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未完 1  作者: shoji
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松田とれいに会った日


僕が一人でバーで酒を飲んでいると、僕のいる席から三つほど離れたカウンター席から男が一人、隣に腰を降ろした。

「隣に座ってもいいですか」

「ええ、いいですよ」

その男の人はどこか憂鬱そうな表情ではあったけど、髪はきれいにセットされて、ひげもなく、賢そうな額と眉をしたちょっと類を見ない美貌だった。30歳前後といったところだろうと思う。

スーツを着ているがノーネクタイ。口からは煙草の匂いがして八重歯があった。

「一人で飲まれているんですか」

とその男の人はいった。

「ええ、そうですね」と僕は言った。店のカウンターに掛かっている車のタイヤの形をした見えにくい時計をみると時刻は22時を少し過ぎたころだった。

店の中は盛況で、今日は金曜日だった。サラリーマンやOLや学生らしい人達で賑わっていたけど不思議とカウンターは空いていた。

僕はもう一人で一時間ほど飲んでいた。

「何を飲まれてるんですか」

男の人はけれん味のない笑顔でいった。

「スコッチです」

「スコッチの何ですか」

「グレンフィディックです」

男の人はカウンター越しの店員に目配せし

「同じやつを」といった。

その店員は若い女性で、意味ありげな微笑と流し目で酒棚に向かった。

「よくひとりで飲みに来るんですか」

男の人は胸ポケットから煙草をとりだし、吸ってもいいか、という風に首を傾げた。

僕はどうぞ、という意味を込めて右手を差し出した。

「考えこと?」と男の人はいい、たばこを咥えて火をつけた。

「いえ、まったく」と僕がいうと男の人は笑った。

「じゃあ何も考えてないんだ?」

「そうですね、全然何も考えてないです」

実際に僕は全然何も考えていなかった。周りの酔狂な客たちの哄笑、かちゃかちゃと音を立てるグラスの響きや目もくらむような紫煙のなかで、ぼうっと座っているだけだった。

男の人はじっと僕を見つめて

「すごいね」といった。

「いや、ほんとにすごい」そういって店員から差し出されたスコッチを受け取った。

僕はとっさに褒められたような気がしたけど、よく考えてみると馬鹿にされたのかもしれなかったから返事に困った。

「いや、すみません、こんなこといって失礼ですよね、でも羨ましい」といって男の人は正面を向いた。

若い女性の店員と目がよく合うらしく、にこっと口角を上げていた。

ロックグラスを持つ左手首には大きな腕時計をしていた。オメガだった。

「かっこいいですね時計」と僕は言った。

男の人は「あ、いや」といいこんなもの、と言いたげな顔をした。

「時計好きなんですか?」と男の人はいった。

「いえ、全然時計のことはわからないです」というと

「まあ、本当に時計が好きな人は珍しいですしね、大体の人がこれを資産の一部や値上がりするからとか、そんな理由で所持しているだけですから」

「そうなんですね」

僕は時計に興味がない、というよりお金がないので自分には興味を持つ資格もないような気がしていた。

この人はきっとお金持ちなんだろう、とそんなことぐらいにしか思っていなかった。

僕が店員におかわりを求めると、若い女性の店員が

「素敵な時計ですね」と僕と同じ感想をいった。

「ありがとう」

「オメガですか?すごいですね、いったいいくらぐらいするんですか」

若い店員は僕の空のグラスを手に持ったまま彼にたずねていた。

僕は早く注いでくれないかな、と思った。

「想像に任せるよ」と男の人はいった。

「えー、でもきっと高いですよね、一般の人のお給料の何か月分とかですか」

「あまり良いたとえじゃないな」と苦い顔をしてちょっとたしなめた。

「あ、ごめんなさい、悪気はないんですよ」と女の子は弁解していた。

「それより、彼のコップにお酒を注いであげてよ」と男の人がいうと、店員は少し慌てて

「あ、私ったらすみません」と屈託のない笑顔で謝ったのか笑ったのかよく分からない表情をした。

その顔が可愛かったので僕は彼女のうっかりをなんとも思わなかった。

「あなたは良い人ですね」と彼がいったので僕は聞き間違いかと思った。

「普通、あんな風に自分を無視されたら大体の人は怒るか、もしくは注意をして気を引いたりするものなのに、ずっと黙ってるんだもの」

僕はまた自分が褒められているのか馬鹿にされているのかよく分からなかったので返事ができなかった。

何も語ることがないので、胸ポケットから煙草の葉が詰まったパウチ袋を取り出して、それを開いた。

フルーツの香りがする煙草で、ラズベリーの香りが強い。いわゆる自動販売機に売っているような箱に入った煙草ではなくて、パイプ用の煙草の葉である。

これをパイプに詰めて吸う。パイプに葉を詰める前に僕が儀式的にやっていることがあって、それは少ししっとりと湿っている煙草の葉を少しだけ両手でつまみ、細かくちぎるのである。

