第一話 侯爵級脅威モンスター・ターベワン
全長二mの顔がある。顔は、人、鼠、鰐、蛇、山羊、象、獅子、鬼の八つ。
八つの顔は柱状に重なっている。不和を司る侯爵級脅威モンスターのターベワンである。
脅威モンスターとは人間が暮らす物質界と異なる世界からやってくる恐ろしく強いモンスターだった。
ターベワンと戦うのは一人の青年だった。名前はユウト。今年で十六になったばかり。
ユウトの武器は長さ二十㎝、太さ二㎝の筆だった。
ターベワンの十六個の目が光る。
ユウトは、すかさず筆で地面に『土遁』と文字を書く。
ターベワンの攻撃を躱して、ユウトの体が地面の中に落ち込む。
ユウトはそのまま地中を素早く移動する。
ユウトの職業は魔筆家。文字に力を込めて、魔法を発動させる術が使えた。
ターベワンの真下に来たユウトは手を伸ばす。
ターベワンの一番下の顔に『轟炎誅殺百華』と素早く記す。
ユウトは字を書くと地下に潜る。
地面を伝わって凄まじい熱気が伝わってくる。
ユウトは地中で自分に『火鼠之皮衣』と書く。
自身に炎の耐性を付けたユウトは土遁が切れる前に地上に浮かび上がった。
部屋の中は乾いた熱気に満ちていた。
轟炎誅殺百華は書いた対象を中心に超高温の呪いの黒い火柱を上げる術。
威力は鉄をも沸騰させる。だが、ターベワンは原形を留めたまま立っていた。
(轟炎誅殺で、ほぼ無傷か。これはまずいな)
ターベワンの八つの顔が歯軋りのような不気味な音を立てて横に回転する。
呪詛の呟き。聞く者の体に呪いを刻み込み、体を内側から腐らせる術だ。
ユウトは己に『難聴』と書き、音を遮る呪いを自分に掛けた。
咳が出る。口に血の味がした。
数音節だが、呪詛の呟きを聞いたので、喉を少しやられた。
(威力が人間の呪術者が使う術とは桁違いだ。数音節でこれなら、二十秒で、あの世に行くぞ)
ユウトの筆が光った。ユウトは空中に『轟雷放出破軍』と書く。
空中にユウトの同じ姿をした発光体が現れる。
発光体は激しい稲光を出す。
稲妻がターベワンを襲った。だが、ターベワンの回転は止まらない。
(ダメだ。上位書体でも全く話にならない。これは次が最大の大技になる)
ユウトの大技は『封神四連大海崩』。これは、ターベワンに効くかもしれなかった。
だが、術の威力は凄まじい。ターベワンがいる部屋だけではなく、威力はフロアー全体に及ぶ。
前の部屋にはターベワンのコレクション――首だけにされた人間がいた。
ここで、封神四連大海崩を使えば、コレクションされている人間が助からない。
(迷っている暇はない。このままでは誰も救えない)
ユウトが意を決した時だった。誰かの声が頭の中に響いた。
「戦いの最中に失礼するよ。今、君は困っているだろう」
声に応えるかどうか迷った。だが、声はターベワンのものではない。また、難聴の呪いが掛かっている。それなのに聞こえてくる。なので、力あるものからの問い掛けだった。
力ある者は必ずしも善とは限らない。力を貸してくれる悪かもしれない。
(どちらでもいいか。使えるものを全て使わないと、生き残れない)
「助けてくれるなら、助けてほしい」
声は答える。
「素直でよろしい。でも、助けるには三つか、四つ、答えてもらわなければいけない質問がある」
ターベワンの回転が止んだ。ターベワンの口が一列に並ぶ。
口が真黒に染まり、真黒な光が飛び出した。稲妻を放ち続ける発光体を襲った。
発光体は黒い光を浴びると、霧散して消えた。
「おい、謎の声。質問をするなら早くしてくれ」
声は慌てず急がず質問する。
「どうして君はこの危険な仕事を受けた。金か? 名声か? 力を得るため?」
「どれでもない。誰かがやってくれるのなら、それでよかった。だが、誰もいなかった。だから仕方なくやった」
答えながら、ユウトは地面に『鏡面防壁』と書く。
厚い水晶の壁が扇形に展開される。
ターベワンの黒い光が、水晶の壁に当たった。黒い光が、反射してターベワンを撃つ。
だが、ターベワンは自らの攻撃を浴びても微動だにしない。
声はユウトの危機的状態に構わず、マイペースで話し続ける。
「仕方なく、か。死ぬかもしれないのに、随分と間抜けな答えだな。では、次の質問だ。君はターベワンに通用する術を一つ持っている。だが、何で使わない?」
「まだ、使う時ではないからだよ。使わざるを得ない時が来たら使う」
