第四話 バナナ園に向けて
前金に余った金を足す。旅に必要な品、地図、安物の剣を買う。
バナナ園では何が起きているかわからない。なので保存食は多めに買った。
バナナ園は、ラザディンから遠い場所にあった。
行き先が村なので、簡単に移動できる転移門はない。
もっとも、あったところで、転移門の使用料は高額なので、使えない。
徒歩で八日の行程を進む。道は舗装されておらず幅も狭い。
獣道より数段ましだが、荷馬車ですれ違う時などは、工夫が要りそうに思えた。
夜営すること三日目。秘儀石が再使用できる状態になった。
不自由になった左手も完全に元に戻せる。だが、バナナ園では何が起きているかわからない。到着してすぐに逃げ帰る事態も、有り得た。
相当に危険な状況だと、秘儀石がないと生きて帰れない。秘儀石を使わずに温存した。
五日目の昼に、木陰で休憩をしている人を見た。黒髪の女性で身長は百七十㎝と高い。
年齢はユウトと同じくらい。顔はまだ幼さが残る丸顔で、優しい眉と目をしていた。
恰好は旅人がよく着る厚手の茶の服を着ていた。武器は持っていないが、旅用のバック・パックを背負っているので旅人のようだった。
(村までまだ三日ある。地図では付近に村がない。武器も持たずに旅行とは、不用心だな)
女性が武器を持っていない状況が気にはなった。
今日日、女性の一人旅でも武器くらい持つ。
大災厄から七十年が経っていた。だが、ラザディンは辺境にある都市である。
ラザディンから出て三日も歩けば危険な魔獣や妖魔が出る。
ないとは思うが、バナナ園から来た。ないしは、他の監督者の仕事を受けた冒険者かもしれない。なので、声を懸けた。
「こんにちは。いい天気ですね、御旅行ですか?」
女性は機嫌よく挨拶を返してきた。
「この先にあるバナナ園まで行く予定よ。貴方も、そう?」
行き先が一緒だと心強い。
けれども、女性がバナナ園で起きる異変を知っているかは疑問だった。
「僕の名はユウト。監督者の仕事を引き受けて、バナナ園に向かう冒険者です。でも、バナナ園では異変が起きているので、引き返す対応をお勧めします」
女性は明るい顔で申し出た。
「異変ねえ。私の名は水樹よ。泰平の島国から、この大陸に渡ってきたの。新鮮なバナナが食べたくて、バナナ園に行くところよ。ねえ、よかったら、護衛に雇わない?」
泰平の島国は、大災厄時には災厄が及ばなかった場所。大災厄を被ったユウトたちの大陸とは別の文化や生活があると聞いていた。
ユウトの使う魔筆の技も、元は泰平の島国で生み出された術だった。
(名前からして、変わっているから、泰平の島国から来たのは間違いない。でも、言っちゃ悪いが、大して強そうには見えないぞ)
「護衛って主張されていますが、武器を持っていませんよね?」
「私は職業が武僧だからね。素手で戦うのよ」
武僧は素手で戦う職業である。熟練の域に達すれば、素手で鋼をも断つと伝えられている。
だが、水樹はそんな熟練の武僧には見えなかった。
「疑うようで悪いですけど。素手で戦うって、限度があるでしょう?」
「これでも、私の拳は下手な鎚より威力があるわよ」
水樹は木に向かう。
木は幹の太さが一mはあった。水樹は一呼吸を置いてから樹に掌底突きを放った。
大きな音がして、木の葉が散る。木の幹にくっきりと掌の跡がついた。
(確かに、素手でも、下手な戦士が鎚で木を叩くくらいの威力は、あるな)
水樹は若くして大陸を渡り歩いている話は本当に思えた。掌底突きを放った立ち姿が美しくもある。なので、それなりの実力者だ。
だが、護衛に雇うには大きな問題があった。ユウトには金がない。
ライアンにしても、護衛を雇っても経費として認めてくれそうな雰囲気ではなかった。
「水樹さんの腕は申し分ないです。でも、僕には水樹さんの腕に見合うだけの報酬を準備できません」
水樹は腕組みして、少しばかり思案する顔をする。
「いいわ。なら、バナナ食べ放題に負けてあげるわ」
(報酬がバナナでいい、だと?)
