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 ◇

 

「それでは、木刀を使った組手の試験を始める」

 形の披露会が終わり、今度は実践的な試験に移る。

 木刀を使った組手だ。

 流石に生身の人間との戦いで、形をぶっ放し合うわけにはいかないので、形は禁止。純粋な体術のみで戦う。

「それでは――御堂ユキ」

 先ほど形の披露で神影流の奥義を見せた天才少女の名前が真っ先に呼ばれた。

「白河リュウ。お前が相手をしろ」

 中将が、右側の口角を上げて言った。

 あわよくば、俺がユキに負けて、恥をかけばいいと思っているのだろう。

「承知しました」

 俺は羽織を脱いで、見物席から広場へと降りていく。

 雑用係から木刀受け取り、少女と向き合う。

 貴族特有の銀色の瞳でにらみつけてくる。まだ幼いとはいえ、その目は戦士の目をしていた。

 お手並み拝見だ。

「さぁ、かかってこい」

 少女は返事をするもことなく、代わりに木刀の切っ先をこちらに向けて、半歩右足を下げた。

 しばしの沈黙。そして、前触れなく唐突に彼女は動き出した。勢いよく地面を蹴って斬りかかってくる。

 意外に早い。それが素直な感想だった。

 ――と言っても、斬りかかってくる方向も威力も予想の範囲内だ。

 俺はあえて彼女の一撃を真っ正面から受ける。

 カンッっと木がぶつかる甲高い音が広場に鳴り響いた。その一撃は、小さな体から生み出されたにしては重たいものだった。その一撃で、彼女には平凡な武人と同じぐらいの実力があることを理解した。

 彼女は自分の攻撃が真正面から完璧に受け止められたことに一瞬驚いたが、すぐさま次の攻撃に移る。

 次々繰り出される斬撃は切れ目がない。力任せにではなく、摂理に従って剣を振っている。

 俺が同じくらいの歳の時はこんな風には動けなかった。

 ――だが、さすがに剣師である俺を脅かすほどではない。

 俺は彼女を攻撃を全て見切って、受け流していく。

 普通なら、自分の攻撃がことごとく受け止められれば平静ではいられないだろうが、彼女はその後も淡々と、しかし全力で打ち込んできた。

 結局ユキの攻撃は二十買いほど続いた。だが攻撃が通る気配がないことを感じたのか、ユキは一旦間合いを取った。

「俺に勝てないのはわかっただろ。だから、形を使っていいぞ」

 俺がそう言うと彼女は眉がピクッと動いた。

 決して挑発でそう言ってるのではなかった。そうではなくむしろ彼女の力を認めたからこそ、彼女の全力が見たいと思ったのだ。

 だが彼女はそれを挑発と受け取ったようだ。その瞳に殺気とはまた違う別の感情がにじむ。

 両手を耳の後ろに持ってくる、神影流の構え。

 ――天流乱星を放つ気だ。隠す気など全くない。受け止めきれるものなら受け止めてみろと言わんばかりだ。

 確かに、天流乱星は、俺の知り得る限り最高の攻撃力を誇っている。正面からぶつかればひとたまりもない――普通は。

 彼女の剣が青白く光る。その光は次の瞬間俺に向かってまっすぐ向かってきた。

 それに対して――俺もまた――両手を耳の後ろまで引き、そして、

「「天流乱星!」」

 俺の声と、彼女の声が共鳴してこだました。

 剣の切っ先がぶつかる瞬間に見えた彼女の表情は、驚きに満ちていた。

 轟音を立てて青い光がぶつかり、次の瞬間、ユキの木刀が砕け、彼女は振りかぶったのとは逆の方向に吹き飛んだ。

 ――相手は幼い少女だ。もちろん相当に手加減をしたから、大きな怪我をするようなことはないはずだ。

 実際、少女はうまく受け身をとって衝撃を緩和していた。高価そうな服が泥で台無しになってはいたが、体のほうは無傷だった。

 わずかに数秒ののち、ユキは立ち上がり、そしてこちらを睨みつけて言った。

「なぜその技をあなたが」

 それは当然の疑問だろう。なにせ神影流は、ごく一部の上級貴族にのみ伝わる奥義。

 それを、俺みたいな平民が突然使えば驚くのは当然だ。

「俺、だいたいの普通の(・・・)形は全部会得してるんだよね」

 俺は驚愕の表情を浮かべる少女を残して、観客席に戻る。

 席に着くと、いきなり烏崎が声をかけてきた。

「さすが<守りのリュウ>は違うな」

 守りのリュウというのは俺に対する蔑称だ。別に俺が防御に優れているという話ではない。

 武術を極める時には<守破離>の三段階を踏むという考え方がある。

 まずは他人を真似る「守」。

 そして真似たものに、独自の改良を加える「破」。

 最後にそこから、今までになかったものを作る「離」。

 これが武術を極める基本の形になるというのだ。

 <守りのリュウ>は、この守破離の「守」から来ている。

 俺は多くの流派の形を習得してきた。が、そこから独自の改良を加えたり、新たな形を生み出したりということはあまりしていない。それで、人の真似をしてばかりだという意味で<守りのリュウ>と呼ばれているのだ。

