襲来
前回のあらすじ
俺としては婆ちゃんが2階にあがってから急に意識が遠くなったんだが、なにがあったんだ?
雨はやんだものの、月や星の明かりがないので晴れともいえない、そんな空に続く雲の絨毯を街の灯台から1人の兵士が双眼鏡で眺めていた。
「異常なし」
兵士は低い声で告げる。
顔には男らしさを際立たせる深いほりと傷があり、その見た目だけで、これまでの男の人生を物語っていた。
男はエルウーア警備隊隊長を担い、鬼の警備隊長とも呼ばれる人物であった。
名は、カリス。
闇の中での監視作業だと言うのに、カリスに恐怖といった感情は感じられなかった、それどころか使命感に燃えているようにもみえる。
「このまま、何も無ければいいが」
カリスは双眼鏡を外し、灯台下に広がる街を見る。
点々と明かりがついており、いつものような、街を歩く人の波は見えない。
そして、カリスは次に真上に広がる空を見た。
「とても、結界がはってあるとは見えんな」
虚空に言葉を残し、兵士は先刻の出来事を回想する。
「ドラゴン、そして防御結界ですか......」
市役所内、町長室。
町長から話があると呼ばれたカリスは、街の実力者達が一堂に会している中、彼からの事情を聞くと驚きを隠した声でそう言った。
エルウーアの主流である舟でのやり取りを、みんなを休ませたいからという理由で朝だけに、それ以降は止めたと聞いた時は、何事かと思ったが、話を聞いて全て納得がいった。
今、エルウーアの街にいる部外者の数をなるべく減らそうとしていたのだ。
「うむ。ドラゴンの脅威はもちろんじゃが、防御結界は使用者の命と繋がり、リンクしておる。結界の破れは、命の終わりじゃ」
どちらも、カリスは重々承知していた。
ドラゴン、それは妖魔の中での最高位の一種。
勝とうと思ってはいけない、戦おうと思ってはいけない、できることは逃げることのみ。
そんな話を何度も聞いたことがある。
そして、カリスは結界のその役に自らが選ばれたのだと理解もしていた。
「......わかりました。その大役、俺が」
「いや、お主ではない」
カリスの言葉を遮り、町長は続ける。
「担い手は、ラマスじゃ」
「んなっ!?」
町長のその言葉に、さすがのカリスでも驚きを隠せなかった。
それと共に、感情が訴える。
なぜ? と。
「言いたいことはわかる。最初はワシがやろうと考えておったが、ラマス直々の提案でな。確かに、暁の英雄であるあやつほど、適任はおらん」
「......っ!!」
淡々と告げる町長の言葉に、苦虫を噛み潰したようにカリスの表情は歪んだ。
ラマスはカリスにとっても馴染み深い存在だった、剣の稽古は幾度となく付けてもらったし、彼女の強さは指導を受けているからこそ、よく知っている。
そして、自分の力のなさに、己の無力さに打ちひしがれそうになる。
「お主達、警備隊には見張りの番と、もし来た時の町民の避難の誘導をお願いしたいのじゃ。せめてものラマスの想いを、無駄にはしたくないからの」
「......かしこまりました」
「これが杞憂であることを祈ってはおるが。しかし、頼んだぞ」
「任せてください」
カリス自身もそれを強く、願っている
そして。
そして結界をはったと通達を受け、今現在。
警備隊の隊員達に話は通し、妖魔の報告を逐一通すようにしてある。
警備は厳重に、されどもドラゴンなど来て欲しくないという思いがめぐり巡る。
「隊長っ!!」
そんな中、慌ただしい部下の声がカリスの思いを揺らした。
「どうした?」
「ドラゴンの報告がありました! 3時の方向、森の方角からです! こちら側に向かって飛翔しているとのこと!」
「なにっ!?」
報告にあがった方向を双眼鏡でのぞく。
暗闇の中、火の粉を口からもらす、翼の生えた黒い巨体が確認できた。
カリスは思わず舌打ちをした、最悪のケースだ。
しかし、やることはやらなければならない。
「警笛を鳴らせ! 市役所地下への誘導を急ぐぞ!」
「はいっ!」
誰も望まない危機を知らせる、鐘の音は不穏にも警告を走らせた。
*
「アルマ......起きて、アルマ......」
「んー......んあっ。ビビっ!?」
「そうだけど」
ビビに声をかけられ、意識を取り戻す。
「(えっと......確か)」
そうだ、ここで待ってたら急に意識が遠のいたのだった。
婆ちゃんが指輪を外したんだろう。
幸いにも人通りは少なくて誰かに見られてはないだろうけど、急なのはびっくりするしやめてほしい。
あれ。
でも、それならなんで今こうして、俺は意識が戻ってるんだ?
もっかいつけたってことになるけど、一回外したのはなぜ?
