ただ、マスクをしていれば良いってもんじゃない!
コロナウィルスが流行している昨今、マスクの装着は義務でないにしろ、して当然のエチケットという風潮になった。
私の勤める自動車整備会社でも、仕事の内容上、すぐに汚れて駄目になってしまうとはいえ、お客さまと接する機会がある以上、
「この会社は、そういうことに気を使えないのか!」
という印象を持たれるのはまずいということで、マスクの着用が義務化されたのだった。
工場内は冷房などないので、ここ最近の猛暑は、汗をかき辛い私でさえ、汗がこめかみから顎にかけて滴ったり、目に入って「いててっ」となったり、鼻の下を舐めたら「しょっぺえ!」となる有様である。
そんな環境でのマスク着用は大変ではあるが、世の中の状況が状況なので、仕方がないと理解はしているつもりだ。
ニュース番組で、度々マスクについて扱われており、その中にあった、
『鼻を出したマスクのしかたは、マスクをしてないも同然です。正しく着用しましょう』
という内容の報道には、
「当たり前じゃねえか、分かっとるわい!」
と、思ったものの、確かに鼻を出したい気持ちは分からないでもない。暑いし苦しいからね。
でも、ただ外見だけエチケットを守っているように見せかけて、意味がない行為はしたくないので、私は鼻までしっかり被うようにマスクを着用するようにしている。
これを読んでいる皆様こそ、
「当たり前じゃねえか!」
と、思われるかもしれない当然のことではあるが、今作を書こうと思った理由は、つい先日、ユニークなお客様が来店されたことに起因する。
そのお客様は、『頭隠して尻隠さず』ならぬ、
『鼻を隠して口隠さず』だったのである。黒の布マスクだったのが、個人的にはポイントだ。
暑さと忙しさで認識力が低下していた私は、その姿を見た時、ピエロの付け鼻のように、
「そういうタイプのマスクがあるんだな」
程度に思ってしまったが、数秒でありえないことに気付くと同時に、苛ついてしまうことがあった。
お客様専用の駐車場があるにも拘わらず、受付もせずに、工場の通路に直接車両を乗り付けて来たこともそうだが、それはまあ、仕方がないとしよう(駐車場の隣が、すぐ工場入り口、という立地条件の悪さのせいでもある)。
車から降りてきたお客様は、二人連れで、年金暮らしの老夫婦といった風体であり、夫の方のじいちゃんが鼻だけマスクマンであった。
奥様の方は、一歩下がった淑女といった印象。
他作業中ではあったが、工場内に乗り付けてきて、降車した先にたまたま私がいたのだ。接客しないわけにはいかないので、
「いらっしゃいませ、いかがされましたか?」
と、声をかける。
「車検はお宅で受けたんだけど、エアコンの効きが悪いんだよ」
出た出たこの言い方! 車検をお宅で受けたと言えば、こちらが「ウチのミスかも知れない」という負い目を感じ、優位に立てると思っているお客のパターンだ(全てがそうではないが)。
すかさずフロントガラスに貼ってある検査標章を確認すると、車検を受けたのは1年以上前、つまり、去年の今頃はエアコンは効いていたということだ。
なぜ、車検云々ではなく、普通に、
「エアコンが効かないから診て欲しい」
と、言えないのだろうかと、内心毒づきながら私はこう返す。
「暑い中大変でしたね、すぐ点検を開始いたしますので、その間に事務所で受付をして頂けますか?」
「分かったけど、ついでにエンジンオイルとバッテリー液と空気圧を診ておいてくれないかな? 普段から点検しているから大丈夫だと思うけど」
…………このじっちゃん、女房の前で知ったかこいて、格好つけたいのだろうか? 男はジジイになっても女の前ではそうなのか?
父方の祖父はそういう男だったことを思い出し、気分が悪くなる。
ついでに言うと、そのマスクから露出した唇が、肉厚で湿っていて、無駄にギラついていることが気に触った。
検査標章を確認した時に、オイル交換時期が記載されたステッカーも確認したけど、オイル交換は車検時にやったきりで、交換時期も大幅に超えていることは分かっている。
何が普段から点検しているだ。唇、舐め回してるんじゃねえぞ? この鼻マスクジジイ!
「かしこまりました。エンジンオイルは交換時期が超えているようですが、一緒に交換されますか?」
「油量が入っていれば大丈夫だと思うよ。ついでにバッテリー液も見ておいてね」
なかなか食い下がるじっちゃんじゃねーか、と思いつつ、奥様の前で恥をかかせるのもなんだし、めんどくさくなった私は、にこやかにお客様の意向を承り、点検を開始することにした。
◆
無事にエアコンも効くようになり、お客様が帰られたあと、事務員の猫美さんが私に聞いてくる。
「オムライスくん、あのお客さん面白くなかった? あのマスクのかけかた」
「俺、逆になんかムカついちゃったよ(笑)」
「え? そうなんだ。それでね、事務所の待ち合いスペースで待っている間、今度はマスクをずらして、鼻と口の間にしかかかってなくて、事務所内は笑いをこらえるのに大変だったんだよ?」
「鼠小僧?(笑)」
興奮冷めやらぬ猫美さんは、笑いすぎたのか、涙を拭く仕草をしている。
冷房のギンギンに効いた事務所内で楽しい思いをした猫美さん。そしてサウナばりに暑い工場で、笑いの波に乗れなかった私。
この世は不平等と感じるのは、こういう時である……。
まあ、ウケ狙いなのか、素なのか、格好つけなのかは分からないが、なんにせよ、万が一のことがあってはいけない。
皆さん、マスクは正しく装着しましょう!(なんだ、この締めかた?)