開いたパウチの上で葉を細かくちぎっていると、隣にいた男は興味深そうにそれを眺めていた。

「それは何をしているの?たばこのようだけど」

「たばこですよ、パイプで吸うんです」

僕は相変わらず葉を細かくちぎっていた。なんとなくこの作業が楽しい。味が変わるのかといわれるとそんなことはないし、これをしなければならない格別の理由もないのだけどなぜかしてしまう。

ちぎっているとほんのりと葉に染みたいい香りがする。僕のこの所作は周りの人たちから見れば珍妙なものに違いなかった。

テーブルの隅に置いていたパイプを拾うと

「ああ、それに詰めて吸うんだ」と感嘆していた。

キツネの頭の形をしたパイプで、数年前に義夫という友人にもらったものだった。

パイプを喫い始めたのも、この義夫が勧めたからだった。

「可愛い形ですね」とまた例の女店員が話しかけた。

「ちょっと変わった形してます」と僕は恬淡に応えた。

「パイプを嗜むなんて珍しいね、若いのに」と男はいった。

「おいしいですよ」といい、ほどほどにちぎった葉をキツネの頭に詰めた。

「へえ…変わってるな」と男はつぶやいた。

僕は少しこの男が煩く思えた。放っておいてくれればいいのに、と思った。

「え、ちょっと火をつけるところみたい!」と女店員も僕を囃した。

「点けるよ、もちろん」といって、僕は葉の詰まったキツネの頭にライターで火を灯した。

パっとキツネの頭に一瞬だけ火が立ち昇る。そしてすぐに消えて煙になって香りが後に続いた。

「すごい、いい匂いしますね」と女店員が感嘆した様子でいった。

「ベリーのような匂いがするけど、おいしいの?」と男はいい、僕の横顔を覗いた。

「吸いますか?」と僕は男にパイプを勧めた。

「え」と男は少し狼狽えた感じだった。

「じゃあ、一口」そういって、男はキツネをつまんで、吸い口をくわえた。

男はパイプの吸い方を知らないので咽た。普通パイプは、肺に煙を入れるような吸い方はしないのである。

僕はあえて説明もしなかったが。

「こりゃきついね、俺はこっちのほうがいいや」

男は口直しといったみたいに自分の煙草に手を伸ばした。

「きついんですか?」と女は興味を惹かれたみたいだった。

「とてもね」と男がいって煙草に火をつけた。男のライターはダンヒルで、これも高そうな代物だった。

「吸ってみたいです」と女は笑った。

愛嬌のある、可愛い顔をした店員である。髪はふさふさとまいてきれいな黒色で、化粧の仕方がどことなくコケットな感じだった。

夜の街で働くのに相応しい見た目といえばいいだろうか。それだけに彼女が僕に話しかけてくるのは、何か打算的なところがあるに違いなかった。

というよりも、彼女の興味はきっと僕の隣の男にあるに違いなかった。

僕は別に彼女に協力する義理も必要もないのだが、なぜか自分が当て馬のような立場になっているのを鑑みて、彼女と隣の男を結び付けなければいけないような、不条理な使命感を抱いてしまうのだった。

「どうぞ」と男の口から離れたばかりのパイプを女に差し出した。

「えー、吸ってもいいんですか」と女は嫌じゃない様子。

女はキツネを手にもって緩慢な動作で吸い口に唇を当てた。それからおそるおそる喫ったが、もう火種は消えていて、ふーっと吐く彼女の息に煙はなかった。

「あれ」といって口に手をあてて笑った。

「全然煙出ないんですけど」

「火が消えちゃったね」と僕は教えて彼女からキツネを返してもらった。

「あはは、難しいですねパイプ吸うのって」

そういって女はパタパタと料理を運びに行った。

「変な店員だね」と男は言って笑った。

彼からすると僕も変わった男なのかもしれなかったから、彼女の批評についてなんともいえなかった。

「だけど、あれぐらいが愛嬌があっていいね、ところでさ」男は煙草を灰皿に押し付けた。

「なんの仕事してるの?学生ではないよね?」

「サラリーマンです、社会人3年目の」

「サラリーマンね、でもサラリーマンは職種じゃなくない?」

「そうですね、職種は建設関係です」

「へえ、建設関係に見えないね、偏見だろうけど」

「書類ばかり相手にするんで、思われてる想像と違う仕事ですよ、きっと」

「そうなんだ、そりゃ大変そうだね」

「なんの仕事されてるんですか?」

宗教の勧誘とかネズミ講だったらどうしよう、とか考えながら尋ねると、男はすぐに胸ポケットからアルマーニの名刺ケースを取り出した。 胸ポケットの刺繍にもアルマーニの文字があった。

