表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

一般向けのエッセイ

根津美術館の思い出

  

 先日、根津美術館に行ってきました。

 

 もともと、山種美術館の方に行くつもりで、調べたら根津美術館も歩いていける距離だったので、美術館を二軒はしごしようと思いました。それで、山種美術館に先に行きました。根津美術館はその後、行きました。

 

 山種美術館は、速水御舟展をやっていました。地下で展覧会をやっていて、人はそこそこに入っていました。僕も人と一緒に絵を見ました。展覧会の最後には一番高名な「炎舞」という絵が飾られていました。真ん中に大きな炎があって、そこに吸い寄せられる蛾が描かれた美しい絵です。僕は、もっと大きい絵だと思っていましたが、実物はそれほど大きくありませんでした。その絵には特に人が集まっていました。一番有名だからでしょう。

 

 僕は美術館を出ました。正直言えば、もっと大きな感動を受けるものだと期待していたのですが、それほどでもありませんでした。もちろん、僕の眼が間違っていた可能性があります。僕はスマートフォンを取り出して道を確かめ、次の美術館へ向けて歩き出しました。

 

 坂道を歩きました。道々、ただの雑草だとか、雲に隠れた太陽だとかが気にかかりました。僕は、速水御舟の絵を見ていた時、速水御舟が過去の日本画から影響を受けていた事を思い出していました。日本画というのは、植物や虫、花を描くのは一級品と言っていいでしょう。僕は歩きながら、道端のなんでもない枯れ草が、なんだか哀れな尊いものにも見えました。そんな事を考えながら、アスファルトで覆われた都市の中を歩きました。

 

 根津美術館に着きました。スマートフォンの地図で見ると、近くに美術館が二つあるのがわかって、一つは岡本太郎美術館でした。もう一つが根津美術館です。僕はこんな所に岡本太郎の美術館があるんだなと思いました。根津美術館に入りました。

 

 建物に入って受付に近づくと、金髪の、海外の女性が受付の女性と話しているのが目に入りました。何か揉めているというか、問題事だろうな、と感じました。外国人の女性は手にチケットを持っていて「岡本太郎美術館」と文字が見えたので、(間違ってこっちに入ったのだろう)と思いました。受付の女性は対応を手間取っているようでした。僕は二人の様子から言葉が通じないから、トラブルになっているんだろうと判断しましたが、それほど大きな問題でもなさそうでした。というのは、外国人の女性は激昂しているわけではなく、ただ意志の疎通がうまくいかないという風だったので、その内に解決するだろうと思いました。僕はチケットを買って別の受付の人に渡し、中に入りました。

 

 中に入ると案内があって、根津美術館は自前の庭園があるのが自慢だと知りました。時間があれば行ってみようと思いました。

 

 最初のフロアには仏像がいくつか置いてありました。その内の一つに深い感銘を受けたのですが、これについては後で記そうと思います。

 

 僕はぐるっと美術館を見て回りました。外国から来た人が多かったので、海外にも有名な所なのだな、と思いましたが、美術館自体はそれほど大きい事もありませんでした。昔の日本や中国の絵画や調度品などが飾られていました。谷文晁の大きな絵が飾られていて、としても印象的でした。巨大な屏風絵でしたが、その左右には大きく崖がせり出して描かれていました。その立体感と、全体の景色がとても雄大だと感じました。僕がじっと見ていると、アメリカ人らしいカップルが絵を見ずにそのまま通り過ぎていきました。彼らには、別に気に入るものがあるんだろうと思いました。

 

 美術館を一周見て、また最初のフロアに戻りました。僕は一番感嘆した仏像の前に戻りました。フロア内を見て、僕ほどこの仏像に感激した人間は誰もいないだろうと考えました。でもすぐ、そうでもないかもしれない、と思いました。本当は、多くの人が僕と同じ想いを抱いてこの仏像の前に立ったに違いないのです。様々な過去をそれぞれに抱えて。

 

 それは三世紀のインドの仏像でした。顔は西洋的なもので、鼻が高く、東洋人の顔ではなかったのですが、実に穏やかな、落ち着いた表情をしていました。この表情の中に、歴史的にいかに多くの人が慰藉を見出してきたか、と僕は追憶に浸りました。

 