婆ちゃんだって、俺のことがわかっていないわけではないし。
ビビなら何か知ってるか。
「なあ、ビビ......って。それどうしたんだ?」
なんかビビの視線をはっきり感じるなと思ったら、彼女の前髪カーテンが全開というか、ヘアバンドで髪があがっている。
「お婆ちゃんにもらった、どう?」
「どうって......雰囲気変わったな」
端的に話しやすくというか、ビビの表情が読み取りやすくなっていいと思った。
「それだけ?」
「え、そうだな。俺はそっちの方がいいと思うぜ。気にしてるなら下ろしてもいいと思うけど」
「......しばらくこれでいく。行こ」
ビビはそれだけ言うと、先に駆け出していく。
目元が笑っていたし、もしかすると、意外と表情が豊かなやつなのかもしれない。
「って、はっやいな!」
*
「ハア、ハア。あいつ、足はええな」
あのままビビは市役所方向に突っ走り、俺はひたすらにビビを追いかけて走っていた。
人間ではなくとも、長時間走っていたら普通に疲れるし、ビビは延々と市役所の方にへと走り、足の速い彼女の姿は見えなくなっていた。
それでも、俺は走る。
こんなところで迷われたら困るのもあるが、何となくビビが俺を誘っているような気がしたからだった。
「ハア、ハア。着いた」
「お疲れじゃのう。アルマ」
「そ、その声」
市役所の入口に着くなり、下を向いて息を整えていると、上から俺を出迎える声がふってくる。
顔をあげると、深いシワを顔に刻んだ優しそうなおじいちゃん、町長が立っていた。
「ビビちゃんなら、屋上に行きよったぞ」
「うぇ、ええ。まじかよ。っていうか、ビビのこと知ってるのか」
「当たり前じゃ。帽子はビビちゃんに渡したからの。頑張れよ」
「う、うぃっす」
「ほっほっほ。青春青春」
町長は愉快そうに笑うと、役所の奥の方にへと姿を消した。
「さってと」
4階建ての市役所の階段を、駆け上がっていく。
途中、1度息を切らして立ち止まるも、俺は屋上までの階段をのぼりきった。
「はあ、はあ」
いた。
鉛色に満ちた空の下、淡くきらめく街の様子を屋上から眺める彼女がいた。
「やっときた」
「何だってこんなところに......」
「お婆ちゃんが、二人きりで話し合うなら、ここがいいって。誰にも邪魔されないからって」
「......話?」
「うん」
ビビは俺の顔を見ず、真っ直ぐと街の景色を見ていた。
その灯りが、ろうそくのように彼女の白い瞳にうつっていて、綺麗だった。
「話って............なんだっ!?」
一体どういう意味かと、言葉を繋ごうとした時だった。
カンカンカンカンカンと、忙しなく甲高い不気味な音が街中を駆け巡る。
それが警報を意味するものであるのを理解するのに、時間はかからなかった。
「この感覚、もしかして」
鼓膜を揺らす音に眉をひそめる中、ビビは目を大きく見開き森がある方角を見ていた。
そして、そこから
―グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
「っ!?」
今まで聞いたこともない咆哮が耳に入る。
反射的に目をやると、咆哮の主は、それと共に太陽のような巨大な火球を吐き出した。
瞬間、空がぱっと明るくなる。
「まずいっ!?」
俺がそう反応してみせるのも遅く、一直線に飛び込んできた火球が街を飲み込むのかと思いきや、目には見えない何かが壁となってそれを防ぐと、闇が再び空を満たした。
「くっ。助かったのか!? つーか、あれって」
「ドラゴン」
焦燥に染まる俺とは対照的に、淡々とビビは告げる。
黒い巨体、それに合わせた2枚の翼、1発で街を葬り去るとわかる威力の火球。
この世界に存在する妖魔の中でも、トップクラスに危険とされている種のひとつ、ドラゴン。
そいつが今、何故かは知らないがこの街を襲っている。
状況が飲み込めても、どうしたらいいのかがわからない。
「くっ!」
空に飛び上がったドラゴンがもう1発、火球を流星のように吐いた。
2発目も街に降り注ぐことはなく、何かが受け止めてみせるが、地面が大きく揺れる。
目前に見える街の大通りからは、悲鳴の声があがっていた。
「(そう何度も耐えてくれるやつじゃねえな、これ!)」
危機感が体を巡る。
逃げようにも、どうしたらいいのかがわからない。
「アルマぁ!!」
屋上へと続く扉が勢いよく開かれ、俺の名を大声で呼ぶ声にハッとする。
「町長っ!?」
「役所の地下へ急げ! そこが避難場所になっとる!」
あそこからわざわざ俺たちのために階段を駆け上がって来たのか、町長は息は切れていた。
「わかった! ビビ、行くぞっ!」
「......」
彼女の手を引いて、走ろうとするが、彼女はじっと空を見つめて、動く気配がない。
「ビビっ!」
「あの、結界」
「......っ!?」
思わず息を呑む。
俺の怒号に返したその声は酷く冷たくて、落ち着いていて。
だからこそ彼女が怒っているのだと俺は気付く。
「おじいちゃん。あの結界。お婆ちゃんでしょ?」
「んなっ!?」
ビビが言ってのけた内容に、もう一度俺は息を呑んだ。
婆ちゃん?