「ロッソグループ総括チーフマネージャー 松田大樹」と書いてあった。

これだけでは何の職種なのかわからなかった。

「飲食店をやってる」といった。

名刺の裏には小さな文字でびっしりと系列店が書かれていて、中には聞いたこともあるし行ったこともあるイタリアンの店の名前があった。

「それの全部の面倒を見てる」と男はいった。

「すごいですね」と僕は挨拶をした。

「すごいことはないよ、ただ管理職は大変だよね」

と彼は全然大変そうに見えない快活な笑顔でいった。白くてきれいな歯並びだった。

なぜか人を不安にさせる美貌の持ち主で、彼の社会的立場を聞くと僕はさらに不安だった。

この男の話は聞けば聞くほど豪勢で、店のタイヤの形をした壁掛け時計の話から、どんな車に乗っているのかと聞かれると、僕は古いアルファロメオだといった。

それを聞くと男はひどく嬉しそうな様子で

「イタリア車が好きだなんで感激だな、俺もイタリアの車は大好きでね」といった。

聞けばランボルギーニのアヴェンダドールロードスターを所有しているらしい。

僕の古いアルファロメオとランボルギーニとを比べるなんて月と鼈で、ほとんど嫌味ともとれるけど、彼の場合、全然嫌味はないらしく、本当に車好きなだけのようだった。

「俺はフェラーリはあまりすきじゃなくてね、なんというか、一貫した信念を感じないんだ。フェラーリのカタログは床屋のカタログと一緒でね、流行によってころころ変わる。それが良いところでもあるんだろうけど俺は保守的なところがあるからどうも好きになれなくてね。

アルファロメオもデザインは素晴らしいよね、伝統だよ」

彼は滔々と車の話をした。

「松田さんは」

「大樹でいいよ」男は少し酔っている様子だった。

「そういうわけにもいきませんよ」僕は少しおかしくなって笑った。

「お、やっと笑ったな、というか君はあんまり笑わないな、じゃあ俺は君のことを洋二と呼ぶぜ」

「それはいいですよ」

「洋二は明日仕事かい?」

「いえ、休みです」

「そうか、それじゃまだ飲んでも大丈夫だな、それよりさっき俺に何かいいかけた?」

「松田さんはどうして僕に話しかけたんですか」

松田は少しだまって左腕につけた自身のオメガを眺めた。

時刻は23時を過ぎたころだった。

「生き別れた弟にそっくりで…」

「本当ですか?」

「嘘だよ」松田は白い歯で笑った。

「ところで洋二君」

「なんですか」

「君はあの女の子とやりたいか?」

僕はちょっと考えた。それは彼の質問を真に受けたのが一秒、それからはこの酔っ払いをどうあしらうべきか、というのに3秒といったところだ。

何度も僕らの会話に入った店員の女の子を指すように、指の間の煙草をカウンターの向こうに傾けていた。

「どうだ?ちょっと可愛いところあると思うけどな。ほら、よく見ると胸なんかも大きいし、愛嬌もある。それにこれは一番大事なことだけど、口元が少しだらしない。これは性的なプライバシーを露骨に語っていると思わないか?」

「すごい想像力ですね」

「想像力?」彼はけらけらと笑った。

「ああ、おかしい、すまないねえ、ちょっと酔ってきたんだ。しかし、俺の観察眼はまだ明晰に物事を捉えられる。あの女の子が」ここで彼は露骨に声を小さくした。

「あそこをすぐ開くふしだらな女かどうか」ここで元の声量に戻った。

「それは洋二にとっては想像、しかし俺にとってみればどんな物理法則も真っ青な真実、つまり、帰納的にそれは真実なんだ。手品と一緒だよ。今からこの女の子の股を開かせます。君は観客。そして君は懐疑的だ。俺がある言葉をいう。女はついてくる。君たちはどよめく。そして…」

松田はいやらしい笑みを浮かべながらたばこを灰皿に2回トントンと叩いた。

僕は思わず笑ってしまった。

「さぞかし経験豊富なんでしょうね」

「そこだよ洋二、それなんだ。君はどうしてそんな女みたいな口の利き方をするんだ?しかもまるっきり男に興味のない女の口の利き方だ」

明らかに松田が僕のことを侮辱している様子なので、僕もいっちょ彼を侮辱してみようかという気になった。

「そんな口の利き方をされた経験があるんですね。ちょっとお聞きしたいんですけど、それも女性の貞操の強弱を知る上での必要な経験なんですか?」

「もちろん、もちろん」と彼は応えた。

「女に振られるってのは大事な自身への戒めになる。俺はウリ科の植物みたいに成長するからさ、時には間違った方向につるを伸ばしてしまう。女はさしずめそれをただす支柱といったものだ」

要するに、ナンパが目的なのだろうと僕は考えた。

「そこまで言うのならあの子に声を掛けてみたらいいじゃないですか」

と僕が言うと、彼は存外、退屈そうな表情をした。

「その前にまず聞きたいことがあるんだが、それは親切からの言葉なのか、それとも俺に対する挑戦なのか」

「さあ、でも、どっちにしてもどうするんですか?」

「それは君の次の言葉如何によるな」

僕は彼のこの言葉の言質を取ったのでつい興味本位で「挑戦ですよ」と答えた。

彼は少し笑った。もしかすると、こうなることが目的だったのでは?

