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スグは馬を走らせ、塩山へと向かった。普通なら馬を使っても1日半はかかる道だったが、それを彼女はほとんど休むことなく走って、半日で駆け抜けた。
向かったのは占拠されている城から少し離れたところにある塩山の麓。
目当ての場所は、現在使われている坑道のちょうど反対側。幸い、そこへ向かうまで、誰とも遭遇することはなかった。
荒れ果てた坑道の入り口。かつてはここから塩を掘っていたが、岩盤に遮られて採掘できなくなり、今は放置されている。
スグは家から持って来た提灯に火を灯して坑道へと足を踏み入れた。足元に気をつけながら暗闇を進んでいく。
まっすぐな道を百歩ほど歩き、分かれ道にぶつかる。スグは記憶を頼りに左へ曲がった。
かつてここに来たのは、四年も前。だが、あの頃の記憶はいまだに鮮明に残っていた。
そして、曲がりくねった道をしばらく行くと、壁際に木の扉がついた部屋を発見する。
――ここだ。
脇に掘られた小さな穴で、かつては鉱山を支配して役人の休憩屋だった場所だ。
扉を引くと、ギイと鈍い音を立てる。
部屋の壁は木の板で覆われている。スグは壁の板の枚数を数えていく。
「一、二、三、四、五……ここだ」
スグは木板でできた壁の切れ目に剣の切っ先を差し込んだ。そしてテコのように力を加えると、数枚の板がバカっと地面に落ちた。
その先には、ちょうどスグの身長くらいの穴があった。
――この隠し通路は、スグにとっては、全てが終わり、そして始まった場所だった。
小さい頃、スグは塩山で働いていた。
そして七歳のとき、街を突の軍勢が襲う事件が起きた。兵隊たちが敵と戦っていたが、スグのような赤眼を守ってくれる人はどこにもいなかった。
そんな時、一人の武人のがスグを助けてくれた。
ここに隠れていなさいと、この秘密の抜け道を教えてくれたのだ。
おかげでスグは助かった。
後で知ったのだが、その通路は高級役人しか知らない極秘の通路だったらしく、それをスグにバラした武人は罰を受けて、僻地に左遷されたらしい。
だからその武人とは二度と会うことができなかった。もはや顔もよくは覚えていないが――スグにとっては生きるための目標だ。
あの人のように、自分を顧みずに、人々をのことを救う武人になりたい。
そしてとうとうその時が来たと思った。あの時スグを助けた武人のように、今度は自分が人々を、故郷の人たちを助けたい。
その固い意志を持って、狭い通路を一歩一歩進む。
それから十分ほど歩いていくと、やがて木の板でできた壁に突き当たる。壁に耳を当てて向こう側の様子を伺うが、物音はしなかった。それで安心して板を外す。今度は内側からなので、少し強めに押すだけで外れた。
――現れたのは倉庫だった。地下にあるので灯りは無い。
どこかカビ臭い部屋には、椅子や机が無造作に置かれていた。
灯りに照らされた範囲に階段がが見える。登って行くとその先に扉。再び外の様子を伺うと、やはり物音一つしなかった。
扉を押すと、しばらく使っていなかったのか、鈍い音がした。
そして一瞬眩しさに若干のめまいを覚えた。
塩山城の敷地に出たのだ。
スグは提灯の火を消して階段に置いてから、扉を閉めた。
城の中は閑散としていた。ほとんど音もしない。
ひとまず、周囲をも見渡して、一番大きな建物に向かうことにした。確か、あれは平時なら国司がいる建物だったはず。
道を歩いて行くと、建物の入口には守衛が二人。格好が倭のものではなく、遊牧民族のそれだった。
「何者だ!」
スグの姿に気がつくと、二人は剣を同時に抜いた。
だが、彼らが剣を振りかざす前に、スグが一気に距離を詰め、剣を峰斬りかかり一人を手早く気絶させる。
そして返す刀で、二人目にも斬りかかる――だが、今度はさらに手加減し、気絶させる代わりに地面に押さえつける。
「大将はどこにいますか」
首に剣を突きつけながら言うと、守衛はあっさり白状した。
「……天守閣の下の……広場にいる」
その答えを聞き出したところで、首筋を殴って気を失わせる、
天守閣は城内の西方にある。西国が攻めてこないかを見渡すためだ。高くそびえ立っているので、迷うことはない。
歩いて行くと、すぐに広場が見つかった。
その中心で一人の男が座していた。手の甲を膝の上にのせ、目をつぶっていた。
護衛はいなかった。まるで広場に溶け込んでいるような、そんな印象だった。
だが、スグに気がつきその瞳を開けた瞬間、その視線の鋭さにスグは思わず後ずさりしそうになる。
粗末な麻の衣装に身を包んだ巨男。
