来栖という女
「転校生が入ってきたって本当か!?」
ドンッ! とドアが乱暴に開けられ、青獅が教室に入って来た。
後ろに続く宗士郎は、その青獅の背中を蹴飛ばす。
「痛ってぇ!?」
「少しは落ち着きというものを覚えてください。転校生を怯えさせたらどうするんですか」
他のクラスでも話題になっているのか、青獅と宗士郎が転校生目当てにやってきた。
僕は彼らに手を振って、こちらに呼ぶ。
「青獅、宗士郎、いいところに来たね。これから転校生に挨拶しようと思っていたんだ」
「で! 男、女どっちなんだ!」
「聞くまでもないと思いますが……」
宗士郎は眼鏡を指で上げて、目を教室の隅へと向けた。
そこには人が群れをなしていた。主に男が。来栖を中心に、クラスメイトとほかのクラスから見に来た人が入り乱れている。それを女性陣が遠目に冷めた目で見ていた。
「本当に男ってバカよね」
「仕方ないんじゃないかな? よりよい番いを探そうとするのは本能だ。人間も動物も変わらないと思うよ」
「優一もそうなの……?」
リーナが不安な表情で聞いてきた。
宗士郎はそんなリーナの肩に手を置く。
「安心してください。僕は会長が女性に性的興奮を覚えているところを見たことがありません。副会長も同じなのでは?」
「た、たしかに……。でも、それはそれで――」
「どうでもいいけどよ、そろそろ助けたほうがいいんじゃねぇか? あんな質問攻めにされたら死んじまうぜ」
青獅は来栖を取り巻く群衆を指さした。非常に熱を帯びた群衆は、来栖に次から次へと質問を投げかけている。今は、来栖が聖徳太子のように多数相手取って答えているが、傍目から見てどうみても迷惑だ。
だが、僕の目に映るものは違う。
来栖は、興奮している猿に囲まれているにも関わらず、いたって正常だ。
最初は、ただの肝が据わった女と思っていたが、違った。人の前に立ち、相手をする教育を明らかに受けている――これは、使えるかもしれない。
僕は、小さく笑みを浮かべた。
「そうだね、行こうか」
僕は立ち上がり、みんなと群衆の前にやってきた。
「ちょっと失礼するよ」
「さ、榊さん!?」
僕に声をかけられたクラスメイトが素っ頓狂な声を上げて、飛びあがった。
リーナはそれを見て、くすくすと笑う。
「随分と怖がられているわね、生徒会長としてどうなのよ」
「副会長も同じくらい恐れられていると思います」
「なにか言ったかしら……?」
「と、青獅が言っていました」
宗士郎はリーナに凄まれ、適当な言い訳をしたが、通じるはずもなく、首をつかまれてシメられた。恐れられているのはだれか? となった時、真っ先に思い浮かぶのはリーナかもしれない。手が出るのが早すぎる。
僕は二人を無視して、青獅と群衆を散らすことにした。まず、手を叩いて、注目を集める。
「はいはい、来栖さんのことが気になるのはわかるけど、前のめりになり過ぎじゃないかな。一限がなにか忘れてない? 体育の合同授業だよ」
僕の話を聞いた群衆が思い出したようにざわめいた。
青獅は、はなくそをほじりながら僕に続ける。
「おーおー、遅刻してもしられーぞ? 欠席扱いになるかもな」
群衆は青獅の言葉がとどめになって散り散りになった。口々に「やばい」だの「死ぬ」だの言って大急ぎで準備をしている。
僕はその様子を見て苦笑いを浮かべた。
「まったく、欠席扱いがそんなに怖いかな?」
「俺はどうでもいいな。まあ、ん? おー取れた」
青獅は指をはじいて、はなくそをゴミ箱へと飛ばした。心底どうでもいいことのようだ。
ふーっと深く息を吐く音が聞こえた。
来栖は胸に手を当てて、安心したような表情を浮かべている。
演技だ。来栖は教室に入って来たときも、囲まれているときも、今もまったく緊張を感じていない。しらじらしい。一癖も二癖もあるやつだ。だが、だからこそ僕の手駒にしたとき強力な味方になる。