「じゃあ俺が行動を起こしたらそれに付随する出来事に君は責任を持つな?」

「どうしてですか」僕は失笑した。

「いいですよ、まあ松田さんがふられたら慰めるくらいのことはしますけどね」

「よし」

彼は強い度数のシングルモルトのダブルを一息に飲み干した。

彼は空いたグラスをカウンターの一段高いところへ置いた。先ほどからちらちらとこちらの様子をみていた話題の女の子はそれを見逃すはずがなかった。

彼女はグラスを置いたとほぼ同時こちらへすたすたと歩いてきた。

「次は何を飲まれます?」

僕はパイプをぷかぷかと吸いながら彼の手練手管を眺めていた。

彼の手腕はある意味稚拙だった。彼はまずカウンターテーブルの上に自身が所有するランボルギーニのキーを置いた。彼女はキーの価値をあまりくみ取らなかった。

隣の客が「すっげ、ランボルギーニじゃん」と連れとささやいていた。

一つ失敗、と僕は思った。

「そうだな、おすすめは?」

「えっとそうですね、ウイスキーですか?」

「いや、君のおすすめでいいんだ」

「え、私のですか、そうですね、ジョニーウォーカーがお勧めですよ!」

「じゃそれにするよ」

「ありがとうございます、えっと飲まれ方は?」

「ストレートで」

「はい、お持ちします」

彼女は酒棚のほうへ歩いて行った。

あまり進展がないように思えたので僕は少しからかってみた。

「どうしたんですか、決め手のランボルギーニが効かなくて焦りましたか?」

「うるさい、俺は分析をしているんだ、俺は勧める酒でその子の本質が見抜けるんだ」

ほんまいかいな、と僕は思いながらも第二回戦が楽しみになって傍観者になり黙った。

彼女はすぐにお酒を持ってきた。ボトルからグラスに注いで席に運ぶだけだ。それは早いに決まっているし、魅力的とは言えなかった。

「ジョニーウォーカーです」と彼女は言い、暖色のLEDに鮮やかに映ったウイスキーの面を輝かせた。

彼女の身長は高かった。174センチくらいはあったかもしれない。カラコンを入れているようだ。可愛いというには背が高すぎたけどどこか田舎で育ったような愛嬌がある。

自身の胸の大きさには自覚があるようで、それを強調するような露出の多いシャツを着ている。

仕事は真面目そうで、彼女が勧めたジョニーウォーカーは、この店のお勧めのアルコールだった。

「ありがとう」と彼がグラスを受け取ると彼女はにこにこして彼の一口目のコメントを待ち受けているようだった。

彼は一口飲むと「うまい、クセがないな」といった。

「おいしいですよねぇ、私もだいすきなんです」

「そのボトル買うから君も飲めよ」

彼女はちょっと困惑した様子で(あくまでも慎んだ様子)

「え、いいんですか?」といった。

「うん、飲め飲め、俺が注いでやろう」

「いや、さすがに悪いです、じゃあいただきます」

そういって彼女はあらかじめ用意してあったみたいにカウンターのこちら側からは見えない下のほうからグラスを出して、トクトクとストレートでグラスに注いだ。

僕と松田は目を見交わせて、僕の耳朶にこそこそと「この子は手ごわいぞ」といった。

「あ、今なんて言ったんですかー」

僕は松田の耳打ちを無視してそっぽを向いてパイプを吸っていた。もう十二時になるのにこんなに客がいる。

この子は他の客がこんなにいるのに僕らのような客に付き合っていて大丈夫なのだろうか?

「おもしろいね君」と松田がいった。

「キャバクラとかのほうが向いているんじゃないのか?」

すると彼女はジョニーウォーカーを飲んだ片手を口にあてがい

「え、すみません、何か失礼でしたか」といった。

「いや、失礼ということはないんだよ、ただ面白いな、と思っただけ。しかし、それも自覚がないとすると変人なのかもしれないが…」

彼女はからからと鐘みたいに笑った。

松田の口説き文句はあくまで古典的だった。あるいは原理主義というべきなのか、とにかく僕には彼女と松田の会話にコミットする機会がなかったのでその様子をただパイプを吸いながら眺めるしかなかった。

