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海賊たちの声  作者: 時津彼方
第一章 秋の訪れ
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2、吊革握って

 今日はいつもとは違う朝が来る。秋菜がこっちに手を振って来る。

「いつもこんな朝早く来てるんだねー。私ちょっとキツイこと言ったかも。」

 それはそうだ。今は朝七時、学校前。もちろん、僕は毎朝早く来ているので慣れている。

 秋菜は目をこすっている。サーフィンで朝の波にのるのは慣れているはずだが、もしかしたら今日は波に乗ってこなかったのかもしれない。

「まあね。行こう」

「うん」

 大会を控える強化選手の他には誰もいない静かな学校は、本を読むのには最適だった。 

 しかし、今日は秋菜がいる。

 はぁ、と思わずため息を漏らした。

 特に何か話すこともなく、クラスにたどり着いた。校門前から教室まで。これが登校といえるのかどうか、僕にはわからない。先生が開けてくれていた教室の電気をつけ、僕は毎朝の通り、いつもの席に座って本を開いた。 

 秋奈のほうはというと、本を開いていた。題名は、僕のよく知るものだった。

 それは忘れていた、忘れてはならないはずのものだった。僕は昨日のことを思い出し、少し悲しくなったが、すぐに記憶の片隅にしまい込み、本に目を戻した。秋菜は特に邪魔をする気は無いようだ。少し安心して、今日が始まった。


 昼休み、僕は昨日の日記を開いた。僕はよく日記を衝動書きする癖があり、あとで自分で見返しても訳のわからないことを書いていることが多い。その時は、「??」をつけておくのだが、昨日のものは、今年で初めて悩んだ。正直、昨日の内容は僕には分からないものになっていた。でも、「??」をつける気になれなかった。それは何か、今後重要なものになると思ったからだ。

 それも衝動的に、なのだが。

 僕は何かをしまい込むように、日記を閉じた。


 その日の最後の授業は、古典だった。僕は古典文学も好きなので、楽しみな時間の一つだ。小学校で図書の時間が終わり、悲しくなっていたら、古典文法は僕のその心の隙間を埋めてくれた。成績はぼちぼちなものだが、好きと得意は別だと割り切っている。僕の席は前のほうなのでよく充てられることが多く、仲のいい先生は多い。古典の奈津浦先生とは互いの私情も語り合う仲で、たいてい先生が問題を聞く時、僕ともう一人を見ることが多い。そのもう一人が、

「じゃあこの文は何単……」

「三単語です」

 秋奈が発言した。いつも古典のみ学年一位の秋奈は、僕と授業中よく張り合っていた。

「じゃあ、単語分けは……」

「せ、ざる、なり、です。」

「よし、みんな分かっているね?」

 ほとんどがノックアウト中の教室に、先生の優しい声が反響した。その場に誰もいないかのように。

 先生は黒板に向き直って板書を再開した。

 少し秋奈をチラ見したら、彼女も僕のほうを見ていた。目が合って、僕は慌てて目をそらした。

 あいつが僕に接触する理由は何だ。僕はそんなにモテるキャラでもないし、嫉妬されるほどの魅力も持ち合わせていない。社交性があまりないから、からかいに来たのだろう。

 そう思っても、少し違う気がした。

 外はざざ降りだ。僕は重苦しすぎる、嵐のような、心を締め付ける雨は嫌いだが、しとしとと降る雨は好きだ。明らかに人の心臓の鼓動よりも速いぴちゃぴちゃという音を聞きながら本を読むのは、大人がおつまみを当てにしてお酒を飲むような感じなのだろう。重苦しい雨を背負って生きろと、世の偉人は言うのかもしれないが、余裕を持った心も大事にしなければならないと、僕は思う。


 その雨の雑踏にまぎれることもなく、僕は秋奈のことを考えていた。あの時は女の子を泣かせてしまったという焦りから水に流してしまったが、やはりあのことなのか。

 僕は、今日の日記を書いた。


“なぜだなぜだと

  思ってこの雨。

   乾いた心に流れ込み、

    枝を折っては折っては、

        手の届かぬ所へ“


 相変わらず振り続ける雨。今日は月が出ていないので、読みかけの本を読み終えるとすぐに寝床に入った。


 ここは夢? 私、なんでこんなところにいるんだろ。ぼやけている。その朦朧の先に、赤いものが見えた。少しずつ、目の前が開けてくる。あれは、男の子? あ! あの人だ! 助けなきゃ。

 そう思っても動かない体。走ったらすぐ届くのに。

 隣で叫び声が聞こえた。あの男の子が数人の子供に向かって叫んでいた。

「待て! 上の瓦礫がまずい。もうすぐ落ちてくるぞ!」

「速く行けば間に合う! 早く来い!」

「頼む! 来てくれ!」

「俺はもう火に突っ込む。多少のやけどなら、痛くもかゆくもない!」

「もういい! 死んでも知らないぞ!」

 私の動かない体は誰かに引っ張られるかのようにその場から遠ざけられる。

 目の前では、がれきが上から落ちてくるのが見える。その時、急に体が動くようになった。いや、自分で走っているのに気づいた、といったほうがいいのかもしれない。

 その時、あの人が私と入れ替わるかのように走っていった。私には、もう後ろは真っ黒に見えた。私はその暗黒に吸い込まれるかのように、目を閉じた。


 翌朝、まだ寒さの残る五月がやってきた。

 桜はまだ散り切っておらず、少し舞っている。今日はさらに寒い。今日はセーターを中にきて行こうかと思う。雨はすでに止んでいた。桜が水たまりの上に乗って、ハスの葉のようにゆらゆらとしている。

 僕は待ち合わせの七時に間に合うように家を出ようとした。すると、ちょうどドアの取手に手をかけた時、電話が鳴った。早朝は僕しか起きていないので、履いていた靴を脱いで、受話器をとった。秋奈からだった。今日、学校は休むらしい。朝から気分がすぐれないそうだ。受話器越しでも体調がすこぶる悪いのは伝わってきた。

「ごめんね」

「いいよ。というか、僕が強制されていることだし」

「それって私と登校するのが嫌ってこと?」

 秋奈は、疲れ切った様子で言ってきた。普段の快活な彼女なら思いっきり反応を返してくるのに、よほどしんどいのだろう。

「そういう意味じゃない。とりあえず、早く治すためにしっかり休んでて」

「ふふっ」

「ん? どうした?」

「君、今が本当の自分でしょ?」

「はあ? とりあえず、切るから。じゃあ」


 うん、ありがと。その言葉が彼に届く前に、低くピーという音が鳴った、通話は終了した。

 キミを、私は思い出しつつあるのかもしれないね。

 力が抜け、携帯電話を落とした。

 どうしてだろう。君を思い出すたびに心が重くなり、空しさが苦しさに変わっていく。

 桜の花びらが、窓に張り付いているのを一瞥して、私は再び目を閉じた。


 本当の僕って何だろう。たぶん、取り戻そうとしたら取り戻せるものだ。でも、その気になれない。僕は、地元のイベントに出て、そして、そして……。

 あれ、どうして僕はあの時秋奈に怒ったのだろう。

 まあいいかで済ませてはいけないものだと思ったから、余計頭をかき混ぜる。なぜだ、どうしてだ。どうしてだ……。

 電車に揺られながら、考えた。しかし、その日のうちに答えは出なかった。いや、考えるのをあきらめたというほうが正しいのか。

 苦しくて、切なくて、怖くて。そんな感情しか思いつかない。その根源を一切つかめないまま、その日を終えた。今日の日記は一言で終わらせよう。


“あの朝、明らかに僕は自分を失った。”

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