僕は、親しみやすさを感じるように話しかけた。
「災難だったね。でも悪気はないんだ。気のいい人たちだから仲良くしてくれるとうれしいな」
「助けてくださってありがとうございます。私、人ごみが苦手で……。ですけど、優しい人たちばかりで安心しました」
来栖は、誰もが引き寄せられるような微笑みを浮かべる。
普通の人間なら簡単に騙されるに違いない。
っと、来栖はなにかに気づいたように手を合わせた。
「あ、そう言えば、一限目は体育だとか。私たちも移動した方がいいのでは?」
「そうだね、僕たちもそろそろ行かないと。宗士郎――リーナ、今日はなにをやるんだっけ」
僕は振り返って、宗士郎に聞いてみたが、リーナに揺さぶられてどうにも答えられそうになかったので、質問の相手を変えた。
「え、きょ、今日? 確か……剣道だったかしら?」
「ダァァァァァッ!!」
青獅が雄叫びを上げて、弾かれたように襲いかかった。
宗士郎は振り下ろされる竹刀を同じ竹刀で受け流し、間髪おかずに面へと打ち込む。
しかし、これは首を逸らされて、躱された。
ドンッ、と宗士郎の体を強い衝撃が襲う。
吹き飛ばされたのだ。その宗士郎の胴めがけて鋭い斬撃が弧を描いて迫る。
完璧に隙を突かれた状態だが、宗士郎は落ち着いて竹刀で受けて、勢いに逆らわず後ろに飛び退いた。
青獅が舌なめずりするのが、面を通して見える。
「いいぜぇ、最高に滾る。愛しているぜ、宗士郎!」
「反応に困ることを言わないでください」
宗士郎は猛烈な勢いで突進してくる青獅にたいして構えた。青獅は二歩目で最高速度に達して、一直線に面狙いだ。フェイントは一切なく、愚直なスピード、パワー勝負。
だが、宗士郎がそれに乗る必要はない。周りの人には、宗士郎の竹刀が揺れているように見えただろう。宗士郎は、それを鞭のようにしならせて振った。
パンッ!! と竹刀同士が打ち合う音が響く。
折れた二本の竹刀が宙を舞い、カランという音を立てて落ちた。
「ひ、引き分け?」
審判役の生徒が首を傾げて、曖昧なことを言った。公式な試合ではなく、授業だから別にいいだろう。
青獅と宗士郎は握手を交わす。
「まさか、折られるとは思わなかったぜ。これで、1562勝1422敗381引き分けだ」
「それはこちらの台詞ですよ、まさにばか力ですね。あと、そんなに戦ってないです」
宗士郎はそう言うと、青獅を連れて、試合待ちの列に戻って行った。
リーナは二人の試合を見て、うれしそうに口角を上げる。
「ふたりとも流石ね。倒すのに一苦労しそうだわ」
「また強くなっているよ、うかうかしていられないなぁ」
「……一つ疑問なのですが、皆さんはなにか武術を習っていらっしゃるのですか?」
来栖が驚いたように尋ねてきた。もう、彼女の演技にはなれた。表情に現れる喜怒哀楽は全てまやかしで、彼女の心はどこまでも平坦だ。
「そうだよ、家柄でね。僕とリーナの家は小さい頃からいろいろやらされていたんだ。青獅と宗士郎はうちの道場の門下生ってことになるかな」
「なるほど……」
来栖はなにやら考えるそぶりをすると、僕の目をじっと見つめて、驚くべきことを口にした。
「お願いします、私と本気で戦ってください」
「じょ、冗談よね?」
リーナは信じられないとばかりに来栖を見る。僕も少し驚いた。青獅と宗士郎の戦いの後で同門の僕に本気の戦いを挑んでくるとは、なにを考えているのだろうか。来栖は武術経験者には見えない。ただの自殺行為だ。
「理由を聞いてもいいかな?」
「武威というものを肌で感じてみたいんです。授業という安全が保障された機会を利用しない手はないと思いまして。安心してください、私も多少は武術を嗜んでいます。めったなことにはなりません」
