第十話 バナナ商会本部
ユウトが秘儀石で右肩を治した二日後だった。新たな作業監督が馬でやって来た。
引継ぎ文書と作業日誌を渡すと、えらく喜ばれた。
ラザディンの街に向かう途中に、水樹の惚れた発言について聞きたかったが。
だが、「ああ、あれは、その場の勢い」と答えられると、ショックを受ける。
なので、詳しく訊けなかった。
ライアンからの勧誘のあと、水樹の態度に目立った変化はなかった。
それでもラザディンに行く道すがら一度だけ勇気を出して訊いてみた。
「水樹さんって、僕のどこに惚れたの?」
水樹は、さばさばした態度で答えた。
「他人を思いやれるところ、かな。今のご時世、皆、自分のことで手一杯。そんな中で、他人を思いやれるって、すごい美徳だと思うわ」
少々残念だった。てっきり魔筆の才能を買われたのかと思っていた。
「そうだろうか、僕は、ただ単に自分に自信がないだけの人間だよ」
水樹がすっきりとした笑顔で告げる。
「だったら、私が惚れるに相応しい男にならないとね」
短い会話だったが、ユウトには印象に残った。
(魔筆家として大成するのは当たり前。冒険者として名を遂げる未来も重要。だが、それより重要なのは、僕を好いてくれる水樹さんに相応しい男になることだ)
水樹は他愛もない会話なので、すぐに忘れるだろう。
だが、僕は忘れない、とユウトは胸に刻んだ。
ラザディンの街に着いた。正式に契約を交わすために、バナナ商会に行く。
受付には前回と同じ女性がいた。女性に挨拶する。
「バナナ商会に入団するためにやってきました。ユウトと水樹です」
女性は微笑んで挨拶を返す。
「イザベラよ。よろしくね」
奥の部屋で規約と契約書を見せられる。
水樹はまだこの大陸の文字が全て理解できなかった。
ユウトが代わりに読み上げた。難しい用語は説明する。
ユウトが規約を読んだ限り、契約に問題はなかった。
退団は自由であり、違約金も発生しない。会費もなし。団員の命に係わる緊急依頼以外は拒否しても構わない。緊急依頼とて、脱退覚悟なら、ペナルティらしいペナルティもなかった。
あまりにも緩いので、逆に水樹に尋ねられる。
「本当に緩い規約だけど、間違いないの?」
水樹の契約書もユウトの契約書も一言一句、全て同じものなので間違いなかった。
「間違いないよ」
イザベラが微笑んで話す。
「うちは、ライアンの人望と才覚が中心に成り立っているクランなのよ。脱退が自由な理由も、冒険者を縛りたくないから。会費がない規約もバナナ販売事業があるからなの」
水樹が当然の疑問を口にする。
「それで、ライアンさんに、メリットがあるんですか?」
「あるそうよ。約束を果たすためには、どうしても必要なんだって」
「約束ねえ」と水樹が胡散臭そうな目で契約者書を見る。
水樹は署名欄にサインをした。ユウトも署名欄にサインした。
イザベラは種類を受け取ると、笑顔で告げる。
「ようこそ、バナナ商会へ。バナナ商会はユウトと水樹を歓迎するわ。今日から仲間だから、私もイザベラって呼んで。さあ、二階に案内するわ」
イザベラはユウトと水樹を伴って二階に行く。
二階は上がったすぐのところに、扉があった。扉を開けると、ホールになっていた。
ホールの広さは百二十㎡。椅子やホワイト・ボードがある。壁にはダーツ・ボードもあり、ミニ・バーもあった。トイレの他に、小さな流し台もある。
だが、なによりも目を惹いた物は高さ二百二十㎝、幅百二十㎝のU字型をした小型転移門だった。転移門は安い物ではない。豪商や王侯貴族ならまだしも、中規模クランでも、持っているところは少なかった。
ユウトは素直に驚いた。
「これは、本物の小型転移門ですか?」
イザベラが自慢気に答える。
「そうです。本物ですよ。バナナ商会のような弱小クランにしては過ぎたるものかもしれない。だけど、団員の命を考えて無理して買いました」
水樹が小型転移門をしげしげと見て、感想を口にする。
「ライアンって、なかなか、やり手の商売人ね。それとも、バナナ酒やバナナ・チップスって、とっても儲かるのかしら?」
ユウトは考えを述べる。
「酒の利益率は高い。街での甘い物の需要も高いから、バナナ・チップスはよく売れるだろう。でも、それだけで、小型転移門は買えるかな?」
イザベラは、ふふふと笑う。
「当然の疑問ですね。でも、それをどうにかするのが、ライアンなんです。ああ、あと、冒険者らしく他のクランの救援に行く傭兵事業もしていますけどね」
水樹が気になる話題だったのか、目が大きくなる。
「そういえば、バナナ商会の団員の数を聞いてなかったわ。クラン本部の大きさからいったら、そう多くはないと予想していたわ。だけど、何人の冒険者が所属しているの」
「水樹さんで十人目、ユウトさんで十一人目になります」
「小さなクランなんですね」
「はい、できて、まだ三年しか経っていませんから」
「三年でこの設備なら立派ですね」
転移門の登録を済ませておく。
転移門は移動先を記録するには数に限りがある。
だが、ユウトにも水樹にも余裕があった。
次に、三階も見せてもらう。三階はライアン用の団長室、倉庫、資料室、二人用の客間が二つあった。団長室はライアンが留守なので見せてもらえなかった。
一通り見学したので、バナナ商会の規模についてわかった。
三階から下りる時に、イザベラが笑顔で告げる。
「ユウトも水樹もバナナ商会の一員なんですから、時間のあるときは、いつでも寄ってくださいね。今日はいなかったですけど、二階でくつろいでいる団員は、多いんですよ」
「自分の家だと思って戻ってきますよ」
一階に戻ると、イザベラは監督作業料の残金を渡してくれた。
「冒険者ギルドには、私から作業終了報告をしておきますね」
「ありがとうございます。助かります」
バナナ商会を後にする。ユウトは自然な態度で尋ねる。
「お昼、どこで食べる? 監督作業料が入ったから、奢るよ」
水樹は目をきらきらさせて頼んだ
「私、秋刀魚が食べたい」
(秋刀魚かあ、そういえば、ここ一年くらい食べてないな)
「まだ季節じゃないから、料理屋にあるかな」
魚河岸の近くにある料理屋に行く。魚河岸はまだ昼なのに人気がなく、静かだった。
(やけに静かだな。前はもっと活気があったぞ)
不審に思ったが、料理屋に行って訊く。
「秋刀魚を食べたいんですけど、置いていますか」
料理屋の主人は冴えない顔で伝える。
「どこに行っても、ないよ。漁村で魚が揚がらなくなったからね。前年の二割しか水揚げがないんだ」
「最近は海が時化ているんですか?」
「違うよ。海から魚がいなくなっちまったんだよ」
信じられなかった。
「そんな、馬鹿な」
料理屋の主人は苦い顔で言い放つ。
「そう思うだろう。なら、漁村に行ってみるといいよ」
ユウトは、この時点ではまだ事態を軽く見ていた。
「水樹さんどうしよう。秋刀魚はないってさ」
水樹は眉間に皺を寄せて、頑とした口調で頼む。
「秋刀魚を諦めたくはないわ。こうなれは漁村に行って真相を確かめましょう」
(いくら秘儀石の力でも、魚の創造はできないからなあ。秋刀魚はなくても、漁村に行けば何かしらの魚はあるだろう。他の魚で我慢してもらうしか、ないか)




