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第五話【友達と呼んだ日】


「あの……」


「……」


「あの、ですね……」


「……」


「本当に、ごめんなさいぃ!」


 絶対零度の視線で見下ろされるのに耐えきれず、ナナエは飛ぶようにして地面に両手と額を擦りつけた。


「えっとね、ナナエはなんというか、うっかり部屋が隣だったのを間違えただけであってね。決して君の素肌を覗こうとしたわけじゃなくてね。それで、えーっと」


「……」


「うん、はい。頑張れナナエ……」


「トモちゃぁん……」


「いや、どう見てもアンタが悪いからさ……」


 その隣で友人の弁明を試みたトモカが、無言のハルの圧力に負けて微妙な笑顔を浮かべた。

 現在、場所は変わって食堂の中央にて、椅子に座って両腕を組むハルを中心に、遠巻きにクラスメートが緊迫した状況を見守っていた。


「……ハァ」


 あまりの威圧感に空気が破裂しそうだったが、そんな空気を気だるそうなハルの溜息の音色が震わせた。そして放っていた威圧感がみるみるうちになくなっていく。様子を伺っていた少女達も安堵の溜息を吐き出していた。

 まぁ、過ぎてしまったことは仕方ない。そもそも、裸の一つや二つ見られた程度のことを気にする程、自分の器は小さくない。

 ハルは溜息と共に「もういい、面上げろや」と呆れた風に呟いた。


「あ、ありがとう……」


 許しを得たナナエがおずおずと顔を上げれば、怒りの矛先を何処にぶつけるべきか眉間に皺を寄せて悩むハルの困り顔である。少しは文句を言いたかったものの、有無を言わせず土下座を決めた少女を罵る程、ハルは嫌な男ではないのだ。

 そんなハルの葛藤も知らずに、ナナエは目の前で魅せられた美少女の悩んだ表情に思わずまたキュンと高鳴る鼓動に慌てて顔を横に振る。許された直後にまた同じ過ちを繰り返せば、今度こそナナエに対するハルの評価は最低値を更新するはずだ。


「まっ、過ぎたことはもうしゃーねぇよ。それに俺が隣に来たこと知らなかったんだろ? だったらそういうこともあんだろ。ジュギョーのほうは……せっかくのベンキョーが出来なくて残念だったけどよ」


 隣でハルの様子を見てきたナナエからすれば、勉強できなくて残念だったというハルの呟きは意外なものだ。何せ、この少年は授業中ずっと不愉快な表情で授業を受けていたのである。その表情とノートを必死で取るギャップが案外面白かったのだが、少なくとも好んで授業を受けているようには見えなかった。