 ここで、僕が何故この仏像に感嘆したのか、もう少し詳しい事を書かせてください。うまく説明できるかわかりませんが、やってみましょう。

 

 僕がその仏像に感嘆したのは、仏像が極めて穏やかな、優しい表情をしていたからです。仏像の顔は目を閉じていて、うっすら口元には笑みが浮かんでいました。

 

 僕は美術館に行く前日、丁度、仏教の本を読んでいました。僕は仏教には大変感心していて、仏陀の言葉にも感服してきました。仏教では自己の克服が問題となっています。自己の克服とはつまり、内側に燃え上がる様々な情念を抑え、平静の境地に至る業です。ですが、平静の境地、悟りというものはそんなに簡単に到れるものではありませんから、本質的には、仏は自らの内側で争っているのだと僕は考えてきました。つまり、平静を得る為には自らの情念との不断の闘争が必要なのです。たどり着かれた穏やかな境地とは、機械的にたどり着かれた平静ではなく、絶えず自らの内側と闘い続ける、その限りで現れる平静なのだと考えてきました。

 

 根津美術館で見た仏像の表情は、そうした闘争を乗り越えた穏やかな、優しい表情に僕の目には映りました。歴史的に多くの人が苦しみを抱きつつ、その仏像に慰藉を見出してきた。それは何故かと言えば、人がやはり自らの情念から逃れられない存在だからに違いない。ですが、その苦しみが背後にあるからこそ、仏像の微笑、穏やかな優しい姿は勝利者のそれとなるのだ。それは理想の笑みなのだ、と僕は考えました。

 

 僕は、仏像の前に跪きたい気持ちさえしました。しかし、そんな事をしたら笑われてしまうでしょうし、人の目があったのでそうしませんでした。仏像をじっと見つめた後、美術館を出ました。

 

 ※

 

 その日はその後、神田の古本屋街に行きました。夜まで時間があったので、ついでに行こうと思ったのでした。

 

 いくつか店を回って、雪舟の画集を安価で買いました。状態も良く、とても満足しました。地下鉄で帰る事にしました。

 

 列車は、駅が進む毎に混み始めました。僕は最初立って、画集を広げて読んでいたのですが、その内、本を広げるのは無理なくらいに混み始めました。満員になり、イヤホンを耳に入れ、音楽を聞いてその状態をやり過ごそうとしました。いつもの手です。

 

 平日の夕方だったので、仕事帰りのサラリーマンが沢山乗りました。みなスーツを着ているので、ひと目でわかりました。僕の前にいる、初老の白髪の男性が狭い空間でスマートフォンをいじっていました。僕は自分の立ち位置からその人が何を見ているか見えるので、興味本位でこっそり覗きました。

 

 驚いた事に、男性はスマートフォンをいじって、「転生したらスライムだった件」というアニメを見出しました。僕は、驚きの目でその人の風貌を眺めました。どう見ても、どこかいい所の重役とか、少なくともきちんとした初老の社会人であるように見えました。その人が見ているのが、そういう作品だというのに驚きました。

 

 僕はぎりぎり吊り革に掴まりながら、もう何も考えまいと思いました。目を瞑り、外界との関係を断とうと思いました。仏像が目を瞑っていたのが思い出されました。僕は昔の人があの仏像の前で、祈りをあげている姿を想像しました。耳からは、日本のバンドの楽曲が流れていました。それら全ての情報やイメージが僕の中を流れていました。僕はこの電車は本当に自分の駅まで着くのだろうか?と不安に思いました。僕は、大都市の交通網に絡め取られるといつもその不安に襲われます。本当に僕は家に帰れるのだろうか?

 

 もちろん、帰る事はできました。だから、こんな風にその日の文章を書く事ができます。その日はそんな風な、冷静に眺めると良い休日だったと思います。しかし僕には、あの仏像を見た時の心象のような、そういう場所以外は行く所がないような気がしています。つまり、過去の追憶に浸るだけというような。僕はこれから悟りも開いていないのに、目を閉じて生きて行くのではないか。そんな不安な気持ちを少しだけ抱いています。

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  全体に流れる素朴な感じが、感傷的な気持ちが淡々と綴られている所が、好くて、侘びといいますか、感情の抜けたようなリズムのなかで言葉が、それを繕うように、静々と流れている感じといいますか。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