目つきが特徴的な男だった。決してこちらに明確な敵意を向けているわけではない。だが、鋭く磨かれた刃物が、例え意思を持たずともわずかな光に反射してその鋭さを誇示するように、もし斬りかかれば忽ち斬り返してくるだろうという恐怖を感じさせる。
城を守っていた手練れの武人をいとも簡単に殺してしまったというが、それも納得だった。男が内に秘める殺気は、常人のそれとは比べ物にならないからだ。
今まで対峙してきたどんな人間よりも強い。
――だが、殺意には慣れっこだ。
どんなに鋭い殺気であっても、ちゃんと<視>れる。
確かにそれは恐怖を肌で感じるほどの鋭さだったが、しかし直視できるのであれば、対峙することはできる。
「私を討ちに来たのか」
その言葉に、スグは答えず、代わりに剣を鞘から振り抜いた。
援軍を呼ばれたら勝ち目はない。
その前にけりをつける。
様子見はなし。
最初の一撃で決める。
剣をグッと握りを半身とともに後ろに引いて、剣の切っ先を敵に合わせる。
スグが持つ唯一にして最強の形――撃砕の構え。
それに対して、男は立ち上がり、スッと剣を抜いて構えた。
脳裏に、彼の殺気が――次に取る行動が映像として浮かぶ。スグの一撃を、正面から受け止める気だで、何かの形を使う気はないようだ。
――小さい女の子と見くびっているのだろうか。
次の瞬間、スグは体の軸は通したまま力を抜く。水が落ちるように腰を落としその力を、推進の力に変えても大きく一歩を踏み出した。
そしてそこから全力で地面を蹴り上げて。
一直線に敵へと向かう。
「――撃砕!」
守りは捨てて、己の全てを剣の切っ先に込める。敵の反撃が事前にわかるからこそできる捨て身の一撃。
そして予想通り、男は剣をさっと引いて、スグの一撃を迎え撃つ。
スグの最強の一撃が、男の何気ない一閃と交錯する。
一気に突き抜ける――はずだった。
だが次の瞬間、途方も無い衝撃がスグを襲った。男の剣は、スグの剣と真正面からぶつかり――結果、全ての重みがスグの体に跳ね返ってきた。
――一体どういうこと……
スグは単純な攻撃力――重さにおいて、自分の一撃は世界一だと自負していた。
それなのに男は真正面から受け止めて、そして跳ね返したのだ。
「軽いな」
「!?」
「それで終わりなら――悪いことは言わない、去れ。無駄な殺生はしたくない」
最強の一撃を軽々跳ね返されて、一瞬呆然としたが、まだ負けた訳じゃない。
確かに圧倒的な剣圧だったが、まさか体自体が鉄でできている訳ではあるまい。剣戟をかいくぐって、刃を肢体に叩き込めばいい。
剣戟は大の得意だ。
スグはもう一度切っ先をまっすぐ向けて、そして地面を蹴った。
今度は上段から切り込む。それに対する男の動きは読めていた。
男は攻撃へと転じてきた。殺気は丸見え。簡単に読みきれる――
だが、
「……ッ!」
圧を受け止められなかった。
まるで木の葉でも払うように、軽く跳ね飛ばされ、地面に放り出される。
形でさえない、ただ無造作に剣を振るっただけ。だがそれに対してスグは手も足も出なかった。
たった一人で城を落としたという話が本当なのだと、ようやく理解した。
剣を握るようになってからは初めて感じる恐怖感。それをなんとか打ち消そうと、再び柄を強く握りしめ、男へと向かっていく。
「警告はしたが」
スグの直線的な攻撃を、男は堂々と迎え撃つ。
今度は力が拮抗した。肌で感じた生命の危機が、スグの剣の重みを増させたのだろう。
だが対等だったのはわずかの間。次の瞬間、男は地面を軽く踏みつけて、その力でスグの剣を撥ねとばす。そして姿勢が崩れて粘りが効かない状態の彼女に、もう一度剣を振るった。
後方に大きく飛ばされ、再び地面に叩きつけられる。
すぐに立ち上がることができなかった。
目線を男に向けると、ゆっくりこちらに向かって歩いてきていた。
慌てて立ち上がって構えようと思ったとき――ようやく剣を持っていないことに気が付いた。
視界が男の影に覆われる。その表情にはなんの感情も見られなかった。アリでも踏みつけるように、スグに剣を降ろそうとしている。
その瞬間、スグは生まれて初めて死を覚悟した。
悔いの残る人生だった。あの日助けてもらったこの命で誰かを救いたかった。
目をつぶり、その時を待つ。
だが、次の瞬間。
突然、予想していなかった殺気を感じた。
「天流、乱星!」
青い光が閃いた。
男は立ち止まり、自分に向けられたその斬撃を受け止める。
殺気の主は見慣れた武人。
――師匠の姿がそこにあった。
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