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五の月も終わりしばらく経つが、エイドはまだ帰ってこない。1cm級の原石は全て最上級(私史上)の霊石に既に変わって、何を作るか模索しているところだ。シエラの分は話し合って一緒にデザインするのが楽しそうだな、とは思っている。
ここしばらくは学校はすっかり私の時間を潰すだけの場所になってしまって、いつも急いで帰宅しては霊石を作ったり、魔導具の構想を練ったり。勿論剣や魔法の訓練は行っているけれど、正直代わり映えのしない毎日だった。
もう少し暑い日が続くようになったら、久々にロキに会いに行こうと思う。あの泉は避暑には最高なのだ。
今日もまた、私は逃げるように学校から帰宅した。王宮の敷地内に入ると、今日は何をしようかと考えながらゆっくりと歩く。屋敷にたどり着くまで軽い散歩をするような気分で歩くのが最近の日課で、美しく作られた庭園はなんとなく日常を忘れさせてくれる。多分日本ではあり得ない風景だからなのだと思う。
いつもは無人のその庭園に、今日は珍しく先客がいた。背の高い引き締まった体の男性と、向かい合う赤いドレスの女性。庭園の緑にドレスの赤が綺麗に映って、まるでクリスマスみたいだな、と思いながらその横を通り抜ける。デートならば立ち止まって邪魔するのは無粋というものだ。
しかし近づくにつれてはっきりと聞こえてくるのは、ケンカをしているらしい2人の声。修羅場というやつだろうか。
ついつい気になって歩きながらも様子をうかがうと、怒る女性を男性が宥めるという構図であることはわかった。女性の方は全く知らないが、男性の方は見覚えがある。金色の髪に少しぽやぽやした面影があるその人は多分・・・兄である。
兄の修羅場に遭遇してしまった気まずさから、私は意識的に2人から視線をそらして急いでその場を駆け抜けた。屋敷の門を抜け、扉を開け、駆け込んで後ろ手に扉を閉め、やっと一息。
「お嬢様、扉は静かにお閉めください」
セルガに怒られてしまった。
「あの、今お兄様が。庭園で。修羅場で」
息が切れていたために言葉が怪しい。深呼吸をしてから、もう一度やり直す。
「お兄様が庭園で女性とケンカしているのを見てしまって・・・」
「おや、エイド様がお帰りに?」
「ええ、私の見間違いでなければ」
ケンカについてはスルーでいいんだろうか。
しかしケンカの理由は知らないが、いい大人なんだし当人同士の問題だ。うん、気にする必要などなかった。そのうち仲直りするなりなんなりしたら屋敷の方に帰ってくるだろう。
さて、何をするか決まらなかったけれど、取り敢えず工房に行こうかな。
マジックボックスを作るために用意した原石は、やっと黒く変化したところだ。まだ透明感も残っているし、霊石自体が出来上がるまでもうしばらくかかる。
魔力のコントロールは霊石作りで更に上達し、今では考え事をしながら併行して霊石に魔力を送り込めるようになった。そのおかげで授業中も霊石作りができるので、以前よりも作成スピードは上がっている。まあそれでこの大きな霊石を割ってしまっては困るので、授業中は主に小さな霊石を作っている。
とはいえ、先生の話を聞きながら集中するよりも、一人で考えながら集中するのでは後者のほうが格段に楽なので、屋敷では専ら同時進行だ。考え事に集中しすぎて魔力の注入を中断していたことはあるが、魔力を注ぎすぎたことはない。
マジックボックスも、できれば九の月には完成させておきたいのが本音だ。だって格段にトリスまでの道のりが楽になるもの。護衛や使用人がついてくることは予想されるけれど、それでも自分の手荷物が少ないほうが楽なのは確かだ。ザルツに出し入れをどうやってしているのかを聞いておけばよかったと、今でも後悔している。ただ、旅の間に一度見ただけではあるけれど、ザルツのカバンについていた霊石は青かったし、サイズもそこまで大きなものではなかったはずだ。なので霊石の出力については心配していない。
中身の容量が道具になるカバンの容量と全く関係ないのだとすれば、カバンは小さいほうがいい。ウエストポーチのような腰に巻くタイプが現在の最有力候補だ。それも探しに行かねばと思っているのだけど・・・気に入ったデザインがなければ自分で作らないといけないし、はやめに行動しないとなぁ。なんせ一生物の一点物になる予定なのだ。妥協はしたくない。
大きく伸びをして気分を少し入れ替えてから、引き出しからインゴットを取り出した。素材は銀。マジックボックスの実験用に、銀製の蓋付きの箱を作るためにインゴットを買いたしておいたのだ。カバンを作る予定なのに実験を金属の箱で行うのは、ただ単に魔法で加工できる分作りやすいから。失敗してもちょっと見た目をおしゃれに作っておけば何かしら使えるだろうというモッタイナイ精神。
まずはインゴットを手のひらサイズの箱状に。蝶番はさすがにイメージで再現できないので、既製品を買ってきた。蓋に当たるプレートを作り、厚みを持たせて上部に取っ手をつけ、内側に霊石を嵌める溝をつくれば、あとは簡単組み立てるだけ。蝶番で箱と蓋を接続して完成だ。
取り敢えず同じものを2つ作って、蓋の取っ手のデザインだけを変えていく。片方はアンティーク調に、もう片方は猫が伸びをしたシルエットを模したデザインにした。完全に趣味である。
さて、付与を始めるとしましょう!