「いやいや、絶対に考え直したほうが良いわ! 妹の私が言うのもなんだけど、優一は途轍もなく強いのよ!? 本気で戦ったら怪我じゃ――」
僕は、来栖を説得しようとするリーナを手で遮る。
「いいよ。ただし、本気を出すのはそれに値すると僕がみなしたとき。この条件を飲むなら勝負を受け入れる」
「わかりました」
「優一!」
腕を掴んで詰めてくるリーナの目を見て、僕は大丈夫だと訴える。これでも腕に自信がある。大抵の人なら適当に遊んで終わりだ。
その気持ちが伝わったのか、リーナはため息を吐いて、手を放してくれた。
「ちゃんと手加減しなさいよ」
「よろしくね」
「こちらこそよろしくおねがいします」
僕と来栖は、竹刀を構えて向かい合う。それを見た生徒たちが驚嘆の声を上げた。
ほとんどは来栖の身を心配するもので、残りはただのヤジだ。
「会長ォ! 試合だからってセクハラしちゃだめだぜ!」
「私としてはセクハラでもなんでもいいので、女性に興味を持ってほしいですね」
青獅と宗士郎の声援を背景に、僕は短く息を吸って、深く吐く。
来栖は僕の超能力で以てしてもどういう人間なのかまったくわからない。それなら、提案に乗り、来栖を推し量るのもいいだろう。
戦いは人の感情を大きく揺さぶる問いのようなもの。それは本能に結び付けられ、誰も逃れることはできない。そして、僕はたとえ小さな揺れでもけして見逃さない。
この戦いで来栖の本性を暴き出してやる。
「試合、始め!」
風が吹いた気がした。そして、次の瞬間には来栖の姿が消えていた。
「ッ!?」
僕は咄嗟に竹刀で攻撃を受け止める。半ば反射に近い。なにをされたのか理解するのに一瞬だけ時間を要し……その時間は、僕を切り刻むのに十分な時間だった。
明確な殺気。目、心臓、金的、すべての急所が突かれるのを幻視する。
僕は咄嗟に超能力を使った。“見えた”のは、三重にぶれた未来の来栖の姿。僕の行動に合わせて即座に攻撃パターンを変えているのだろう。この一瞬にも満たない間に。
ありえない! ただの人間にこんなこと出来るはずが――
放たれる来栖の一撃。
僕は竹刀を振り上げるようにして、なんとか剣撃を逸らす。
しかし、来栖は止まらない。むしろ、竹刀が弾かれることは想定内のように流れるような連撃を繰り出してきた。面、胴、小手。間に滑り込ませた僕の竹刀と衝突で乾いた音が連続して鳴った。
僕は当初の目的を忘れて、踏み込み、竹刀を振る。受け流すことはできず、受け止めるか、避けるしか選択肢はない。すると、来栖は打ち合うことをきらったのか、大きく後ろに下がった。
体育館は静寂に包まれていた。この場にいるものは驚きのあまり絶句している。
カランと、竹刀を取り落とした音が聞こえた。
「嘘でしょ……?」
リーナは全員の代弁をするように、口から言葉を漏らす。
来栖の動きは、常人のそれではない。青獅や宗士郎の遥か上の次元にいる。それこそ、一握りの人間しか到達できない場所に、来栖は立っていた。
その来栖は竹刀を構えたまま、非常に軽い口調で話しかけてきた。
「驚きました、本当に強いですね。私の攻撃をここまで耐えるなんて。少し自信がなくなります」
「……来栖さん、嘘は良くないよ。君の強さは武術を嗜んでいるなんてレベルじゃない。それにあの殺気、本当は剣を生業にして生きてきたのかな?」
「ふふ、冗談がお上手ですね」
いや、まったく冗談じゃない。
「それより本気で戦う気になっていただけましたか?」
「そうだね――」
来栖は危険だ。彼女が大きな戦力を持っているのは、僕にとって非常に面倒なことになる。僕が御しきれず、敵対勢力に回った目も当てられない。
だから、ここで、今のうちに“見なければ”。彼女の本質を。
「全力で行くよ」
僕は地を這うように駆け、瞬きもしない内に来栖の間合いに入った。来栖が意表を突かれたように目を見開く。