 まぁ、好きにほざいていろって話だ。

「では次――スグ」

 と、苗字を持たない賤民の少女が呼ばれた。

 その姿に、武人はもちろん、他の参加者――奴婢でさえ、蔑んだ視線を送る。

 だが、彼女は毅然と背筋を伸ばして前に歩みでた。

「私が相手をしましょう」

 そう名乗り出たのは烏崎だった。

「平民に任せると、手加減しないとも限らないですからね」

 と、烏崎は俺の方を一瞥からしてから広場に降りていった。

 ――どさくさに紛れて、いたいけな少女をいたぶるような真似をするのではないかと心配になった。

「少々痛い目を見るかもな」

 と烏崎は、賎民の少女に向かってそう言った。

「貧しい身分で、武人になろうとした罪を償うんだ」

 貴族という輩は、平民や賎民には何をしてもいいと思っているものだ。相手が少女だろうと関係はない。

 いざとなれば、止めなければ――と思ったが。

 次の瞬間。

「わたしは、武人になろうとしているんじゃありません」

 と、赤眼の少女は透き通った声で宣言した。

「わたしは、大将軍になるんです」

 その様子を見ていた武人や受験者たちから、どっと笑いが怒る。 

 だが、スグはそれを気にした風はなく――突然思ってもみなかった行動に出た。

 木刀を地面投げ捨てたのだ。

「何の真似だ」

 烏崎は怪訝な表情を浮かべて問うた。

 するとスグは言う。

「素手であなたに勝ってみせます」

 ――悪い冗談か。

 どれだけ体術に自信があるかは知らないが、しかし武人相手に武器を手放すなど。

 確かに烏崎は二流だが、それでも剣師の端くれ。剣を持ってさえ勝てないであろうに、自分だけ丸腰で戦うなんて、何を考えて入るんだ。

「……その無礼、殺されても文句は言えないぞ」

 怒りに燃えた表情を浮かべる烏崎。

 お互いに木刀を構えて、対峙する。

 ――烏崎は自分から動いた。

 目にも止まるの早さで距離を詰め、最低限の動作で刀を振り落とす。そこには一切の手加減はなかった。もしそのまま直撃すれば、いくら木刀でもただではすまない。

 ――だが、次の瞬間、思ってもみなかったことが起きた。

 スグは最初全く動かなかった。

 だが、刀が自らに振り下ろされる瞬間になって、突然ひらりと体をひねって、その斬撃をかわしてみせたのだ。

 烏崎の表情が一瞬濁るが、それでも攻撃の手を緩めなかったのはさすがか。

 空振りしたあと、最低限の動きで二の太刀を繰り出す。だがスグは次の攻撃も紙一重のところでかわした。そして次も、その次も、完璧にかわしてみせた。

 いくら木刀とはいえ、剣師の振るうそれをまともにくらえば、ひとたまりもない。それなのに、少女は文字通り紙一重で攻撃を避け続ける。わずかにでも動作が遅れれば、たちまちの小さな体が凹むことになるというのに、そこに恐れは全く見られない。

 そうまるで――どこから攻撃されるのか分かっているかのようなそんな動きだった。

 観客席がザワつき始める。

 烏崎の表情にも焦りが見えた。

 烏崎は二流だが、それでも人並みの力はある。それなのに10歳そこらの少女に攻撃を当てることができないでいるのだ。

 そして、烏崎は二十回ほど剣をふるったところで、一旦間合いを取り、息を整えた。

 それを平然と見つめる赤眼の少女は、淡々と事実を伝える。

「あなたの攻撃は絶対に当たりません」

 自信があるというよりは、それが世の中の摂理だと言わんばかりの断定的な口調だった。

「なんだとッ……」

 愚弄されたと感じたのだろう。烏崎は再び刀を握り直して、振りかぶった。

 だが、それに対して――ついに、スグが反撃にでた。彼女の小さな掌底が――烏崎の手首を撫でる。そして、そのまま横滑りして、そして木刀の柄に触れた。そして烏崎の手から木刀がするりと奪われ、そしてその流れのままに体を回転させて右足のかかとを烏崎の腹に叩き込む。

