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翌日。午前中に書類仕事を片付けてから、王宮の外にある武衛府専用の広場に向かった。
研修生の採用試験の監督をするためだ
広場に入ると、人々の視線が自分に集まるのを感じた。
広場には既に、二十代から十代の男女が三十人ほどの人が集まっていた。貴族もいれば平民も賤民もいる。
だが、これだけの人数がいるにも関わらず、雑談をするような者は一人もいなかった。皆険しい表情を浮かべている。これから少ない椅子を巡って競う敵同士なのだのだから当然か。
武人になることは、平民にとっても貴族にとっても身を立てるための有力な手段のひとつだ。それゆえ、今日の試験にはそれぞれの人生がかかっていると言っても過言ではない。
奥に設けられた台に登ると、すでに他の武人が集まっていた。
「……なんだ、どうしてお前がいるんだ」
烏崎の姿を見て俺は思わずそう言った。こいつは俺と同い年だ。本来なら弟子を取る資格はないはず。
「なんでって、弟子を取るために決まってるだろ。大将から特別に弟子を取る許可をもらったんだよ」
武衛府の大将は、烏崎の親戚。だからこいつは贔屓にされている。
「お前こそなんでここにいるんだよ」
「何でって、弟子を取るために決まってるだろ。王女様が許可をくれたんだよ」
俺が言うと、烏崎はけっと唾を飛ばして露骨に不機嫌な顔をした。
「王女様に気に入られていい気になりやがって」
「そりゃ俺のセリフだ。お前の弟子なんて、かわいそうで仕方ない」
俺はあえて烏崎から一番遠い席に座った。
それから少しして、試験の監督官である棍中将がやってきた。ちなみにこいつも大将の一派で、その<腰巾着ぶり>は宮殿内でも有名だ。大した武功もなく、武術の腕前も三流なのに、中将と言うのだから呆れるものだ。
「さて、今回はどれだけ優秀な者がいるかな」
と、中将が広場に集まった人間を見渡して言った。
「……おい、あそこ」
と、突然、受験者の中の一人を指差す。
俺もつられて目線を向けると、そこには一人の少女がいた。
――赤眼の少女だった。
奴隷階級である<奴婢>よりも、さらに低い身分とされるのが<赤眼>だ。
人にあって人にあらず。この国ではそんな存在とされている。
「赤眼が武人の試験を受けようってか。こりゃまた不謹慎なやつですね」
と烏崎。
「全くだ。都に足を踏み入れるだけでも罪なのに、役人なろうなんて」
と中将は舌打ちをした。
「もうちょっとお乳が膨らんでから出直せば、遊女くらいにはなれるかもしれませんが」
別の武人が高笑いしながら言った。それに周りの腰巾着軍団も笑った。
「つまみ出しましょうか」
と烏崎が中将に言うが、少将は首を振った。
「そうしたいのは山々だが、身分に関わらず試験を受けさせよとの王命だ。試験を受けさせないわけにはいかない」
「全く、やれやれですね」
そして定刻になり、中将が広場に宣言する。
「それでは、試験を始める!」
試験は、二科目行われる。
一つ目は、各々が会得した<形>を披露するもの。
二つ目は、武人との木刀を使った組手だ。
「まずは、<形>の試験から始める。名前を呼ばれた順番に前に出てきて、得意の<形>を披露せよ」
<形>は武人が使う異能の技である。才能のある者が修行の末に身につけられるもので、人智を超えた神業だである。
「御堂ユキ」
真っ先に呼ばれたその名前を聞いて、俺は驚いた。
――御堂といえば一条家や三条家と並び立つ上級貴族である。
「しかし、大納言様によく似て整った顔立ちをしておりますな」
烏崎が、隣の武人に耳打ちしたのが聞こえた。御堂大納言の娘、つまり左大臣の孫だ。
武人の世界は、役人の中でももっとも<実力主義>の色合いが強い。しかしそれは他の役職に比べて、という話だ。貴族が圧倒的に有利なことに変わりはない。
左大臣の孫となれば、彼女の出世は間違いない。彼女には<別の道>が用意されているのだ。
