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先に乗っていなさい、とヴォイドに言われるがまま、私は馬車に乗り込んだ。少し遅れてヴォイドが馬車に乗り込み、向かい合わせに座ってこちらに手を伸ばす。その手には湿った布が握られていた。
冷たい布が顔に当てられ、優しく拭っていく。時折少し力が込められて、私はそれを嫌がるように目をぎゅっと閉じた。
馬車が走り出すのを感じる。まだヴォイドは解放してくれない。
「ほら、もうよいぞ」
ヴォイドが私から手を離すと、そう声を掛けた。宣言通り私の顔から布の冷たさが消える。
ヴォイドの手に握られていた布は、先程とは違って赤黒く汚れていた。
「あ・・・」
「よく頑張ってくれた。
ティエラ、お前がカチア殿を、私達を救ったのだ」
その言葉はまるで言い聞かせるようで、いつもの穏やかな優しさとは少し違う。強く、押し付けるような優しさだった。
私はヴォイドから汚れた布を受け取ると、自分の手を、腕を、首筋を拭う。既に時間が経って、赤黒い液体はところどころ固まってこびりついているようだった。
自慢のピンクシルバーの髪も、触れると部分的に不自然な束になって固まっている。
「お前のおかげで、誰一人欠けることがなかった。
・・・ありがとう」
重ねて語りかけるヴォイドの言葉を、私は反芻する。
それでも、カチアが捕らわれなかったら。
もしヴォイドが剣を捨てなかったら。
タリムが叫んで私の存在を知らせなければ。
あるいは護衛たちがもっと圧倒的に強かったら。
浮かんでくる思いは、醜く誰かに責任を押し付けようとする。
もしも、それら一つでも違っていれば。
”私が”、人を殺すことは、なかった・・・!
頭ではわかっている。それはただ”誰の手による死か”が違うだけ。盗賊たちの全滅が、その死が覆ることは、私達の敗北を意味するのだから。
カチアが捕らわれて、仮にヴォイドが剣を捨てなかったとしたら、盗賊たちはヴォイドたちの手によって全滅していただろう。但し、その時カチアが無事でいられたかはわからない。
タリムが叫ばなければ、私はもっとゆっくり作戦を立てる時間を得られたし、決定的な隙がみつかったかもしれない。そもそも私がいない前提であれば、背後に回ってすぐに攻撃を仕掛けなければいけないなんて状況にはならなかった。とはいえ、その場合はジェロスとタイミングを合わせることはできなかっただろう。うまくいかなければ、怪我人が出ていたかもしれないし、ヴォイドが傷ついていたかもしれない。最悪、誰かカチア以外の人間が死んでいたかもしれない。
そう考えれば、先程の結果は”最善”とも言える。誰も死なず、誰も怪我を負わなかったのだから。
背中を斬りつけたときの感触は、よく覚えていない。あの男が死んでいると気づいたときも、私の心には波風一つたたなかった。
ただただ、必死だった。
必死であれば、躊躇いなく人を殺せるのか。いや、殺す気で向かっていったわけではない。あくまで無力化するつもりでいて、結果的に相手が死んでしまっただけ・・・必死だったから、手加減なんて考えられなくて、必死だったから手段なんて選んでいられなくて、必死だったから焦っていたから・・・!
全て言い訳にしかならない。
それでも今は、そうやって自分を正当化するので精一杯だった。
「・・・お父様、お怪我は、ありませんか・・・?」
「ああ、無事だよ。お前のおかげで」
絞り出した問いかけに、ヴォイドもまた私の行動を認めてくれる。
私は間違ってなんかいない。そもそもあいつらが襲ってくるから悪いんじゃないか。盗賊なんてしているから・・・!
「カナデ、あたしからも褒めてあげるわ!よく頑張ったじゃない!」
レイに向かって弱々しく微笑みを返した私は、自分の体を抱きしめるようにして背もたれに体を預けた。眠ってしまいたいが、目を閉じるとフラッシュバックしそうで怖い。
「水場があるといいですね・・・お父様も、汚れてしまっています」
ヴォイドの服や髪もまた、赤黒く固まった血で汚れていた。
「ああ・・・そうだな」
贅沢を言えば、熱いお湯に浸かりたかった。髪もきれいに洗って、服も着替えて。
今日はタイミング悪く、シエラが選んでくれたあの服を着ていた。
きれいに落ちるだろうか。もう結構時間が経ってしまっているし、汚れが落ちないかもしれない。そんなことになったら、シエラが悲しむだろうな。だから、早く洗濯しないと。
ぼんやりとした思考は、現実から徐々に離れていく。冷静な思考はそれに気づいているけれど、止めはしない。
今はまだ少し、考えることを放棄したいんだ・・・




