死神の温度 寄生/帰省する男の話
「あなたは、4時25分に死にました」
真っ暗闇の中から声のする方に目を向けると、俺と同じくらいの年齢の男が立っていた。
真夏だというのに真っ黒のスーツにしっかりとボタンをしめ黒のネクタイをしている。それなのに汗ひとつかいている様子もない。暑くないのだろうか。胸ポケットから金色の懐中時計を見ている。
「は?あんたなに言ってるんだ?」
そのとき、風が吹いたわけでもないのに急に寒気に襲われ、汗がじっとりと背中を伝う。その瞬間、今までのことが走馬灯のように思い出された。
俺の実家は、田舎にあって車がないと生活はほぼ無理に等しい山奥。免許は持ってはいるが都会に出できてからは全く乗っていない。俺にとっての免許証は身分を証明するための薄っぺらいものへと変わり果てていた。
幼馴染みや知り合いがいたら実家へと帰ることもあるだろうが、俺が成人してから建てた家ということもあって帰っても遊ぶところも会う人もいない実家に寄り付かなくなっていた。
それでも、はじめの頃は、盆と正月には帰っていた頃だってあった。
帰ってだらだらと過ごすより気心の知れた仲間といた方がいいという気持ちが強くなり、次第に足が遠のいていた。
もう、帰らなくなって何年たったのかも思い出せない。記憶の中の両親は最後に会ったときのまま変わっていない。毎年、送られてくる年賀ハガキにはあの頃の面影はあるがすっかりと老け込んでいる両親が写っていた。
そのうち、仕事も起動に乗りやりがいを感じるようになってきた。ところがほんの些細なことで失敗しそれから仕事が嫌になり、家に引きこもるようになった。
「あなたの願いをひとつだけ叶えます」
男は人指し指を立て言った。
「じゃあ、生き返らせてくれ。俺は、まだやりたいことが沢山あるんだ。あったはずなんだ。やり残したゲームだってある!」
男は、毎回言われることなのだろうか大きなため息をつき、
「願いを叶えると言ったら皆さん必ずそう言います。ですが、願い事にも決まりはあります。まず、ひとつ。生き返らせることはできません。そして、ふたつ。誰かを殺すこともできません。それ以外ならなんでも叶えます。あなたの後悔していることはなんですか?」
と言った。
「俺の……。後悔していること……」
「時間はたっぷりあります。じっくりと考えくれていいです。……と言いたいところですが、他にも死者はいるのであまり時間はかけてほしくないのいうのが死神としての本音です」
死神と名乗った男は無表情にそう言った。
「なぁ。ひとつ聞いていいか?」
「はい。なんでしょう?」
「他の奴らはどんなことを願ったんだ?」
「個人情報になるので詳しくは言えませんが、好きなものをお腹一杯食べたいや……大切な人に会いたいといったところでしょうか」
「それは誰でもいいのか?」
「はい。初恋の女の子、可愛がっていた子犬、なんでも話すことのできた親友。長らく会っていないご両親とか」
「あんたは俺のなにを知っているんだ」
表情を変えずに言い放つ死神が言った人たちは、俺が思い当たる奴らばかりだった。
俺の初恋は幼稚園の頃。くるくると表情の変わる女の子でいつも一緒に遊んでいた。花火が打ち上がる音に驚いて俺に抱きついてきたときには、幼心に守ってあげたいと思った。けれど、その子は引っ越してしまい今では行方知れずだった。
愛犬のペロは俺が小学生の頃、拾ってきてずっと可愛がってきた。すぐに顔を舐める奴で名前もそこからとった。それなのに俺が目を放したすきに車道に飛び出してしまい、普段は滅多に通らない車に轢かれて俺の目の前で死んでしまった。俺が殺したようなものだ。それからは、生き物を飼うことが出来なくなってしまった。
親友とは、今でもよく会い酒を呑みお互いの仕事の愚痴を交わすほどだ。つい先日も会ったばかりのはずだ。そのときは、当たり前だがこうなるとは思っていなかったからもっと話していればよかった気もするが、会ったところで何を話せばいいのか結局、見つからない気もする。
両親は、会いたいのか会いたくないのか正直わからない。