 小さい体でも、その全ての体重がまっすぐ攻撃に乗れば、威力は絶大だ。烏崎は腹を抱え込んで、地面にうずくまる。

 スグは、奪った木刀を再び地面に投げ捨てて、そして烏崎を見下ろした。

「あなたの殺気は丸見えです」

 烏崎は腹を抱えたまま、なんとか視線を上げて、スグの瞳を――その紅い瞳を見た。

「まさか……」

 ――星読みの眼。

 敵の殺気を、脳裏に浮かべて、攻撃を先読みする。

 そんな力があることは、書物を読んだことがある。

 だがまさかこうして現実に実在しているとは思いもしなかった。

 少女は形が一切使えないと言った。それで一体どうやって戦うのだと思ったが、しかし敵の攻撃が全て読み切れるのであれば、確かに戦いようはある。

 スグは勝負ありとばかりに、烏崎を一瞥してから、後ろに下がった。烏崎はしばらく呆然としていたが、なんとか立ち上がって席に戻ってくる。

 ――意気消沈した烏崎に、話しかける者はいなかった。

 その姿を見ていると、いい気味で気分が晴れる。せっかくだから、普段散々嫌味を言われたり妨害されている恨みを晴らしたいところだが……

 しかし、今はやらなければいけないことがある。

「中将、私もあの子と戦います。いいですね?」

 俺が言うと、中将は返すべき言葉が見つからない様子だったので、その沈黙を肯定と受け取って、下へと降りていった。大方、同じ派閥の烏崎が完敗した相手に、俺が勝ったりすれば面子が立たないということと、武人の名誉を守るために誰かがスグに勝たないといけないという思いが交錯しているのだろう。

 ――だが俺は何も自分の力を示したいから戦うのではない。

「スグ、俺と勝負しろ」

 俺が呼びかけると、赤眼の少女は再び前に出てきた。

 そして俺を一瞥すると、先ほど捨てた木刀を拾い上げ、それを身中に構えた。流石に、俺相手に丸腰では勝てないと判断したようだ。

 俺は小さく息を吐いて、そして、木刀を握る手の内を整える。

 彼女に星読みの眼があり、俺の攻撃が全て読まれているとしたら――一見勝ち目はないように思える。

 だが――

 体の中で気を練っていく。

 しばらくお互いににらみ合い、間合いを取る。

 奇襲をかけりはしない。そんな小細工は無意味。

 ただ、自分の中で、最高の一撃を出せる時を待っているのだ。

 そして、自分の中で意識がただの一点に集まった――瞬間、俺は自然と駆け出した。

 ただ、まっすぐ斬り込む――

 スグは、今度は烏崎にしたように避けたりしなかった――いや、できないはずだ。

 代わりにスグも同じように剣を振りかぶる。

 ――まっすぐに刀と刀がぶつかる。わずかな衝撃、しかしお互いにそれ以上の衝突は自然と忌避してそのまま斬りぬける。

 すぐさま向き直り、お互いの瞳を見つめる。

 やはり――

 俺は自分の<作戦>が正しかったことを確信した。

 自分の攻撃が筒抜けでも、対等にやり合うたった一つの方法。それは、敵を圧倒するような渾身の攻撃を繰り出すことだ。

 例えば、雷が自分に落ちてきたら、それが例え予期できたとしても防ぐことはできないだろう。いくら事前にわかったところで防ぐ術がないのだから。

 それと同じで、わかっていても、どうしようもないくらいの攻撃を繰り出せば、いくら攻撃を読まれても問題はない――。

 だが、予想外だったのは、俺の渾身の攻撃を彼女がしっかりと迎撃してきたことだ。

 今の攻撃は、正真正銘俺の本気の一振りだった。俺の本気の一撃を、まさかのあの小さい体が受け止められるはずがないとたかを括っていたが、彼女は見事に受け切って見せたのだ。

 ――純粋な体術でも、俺はこの少女に勝てないのか。

 今すぐに降参して引き上げたいところだったが、しかし少しでも隙を見せれば、その瞬間に頭をかち割られるだろう。

 ――今度はあちらから動いてきた。まっすぐに、けれどやはりどこにも隙のない斬撃。俺はそれを真正面から受け止める。

 刀が触れ合った瞬間、お互いの<重み>が体に伝わっていく。

 さっきよりもさらに重いッ!

 ――こんな小さい体のどっからこんな重みが出てくるんだ。

 なんとか斬り流して、攻撃の勢いを四方に散らす。だが、スグは攻撃の手を緩めなかった。さらに返す刀でもう一撃。よどみも、妥協も一切ない攻撃だ。

 俺は、それに対して全力の攻撃で返す。

 攻撃は最大の防御――死なない方法は、全力で斬り返すことだけだ。

 だが、彼女の攻撃は少しずつではあるが重みをましている。

 ――共鳴。

 高次元の者同士が真剣に斬り合ったときに、お互いの力が引き出される現象だ。

 当然俺も彼女によって力を引き出されている――だが、その割合は彼女の方がわずかに上だった。

 今はまだギリギリのところで均衡を保っているが、一撃、もう一撃と刀を交わすたび、少しずつではあるが、その差は広がっていく。

 そして――

 繰り出された一撃。彼女の紅い瞳が光った。

 俺も渾身の力で切り返すが――

 重みに耐えられず手の内がわずかに崩れた。結果、彼女の斬撃を芯で受けきることができず――俺の木刀は彼女に斬り折られた。

 ――勝負ありだ。

 完敗だった。

「……俺の負けだ」

 素直に負けを認め、踵を返す。

 折れた木刀の柄を地面に投げ捨て、乱れた服を整えながら、なるべく毅然と席に戻っていく。


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