第二話 不運の始まり
目が覚めた時は治療院のベッドだった。
治療院は無償ではない。患者の懐具合と前金によって露骨に差を付ける。ユウトの眠っている部屋は、小さいが個室でシーツは綺麗だった。
(これは部屋にしたら上の下だな。いったい、いくらするのやら。本当に今回は、出費の嵩む仕事だった。これは、スクロールを店売りしないといけないな)
魔筆家は筆がないと、ただの人である。なので、筆を失くした時用の、小さな筆を持つ。
その小さな筆すらなくしたら、どうするか。予め紙に書いておいたスクロールを使って戦うなり、逃げるなりする。ユウトのリュックにもいくつか魔法のスクロールが入っていた。
部屋にあったリュックを、確認する。一番高い、緊急脱出のスクロールがなくなっていた。他にも、いくつかスクロールや所持品がなくなっていた。
(カフマンさんかロザリアさんが、緊急脱出のスクロールを使ったのか? それで、街まで帰ってきたのか?)
緊急脱出のスクロールは、使えば指定したポイントまで一気に帰れる。利点だけ見れば素晴らしいスクロールだった。
だが、使用時には所持品がいくつかなくなる。死ぬよりはいい。
けれども、高価な品を持っていると、結構な泣きを見る。
(僕を助けるためなら、文句も言えないな。カフマンさんもロザリアさんも荷物を失っただろうからな)
扉が開くとカフマンが姿を現した。
カフマンは遭った時と違った。帽子がなく、ローブも赤いローブを着ていた。
「カフマンさんが、緊急脱出のスクロールで僕を街まで運んでくれたんですか?」
心配した顔でカフマンが尋ねる。
「そうじゃが、何か大事な品を失くしたかのう」
「状況が状況です。命があっただけ、ありがたいです」
カフマンは、ほっとした顔をする。
「そう理解してくれると、嬉しい」
「首だけになった人は、どうなりました?」
カフマンが表情を曇らせて語る。
「お主が倒れたあと、地鳴りがした。地下遺跡が崩落寸前――で、緊急脱出を使って逃げ帰った。他の人間は、どうなったかわからん。運がよければ、いや、運が悪ければ、ずっと生きたままじゃろうな」
(虚しいな。結局、消えた人間は、誰も助けられなかった)
ユウトが落ち込むと、カフマンが慰める。
「そう、落ち込むな。お前さんがいなければ、ロザリアと儂も助からんかった。お前さんは、儂らの恩人じゃ」
「慰めてくれると嬉しいです」
「ロザリアだが、先に村に帰ると、伝言を残して帰った。儂も王都に戻って、脅威モンスターがいたと、脅威モンスター討滅隊に報告せねばならない」
「わかりました。自分の問題は自分でどうにか処理できます。ここまで運んでいただき、ありがとうございました」
カフマンは去った。ユウトも治療院の支払いの清算を終える。
清算を済ませると、金は、ほとんど残らなかった。
ユウトがいるラザディンの街は大陸の東にある。
かつて、大災厄と呼ばれる二百年があった。人類は大災厄を生き延びるために、いくつもの避難都市を造った。避難都市の一つがラザディンだった。
現在は大災厄の終了から七十年が経過している。人間は街の外にも村を作って住んでいた。
ラザディンの街並みは古く、綺麗である。建物は二階建ての石造りの低層の建物が多い。だが、中心部には十四階建ての大きな塔があった。
塔には各流派の魔術師ギルドがあり、議会もある。地下には大災厄を生き延びるために作られた、食料生産施設や浄水施設もあった。施設はまだ生きている。
大災厄以後、街では人口が増え続けた。人を収容するために、城壁の外に計画的に新市街が作られていた。新市街は木造建築がほとんどで、冒険者ギルドも新市街にあった。
冒険者ギルドは二階建ての四角い建物で、広さは六百㎡とさほど広くない。小さな酒場を併設しているが、宿泊施設はない。
もっとも、付近には冒険者用の安い宿屋があるので、泊まる場所には事欠かなかった
冒険者ギルドの窓口に行く。ラザディンの街の冒険者ギルドの受付は男性職員である。
ユウトが頻繁に遭うのはヒューゴだった。ヒューゴは四十過で、短い赤毛の男だった。体形は小太りで、冒険者にはあまり愛想がよくない。
ヒューゴの前に仲間の識別票を出して報告する。
「行方不明者の謎を追っていたら、未知の遺跡に辿り着きました。遺跡には凶悪な罠があり、モンスターもいました。最深部には脅威モンスターがいて、僕を残して全滅しました」