俺の母親は、俺のすることなすことすべてに否定をする人で、それが最終的に誉められることでも怒られることでも文句を言う。何度、育て方を間違えたと言われただろうか。だから、新幹線でたった数時間程度で着くはずの距離でも会いに行こうとしない。
あとで、後悔するのは分かっていた。けれど、会いに行けなかった。会いに行ってしまったら俺の存在を否定されても居心地の良さにすべてを捨ててまでそこにいたいと思う気持ちと今の生活を手放したくない気持ちが渦巻いているからだ。
仕事を辞めてからというものの貯金や失業保険でなんとか生き延びたものの親の金を無心するようになった。親の金でゲームを買い、酒を呑んだ。
「お前、死ねよ」
街の雑踏のなかで、その言葉が俺の耳に入ってきた。それはさながら俺自身に投げ掛けられた言葉のようで、反射的に顔を上げ周りを見ると高校生くらいのふたり組がゲラゲラとバカみたいに笑いながら冗談混じりに言っているだけだった。
「ほんとにそう思うよ」
自分で思っていた以上に声が大きかったのかさっきまで笑いあっていた高校生が今度は、ヒソヒソと話している。俺はなんだかいたたまれなくなり足早にその場を去った。
「なにやってるんだろうな」
ネオン煌めく明かりを見ながら、俺は誰に言うでもなくそう呟いた。
なにもやっていない。陽が昇ったら寝て、みんなが寝静まった頃に起き出す。だからといって仕事をするわけでもなくただ、だらだらとゲームをする。
そんなとき、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。取り出して画面を見てため息を吐き出た。
「あんた。なにやってんの!いい加減、こっちに帰ってきなさい!!」
俺の返答を聞かずに問答無用で言われ、あげくの果てにはそれだけ言って切られた。
今度は、深いため息を吐いた。
俺は家に帰り、数日の着替えを適当に鞄に詰め駅に向かった。ところが、帰省ラッシュと言うこともあって指定席はおろか自由席も空いていなかった。数時間立ちっぱなし。他人とすし詰め状態になるのは勘弁だと思い、このまま家に帰ってもよかったのだが俺は何を思ったのか、レンタカーを借りてそれで実家に帰ることにした。
新幹線は、帰省ラッシュで満席と言うことはつまり、高速も帰省ラッシュ真っ只中。少し考えればわかることだった。こうも、思考が停滞しているとは思わなかった。
久しぶりの運転ということもあり、なかなか進まない苛立ちで握るハンドルに力が入る。俺は悪態を吐きながらラジオを付けた。パーソナリティーが明るい声で話している。この明るい声がなんだか癪にさわり消そうとしたときに懐かしい曲が流れた。どうやら、長期休みならではの曲の特集らしく今回は、俺の生まれた年代だった。
この頃は、毎日が楽しかった。両親とも今のように確執はなく、親の言うことは正しいんだと思っていた。それは、越えられない壁のような存在。でも、成長していくうちに疑念が生まれてきた。
親が言った些細な冗談でも心に刺さり抜けなかった。疑念は1度生まれてしまえば消えなくてすべてのことに否定されているようだった。大事だから、心配だから叱るのだと言われてもそんなことは綺麗事だ。いっそのこと、いなくなればいいのにと言ってくれればお互いに楽になれるのにどうして言ってくれないんだ。最後まで俺は、他人任せだ。涙が頬をつたってあごを濡らした。そして―――、
急に、目の前が明るくなり耳をつんざくような音が聞こえ俺の意識はそこでなくなった。
「もう一度、聞きます。あなたの願いはなんですか?」
「俺の願い……」
本当なら、両親に迷惑をかけてごめん。先に死んでしまってごめんと謝るべきなんだと思う。でも、俺は……。
「なぁ、死神ってみんなあんたみたいな奴なのか?」
「どういうことですか?」
死神は無表情に聞いてきた。
「なんていうか、感情がないっーの?」
「いえ。他の死神は違います。俺には、記憶がありません」
そうか。この死神は記憶がないのか。だからこんなにも無表情で感情のか。
「わかった。俺の願いは死神になることだ」
「はい?」
この死神はやはり、無表情に聞き返した。