「……えっと、早森くんは」


「ハルでいい」


「じゃ、じゃあ、ハルちゃんは……授業受けるの嫌いじゃなかったの?」


「ハルちゃんだぁ?」


「あ、ご、ごめ――」


「いや、もうそれでいいや……。それでベンキョーだっけ? むしろ好きなほうだぜ?」


 あまりにも意外な答えに、ナナエ達は目を丸くして驚きを露わにした。


「えー! 親の敵でも殺すような勢いで授業受けてたのに⁉」


「あれは末代までぶち殺した後に来世でもついでにすり潰すって覚悟を決めたような表情にアタシも見えたなぁ」


「あんなに怖い顔してて授業好きってのはちょっと分からないよね」


「彼の前の席コムギちゃんでしょ。あの子、授業始まってからずっと顔面真っ青だったしね」


「いっつも馬鹿やってるんだから、たまには鬼に睨まれてすくみ上るくらいがちょうどいいのよ、あのおバカは」


「というか何処まで逃げたのよアイツ。ポテチ返せよ」


「食べちゃった代わりのポテチ買ってくるってさ」


「コムギぃ……」


 ササミとトモカの言葉を皮切りに次々と繰り出される少女達の戯言に、ハルの体が怒りに震える。


「こっちがイラついてんのにテキトーなことピーチクパーチクとテメェらはよぉ……」


「あわわ……。えっと、ハルちゃんは悪くないよ! それにあの顔もホラ……大嫌いな食べ物を頑張って食べようか悩んでる顔、とか?」


「そ、そうそう。好きな食べ物をお預けされたワンちゃんの顔、みたいな?」


 他にも「可愛いから帳消し帳消し、恐いけど」「可愛いは正義だからね。小鬼って感じでどう?」「生意気なコーギーでしょ」「チワワは違うよねぇ」「豆柴とか?」といった少女達のフォローしているのか分からないフォローが入るが、火に油を注ぐように例えにハルの額に青筋が浮かんだ。


「俺に聞くなよ! つーかどっちにしろひでぇのは変わんねぇだろボケぃ!」


「ヒィィィ! ご、ごめんなさぁぁぁい!」


「あはは、ごめんねぇ」


 絶世の美女が般若のように怒る様は、ヤクザ者の睨みすら超えた末恐ろしいものがある。堪らず涙目になって深々と土下座を再開したナナエが小動物のように震えて許しを乞うのも、無理はないというものであった。一方、トモカと遠巻きで見守る少女達はハルとナナエのやり取りを面白がっているようだ。


「チッ……ともかく俺ぁベンキョーはイヤじゃねぇ」


「そ、そうなの?」


 恐る恐る顔を上げたナナエが見たのは、まるで自嘲するように笑うハルの横顔だった。


「ベンキョーなんてまともにできるとこじゃなかったからな。どいつもこいつもその日のメシのタネを探すほうがダイジだったよ」


「それって……」


 世界全体として見ても、絢爛美姫発祥の地である大和にて、勉強すら出来ない土地で思い当たる場所等一つしかない。

 ハルは見上げてくるナナエに視線を戻して、小さく頷く。


「あぁ、テメェの言いてぇことで合ってるよ。俺ぁ海の向こうのゴミ生まれのゴミ育ちなクソガキってことさ」


 それはまるで己自身への悪態が混ざっているようにナナエとトモカには聞こえた。


「海の向こうって……」


「ってことは……北部の、隔離地域?」


 少女達の表情が暗くなる。

 本土に住んでいた者からすれば、やはり数年前まで文明から隔離されていたような場所の人間など恐ろしいだけなのだろう。僅かに揺らいだ二人の瞳の色と暗い表情を見て、ハルは嘲るような笑みを湛えた。

 どうやらこいつらも北部復興とやらで人の縄張りに遠慮なく踏み込んだ『小奇麗な人間』と同じなのだと。


「ハッ、北のヤバンジンはおっかねぇか?」


「そ、そうじゃないよ! そうじゃないけど……」


 皮肉気味なハルの言葉に、ナナエは慌てて首を振って答える。

 だが言葉は続かない。困ったように俯くナナエに、ハルはつい声を荒げて視線を鋭くした。


「じゃあ、何だってんだ?」


「勘違いしちゃってたなぁって思ったの」


 ナナエはそう言って、苦笑を浮かべながら頬を掻いた。それは、ハルが想像していたものとは違う返事。


「私、ハルちゃんが怖いだけの人かなぁって思ってたんだ。勉強だって嫌々やってるようにしか見えなかったし、仲良くなろうとした皆を怒って突き放したし……」


 言って、自分がとんでもないことを言ってるのではないかと気付いたナナエだったが、しかしここまで言っては最早止まれない。

 お、怒られる。

 またあのすっごい可愛いのに滅茶苦茶怖い顔で怒られる!


「あわわ、わわ」


 どうしよう。

 いや、どうしようもない。

 ならどうするか?

 このまま喋り続けていくしかない!

