るルートと、諦めてしまうが最終的にもう一度チャレンジするルートの2つのパターンがある。但し、私が去年のクリスマスパーティにいなかったことや中瀬克美さんを知らなかったことから、後者のルートには進んでいない。それなのに、岡部にはそのルートを漂流した記憶がある。』
紅莉栖「推論にしか過ぎないけれど、岡部は度重なるDメールやタイムリープによる世界線変動を経験したことにより、移動したことがない世界線の記憶をみる、正しくは『別の世界線の自分が見た記憶を自分が見たものとして捉えてしまう能力』を獲得した可能性があるわ。」
岡部「その世界線にいたことがないのに、記憶はある。これは…。」
紅莉栖「非常に危険といえる。どの記憶が正しいのか自分で判断ができない。勿論、私や橋田達にはそういう記憶そのものがないのだから、訂正も出来ない。」
目の前のぬるいドクペを飲み干す。
炭酸とともに味まで飛んだのか、生水を飲んでいるようだった。
紅莉栖「過去に干渉することの危険性は常々考慮してきたつもりだったけど、タイムリープすることによる記憶の積み重ねの問題もあったのね。」
岡部「これからも記憶の齟齬が発生する、ということか?」
紅莉栖「可能性はある。ただ、これはタイムリープを繰り返した時間の間、-最初に運命探知の魔眼が発現した時からついこの間S;G世界線に留まれるようになるまで-、の記憶に限られる。この頃の記憶を思い起こしたり人と話したりする機会は減る程問題はなくなる。時間経過で徐々に解決すると思っていい筈よ。」
紅莉栖の言葉に胸をなでおろす。
世界線漂流をしていた時の記憶は苦行そのものだ。
忘れられるものなら忘れたい。
その様子を見ていた紅莉栖は、続いてホワイトボードに書き連ねる。
『中瀬克美等、他の者達も運命探知の魔眼と思われる能力を多少は持っていると思われる。しかし、その力で見たものを現実の自分が見たものとして確実に認知できる程完璧な運命探知の魔眼を持つのは岡部のみ。』
紅莉栖「これは驚きね。僅かであれ、世界線移動した際の記憶を持ち続けられる人間が他にもいるなんて。」
岡部「あぁ。でも、中瀬克美さんの例をとってみても、俺程完璧に力が働いているわけではないようだった。世界線という概念も知らないから、あたかも現実のような夢を見ていた、と受け止めていたようだった。」
…
それから3日間、安寧の日々を送っていた。
タイムリープマシンは物置に移動させた。
廃棄することも考えたが、あの夏の語るには多すぎる世界線漂流。
あれを脱することが出来た唯一の武器でもあったことから、使わない条件で残すことにしたのだ。
使うこと等二度と無い、あくまで保険として…。
…
8月23日。
ブラウン管工房のベンチでサボっている鈴羽がいる。
彼女は1枚の写真を眺めていた。
岡部「なんだそれは。」
鈴羽「岡部倫太郎。これはね、2036年にタイムマシンで出発する前日に撮った集合写真だよ。」
顔は太陽光の反射で隠れて見えない。
だが、ラボメンバッジをつけており、みなラボメンであることがわかった。
数は、1,2,3…10名。
いずれ、比屋定さん、かがり、由季さんが増えて、11名か?
おかしい、数が合わない。
岡部「鈴羽、その写真のメンバ」
鈴羽「ごめん。これから用があるんだ。」
そういうと、鈴羽はそそくさとどこかへいってしまった。
世界線が変わることで事象は変化する。
知り合いにならない者がいてもおかしくはない。
例えば、第三次世界大戦が起きなかったことにより孤児ではないであろうかがり。
そんなところだろう。
…
翌8月24日。
鈴羽は昨日と同じように、ブラウン管工房のベンチでサボっていた。
まだ秋葉原に留まっている。
岡部「鈴羽、一つ聞いておきたいんだが。」
鈴羽「あ、岡部倫太郎。何?」
岡部「今のお前は、俺がS;G世界線に留まれるようになった後の未来からきた鈴羽、になるのか?」
鈴羽「うん。オカリンおじさんからみればそういうことになるね。勿論、未来の岡部倫太郎とも話したよ。」
岡部「そうか。ところで、いつ未来へ戻るつもりなんだ?」
鈴羽「うーん、欲しい自転車のパーツがあってさ。それを集めようと思って。」
岡部「未来ならもっといいものがありそうなものだが。」
自分が存在すらしない過去を謳歌してみたいのかも知れない。
…
2011年8月25日。
秋葉原は少しずつ形を変えつつあった。
店舗が建っては入れ替わり、激戦区の様相を呈していた。
俺とまゆりは、氷菓と知的飲料を買いにスーパーへ行ってからの、ラボへの帰り道。
この辺りもビルの建設が進んでいた。
まゆり「紅莉栖ちゃん、いつまでこっちにいるのかなぁ。」
岡部「夏休みの間だけだといっていたから、9月中旬といったところだな。」
まゆり「今年のコミマでコスプレしてくれるか、まゆしぃは楽しみなのです♪」
岡部「そうだなぁ。以前その話をした時はまんざらでもなさそうだったからな。頼み方次第では、まゆり?」
まゆり「あれー?まゆしぃのかいちゅ~止まっちゃってる…。さっきネジ回したばかりなのに…。」
岡部「!」
嫌になる程聞いたこの台詞…!
そんな筈はない!
ただ懐中時計が壊れただけだ!
そんな筈は…!
---瞬間、建築作業員たちの叫び声が聞こえた。
ズズン!
粉塵が立ち込める。
工事中のビルの上空へ引き上げていた資材が、地上に落下していた。
まゆりのいた場所に。
岡部「まゆり!?どこだ、まゆり!」
落下し砕けた資材の間から赤い液体が流れ出してくる。
人間の、血液だ。
岡部「まゆ、り…?うわああああああああ!!」
唐突に、まゆりは亡くなった。
S;G世界線ではまゆりも紅莉栖も死ななくなるんじゃなかったのか?
紅莉栖や他のラボメンたちも死ぬのではないかという恐怖に襲われる。
俺は逃げるようにラボへ戻り、封印した電話レンジ(仮)を何も考えずに引っ張り出す。
ダル「オカリン、急にどしたん?」
いちいち説明する時間が惜しかった。
岡部「急いでこいつを使えるようにしてくれ!」
半ば泣き出しそうな叫び声でダルに頼む。
ダル「わ、わかったお…。」
そして俺は、まゆりが死ぬ前日、8月24日へタイムリープした---。