「名前は?」

「あ、えっと、れいっていいます」

「なんだか源氏名みたいだな」と彼が言って冷笑した。

「すみません」と彼女は笑った。

「まあいいや、れいちゃんは彼氏いるの?」

「いえ、いません」彼女はジョニーウォーカーをちびちびと飲んだ。

他の客が大勢いるのに、こんな会話に付き合ってる暇があるのだろうか?先ほどからこの店の店長らしき人物がこちらをちらちらとみているのである。

僕は他人事のようにパイプを吹かしていた。

「そうなんだ、年は?」

「え、それ聞きますか」

れいは一人で哄笑した。松田はまるで交渉人のよう。

「じゃあ俺たちの年も言うからさ」

「それなら言います」

「いや、まて、当てよう、23歳だろ?」

この松田の予想は的中した。彼女は23才であり、大学を卒業後、自身のやりたい職業を見定めることができず、夜の街でバイトしているらしい。

「え、なんでわかったんですか」

彼女はひたすらに驚いた様子。もう僕などは別席の客だった。

「人を見る商売をしているからね」

と彼は言った。

「どんなご職業なんですか」

「こんなの」

彼は僕にも見せた名刺を差し出した。絢爛たる地位。

彼女がこの名刺を見て驚かないわけがなかった。

僕よりもこのロッソグループとかいうのに精通しているらしく、この店の数歩先にもその系列店があるらしい。

さらに自分の父親はこの企業の筆頭株主であり、自分はその筆頭株主グループの一員であるディテールを付け加えた。

自分が何者かという最小限の説明を除いては、彼は自身のことを話したがらなかった。むしろれいという子のことや僕のことを細かく聞いてきて、一体何の参考にするのだろうかと思うほどだった。

だけど彼には節々にニヒルな調子になるところがあって、ぞっとするほどの悲観論者でもあった。

しかし、それも露骨には態度に顕さなかった。

「ランボルギーニもよく壊れるよ、昔の車ほどではないにしてもアヴェンタドールはカーボンボディだからぶつけるとすぐ壊れる。アルファロメオもよく壊れるだろう?まあ人間も車も同じで、いくら速く走ったからといって壊れてしまえば一緒だな、俺の友人にボディビルダーがいたが、こいつがとんでもない筋肉の持ち主でな。

まるでバッファローの脚が腕についているような男だったが、なんてことはない、死ぬときは体中、湿疹だらけで肉も垂れて、睾丸は豆粒ほどに委縮して自殺したんだ。去年の話だがまだ30代だった」

「ええ…どうしてそんなことになっちゃったんですか」

れいがさも気の毒そうにたずねた。

「どうしてか?鋭い質問だ」

松田は言うべきか少し逡巡したようにも見えた。しかし彼は酔っていた様子なので口先も軽かった。

「それには「なぜ」と「どうやって」の二つの答えがある。まず後者でいうと、簡単なことで、ステロイドの所為だ。ステロイドの副作用には身体的な病状だけでなく、精神も病む作用がある。その二つを併発したんだな。

それで前者だが、さっきの車の話と同じで、人生のレブゾーンを振り切ってしまったんだ。だから壊れたんだよ。オーバーヒートしてな」

松田が用を足すために席を立つと、れいが松田の背中を目線で見送った。

「彼とどうゆうご関係なんですか?」

「いや、今日知り合ったんですよ、彼のほうから話しかけてきて」

「へえ、そうなんですね、お仕事は何をされてるんですか?」

「サラリーマンですよ、普通の」

「そうなんですか」

少しの間、二人の会話はなくなり、れいはちびちびとグラスに口をやりながらトイレのほうをちらちらと見ていた。

「大丈夫なんですか?僕らと一緒に飲んでて」

すると彼女は店長らしき男のほうを見て

「大丈夫ですよ、私、ここの店今日で辞めるんです」

「そうなんですね」

僕は黙った。しかし、彼女は是非とも事情を聞いてもらいたい様子だった。

「差し出がましいようですけど、どうしてですか?」

「いえ、全然いいんです、むしろ聞いてもらいたいの。あそこにいる男いるじゃないですか」

彼女が目配せをした先には先ほどの店長らしき男。

「あの男、この店の店長なんですけど、最悪なんですよ、めっちゃセクハラしてくるんです」

彼女の声量はかなり大きかったので、店長に聞こえているようだった。男はばつが悪そうにこちらをちらちらとみている。

「そうですか」

れいは少しむっとした様子で

「なんかあっさりしてますね」

「いや、すいません、それは気の毒ですね」

「もうバイトも終わりの時間だし、荷物とってきますね、それから一緒に飲みましょう」

彼女の語気というか、言葉には僕の意向は全く反映されないことが見て取れた。

「すぐ戻ってくるんで、ちゃんと待っててくださいね、あと松田さんも」

そういって彼女はバックヤードへ消えていった。

すると松田がトイレから帰ってきた。

「あれ、れいちゃんはどこいった?」

僕は事情を説明した。

松田は少し考え事をしている様子だった。

「なあ、君は彼女いないんだったな?」

「ええ、いませんよ」

「欲しいと思わないか?」

「そういうときもあります」

「今日できるぜ、多分」

松田はにやにや笑って僕の肩を叩いた。

もしかしたら彼は僕を馬鹿にしているのかもしれなかった。相手が相手なら手を振りほどき、怒って席を離れるのが当たり前の行動なのかもしれない。

しかし、僕はなんというか、そういう感覚がうまく掴めなかった。自身の中で沸き起こってくる怒りの感情もないし、男として相手の侮辱に報いるのが必要なのだとすれば、それは途方もない演技力が必要だった。

だから彼に対してはこういう言葉が精いっぱい。

「からかうのは止してください。あまり気持ちのいいものじゃないですよ」

しかし、松田はやめなかった。

「俺はからかってなんかないぜ、本当に君とれいちゃんがお似合いだから言ってるんだよ。俺は君のことが気に入ってて、好きなんだよ。だから君がその気ならいくらでも俺はチャンスを作る。

悪くない子だ。きっといい子に違いない。なあ、俺はいったよな?