 沸騰したように混乱した思考のまま、ともかく伝えたいことを伝えなければという気持ちだけが先走ったのだろう、ナナエは怒るではなく驚いた様子のハルには気づかずに、滅茶苦茶に言葉を並べ始めた。


「で、でもね。それって勘違いだって今分かったの! 顔が怖かったのは勉強に一生懸命なせいって分かったし、いつも不機嫌なのも良く考えればハルちゃん男の子一人だけで大変なのに遠慮しなかった私達のせいだし、なのにハルちゃんたら私に声かけてくれたよね。笑顔でさ。だからきっと本当は優しいんじゃないかなって思い始めたの! えへへ、勝手な言い分だよね、でも私はハルちゃんが笑ってくれて嬉しかったし、クラスの誰よりも勉強頑張ってるのは横に居るから知ってるから、きっと言葉が粗大ゴミみたいに汚いだけでってあわわ今のはあれね、言葉の綾というもので決してハルちゃんを――」


「お、おい……」


 沸騰したように顔を赤らめて捲し立てるナナエを止めようとするが、ナナエはハルの制止に気付かずに最早話が脱線し始めてよくわからなくなった言い訳とも取れない何かを言い続ける。


「だからハルちゃんってば可愛くて小っちゃくて思わず抱き締めてキスしちゃうのもこりゃもう仕方なくて正直さっきも先生に止められなかったらほっぺにチューくらいしたかったというよりもしていましたということでしてね! さらに裸を見れて私の脳内フィルムは大盤振る舞いで脳内動画は容量一杯な感じで私ってば超ラッキーみたいな! えぇ、言われなくても変態なのは自覚してますよ! 悪いですか⁉」


「え、お……おう」


「そうですね! そりゃ私が悪いですよね⁉ 冷静に考えなくてもさ! はいはいそんなこと知ってますぅ! ごめんなさいねぇ!」


 ――なんで逆切れしてるんだよこいつ。

 最早、嫌悪感や怒りすら沸かない。

 むしろ、いつの間にかハルの口許には楽しげな笑みがあった。

 訳が分からないし意味不明で逆切れだ。しかもそれが下手したらまた授業中に抱き付く発言だというのだからタチが悪い。

 だが少なくとも、ナナエが北部の出身だということだけでハルを差別していた者とは違うのだということは、分かった。


「つまり、私の友達になってくださいって言いたかっただけなの!」


 そんなことを思い始めていた矢先、涙目になりながら告げたナナエの締めの言葉に、ハルはおろか、隣で唖然とナナエの告白を聞いていたトモカもとうとう堪え切れずに腹を抱えて笑い始めた。


「ぎゃはははははは! なんじゃそりゃ!」


「あははは! ちょ、ちょっとナナエ! 流石に締めの言葉にそれはないって!」


「え? え?」


 突然笑い出したハルとトモカを見て、てっきり怒っていると思っていたナナエが今度は驚く番となった。


「ひゃひゃひゃひゃ! メチャクチャ言ったオチがダチになってくれだって? 俺もバカだがテメェのオツムもよっぽどバカじゃねぇか!」


「えっと、その……ありがとう?」


 良く分からないが、ハルの機嫌が良くなっている。

 だがそんなナナエのよく分からないところがハルには心地よかった。

 よくよく考えれば、自分の態度が悪かったにも関わらず、少し話しただけで抱き付いてくるような大馬鹿だ。

 しかし、ハルはそういった馬鹿な奴が好みらしい。


「ひー、ひっひ……あー、笑える。ジュギョーをメチャクチャにして、勝手に俺のとこ入ってゲロしたくせにダチになりてぇだって? 笑いすぎて怒りもわかねぇバカだなテメェ」


