★1分で読める短篇小説『おばあちゃんのお茶』
1分で読める短篇小説です。不定期で更新します。
祖母の死はLINEで知らされた。涙は出なかった。認知症で両親を悩ませていたので、ほっとしたくらいだった。
父の海外赴任のためロンドンで育った私は、長い休みの度、父の実家に帰省するのが厭だった。愛する人を戦争で亡くした祖母が暮らす家は、祖母と同じように古く、物悲しかった。擦り切れた畳の間、ボーンボーンと時の数だけなる振り子時計、暗く寒々しい台所、年寄り臭い食器が並ぶ食卓、日差しで焼けて赤茶けた商店街。祖母の世界は、過去に取り残されたものばかりだった。祖母が住む町そのものが、帰って来ない恋人をずっと待ち続けている老婆のようだったのだ。
祖母は私が帰る度に、孫を見せたくて馴染の店に連れ歩いた。子供の私は、年寄りの長話が終わるのを退屈そうな顔で待っていたに違いない。祖母は私がどんな仏頂面をしていても、いつもニコニコしていた。
三時になると、誇らしそうに茶箪笥から茶缶と袋菓子を出して、私に食べさせた。濁ったお茶が苦く、うえっとなるのだが、我慢して飲み込むしかない。
こんな私の頭をなでて、祖母はこう言ったものだ。
「大人になっても、この家に帰って来なさいね。こんないい町、他にはないんだから」
そんなつもりはさらさらなかった。父の海外赴任が終わり、祖母と暮らすようになったが、東京の大学に進学し、語学を強みに商社に就職した。「東京」というリズムで呼吸して、仕事した。ここから世界のどこにでも飛び立てるし、何でも出来る。どんな夢でも叶えられる。私なら。
祖母が死んだのは、そんな自信の風に吹かれている時だった。
葬式に参列した人のほとんどが見覚えのある老人だった。祖母はこの町の小学校に通い、中学に通った。年をとってからも、服を買い、髪を切り、結婚式があれば着物の着付けをした。町の人みんなが友達であり、人生があった。この小さな町が祖母の全てだった。
母に丸盆を渡され、お茶を配ると、老人たちは、口々に祖母の思い出を語った。小学校の同級生だった人、老人会の役員だという人、美容院のお得意さんだったという人。皆、祖母と同じ歩幅で歩いた老人だった。祖母と同じ白髪頭で、手はしわしわで染みがあった。
認知症の祖母のために、こんなにたくさんの老人が集まったことが驚きだった。どのお爺さんもおばあさんも、私を見つけると、それぞれ、自分勝手に祖母の思い出を話し始めた。
「お宅のおばあちゃんとは、小学校の同級生でね」
「あたしゃあ、50年間、毎年、年賀状をもらっていたよ、いい人だったよ、あんたのおばあちゃんは」
「まあ、ここんところは、ニンチがひどかったけども、よくうちに来て、おしゃべりしてったよ」
「孫が孫がってねえ」
「年寄りには、孫が一番の楽しみだからさ」
「あんたの話ばっかりよ」
「勉強が出来るって。ほら、英語がしゃべれるから」
「お父さんも優秀だったしね。お母さんもいい学校、出ているから」
「息子はもう立派に成長したんだもの。次に可愛いのは孫だよ」
「東京に行っちゃった時は、寂しがってね」
「お正月には、孫が帰ってくる、孫が帰ってくるって、そりゃあ嬉しそうで」
「孫が結婚して、赤ちゃんを抱いて帰って来るまで長生きするって。そればっかり、何度も何度も」
母にお茶のおかわりを頼まれたので、ほっとして老人たちから離れた。
母に言われた棚を開けると思わず「あっ」と小さく叫んでしまった。
それは、祖母の茶箪笥に入っていた、あの茶缶だった。
あれに入っていたのは、苦くて、無理やり飲まされたお茶だ。でも、今、客人にふるまっているお茶は、苦くなかった。いや苦味はあるが、心地よい苦味なのだ。
試しに、一煎、淹れてみた。湯呑に口をつけると、さわやかな苦味の後にほのかな甘みがある。苦味が甘さを引き立ているのだ。おいしい。
あの頃、飲まされていた苦くて吐き出したくなった祖母のお茶は、誰に出しても恥ずかしくない、極上のお茶だったのだ。
突然、私の頭はぐるぐる回った。
嘘だ嘘だ嘘だ。こんなのは、うちのお茶じゃない。あの苦いお茶が、うちのお茶だ。うちのお茶はどこ?うちのお茶はどこに行ったの?あの苦いお茶。おばあちゃんのお茶は。
住職が到着し、読経が始まった。私は初めて泣いた。