ターベワンから紫のオーラが立ち上る。ターベワンが震えた。
一緒に水晶の防壁が震動する。みるみる間に水晶の防壁にヒビが入る。
ユウトは後退して、『九竜水柱』と地面に書いた。
土中から九本の水の柱が現れて、ターベワンとの間に展開される。
水晶の防壁は割れた。だが。水晶の破片は水の柱に当たり、ユウトに届かない。
水の柱が九頭の龍になり、ターベワンを襲う。
声がまた問い掛けてくる。
「もうずいぶんと前に、使うべき時は来ていると思うけどね。よし、なら、次の質問だ。今、なにか願いが一つ叶うとする。やはり、ターベワンを倒してほしいかね?」
「何でもいいから、一つでいいのなら、違うな。世界中の人間を幸せにしてほしいね」
九頭の龍がターベワンを次々と撃つ。だが、ターベワンはどっしりと構えて全ての攻撃を受け切った。
ターベワンは口を開くと大量の骨を吐いた。骨は見る見る組み上がり、大量の骸骨兵となる。
ユウトの筆が光った。ユウトは空中に『剣林矢雨』と書く。
空間にぽっかり穴が空く。無数の剣と矢弾が現れ、骸骨兵に襲い掛かった。
声がユウトに尋ねる。
「君の願いは私の力の範疇を超えている。それにしても、よく、こんな危険な状況で、世界中の人間の幸せなんて願えるね。君は馬鹿なのかい?」
「馬鹿で結構。どのみち僕は賢い人間ではない。小さく卑怯な人間だ。ただ、人よりほんの少し魔筆の力を使えるだけだ」
ターベワンが口を開くと紫の色の煙を吐き出した。
ユウトは光る筆で空中に『大旋風』と書く。
風を起こし、紫の煙をターベワンに送り返した。
声が満足気に語る。
「よし、いいだろう。君に力を授けよう。ただし、この現状を打破するためには三つほどクリアーしなければいけない条件がある。上手くチャンスが来るといいね」
声が止んだ。ターベワンの遙か後方から緑色の光の玉が飛んでくる。
光の玉はユウトの体に飛び込んだ。
ユウトの体が温かくなった。何かの力が宿ったと感じる。
クリアーしなければいけない条件が見えてきた。
最初の条件。手に武器を持っていては、いけない。
この場合は、字を書く魔筆が武器にあたる。
魔筆を捨てなければ、力は使えない。
だが、魔筆を捨てれば、ターベワンの攻撃を防げない。
二つ目の条件。ターベワンを消すにはターベワンから三m以内にいなければならない。
三m以内ではターベワンの攻撃は悠々と届く。下手をすれば即死が有り得る。
三つ目の条件、決まった呪文を唱えなければならない。呪文は短いものだが、もし、声が発せられない状況下に追い込まれていれば、達成できない。また、ターベワンが呪文を唱える状況を許すとは限らない。
三つの条件をクリアーできても、まだ問題がある。手にした力は初めて使用する。
力は強いかもしれない。だが、なにせ相手は侯爵級脅威モンスター。
発動しても効果があるかは未知数。現に轟炎誅殺百華や轟雷放出破軍は効果を上げていない。
封神四連大海崩なら、威力を知っている。また、攻撃のために魔筆を捨てなくよい。
(どうする? 慣れた力に頼るべきか、新たに得た力に頼るべきか)
悩ましい問題だ。だが、迷っている時間は、あまりない。
俺を信じて力を託すと声が言う。なら、俺は声に応えよう。ユウトは新たな力に頼ると決めた。ユウトは囮とすべく『鳳凰乱舞千陣』の文字を空中に書く。
火の鳥が現れてターベワンに向かう。
だが、炎の鳥は完全な囮。ユウトはここで、わざと筆を持つ右手に隙を作る。
ターベワンの人の口から針が吐き出される。
ユウトの右手が針により貫通して、ユウトは筆を落とした。
(痛いが、まず、第一の発動条件は完成)
「しまった、筆が」と少々わざとらしく声を上げる。
落ちた筆に飛び着く。左手で筆を拾う振りをする。
ターベワンが炎の鳥を呪いの言葉で掻き消し、瞬間移動した。ユウトの左手の上に乗った。
筆と左手が砕ける音がする。
激痛がするので遠慮なく叫んだ。苦しいので素直に、苦痛を表現した。
(かなり痛く、両手が使えなくなった。だが、これで、発動条件第二も完成。危なかったな。体の上に乗られたら圧死だったな)
「ぎゃあああ。僕の、僕の手が――」とオーバーに声を上げる。
ターベワンの被虐心を煽る。
無駄なのがわかっていた。だが、ここで潰れた手を引き出そうとする。懸命にもがいた。
無様にもがくユウトを見おろして、ターベワンの八つの顔が、にんまりと微笑む。