「当然よ、なんたってアタシの友達なんだからさ」


 同じく爆笑していたトモカが得意げにそう言うのに、ハルは「そうかい」と笑みを滲ませたまま応じる。


「だったら、このバカのダチっていうテメェはどうなんだい? 俺みたいなヤツぁダチに合わないとか?」


「そういう憎まれ口聞いても意味無いよ。アタシの友達が友達になりたいって言った子なんだ。だったらアタシも友達になりたいのは当たり前でしょう?」


 迷いなく言い切ったトモカの瞳も、ナナエと同じくハルを偏見なく真っ直ぐに見つめている。


「ダチの言ったことを信じるってか」


「跨いだやり方みたいで気に入らない?」


「いいや……」


 ハルは薄く笑うと。


「俺も同じだ。ダチのダチなら、ダチになりてぇよ」


 その言葉にナナエが目を丸くする。トモカと全く同じ言葉をハルが言ったのだ、つまりは――。


「えっと……お友達に、なってくれるの?」


「んだよ、もうダメっつってもイヤだからな?」


「う、ううん! そんなこと……そんなことないよハルちゃん!」


 遠回しながら、ハルはナナエの友人となることを受け入れたのだ。


「そんな、こと……ぐすっ」


「お、おい」


「う、うぅ……ありがどぉぉぉぉ、ぞれどごべんなざいぃぃぃぃ」


 色々と混ざり合った感情にとうとう堪え切れずに号泣し始めたナナエを、ハルとトモカは苦笑混じりに見守る。


「おい、テメェのダチってのはどいつもこんなんなのかよ?」


「だとしたら疲れちゃうかなー」


「そりゃそうだ。まぁだからこそ……一人くらいでいいぜ、こんなダチはよ」


 ハルは未だに泣き止まないナナエの隣に座ると、その頭に優しく片手を乗せた。


「だからよ、これからよろしく頼むぜ」


「ハ、ハルちゃん……その……」


「ん?」


「……ありがと」


 真っ赤になった頬を隠すように俯きながら、か細く囁かれた感謝の言葉。普段ならば、声が小さいと文句の一つでも言ったのだろうが、不思議とナナエという少女には言う気にはなれず。


「ハハッ」


 ――案外、俺もちょろい奴だったな。


「いいってことよ、ナナエ」


 涙を拭うナナエの手を無理矢理取って握手を交わす。


「あ、あの……早森君、私もお話が……」


「私も私も! 便乗しちゃう形になっちゃうけど!」


 その時、周囲で見守っていたI組の生徒達もわらわらと集まってきた。そして口々にハルの傍に近寄ってきて、申し訳なさそうに頭を下げる。


「ごめんなさい! 私達も勝手に早森君のこと勘違いしちゃって……」


「ホントはね。ナナちゃんだけじゃなくて皆が君に謝りたいって思ってたの」


「うんうん! だって見た目は男の子には見えないけど、男の子だとしたらきっと息が詰まるだろうなって思ってたんだ!」


「だから最初はこっちからどんどん詰めよれば仲良くなれるって……誰が言ったんだっけ?」


「あ、そういえば私そんなこと言ってたような」


「ナナエ⁉ 自分で言っときながら一人だけ逃げてたの⁉」


「酷いよナナちゃん! 一人だけ勝ち逃げじゃん!」


「ご、ごめんなさぁぁぁい!」


「……ハッ」


 だが謝っていたのも最初の内だけ。いつの間にか賑やかに話し始めた少女達の輪の中で、ハルはこれまでの気苦労が何だったのかと思うくらいに呆れて乾いた笑みを浮かべた。

 そんなハルの表情を見た少女達が「ハルちゃん笑った!」「早森君可愛い!」「ちょっと! もう騒ぐの止めなって!」「でも可愛いよぅ!」と(主にナナエが中心となって)沸き立つ。

 そして話題の中心であるハル当人を置いて勝手に賑わいだした彼女達を他所に、椅子の背もたれに体重を預けた。

 確かに五月蠅い。一々騒いでいて何が楽しいのやらとも思う。


「こういうの、嫌い?」


 いつの間にか隣の椅子に腰かけたトモカが、麦茶の入ったコップをこちらに差し出してきた。


「ケッ……」


 こちらを見透かしたように笑いかける瞳にハルは鼻を鳴らすと、


「言ったろ……イヤじゃねぇよ」


 奪うように貰ったコップに口をつけて、トモカには聞こえないように囁く。

 その口許は、本人も知らない内に微笑みを象っているのだった。




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