ヒューゴは眉間に皺を寄せて、識別票をじろじろと見る。
「亡くなったウォルターたちの識別票だな。だが、お前さんと違って、ウォルターは新人じゃない。その、ウォルターが死んで、お前さんだけが生き残った、と?」
(疑われているね。流れ者である僕の評価は低いからな)
「それについては、ウォルターさんに運がなかったとしか、いいようがないです」
ヒューゴは疑いの眼差しで見た。だが、素っ気ない態度に変わる。
「運は大事だな。運がないと、実力があっても、どうしようもない事態もある」
ヒューゴは識別票をしまうと、暗い顔で確認してくる。
「それで、ユウトは凶悪な罠に掛からず、モンスターにも勝った。さらに、脅威モンスターにも遭った。なのに、一人で帰ってきた。これを運だと主張するのかい?」
(何か、棘のある言い方だな。でも、秘儀石を得た経緯は秘密にしたい。そうすると、脅威モンスターからどうやって生還したかの話題になるな)
ヒューゴは、じろりとユウトを睨みつける。
「まさかとは思うが、仲間を脅威モンスターに売ったって展開はないよな」
脅威モンスターの中には仲間を売ることで人間を助ける存在もいた。
ヒューゴの発言には、いささかむっとした。だが、冷静に言い返す。
「仲間を売るなんて、とんでもない。僕は助けてもらったんです」
即座にヒューゴは険悪な顔で尋ねる。
「相手は脅威モンスターだろう。誰にだ?」
ユウトはカフマンの名を借りた。
「カフマンと名乗る老魔術師でした。王都から来たと言っていました。王都の脅威モンスター討滅隊とも繋がりがある人物です」
ヒューゴは人指し指で机をこつこつ叩きながら質問する。
「ウォルターは助けてもらえなかった。だが、ユウトは助けてもらえたんだな?」
「カフマンさんと遭った時には、すでに僕以外は皆、死んでいました」
事実だった。もっとも、カフマンのパーティもカフマンを残して死んでいた。
正直に申告すると、カフマンが一人で脅威モンスターを退けたとなる。なので、真実は黙っておく。
ヒューゴは、ここで悲しみを帯びた顔をする、
「ウォルターはお人好しかもしれねえが、無能じゃなかった。あのウォルターが亡くなるなんてねえ」
ユウトは正直に告白した。
「ウォルターさんには、よくしてもらった。僕も悲しいです」
「それで、その遺跡は、どこにあったんだ?」
「街からだいぶ離れた場所です。でも、行っても無駄ですよ。カフマンさんが脅威モンスターを退けると、遺跡は地下に消えました」
ヒューゴはまたもユウトを睨みつける。
(やはり、疑っているな。でも、もう、どうしようもないぞ。カフマンさんは王都に帰った状況では証明するものは何もない)
ヒューゴが、むすっとした顔で告げる。
「わかった。ユウトの報告を信じよう。だが、依頼は行方不明者の捜索だ。脅威モンスターがいたからといって、手掛かりなし、痕跡なしでは、満額は払えない」
ヒューゴはわずかばかりの銀貨を机の上に置いた。
「たった、これだけ?」
ヒューゴは冷たい顔で言い放つ。
「依頼人の立場で考えてみろ。貰えるだけ、ましだよ。それとも、亡くなった人間の分も独り占めで貰えると思ったのか。そんなに世間は甘くないぞ」
あまりにも少な過ぎる報酬に抗議した。
「でも、これはないでしょう」
ヒューゴは、ぞんざいな態度で突っぱねる。
「ラザディンではありなんだよ。亡くなった分のやつらの報酬はギルドで貰う。ギルドは、そうしてプールした、金を生きているやつらのために使うんだよ」
他の奴のために使うと主張されると、あまり強く要求できなかった。
どのみち、仲間の遺族がどこにいるかをユウトは知らない。
亡くなった仲間のために金を使うのは不可能だった。
「わかりました。納得できませんが、納得しますよ」
「そうだ。それでいい。ただ、俺から忠告しておく」
「何です? 金は大切に使え、とでも説教するんですか?」
ヒューゴは真剣な顔で説いた。
「違う。幸運は何度も続くと思うな。むしろ、運を使い切っちまった。その後が大変だぞ。冒険者から転職するなら、早めに考えて置け」
「ご忠告、どうもありがとう」
ユウトはこの時は、ヒューゴの説教の意味をよくわかっていなかった。