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 ◇


 俺は一度自室に戻って、祭り用の正装に着替えた。そして万に一つ、道中に服が汚れないように一歩一歩注意しながら歩く。そして普段全く近寄らない――近寄ることさえ許されない場所へ向かう。

 王宮といっても大半の場所は、役人ならばある程度は自由に行き来できる。だが、この塀で囲まれた区画は全く別だ。

 一つしかない入り口で許可書を提示すると、門兵は顔色一つ変えずに扉を開いてくれた。

 ――中にはいると、建物の入り口のところで、一人の女性が出迎えてくれた。

 この国で二番目に偉い女性――

「よく来てくれました」

 この国の王女様である。先ほど除目で官位を授けてくれた時とは打って変わって、花柄があしらわれた宴席用の派手な着物に身を包んでいる。

「外でお待ちなさらずとも」

「大切な友人が来るというのに、部屋で踏ん反り返っているのは無礼でしょう。それに、待ち遠しかったのだから仕方がないじゃないですか」

 王女様はそうやってまっすぐに好意を伝えてきた。

「恐縮です」

「さぁさぁ、中に入ってください」

 王女様に導かれて殿舎に入る。入り口から廊下を十メートルほど歩き、小さめの部屋に通される。

 中に入ると、イグサのいい匂いが漂ってきた。テーブルを挟んで座布団が二つ、入り口から見て平行に置かれていた。その右側に王女は座った。俺は自分が座るべき下座を奪われて立ち尽くす。

「遠慮しないでください。今日の主賓はあなたですから」

「恐縮です」

 胡座せいざで座ると、早速女官が料理を運んで来る。

 そして王女様がお銚子を手に取る。俺がすかさず盃を差し出すと王女は並々注ぐ。そしてそのまま手酌した。

「では、そなたの武功と昇進に乾杯」

 王女が盃に口をつけたのを見てから自分の盃に口をつける。

「え……」

 と、俺は思わず言葉を漏らした。

 王女の方を見ると、いたずらをした子供の様な笑みを浮かべていた。

「お酒だと思ったら……ものすごく甘い」

「砂糖水ですよ。甘いのがお好きでしょう? だから用意したんです」

 なるほど王女様の気遣いだったか。

「ありがとうございます」

 実はお酒は苦手だった。

「昇進おめでとう」

 と、俺の昇進を指図した張本人から祝福の言葉をもらう。

「全ては王女様のおかげではありませんか」

「何を言います。たった一人で赤岩城を奪還してみせた<英雄>を剣師にせずに、誰を剣師にするのですか」

 今回の俺の昇進は、少し前に起きた<突>出身の人々が起こした反乱を沈めたことが直接の理由だった。

「恐縮です」

「でも、まだまだこれからです。リュウにはもっと活躍してもらって、早く昇進してもらわないと」

 その期待は素直に嬉しかった。

「……実は、私も縁談の話が上がっていて」

 と、王女は突然そんな話題を切り出した。脈絡がない様に感じて驚く。

「縁談、ですか」

「三条の息子をと言われました」

 三条と言えば左大臣も排出する一族である。最上級貴族だ。やはり王女の縁談相手ともなると、それくらいが妥当に思える。

「では、ご結婚をなさるんですか」

 俺が聞くと、王女はブンブンと首を振った。

「もちろん拒否しましたよ! でも、王様もそろそろ、としつこくて。つまり何が言いたいかと言うと、私もそう長くは待てないと……」

 もじもじしながら言う。

「そうですね。理想のお相手が見つかるといいですね」

 俺はそう言ってから、もう一度盃に口をつけた。

「……不敬罪で処刑しますよ」

 と、いきなりそんな怖い言葉で出てきた。俺は口に含んでいた水を危うく吹き出しそうになる。

「な、何か不敬なことをしたなら申し訳ありません!」

 特に不敬なことをした覚えはなかったが、とりあえず謝る。

 すると、王女は少しだけムッとした表情を浮かべて、それから「……ところで」と露骨に話題を切り替える。

「明日から研修生の採用試験がありますね」

「ええ」

 明日は、王宮の武人たちによる研修生の一斉採用試験が行われるのだ。

 研修生は、武人に弟子入りして学ぶ、武人候補のことである。

 武人になるには基本的に科挙を受けることになるが、それ自体は研修生以外でも受けることができる。

 逆に研修生になったからといって科挙は免除されないのだが、研修生になれば、王朝に生活を保障された上で武術を学ぶことができるので、多くの武人志望者が弟子入りを希望する。

「特例であなたが弟子を取れるように、大将に話を通しておきました」

「え?」

 正式に研修生の師匠となれるのは、二十歳以上、かつ従七位以上の武人だけだ。俺は、位階の要件は満たしているが、年齢要件を満たしていなかった。だが、それを王女が特例で認めてくれたのだ。

「あなたは若いですが、<剣師>です。あなたのような人が剣の師匠とならずして、誰がなるのでしょう」

 これは予想外に嬉しいことだった。下手をすると、昇進したことと同じくらい嬉しいかもしれない。

 弟子を持つことは武人にとって一人前の証。

 しかも、弟子の功績は師匠の功績にもなるので、優秀な弟子を持つことができれば、体が二つになったも同然。武功もあげやすくなるだろう。

「ありがとうございます」

「いや、別に礼を言われることではないのです。そうではなく、国のためにもっと頑張って欲しいと言う、そう言うお願いなのです」

 王女は盃を置き、俺の目をまっすぐ見て言った。

「<燕>や<突>の驚異は日に日に増しています。もっと武人を増やしていかなければなりません」

 優秀な人材の確保。それは王女がもっとも力を入れている問題だった。

 隣国である<燕>は、我が国の30倍はあろうかと言う大国だ。しかも、次々に周囲の国家を制服し、日に日にその力をましている。今の所、燕国と我が国の間では、表面的には平和が保たれているものの、しかしいつそれが崩れるもわからない。

 そして<突>は、西方の遊牧民国家で、我が王朝とは因縁の関係だ。先の大戦で疲弊して今は束の間の平穏が訪れているが、いつ再び戦争になってもおかしくはない。

 王女は来たる日に備えて、富国強兵の必要性を強く認識しているのだ。

「そして、これはあくまで<できれば>なのですが……」

 と王女は少し間をおいて言う。

「もし、身分が低くても、才能のある人がいたら、弟子にしてあげて欲しいのです」

 それは、王女らしいお願いだった。

 別に、王女は身分が低い者を哀れんでいるのではない。

 富国強兵のためには、身分に関係なく人材を登用する必要性を強く感じているのだ。

「もちろん、弟子は武人にとって<家族>も同然の存在ですから、あなたの気持ちが一番なのですが」

 これはさらなる成功の機会だ。もし俺が、貧しい者を育ててそいつが科挙に合格すれば、王女様の信頼はさらに厚くなるだろう。

「まだどんな人が試験を受けに来るか知らないので断言はできませんが、貴族の教育は貴族に任せておくことにします」


 ◇

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