これから起こる出来事に責任を持つか?って。君はいいですよ、って言ったんだ。彼女はきっとお前のことが好きなんだよ、じゃないとこんなこと、ありえないだろ?」

すると彼女はさきほどのウェイトレス姿から私服でやってきた。

「店を変えよう」

松田が席を立ち、僕の分の会計までカードで切った。

三人で外に出て、しばらく歩いた。道すがら松田は立体駐車場に立ち寄った。

「ここにランボを停めてる」

「きゃあ見たい見たい」とれいははしゃいでいた。僕も実物を見たことはなかったので興味があった。

彼の父親が所有している一等地のビルで、一階は駐車場とテナントが数件、最上階は彼もたまに泊まる空き家になっていて、会議室などもあるらしい。

彼が駐車場に立ち寄ると、ベルのボタンを鳴らした。この時間、駐車場は稼働していないようで、格子の門が閉まっていた。

インターフォンから眠そうな警備員の声がした。

「お疲れ様です、松田です」

まるで魔法の言葉だった。眠たそうな警備員の声に覇気が灯り「お帰りですか」といった。

「いや、車を見たいだけなんだが、ランボルギーニを出してくれるか」

「承知しました」

すると門は開いて、扉の向こうでは地響きのような機械音がした。

1分くらいたつと、扉は開いて、そこには紛れもないランボルギーニが精悍なフロントマスクを夜のネオンに鈍く光らせながら佇んでいた。

彼は重々しいドアを開き、エンジンを掛けた。

れいは瞳を子供のように輝かせて助手席に乗った。

「今度ドライブに行こう」というと、れいは駄々っ子のように彼の連絡先を聞いた。


それから先の記憶は、実はほとんどなかった。頭の中を覆う雲のような重苦しさ。松田と訪れた先のクラブの華やかな印象。熱帯魚のようにきらきらとしたドレスと二つのウツボカヅラを胸に宿した女性たち。

香水と香水の狭間に囲まれて、僕と松田はクラブのVIPルームに導かれた。

れいはブースのカウンターに座っていて、その数メートル先にDJ(なのか?)がこの建物を占領している音楽を操りながら陽炎のように揺れている。

僕らは3メートルほど高い個室にいて、ブースのど真ん中で踊るほとんど裸体の女性や、それのそばでダンスを見守る男、ソファに座る暗くて顔の認識のはっきりとしない存在と、カウンターに座って隣の男と会話をしているれいが見えた。

僕と松田は二人だった。

「れいはあとからこちらに来る。なに、ちょっとしたしきたりでね、俺の後輩が彼女をこのVIPルームに案内するんだ。俺の後輩はそれで飯を食ってるんでね、まあ、とにかくゆっくりしてくれ、何か飲むか?安ウイスキーとエナジードリンクを割ったやつはどうだ?酔うぞ~」

僕はもうそれどころではなくて、眠気と倦怠感と後悔。今すぐにでも自宅のベッドに飛び込みたい気持ちでいっぱいだった。

「それとも別の女を連れて来させようか?俺が言えばこのフロアにいるあほ面した女は誰だってここに連れてくることができる。しかもあいつらはそれを待ってるんだぜ」

彼は胸ポケットから葉巻を取り出し、それを持て遊ぶみたいにライターで先端を焦がした。

さんざん焦がしたあと、口にくわえて葉巻の先端にぱっと火が灯ったかと思うとすぐに消え、煙がもうもうと立ち込めた。

「俺の後輩が「VIP席でお飲みになりませんか、あちらのお席です。」こういえば女は誰だってこっちにやってくる。しかもその結末なんかどうでもいい、とにかく自分がVIPに呼ばれたっていうくそみたいな自尊心に唆されてやってくるんだ。

ここはちなみに防音でね。ブースに出ればくそみたいにやかましいがここは静かなもんだろう?」

「何かに怒っているんですか?」

僕は直截にそう尋ねた。

彼は驚いた表情をした。しばらく黙って、葉巻をすぱすぱと吸った。

「怒る?いやいや、もうそんな次元ではなくてね…あきれているといったほうがいいのか」

彼は僕の座っているソファの隣にどすんと腰を降ろすと、僕の肩に腕を回し、全面のガラス張りになった窓の向こうを指さした。

「あそこのカウンターに座っている男が見えるか?変な横わけの変なメガネをした男だ。そうそいつ、あいつはあるレーベルの音楽プロデューサーだ。そしてその横にいる可愛い顔をした男の子が見えるな?