しかし、それにしても幼い。先ほどの赤眼の少女もそうだったが、せいぜい十二、三歳といったところだろう。こんな幼気な少女が、武人として勇ましく戦う姿は全く想像できないが。
「それでは、得意の形を披露せよ」
ユキは銀色の瞳で俺たちを一瞥したあと、広場の中央に置かれてる岩を見据え、刀を抜く。
――その瞬間、俺は認識を改めた。その瞳が、まさしく命を賭した戦いを知っている者のそれだったからだ。
そして、ユキはすっと刀を握った拳を耳の後ろに引っ張り、切っ先をまっすぐ向ける。
この独特の構えは――
「神影流、奥義」
次の瞬間、刃が青白く光る。
そして、少女はその構えのまま駆け出し、跳躍し――――刀を岩に向かって突き出した。
「――天流、乱星」
刀の切っ先が岩に触れた瞬間、岩が文字通り粉々になって吹き飛んだ。一拍おいて爆音が鳴り響く。
「こりゃすごいな」
中将が呟く。
神影流は、一部の貴族にのみ伝わる武術で、会得が極めて難しいとされている。その中でも奥義とされているのが<天流乱星>だ。会得している人間は、都でも数名程度という奥義の中の奥義だ。
それを、こんな幼い少女が会得しているとは。まさしく驚嘆の一言だった。
「……下がりなさい」
中将の言葉に、ユキはさっと刀をしまって、一礼してから下がった。
見ていた他の武人たちも、口にしたり、あるいは表情に出したりして、ユキの優秀さをたたえた。
――そして、中将がわざとらしく咳払いをして、次の受験者の名前を呼んだ。
「――スグ」
名前だけが呼ばれた。苗字を持たないので賎民だとわかった。
――そして、前に出てきたのはあの幼い赤眼の少女だった。
未だかつて、赤眼が武人になった例はない。科挙は貴族でさえ合格できるとは限らないのに、人でさえない赤眼が武人になれるはずがない――それはあまりに当たり前のことだ。
いくら幼いとはいえ、それくらいのことはわかるだろう。
それでも試験を受けにきた。ということは、それなりに――常識をひっくり返す程度には武術の腕には自信があるのだろう。
果たして、どれほどの技を見せてくれるのか――
だが、次の瞬間赤眼の少女は思いもよらぬ言葉を放った。
「わたし、形は一つも使えません」
なに?
武人になるための試験なのに、形を一つも使えないだと?
「からかっているのか」
いつもなら賎民に対して蔑みの視線を送る中将が、今は呆れ返ったという表情を浮かべた。
だが、それに対して少女はまっすぐな目線で返す。
「形が使えないと、大将になれないなんて、聞いたことがありません」
――少女の言葉に、武人だけでなく、試験を受けにきた者たちにも衝撃を与えた。
今なんと言った。
大将になる、だと。
大将は、武衛府や近衛府の長官職。貴族の中の貴族だけに認められた地位だ。
確かに平民でも――そして今や蔑まれる賎民でさえ、才能があれば武人になることはできる。だが、言うまでもなく貴族でない者が大将や中将・少将になった例はない。
貴族は生まれ持っての貴族。
平民は生まれ持っての平民。
賎民は生まれ持っての賎民。
そして赤眼は、言うまでもなく、生まれ持っての赤眼なのだから。
だが、それにも関わらず、少女は大将になると言った。強い者が大将になるはずだという、あまりにも幼稚な発想からだろう。
「賎民のガキが、しかも形を使えない奴が、大将になるだと? ええい、もう良い。下がれ」
中将が唾を飛ばしながら言った。スグは大人しく後ろに下がる。
全くもって、とんでもないことを言う奴がいたもんだ。
形は使えない。
しかも身分は赤眼。人間とさえされない身分。
それなのに、この国の頂点の一つであるである大将になると。
「狂ってるな」
と、ある武人が口にした。
全く持って同感だが――
彼女の思いは否定できまい。
――俺もその狂った人間の一人なのだから。
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