ターベワンは完全に勝ち誇っていた。ここからの逆転はない、と確信した顔だ。
ユウトはターベワンにできた隙に、心に浮かんだ呪文を唱える。
「謙虚を司る秘儀石よ。我の掌中に現れて奇跡を起こせ」
ターベワンの本来の反応速度なら、呪文を唱える前にユウトを殺せた。
だが、勝ち誇ったターベワンは、ユウトに呪文の発声を許した。
発動条件の三つが揃った。
針で穴が空いた右の掌から、光る正八面体の結晶が現れた。
(これは、秘儀石だ。力とは秘儀石の力だったのか)
秘儀石とは奇跡を起こせる石である。秘儀石には誠実、勇気、献身、情熱、忍耐、冷静、謙虚、憎悪の八種類が確認されていた。
光る結晶が閃光を放つ。光が消えた時には、ターベワンの姿はなかった。
ユウトは筆を探すが、魔筆は折れていた。
「僧正の筆、高かったんだけどな」
ユウトは震える右手でベストのポケットから、予備の小筆を取り出す。
まず、用心のために体に『解毒』、耳を治すために『健聴』と書く。
次いで、潰れた左手に『治癒』と書く。
多少の傷なら、これで治る。だが、左手の形は戻ったが、ほぼ動かなかった。
(左手が治せないと右手を治せない。これ以上の戦闘は危険だな)
ユウトはターベワンのいた部屋を見渡した。
奥に大きな輪ができていた。輪は異界に繋がっているのか、不気味な色を放っている。
ユウトは輪の前に行き、かろうじて『封』と書く。
不気味な色が消えて、輪は大鏡になった。大鏡にユウトの姿が映る。
ユウトの髪は青。肌は薄いオレンジ色で、体形は細身。
顔は丸顔で一見すると優柔不断そうな顔をしている。
恰好は青の厚手の服の上下に、ポケットのいっぱい付いたベスト。
腰にはベルト・ポーチを提げて、少し小さめのリュックを背負っていた。
(消える人間の原因は、わかった。ここは悔しいが一時撤退だな)
やって来た扉を潜り一つ前の部屋に戻る。
部屋は百以上の水槽が並んでいた。水槽の中には首から上だけになった人間が納められている。ターベワンのコレクションだった。
白い立派な髭を生やした老魔術師が姿を現した。
老魔術師は緑色のローブを着て三角帽子を被り、杖を持っていた。
老魔術師の名はカフマン。この遺跡を調査しに来た魔術師だった
「ユウト殿。奥には、やはり脅威モンスターがいましたか?」
ユウトは両手をぶらぶらさせて、答える。
「脅威モンスターがいました。両手を潰されました。高度な魔筆はしばらく使えません」
カフマンが苦し気に語る。
「怪我はエイミーが生きて入れば治せたのですが」
カフマンのパーティはカフマンを残して全滅していた。
ユウトの仲間もユウトを残して全滅していた。
ユウトは部屋を見渡す。
「いない人の話をしても、しかたないでしょう。僕の仲間も全員やられている。さて、首から上だけになった人たちですが、どうしますか?」
カフマンが困って顔で辺りを見渡す。
「王都に連れて帰れば、治す方法があるやもしれません。しかし、私たち三人だけでは、どうすることもできないでしょう」
ユウトが出てきた別の扉から、一人の女性が姿を現した。
女性の年齢は二十代後半。肩まである茶色の髪を後ろで縛っており、気の強そうな顔をしている。名はロザリア。ユウトやカフマンとは別のパーティでこの遺跡にやって来た。
ロザリアのパーティも、ロザリアを残して全滅していた。怖い顔で抗議する。
「何ですって? ここで囚われている人を見捨てろって命じるの?」
カフマンは理知的な顔で意見する。
「ユウト殿は両手を負傷した。どのみち三人では、この数は運べない」
ユウトは二人に告げる。
「脅威モンスターは、退けたに過ぎません。倒したわけじゃない。奴は、またここに戻って来るかもしれない。囚われた人を助けるなら、今しかない。ですが……」
カフマンは肩を竦めて無念そうに語る。
「戻ってくる場面に出くわしたら。儂らも終わりじゃな」
ロザリアが顔を曇らせて意見しようとした時だった。ユウトは、ふらつきを覚えた。
カフマンが心配顔で、体を支えようとした。だが、ユウトは力なく、地面に這い蹲った。
(少し、脅威モンスターを甘く見ていた)
「脅威モンスターの毒が回ってきたようです。解毒できませんでした」
視界が暗くなる。カフマンとロザリアがユウトの名を呼ぶ。
だが、聞こえる声は段々と小さくなっていった。