あれはあいつの今晩の晩御飯だ。

見ろよ、あの男の子はあのプロデューサーが手掛ける読者モデルのタレントなんだが、あの子、心底腹の底ではあのプロデューサーがきもくて憎くて仕方がないのに媚びてる。

媚びられた我がプロデューサーのほうはサイコパスなのかなんなのか知らないが、仕事はできるくせに他人の気持ちなんか全く理解できないから、あの男の子が自分にぞっこんだと思い込んでいる。

ちなみにあの男の子のお給料は13万円。あのプロデューサーの別会社から17万円振り込まれる。この別会社のお給料が要するにあの子の価格だな。

しめて月収30万円であの男の子は身も心もあのきもいプロデューサーに売っちまったってことだ。

それだけじゃない、あそこのバーテンで働いている女の子も奴の毒牙に掛かっちまってるし、正直言って、ここはゴミ溜めだよ。

こんなやつらばっかりだ。口直しにワインでも飲むか?」


僕はそういう世界を知らなかったし、そんな人生の暗黒面を前面に繰り広げられたところでなんの感情も湧かなかった。

しかし、彼は何かを僕に証明したがるように人間のある側面だけを取り除いて、それを僕に見せたがった。

彼との第一印象は紳士的な人物像だったのに、それが今では支離滅裂な怒れる酔っ払いだった。

「人間は金だよ。性格とか人徳とかそんなものはフライパンの油汚れを取るキッチンペーパーにもなりはしない。自分の足元をよく見てみろ。資本主義の大地の上に立ってるんだぜ、札束を咥えたガイアが、高級車に乗ったウラノスと出会い、セックスをしてあのへんてこなメガネをしたプロデューサーが生まれたんだ。

