8話:解き放たれたもの
時間が経つのが、随分早い。ついさっき日が昇ったと思えば、すぐに沈んでいく。
「色々と·····聞きそびれてしまったな」
遅い朝食兼昼食を摂った俺は、ベルに引率されて再び食欲を湧き立てる細道を通り街に出ると、軍の演習場近くにあるという、客人用の宿舎へと案内された。
元々外交官や他国の要人が泊まる所のようで、各所にあしらわれた装飾には散々目を奪われた。小さい部屋でごめんね、とベルには言われたが、むしろあの部屋で寝るのには少々気が引けた。
·····それはそうと、街を歩いている時、街の住人を初めとした沢山の人々とすれ違ったが、この僅かな時間で彼女―――ベル・ファルガバートという人物が如何に慕われているかを知ることが出来たのは収穫だった。
年が近しい者だけならばともかく、小さな子がおもちゃを嬉しげに自慢するのを、あたかも自分のことのように喜んでいたり。軍人と思わし数人とすれ違った時には、ごく自然に敬礼をされていたり。
(彼女を信用したのは、あながち間違った選択ではなかったようだ)
彼女の人柄が伺える、いい時間だったと言える。
·····その件について考えすぎていたが為に、俺が聞きたかったことは全て忘れてしまっていたのだが。
「とは言え、いつまでもここにいる訳にも行かないしな。何を手に職付けるか··········」
俺を部屋まで送ったベルが外出し、すっかり日が落ちた頃。暇を持て余した俺は、腰掛けていた椅子から体を離し、ガラス越しに揺れる街の灯りへと向かう。
「··········」
窓を開けると、眼下には噴水庭園。その先―――ひとつの照明のように光り輝く街を見つめ、俺は静かに息をつく。
「··········」
加えてもうひとつ、ベル・ファルガバートという人物について、良識ある者だという点以外に、分かったことがある。
·····それは、嘘がつけないということだ。
(あの尻尾と耳はクーシー·····? それにしては、少し毛羽立ちすぎている気もするが·····)
ベルの頭に付いている―――否、生えているのは、間違いなく獣耳。人間にあるような小ぶりなそれではなく、確実に獣耳。獣耳。
恐らくあの部位は、自らの意志と関係なしに、感情の起伏に応じて勝手に動いてしまうのだろう。
(·····魔界らしいと言えば、そこまでだな)
そしてもうひとつ。今日の今までに分かったことが、もうひとつある。ベルについて、ではなく。”俺自身”について、だ。
(俺の記憶は、勇者であったということ以外、勇者であった時のものが無い。·····しかし、地名や魔界の種族の名前、ある一定の固定概念だけは据え置かれている―――。·····まるで、この世界で生きるために調整されたかのように)
実際に、あの洞窟から地上へと出て初めに見た景色であるアマルフィの街を、俺はアマルフィだと直感的に分かったし、ベルの耳や尻尾を見て、彼女の種族が獣族の一種であると予想出来た。
·····普通、記憶喪失の類であれば辺り構わず記憶全般を無くすはずだが、俺の場合そうではなかったのだ。出なければ、目を覚まして瞬間的に魔術を起動するなど出来ない。その記憶すら、消滅しているはずなのだから。
「··········」
そう言えば、目を覚ましてからの俺は魔術起動が不安定だった。
この件をすっかり失念していた俺は、夜風に吹かれながら自分のマナを改めて注視する。
(·····特に、異常はないか。·····では、なぜ暴走を·····?)
洞窟で”ウィスプ”を使用した時、手にした小石が蒸発した光景を思い出す。
あの現象が起こるのには、2通りの理由が考えられる。ひとつは、小石が耐えられる限界量の超え、マナを込めてしまったから。そしてふたつ目は、限界量に達していなかったとしても、一気にマナを込めすぎるとああなる。
「少し、検証する必要があるな·····」
呟き、ぎゅっと手を握り締める。·····と、その時だった。
「―――!」
開け放った窓の外から、何か、強大な魔力の反応を感じた。何かが目覚め、動き出したかのような―――不気味な存在感がひとつ、世界に生まれた。
窓の外を見渡すが、視界に入る中にこれと言って変化はない。
―――――コン、コン。
そんな俺の背後から、これまた俺の背筋にピリリとした感覚を植え付ける音が鳴る。
『わたしだよ、ゴンさん』
「··········ベル、か?」
『うん。·····今、少しいいかな』
名無しのゴンベエ、ゴンベエ、そして遂にゴンと略し始めたベルの声に、少しばかり俺の心は落ち着きを取り戻す。
「ごめんね、せっかく休んでたのに」
「そもそも疲れるようなことをしていないからな。問題は無い」
「そっか·····」
ベルと言葉を交わした少しの間で、あの存在感は尚も大きくなり続ける。表現するのなら、風船がどんどん膨らんでいく·····そんな感じか。
「今ね、少し時間があったから·····アマルフィ近郊の求人情報を見てみたんだけど―――」
「·····本当か? すまないな·····そんな事までさせてしまって·····」
「早く、自分のお金でパンを買いたいでしょ? ·····わたしもその気持ち、分かるから·····」
ベルはそう言うと、ベットの端に腰をかけどこか気恥しそうに目を逸らした。
「·····それで、どんな仕事があったんだ?」
「ああ·····えっとね―――」
俺の問いに触発され、ベルは傍らに置いた鞄を開く―――
「―――ッ!? なんの音っ!?」
「今の音は·····!」
それと全く同時に、部屋の外から地響きと共に爆発音が響く。
音の鮮明さから、窓の外から鳴り響いたものだと直感し、俺は街を見渡す。だが――――
「街の方じゃない。裏側だ」
「まさか·····演習場で!?」
揃って部屋から飛び出したベルと俺は、駆け足で向かいの廊下にある窓へ張り付く。
「·····アブソル!」
窓から見える景色は、橙色に染まっていた。遠距離観測魔術”アブソル”を起動し、鮮明な視覚情報を得る。
「あの火柱は魔術によるものか。·····ん?」
「何が起きてるの?」
望遠外にいるベルへ、詳細を伝える。
「白い·····巨大な人影がある。あとは炎の影響で見えない」
「白い人影··········ッ! それ·····ゴーレム!?」
「ゴーレムだと?」
「ッ·····!」
ベルは目の色を変え、俺を置いてかけて行ってしまった。
「·····ゴーレム」
ひとり残された俺は、じっと自分の手のひらを見つめ。
「相手にとって不足なし··········か」
その手を固く握りしめると、強化魔術である”エンハイス”を全身に施し。
「―――――」
ベルも向かったであろうその地へ、足早に駆け出した。
to be continued·····
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