第3話
《イエフォ・ヒスギカ 10歳》
運命とは何と無情なものなのでしょうか。あの夢は一体何の為に見たのか、さっぱり分かりません。
▽▼▽
イエフォの頭の中を『婚約』の二文字が駆け巡っている間に話は進んでいく。
「4月には、カーノ卿もデュアギカに通う事になるからな」
ウィグカナ王国では子供は12歳になった次の4月から王立の学校に3年間通う事が義務付けられている。卒業の式典と同時に成人の儀も行われるからだ。卒業の証明書がそのまま成人の証明書となるのである。
裏を返せば卒業しないと何歳になっても成人と認められないという事だ。当然、一般的な仕事には雇って貰えない。家業だとしても個人では商売人がまともに相手をしてくれないので、まず跡取りにはなれなくなってしまう。
「それで、横槍が入る前にしっかりと婚約をして婚約者候補にしておいた方が良いと思ってな」
粛々と進められるウターソン・シオラ伯爵の言葉がイエフォの胸に突き刺さる。彼はまだ3年以上時間が有ると心の隅で思った。
というのもこの国では婚約者を持てるのは成人を迎えた物だけと決まっているのだ。そういう意味では結婚も学校を卒業していないと出来ないことの一つともいえなくもない。
それにはこの国の成り立ちが関わっている。
▽▼▽
当時このガンデュオ大陸はツオキケ帝国の統治の下に数多の小国が平和裏に乱立する世だった。戦争の無い世で各国は帝国の皇族は疎か帝国貴族にさえも、婚姻と言う名の人身御供で国の地位向上を図っていた。
そんな国に騎士として仕えるヘジュマー・サン=ルトアという男がいた。彼はルトア諸島連合王国の島の一つサン島領主サノルッツァ・サン=ルトア侯爵を父とし、上に二人の兄がいるのだった。
彼は気楽な三男という事で、割と自由に諸国放浪しつつ剣の腕を磨いていた。そして貴族の馬車を盗賊から救った事が縁でこの国の騎士になったのは3年前の事だった。
順調に出世していたヘジュマーは、当時5歳の第四王女付きの近衛騎士に選任された。護衛しつつ遊び相手も務める微笑ましくも穏やかな時間は、王女が7歳の時に突如終わりを告げた。
帝国の皇太子から、ぜひ妻に迎え入れたいと使者が来たのだ。王を中心に政治の中枢にいる者は大喜びだった。姫が皇太子妃になれば諸国の中でも立場は上位になる。
現に昨年病気で御隠れになった前皇太子妃の母国ヨークォーク王国は近隣の国のまとめ役になった程だ。
ヘジュマーはこの状況に納得出来なかった。皇太子は齢25になる青年だ。それが7歳の初潮もまだな幼女を妃に望むのは異常であり、それを覆すほどの利益をこの国が齎せるとも思えないからだ。
皇太子が何を目的として第四王女を求めたのかを彼は探った。
思いの外簡単に彼はその情報を入手出来た。皇太子は小児性愛者だと言う事だった。
現に前皇太子妃は9歳で嫁いでいた。彼が18歳だった為にそこまでおかしなものとは思われなかったし、近しい者の間では当然だと思われていたので話題に上がりすらしなかったのだ。
今回は大いに違和感があるが、少女しか愛せないのならば仕方が無い。そこに愛があれば幸せも生まれるのかもしれないと思ってしまったのだ。
ヘジュマーがもっとよく考えて、更に詳しく調べていれば何がなんでも反対した事だろう。
大ぴらには広まっていないが、王太子にはもう一つ悪い噂があったのだ。看過出来ない趣味嗜好が……。
~~~
それから5年の歳月が流れた。
近衛騎士団副団長になっていたヘジュマーの耳に信じられない報せが入った。嫁いでいた第四王女が離縁されて、戻ってきたというものだった。表向きには病が重く公務に支障をきたすからとされていた。
帝国は無用の後継者問題を起こさない為に、代々側妃が認められていない。ただ、その代わりに離縁は割と簡単に行われる。