ここは狂人の楽園だ」

「そうかもしれませんね」

僕は眠気が限界だった。

「おい、まだ俺の話は終わってないぞ、そうだ、山崎があるぞ、飲むか?」

僕は山崎が大好きだった。

「そういうことなら全然起きていますよ」

ほとんど山崎のダブルと一緒にれいがVIPルームに来た。

「私、VIPルームなんて初めてですよ」とれいがいった。

そして僕らは山崎で乾杯をした。

「さっき話しかけてきたのがめちゃくちゃイケメンだったんですよー」

れいは山崎をちびちびと口に運んだ。

僕は興味がなかった。松田はれいの発言に対して、何か積極的なアドバイスをしていたような気がする。

僕は少し眠った。


しばらく眠ったような気がする。相変わらず分厚い窓の向こうからは音楽が漏れ出して聞こえていて

低い重低音、軽はずみなテンポとささやくような女の声。


「あなたがそっと、足音を忍ばせ歩き回っている 誰も気づいていないように それってすごくタチが悪い 青あざが膝についてるのはあなたのせい」


僕は英語があまり得意ではなかったけど、そういった歌詞の曲がじんじんと頭にリフレインしていた。

唾液をすするような音。忌まわしい男の喘ぐ声。

僕は眠ったふりをした。

しかし、そんな現象も長くは続かず、10分もすれば終わりを迎えたようだった。

松田の声で「今日は帰れ」と聞こえた。

何の言葉も返すこともなくれいは衣服を整え、部屋を後にした。


その直後に僕は立ち上がり、部屋を出ようとした。

しかし、松田が僕の肩のあたりをつかんだ。

「待て、俺はまだ君の連絡先も聞いてない」

僕はすべてがどうでもよく、ただ自分のベッドで眠りたかった。

「話してください、眠たいんです」

すると松田はなぜだか分からないが僕の唇に自分の唇を押し当てた。

僕はそれ押し払った。

相変わらず続くバカげた音量のブースを駆け抜け、胸の空いた女に夢中な禿げ頭の男をしり目に僕は外に出た。

そして、ここがどこなのかはっきりとしない夜の街に佇み、おぼろげな記憶を頼りに家へと急いだ。

その数歩先に、れいが、道端で座っていた。

薄汚くて暗い電信柱のかげからうらめしそうにこちらを見る彼女を見て取った僕は、気づかないふりをして通り過ぎようとした。

「ちょっと、なんで無視するの」

ほとんど泣きじゃくるように僕を咎めた。

「疲れたから家に帰りたいんだ」

「ついていく…」

「いや、冗談じゃないが」

性急な動作で彼女は立ち上がった。

何度か同じようなやりとりを続けると、彼女は交渉を持ち出した。そしてそれは僕にとって悪くなかったし、彼女にとっても期待通りの結果となった。

家までのタクシー代を彼女がすべて支払ってくれる。うちに来てもソファを貸すだけ、朝になったら勝手に自分で帰る、といった明朗な交渉内容だった。

大通りまで歩いたが車通りは全然なかった。もう夜中の3時だった。なんとなく家路のほうへ歩きながら、タクシーを見つけるまで彼女は僕の後ろを影のようについてきた。

うだるような暑さだった。アルコールの所為か、へばりつくような汗をかき、口の中はからからだった。

都会のくせに嫌にしんとしていて、聞こえるのは僕の足音と、その影のひこずるような足音。そしてしくしくとすすり泣く彼女の鼻の音。

むかし、よく読んでいた作家の言葉で、人生はむせび泣きとすすり泣きと微笑みでできている。そしてその中で一番多いのはすすり泣きだ。

という言葉があったのをなんとなく思い出していた。

そして、その言葉の信ぴょう性を彼女が証明していた。

いつまでもぐずぐずと彼女は泣いていた。先ほどまであんなにきゃっきゃと笑っていた彼女が今ではまるで最愛の人物が死んだみたいに泣いている。いや、その場合だとむせび泣くのだろうか?

むせび泣きとすすり泣きの定義はなんだろう?

いずれにしても彼女がすすり泣く理由は僕にもよく分かるが、すすり泣く原因を作ったのは他でもない彼女自身なのだから、この調子で生きていくと、彼女はいたるところですすり泣きをしていくことになるのだろう。

「ねえ、起きてたの」

と彼女がぽつりとささやいた。

「うん、起きてた、最後のほうだけだけど」

「あたし何やってるんだろ…」

僕は何も言わなかった。そんなこと、僕が知るはずもないから。

「あたしのこと、くそビッチだと思ってるでしょ」

「思っていないよ、そんなこと」

僕はタクシーを探した。月がきれいだった。まるで落ちてきそうなほど巨大な満月で、月がこちらを監視しているようにも見えた。

「うそだ…」

嘘ではなかった。しかし、それを強調して彼女に伝える必要も感じなかったので黙って歩き続けた。

「あの人にね、明日から私が無職になることを話したんだ、そしたらね、今月にオープンするイタリアンのお店の店長補佐にならないかって言ってきたの。もう店長は決まってるから、そこで何年か修行してね、それから自分のお店を持ったらいいって」

僕は振り返らずに彼女の言葉を聞いていた。そういえば、彼女の顔を全然見ていなかったけど、泣きじゃくって、化粧もどろどろに溶けてお化けみたいな顔になっているに違いなかった。

そんなのがずっと一定の調子で僕の背後をついてくる。

「ねえ、私騙されたのかな?」

「さあ知らない」

「ほんっとに冷たい人ね」

思わず振り返ってみると、彼女の顔はそれほどお化けというほどではなかった。

「帰る?」と僕が尋ねると

「帰らない!」

といい、再び僕のあとを追跡し始めた。

つまり松田は、彼女に輝かしい進退を約束するから、自分の一時の欲望を満たさせたのだろう。

僕はあきれるというよりもむしろそのバイタリティには感服させられていた。

経営者ほどの立場になるとやはりそれくらい欲望にがむしゃらでないと生きていけないような、生き馬の目を抜く、とはいうが、そんな修羅の巷のようなところで生活をしていると、彼女のような存在はワカサギ釣りのつられたワカサギのようなもので、釣り針に掛かった彼女をかわいそうなんて思う暇もなく灼熱の油の中に放り込まれ、ぱくっと食べられてしまう。

「ねえ、彼、何か言ってなかった?」

「いや、何も、僕もその後すぐに部屋を出たから」

「でも、何か言ったでしょ」

何も言わなかった。しかし、変なことをされた。そういう意味では僕も彼女もワカサギである。

「なんか、あの人、君にすごく興味を持ってたよ」

「そう」

「私の最初の仕事っていって、彼がおしつけてきた仕事が何かわかる?」

「さあ」

「あなたの連絡先を聞いて、彼に教えるのよ」

「まわりくどいな、僕に直接聞けばいいのに」

閉口だったけど。

足を止めた。

「ついてくるのはそれが理由?僕のスマホの番号が知りたいんだろ?いいよ、教えてあげるから自分の家に帰りなよ」

彼女はうっと泣きそうな顔をした。可愛い顔だった。なぜだろうと僕は思った。女性として優れた美貌を持っているのにあえて険しい道を選んでいるように見えたからだ。

あのままバーのアルバイトをしていたらきっとチャンスが巡ってきたのではないだろうか?

それとも、権力者のあれをぺろぺろすることが千載一遇のチャンスだったというのだろうか?

彼女は自分のスマホを取り出し、僕のスマホの番号を登録した。

「洋二っていうの?」

「うん」

「変な名前」

「そうかな」

突然、彼女は大きく手を振り上げた。夢から覚めた人みたいだった。

僕らのそばに一台のタクシーが停車した。僕をぐいぐいと後部座席に押し付けると、隣に彼女が乗り込んだ。

「なに?ソファ貸してくれるんでしょ」



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