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「白河リュウ。汝を、正六位、武衛府剣師に任ずる」
煌びやかな赤色の着物に身を包んだ王女様が読み上げた巻物を再び丸め、俺に差し出した。俺はその真ん中に手をそっと添えて受け取る。そして頭を垂れたまま後ろに下がる。そして王女は役目を終え、広場を後にした。
これで、俺のためだけに行われた除目が終わった。春と秋に行われる正式な行われる除目に比べると極めて質素だが、逆にありがたかった。これが正式な除目ならば、全員の叙任が終わるまで数時間は立ちっぱなしになるところだ。
王女がいなくなったことで、出席していた武人たちの緊張が一気に解けた。そそくさとその場を立ち去る者もいれば、その場にとどまって同僚と雑談に興じる者もいた。
「おめでとう」
と、一人の女性が俺に話しかけてきた。
濡鴉色の美しい髪は腰まで流れていて、顔立ちも整っているが、目つきがどうにも悪い。
――烏崎ハル。
同い年の十八歳で、俺よりも早く正六位剣師に昇進しているが、武術の実力は俺の方が圧倒的に高い。素手で戦っても勝つ自信がある。
別に目立った功績を挙げた訳でもなく、出世の速度の差は単純に身分の差。こいつは貴族なので、平民の俺とは出世の基準が違うのである。
「<剣師様>に祝っていただけるとは、至極光栄です」
俺はあえて昨日まで同様敬語で返答する。こいつのことは嫌いだが、今は好んで喧嘩をしてやろうとは思わない。せっかくのいい気分が台無しだ。だから俺は適当にあしらってその場を離れようとする。だが、烏崎はニヤつきながらこんな言葉をかけてきた。
「しかし、上がれるところまで上がってしまって。この後お前は何を目標に生きて行くんだ?」
上がれるところまで上がった、か。
確かに、六位と五位の間には明確な差がある。
六位は平民がなれる最高位。
それより上は貴族にのみ許された地位だ。
十八歳にして六位剣師になった。これはとんでもなく早い出世で、誰もが羨む成功譚である。しかし見方によっては、十八歳にしてこれ以上の出世は望めないということも言えるのだ――少なくとも一般的な考えでは。王朝が始まって以来、平民が少将以上に出世した例はないのだから。
――いや、冗談じゃない。こんなところでは終わらないぞ。
六位剣師は通過点に過ぎない。俺は絶対に大将になるのだ――それもできるだけ早く。
「すみませんが、失礼します」
俺はそう言って、無益な会話を無理やり中断した。仕事に戻るために事務室に向かって歩き出す。
と、広場の出口付近で、また一人の武人に話しかけられた。
「剣の腕前は買っていたが、まさか剣師にまでなるとはな」
話しかけてきたのは、左目に眼帯をした中年の男だった。
かつて「王宮一」と言われた武人、一条ゴウ。
王族の流れを汲む上級貴族である一条家の長男坊である。
一条は名門中の名門で、父は右大臣、叔父は近衛府の大将と、それぞれ文官・武官の最高位まで上り詰めた。そんな一条家の跡取りで、しかも文武の才能に恵まれたゴウは「王以外であれば何にでもなれる」立場だった。
だが、ゴウは権力を嫌い、正義を重んじた。それゆえに、数々の功績をあげながらも、未だ従五位少将に甘んじている。実力だけでは出世できないという宮中の現実を如実に示す人物である。
――そして、俺が出世競争を勝ち抜くに当たってなんの役にも立ってくれないこの男は、俺の上司であり、師匠でもある。
「師匠と違って、俺は出世のことしか考えてないですからね」
そんな軽口を言うと、師匠は苦笑いして言った。
「かつて賎民の女の子を救うために秘密の抜け道をバラして、鞭打ちの罰を受けたあの頃のお前はどこへ行ったのか」
それは俺が武人になった頃の――わずかに五年前の出来事だが――苦い思い出だった。
「そんなあまちゃんの武人は、とうの昔に死にましたよ」
今の俺にとっては出世が全て。出世できるなら例えば罪びとの奴婢でも助けるが、出世に関係ないなら王様だって助けない。
師匠は――内心どう思っているかは知らないが――笑いながら続けた。
「この勢いだと、もうじきお前に追い抜かれるかもしれないな」
平民が中将・少将に昇進した例など、王朝が始まって以来一度もないということを、師匠は当然知っているはずだが、それでもあえてその可能性を口にした。俺のことを認めてくれている何よりの証拠だろう。
「そうありたいものです」
前例はないが、俺はこんなところで終わるつもりは毛頭なかった。
「まぁ、それでも今はまだ俺の方が上だ。少将様である俺が、弟子のためにお祝いをしてやるとしよう。今日の夜、どうだ?」
師匠はつい先月まで、僻地での任務に当たっていたため、食事をするのは相当久しぶりだった。もちろん俺にとっても嬉しい誘いだ。だが、
「今日は駄目なんです。先約があって」
俺が言うとゴウは笑って返す。
「なに? 既に予定が? 昇進はさっき発表されたばかりなのに。昇進を既に知ってるやと言ったら、まさか大将からの誘いじゃあるまい?」
「バカ言わないでください。大将と飲むくくらいなら、その辺の奴婢と井戸水でも飲んでいた方がマシです」
「そりゃそうだ。だが、それじゃぁ誰から誘われてるんだ?」
「大将の他にも俺の昇進を知っていた人が、一人だけいるでしょう」
「ええ、まどろっこしい。どいつのことだ?」
「師匠、<どいつ>なんて、失礼ですよ」
「……まさか」
「ええ。王女様がお祝いの席を設けてくれるんです」
俺が言うと、ゴウは口を開けて驚いた。
「王女様が相手とあっては、少将ごときではどうしようもないな」
「ええ。なので、師匠のお祝いはまた後日に」
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