国の重鎮達は頭を抱えた。離縁された事で国の地位は失墜してしまったのだ。心無い者は、重病なら離縁の前に亡くなってくれれば良かったのにと言う。そもそもが彼女のおかげで上がった国威だと言う事は棚に上げているのだった。
第四王女に拝謁を許されたヘジュマーは、ベッドに横たわる彼女を見て愕然とする。目は虚ろで視点が定まらず、何かに怯える様に常に辺りを窺い震えていたのだった。
あまり眠れないのか、目の下には隈が濃く現れていた。ヘジュマーの声にも怯え、布団に包まって背を向けてしまうのだった。
ヘジュマーは手を尽くし情報を集め、そして一つの推論に辿り着いた。
皇太子は小児性愛者であり、加虐嗜好者でもあったのだ。年端もいかない少女には暴力暴言を受けながらの性交渉は、屈辱と共に途轍もない恐怖であっただろう。痛みと恐怖と自尊心の喪失の中で辱められる地獄の時間は、悲しいかな毎夜繰り返しやって来る。これで正気を保っていられる方が異常だろう。
幸か不幸か彼女の体は丈夫だった為に、壊れた心のまま生きながらえた。
このままでは皇太子妃の公務もままならない事と、彼女の成長と共に皇太子の寵愛も薄れた事が相まって、今回の離縁劇となったようだ。
過去の皇太子妃も虐待の果てに亡くなったのである事は明白だ。
明るい兆しとして、徐々にでは有るがヘジュマーの事を認識できる時間が増えている。長い年月が必要になるであろうが、いつかは御心を取り戻して欲しいと彼は願わずにはいられなかった。
ヘジュマーは報告書を纏め、王に謁見して落ち着いた環境の離宮で第四王女の療養をする事を進言し認められる。
そして副団長の任を解かれ第四王女付きの近衛として離宮に同行する事を命じられたのだった。
しかし、ヘジュマーの報告書は歴史に刻まれる事は無かった。王により即刻廃棄されたのだ。王は元々全てを承知で王女を生贄に差し出して国の地位を上げたのだ。
生きて返され、国の地位は失墜した。恨みこそすれ労おうなんて気持ちは持ち合わせていない。王も心無い者の側で有ったのだった。
離宮に刺客が放たれ、王女が亡くなった。公には病状が悪化しての病死と発表されたのだった。
自身も殺されかけたヘジュマーは、命からがら逃げ出して、実家の伝手を頼りルトア諸島連合に支援してもらいそんな国の王を討った。
1世紀以上ぶりの大規模な武力衝突にツオキケ帝国は後手後手に回ってしまった。反対に、新たにウィグカナ王国を打ち立てて王となったヘジュマーは、素早く反旗を翻すと帝国に付く小国に次々と攻め込み取り込んでいった。
同時に皇太子の妃への仕打ちも広めていった。
それに呼応して、ヨークォークとルングキも開戦をし各々領土を広げた。大陸の南半分が3国の地となった所で、講和が結ばれ皇太子は太子位を剥奪の上幽閉となった。
その様な経緯で、ヘジュマー王は年端もいかない少女を政争の道具にする事を嫌った。なので、当人同士の意思の上にお互いの家ともよく話し合い婚約をさせる為に、本人の意思が正式に認められる成人の儀後でなければ婚約者は持てないと法で定めさせたのだ。
▽▼▽
などと、昨晩読んだ『ウィグカナ貴族の空白の歴史、著リキセ・カヌキューケ、《第一章》ヘジュマー王誕生』を思い出していた。
しかし、そんな現実逃避には意味がない。
イエフォ・ヒスギカ10歳。運命の初恋は、僅か3分程で儚く散って行ったのだった。
「カーノ、貴方はフィアナ嬢に庭をご案内して差し上げなさい」
イエフォが逃避している間に、父上達の話が政務的なことになってきた。頃合いを見計らって、シアシェがカーノに提案する。
「はい、母上。フィアナ嬢、庭の薔薇は母上が大切にしていますので、とても豪奢なのですよ。さあ、行きましょう」
カーノは席を立つと扉へ向かい歩き出した。フィアナが何とも言えぬ表情でイエフォを見つめてくる。その瞳を見て彼はドギマギしたが、視線を外す事は出来なかった。
ほんの数秒の事だったが、イエフォにはとても長い時間に感じられたのだった。