どういうことだ?
「何を言っておる!? 早くお主らも下へ!」
「答えて」
「......っ」
ビビの冷たすぎる熱に圧倒されたのか、町長は一度目を伏せると、重苦しく口を開いた。
「そうじゃよ。あの妖魔の攻撃を防ぐ結界はラマスの命の力を利用しておる。強固な性能の代わりに、あの結界が破れれば、ラマスは死ぬ」
「っ!?」
「やっぱり」
結界が破れたら、婆ちゃんが死ぬ?
意味はわかっても、その答えがわからない。
「なんで......」
「......」
「なんでそんな重荷を婆ちゃんに押し付けたっ!? アンタはこの街の長だろっ!?」
俺の思考は完全に凍りつき、選ばない言葉が溢れ出す。
「......初めはこの役をワシが担うつもりじゃった。しかし、ラマスのやつが自らやると言い出したのじゃ。この街に指導者はまだ必要と言ってな。この結界は、担い手の魔力が強いほど強固さを増す。適任は確かにラマスしかおらん」
「だからって!」
「アイツでなければ、おそらくワシらは既に死んでおるぞっ! あやつの犠牲を無駄にするな......」
「............くっそ」
現実を突きつけられ、膝から崩れ落ちる。
俺たちはこのまま逃げて、婆ちゃんを犠牲にするしか出来ないのか?
『アンタの最後まで、傍にいるよ』
昨日の夜のことを思い出す。
「(俺は、婆ちゃんの傍にいてやることも出来ないのか?)」
思いはしても、今あるのは何も出来ない現実。
それだけだった。
「......ワシは町民たちの避難を手伝う。お主達も避難を急ぐのじゃよ」
町長はそれだけを言い残し、俺の前から姿を消す。
―グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
「っ!」
2人取り残された中、黒いドラゴンは再び雄叫びをあげると、火球を街にへと降り注がせる。
しかし、いずれもまた婆ちゃんが防ぎきっていた。
命を使って。
「くっそ」
拳で地面を叩くが、それをやったところで何も変わらないのが余計に俺の心を揺さぶる。
本当に何も出来ないのか?
「アルマ」
「......ビビ? ......っ!?」
いつの間にか、ビビは項垂れる俺の前に立つと、そっと手を差し伸べてくれていた。
そして、俺は気付く。
彼女の指に俺がはめられていることに。
「アルマのことは、わかってる」
俺の様子に気付いたのか、彼女は優しく言った。
「くくっ、そうかよ............ごめんな」
「アルマ?」
「俺を付けても何もなかっただろ? 見ての通り俺自身は何も出来ないんだ。特別でもなんでもない。俺はハズレな......」
「違うっ!」
「......っ!?」
その先は繋がせないと、ビビは強く俺を否定した。
「アルマはハズレなんかじゃない。アルマは自分で気付いてないだけ。アルマは凄い。魔炎くんも他の武器たちも、アルマは武器をちゃんと使ってあげられる! だから、ワタシは今、力が湧き出てる! 武器として!」
「......っ! ビビ、お前」
その言葉が、わからないわけがない。
彼女は。
「アルマ。アルマの、願いは、なに?」
「俺の、願い?」
白く輝く瞳が、強く俺を見つめる。
そんなもの、決まっていた。
「俺の、俺の願いは、あいつを倒して、婆ちゃんを助けることだ! あんなやつに勝手に死なせねえ!!」
「なら、ワタシの手を取って、ワタシと戦って。ワタシを、使って!」
俺は彼女の手を強く握り、立ち上がる。
彼女は笑っていた。
「俺なんかに使われたがるなんて、物好きだな」
「ワタシの瞳を褒めてくれる、アルマだから」
「......っ!」
彼女のカラダが光に包まれ始める。
人の姿から、もうひとつの姿へ。
「改めて、ワタシの名前は、ビビ」
そう言う彼女の姿は紛うことなき、剣のカタチをとっていて。
「またの名を」
君臨してみせた彼女は、全てが美しすぎる透明な白に染まっていた。
「星屑の剣」
この世界には今でこそおとぎ話とされているが、かつてこんな存在がいたとされている。
人と武器、2つの体を持ち人と同じく言葉を話す武器たち。
心を持ち、使用者に勝利をもたらし、妖魔を退けたとされるもの。
人はかつての存在であるそれらをこう呼んだ。
意思ありと!