ユウトの心は揺らいだ。
(バナナ園の規模はわからない。だが、バナナ園では、バナナ酒やバナナ・チップスを作っている。バナナは文字通り売るほどある。水樹さん一人で食べる分くらいなら監督者の権限でどうにかしても、いいだろう)
危険な場所に行くなら一人より二人のほうがいい。
「わかりました。商品にならない小さいバナナや、形が悪いバナナになるかもしれません。ですが、新鮮なバナナを用意します」
水樹は明るい顔で承諾した。
「決まりね。それじゃあ、新鮮なバナナを求めてレッツ・ゴー」
ユウトは水樹がいてくれる状況で、気がだいぶ楽になった。
歩きながら話す。水樹が屈託のない笑顔で尋ねる。
「ユウトって、私の出身の島国ではよくある名前だけど。こっちの大陸じゃ、珍しい名前よね。ユウトも泰平の島国から渡ってきたの?」
「祖母が泰平の島国の出身なんですよ。それで、僕にユウトって名付けたんです。祖母は探検家でしてね。大災厄が終わってまだ間もない時期に、大陸にやって来たんですよ」
水樹が、ちらりとユウトの剣に視線をやる。
「ところで剣を佩いているけど、剣はどれほど使えるの? 護衛としては依頼人の腕を知っておいきたいところよ」
「素人よりは使える程度ですよ。人を斬った経験はありません。本職は魔筆家なんです」
「魔筆家ねえ。字は綺麗なの?」
「それは職業柄、素早く綺麗に書けないとやっていけませんから」
水樹がはにかんで告げる。
「私は、駄目。よく、父からお前の字は読みづらい、ってよく愚痴られたわ。でも、武の筋は良いって褒められたけどね」
「武僧なら字が下手でも、技にきれがあれば問題ないでしょう」
水樹はしょんぼりした表情を浮かべる
「そんなことないわよ。信徒さんに手紙を書いたり、経典を写したり、字を書く場面は多いのよ。字を書くのが苦痛で、しかたなかったわ」
「字を書くのが苦痛か。僕は逆だな。字が書けない状況のほうが苦痛だな。小さい頃はよく魔筆の練習として、物語を書き写して、本屋に売りに行ったものです」
水樹が顔をやんわりと歪める。
「うへえ。信じられない。私は野山を駆け回って、果実を採って、こっそり店に売りに行ったわ」
「僕は逆に野山を駆け回るほうが駄目だな。下手したら、迷って熊にでも遭いそうだ」
「私は山で迷った経験はないわね。どっちかというと、迷った人を探しに行くほうだった。けっこう、行方不明になった人を見つけたわよ」
「迷った人を見つけて、自分は迷わずに帰って来るのなんて、凄い特技ですね」
水樹は笑って謙遜した。
「特技ってほどでもないわよ。何となくわかるのよ。探しているものが」
水樹とはその後も他愛のない話をした。
水樹は人当たりがいい。言い辛い話はさっと避ける気遣いができた。
話せば話しやすい、感じのよい女性だった。
話の流れから、水樹に旅の目的を聞く場面があった。
「何で、水樹さんは旅をしているんですか? 何か目的があるんですか?」
「何となく、よ」
水樹は素っ気なく言ったつもりだったのだろう。だが、表情には詳しく聞いてほしくない雰囲気があった。
ユウトは、水樹から出る隠す空気を、敏感に読む。さらりと話題を変えた。
水樹はよく喋り、よく笑った。無理をしている態度ではない。
水樹は一緒にいて、とても心地の良い人間だった。




