36
「北西から魔物の反応!」
カチアの鋭い声が響く。今日はもう3回もこうして足止めを食らっている。
今回の反応はひとつだけ。
反応が少ないからといって油断はできない。囲まれる心配は確かにないが、反応が1匹ということは群れずに行動する相手ということだ。大型の獣の可能性が高い。
今日の昼過ぎ頃から、辺りの様子は一変した。これまでも西の国の植物は青々と茂るといった雰囲気ではなかったが、今いるあたりはほぼ荒野だ。背の高い植物はほとんどなく、わずかに見られる木々もそのほぼ全てが枯れてしまっている。
そんな状態故に、かなり遠方からでも近づく魔物の姿が見通せる。
円盤形のレンズを作り、覗く。
近づいてくるその魔物は、大型で、四足歩行・・・なのだが、その肩や頭が不自然に上下して見える。これが馬や猪であれば、これほどに頭の位置がぶれることはないと思うのだが。
黒い毛皮、太い腕、筋肉が発達していることが遠目にわかるほど隆々とした肩。
少しずつ近づく影の正体がわかると、思わず私は叫んだ。
「熊・・・!」
元々動物としてもかなり大型なそれは、魔物化したことでさらにその体躯を巨大なものに変えている。そのパワーとスピード、強靭さは・・・あまり考えたくはない。今までの魔物と一線を画すことだけは確かだろう。
戦うことに慣れてきたはずの心が、迫り来る恐怖に冷えていくのを感じる。
それでも、魔物が万が一方向転換でもしてくれない限りは、やるしかないのだ。
もうレンズを通さなくてもはっきりと魔物の姿が見えるところまで迫っている。
ジェロスが勇敢にもその巨体を受け取るべく前に出るが、しかし・・・
いくら私の背丈ほどの盾であっても、2mを超える熊を相手にするには分が悪すぎる。仮に一時的に突進を止められたとしても、頭上から腕を振り下ろされれば盾などなんの意味もない。
「ジェロスさん、下がってください!障壁を張ります!」
言い終わる前に今使うべき魔法のイメージを構築する。
四足歩行でまっすぐ走ってくる以上は前方に障壁を張るだけでいいだろう。だが相手は二足歩行が不可能なわけではない。立ち上がられては頭上も隙だらけになる。あるいは急激な方向転換をしてくる可能性もある。
・・・ならば、安全なのは足元だけ。半円のドーム状が理想的!
障壁の中で身動きが取れなくなっては逆にピンチを招くことになる。
相手との距離があるうちに、十分な広さを取って魔法の障壁を展開した。相手も巨体であることを考慮して、その広さはちょっとした体育館ぐらい。
その障壁は薄いブルーの光を放ち、私達の周囲からかなり離れた場所を囲っている。
「な・・・っ!これでは逃げ道もないではないか!!」
「あの熊に背中を向けて走る勇気があるのでしたら、タリム様が通る程度の穴は開けてさしあげますよ。・・・余裕がないので一方通行になりますけれど」
「私を脅しているつもりか!?なぜ貴様のような小娘に命を預けねばならん!」
「では取り敢えず障壁のあたりまで行っていただけますか。タリム様が壁に近づいたら穴を開けます」
こんな問答をしている余裕などない。どうやって倒すか考える時間も、それを話し合う時間も、打ち合わせる時間もすべてが足りない!
ガンッ、という大きな音が響き、続いて聞こえる魔物の咆哮。壁に邪魔されたことに苛立っているのだろう、後ろ足で立ち上がって前足を幾度も壁に叩きつける。鋭い爪が壁に弾かれてはまた振り下ろされ、その音だけが絶え間なく鳴り響いている。
立ち上がったその巨体は5m近いだろうか。ある程度距離をとって障壁を張ってよかった。あれが間近まで迫っていたら、たとえ障壁があっても心が折れていたかもしれない。
さて、問題はどうすればあれを倒せるかということだ。
今まで使ってきた魔法を思い返し考える。重力魔法で動きを抑えることは可能。
・・・そういえばいざというときに逃げる方法も持ち合わせていた。そう思うと少し心に余裕ができる。
動きを抑えたとして、必要になるのは強力な攻撃手段。あの巨大な魔物の皮膚と筋肉を貫いてダメージを与えるだけの力。
斬撃、打撃、刺突・・・打撃は現実的じゃないな、いかに強力でも力が伝わる前に魔物の体が吹っ飛んでしまえば無駄になる。斬撃ならば鋭利でかつ刃渡りは長く、実現が容易そうなのは刺突、か・・・?
「ひっ・・・は、はやくあれをなんとかしろ!
そもそもこの障壁は保つのだろうな!?」
「ここはお姫さんに任せるしかないだろう!
あんなの、規格外すぎる!」
このままただ壁を殴りつけるのを眺めていてもどうにもならない。まずは、いくつか試してみるしかない。
私は魔物の目の前まで歩み寄る。薄い青色の壁を挟んで、赤い瞳が私を睨む。
獰猛に私を獲物と見定めて喉を鳴らす音が聞こえる。
残念だけど、この障壁は壊されない自信がある。
私がイメージしたのは”強固な”壁ではない。
考えさえしなければ物理法則など必要ないこの世界の魔法。
”破壊不可能な”この壁を、壊せるものなら壊してみればいい。
気づけば私は、強敵を前に、笑っていた。