しかし、体制を立て直してすぐに行動を起こした。五つに分裂した来栖の姿が僕の周りを覆う。それぞれが、素早く鋭い斬撃を繰り出してきた。
僕はその未来を“見て”、小さく笑う。来栖もまた本気を出していなかったらしい。でも――
一振りの斬撃がその幻影を掻き消した。
「くッ!」
竹刀同士が激しくぶつかり合い、来栖の表情が歪む。
僕は間髪置かずに距離を詰めた。鍔迫り合いの態勢へと持っていくために。
至近距離で見えた来栖は、眉をひそめて、苦しそうに口を開いた。
「流石ですね、この短時間で私の弱点を見抜くとは……」
「見抜くなんて大それたことじゃない。誰でも分かることさ。君の体は、並外れた技術に全く見合っていない。そのせいで、僕としたことが君の実力を見抜けなかったよ」
普通、武術を身に着けた者は、独特な筋肉の付き方をしている。見る者が見れば、その人が大体何者なのかすぐに分かる。僕の超能力を使うまでもない。
だが、来栖の体はなんの変哲もなく、しなやかで女性らしい。だから、僕も、リーナも来栖が素人だと思ったのだ。
まるで、子供が作ったおもちゃの鞘に、鋭く研ぎ澄まされた名刀が収められているかのよう。来栖という女は、どこまでも怪しい奴だ。今も心を乱していないし。
来栖は僕の言葉を聞いて、苦笑いを浮かべる。
「私にも事情がありまして。あまり触れないで頂けるとうれしいのですが」
「わかったよ、君の剣に聞くとしよう」
「恥ずかしいので、あまりいじめないでくださいね?」
僕は来栖を力任せに押し、竹刀を振った。ヒュンッと風を切った竹刀は、少し前まで来栖がいた空間を切り裂く。途端に六つの斬撃が僕を襲うのが“見えた”。
僕は受けることも、避けることもしない。ただ、攻めるのみ。来栖の戦い方に合わせる必要はない。筋力を前面に出した戦闘。これが最適解だ。
来栖は、攻撃を受けることなく、体を深く鎮めて躱す。そして、疾風の如く駆け、今までで一番早い攻撃を仕掛けてきた。だが、その軌道は一つだけだ。流石にこの一撃を途中で変えることはできないようだ。
僕は斬撃が来る場所に竹刀を置いた。分かっていればどうとでもなる。
弾き、躱され、また弾く。
僕と来栖は同じような攻防を繰り返した。
感じる時間がひどく緩やかで、気がぴんと張りつめているような感覚を覚える。
なにかきっかけがあれば、破裂してしまう。
この状況に僕は少しだけ満足していた。
超能力を存分に使い振う暴威。血が舞い、恐怖が支配する本当の戦いには劣るが、これはこれでいい。
それは来栖も同じようだった。これまで変化を見せなかった来栖の内側がほんのすこしだけ嬉々を滲ませている。
来栖という人間の片鱗を分かった気がする。
そうか、君は……僕と同じなのか!!
他の感情は一切分からない。けど、それが分かっただけでも十分だ。
僕はこの時間がずっと続いてほしいと思った。だが、終わりは唐突に訪れる。
予鈴がなった。
僕と来栖は、お互いの面の上で竹刀をぴたりと止める。
「残念です、あなたとは決着をつけたかった」
「僕も同じだよ。次の機会があれば、ぜひ再戦をお願いしたいね」
「ええ、喜んで」
来栖は笑顔を浮かべて、手を差し出してきた。
僕は来栖の手を取り、握手する。
「引き分け、引き分けでいいんだよな? なあ?」
審判が困惑したように周りの生徒に聞いていた。
来栖はそれを見て笑みをこぼし、「では、失礼します」と言って去って行った。
僕はその背中を目で追いながら考える。
外面とはかけ離れた心、人の前に立つ能力、そして、圧倒的な武力……。
「まったく、彼女は一体なに者なんだろうね」
僕の呟きは、徐々に騒々しさを増してきた観衆に掻き消された。
少しだけ長くなってしまいました。ごめんなさい。
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