オオグチ 2
体育教員のカトウが置き忘れていた受け持った部の指導用の資料を体育教員室に取りにゆこうとしていると、突然校門から原付が高速で乗り入れてきた。男子生徒だ。ビンを片手に持っている。
「な?」
カトウの勤める高校は特段荒れた学校ではない。昭和じゃあるまいし、カトウは一瞬そう思い、思ってる内に対応が遅れた。夕日とその速度で迫る原付に乗る男子、トキタが白眼を剥き、血塗れであることにカトウが気付いた時にはもう遅かった。
血塗れのトキタは原付で擦れ違い様にビールの空き瓶で加藤の顔面を殴り付けた。
「がっ?!」
ビール瓶は持ち手から先が割れ、カトウは流血して後ろに倒れ込む。血塗れのトキタは乱暴に停車してエンジンを切った。
「アレェ? 源太兄チャン、コレ、がちゃッテ停メルやつ、ドウスンダッケ?」
「ドウデモイイ、転ガシトケ」
トキタの口の中でオオグチの兄弟の声がした。トキタは原付から雑に降りるとオオグチの兄の言った通り乗ってきた原付を放るように横倒しにして放置した。
「オ前、アイツニ入レ」
「エエっ? 食ベナイノ? アイツ怪我シテルヨ?」
「贅沢言ウナ。取ッテヤッタンダカラ入レ。狭イダロウガッ、狭イダロウガッ!」
「ワ、ワカッタ。怒ルナヨォ」
オオグチの弟は慌てて紙縒のような姿でトキタの口から回転しながら飛び出し、倒れたまま頭部を血塗れにして呻いているカトウの口に体を捻込んだ。
「んがぐっくぅっ?!」
人間より二倍以上は大きいオオグチの弟だが、猫やトキタの体に入った時と同様に見た目の大きさ等無視してカトウの中に体の全てを潜り込ませた。
白眼を剥き血塗れのままのカトウを立ち上がらせるオオグチの弟。少しフラつくカトウ。
「兄チャン、コイツタブンモウスグ死ヌヨォ? サッキノがらすガ変ナトコニ刺サッチャッテル」
不満げなカトウの口の中のオオグチの弟。
「知ルカ! アー、広クナッタ。ユトリガアル。動キヤスイ」
オオグチの兄は変わらず白眼は剥いているものの、全身の血管が浮き上がるような体の膨張は収まったトキタの体で体操のようなことを始め、しまいに器用にスキップでその場を回らせ始めた。
「ソッチハ元気ソウデイイナァ。チョット、コノがらす抜イテミヨウカナ?」
カトウの頭に刺さった一際大きなガラスをカトウに抜かせてみるオオグチの弟。たちまち傷口から結構な勢いで血が噴き出した。
「アアッ?! 違ウッ! 待ッテ待ッテッ!!」
慌ててカトウの頭の傷口をカトウに押さえさせるオオグチの弟。
「何ヤッテンダヨ? 五助ッ。血ガモッタイナイダロ? マンマヲ無駄ニスンナ。ばちガ当タルゾッ?」
またトキタに体操を始めさせるオオグチの兄。
「コ、コイツ、思ッタヨリ早ク死ンジャウカモォ?!」
血が止まらないカトウに困惑するオオグチの弟。
「新シイノニ取リ替エレバイイダロ? モウイイヤ。サテト」
弟にそれ以上もう構わず、オオグチの兄はトキタの体を校舎側に向かせた。
「コノときたトカイウ小僧ノ記憶ガ確カナラ、今日ノコノ時間ナラ校舎ノ脇ニアル部室棟ト本校舎裏ノ別棟ノB棟ガ襲ウノニチョウドイイ。正面玄関ト職員玄関ト渡リ廊下ト駐車場ニ監視かめらガアル。生身デ通ル時ハチャント姿ヲ消セヨォ?」
「かめらッテ、映ルやつダヨネ? ワカッタヨ、源太兄チャン」
オオグチの兄はトキタの口の中から弟を見詰めた。弟は戸惑った。
「何? 兄チャン?」
「・・・五助、オ前、人間ト喋ルナヨ?」
「エ?」
「オ前ハ一人デふらふらサセルトスグニ人間ト喋ル。人間カラ『施シ』ヲ受ケル」
「キ、気ヲ付ケルヨ。源太兄チャン」
「特ニ『施シ』ハ受ケルナヨ? メンドクセェカラナ。人間ハ食ベル物ダ。人間カラ食ベ物ヲモラウナ? イイナ、五助ッ」
「ワカッテルヨ、ワカッテルヨ」
オオグチの兄は、トキタの口の中でなお疑わしそうにしていたが、おもむろに赤黒い血煙吐き出した。血煙りの中には無数の一つ目の蛇が蠢いている。その血煙にトキタを跳び乗らせるオオグチの兄。
「俺ハ部室棟ヲ襲ウ。オ前ハB棟ダ。日ガ完全ニ落チルマデニ喰イ尽クシテずらカルゾ? 長居ハ無用ダ」
「日ガ落チルマデダネ、ワカッタヨ。源太兄チャン」
「ヘマスルナヨ? 謝ッテモ許サネェカラナッ!」
そう凄んでからトキタに乗らせた血煙を飛行させ、オオグチの兄は部室棟へと去って行った。
「フウッ」
オオグチの弟はカトウの口の中でため息をついた。
「源太兄チャン、イチイチきつインダヨナァ。オオット?」
ボヤいていると、また傷口から血が噴き出してフラつくカトウ。
「アア、やばイやばイ。早ク新シイ体ヲ探サナイト。死ンジャウヨ、こいつ。やばイやばイ・・・」
オオグチの弟はフラつきながら歩くカトウを操ってB棟へと向かい始めた。
トキタと同じ部の二年生達はまだ部室の片付けをしていた。指導する顧問が不在で、三年ももういないので気楽なものだった。漫画誌やポルノ雑誌やアイドル雑誌、バイク雑誌、車雑誌、スポーツ誌が回し読みされ、ヘッドホンやイヤホンで音楽を聴いたり動画を見る者、スマホをイジる者、片付けた傍から菓子を食べて散らかす者、丸めたゴミでキャッチボールをする者、寝る者、と大掃除はまるではかどっていなかった。
誰一人、開けた窓の外が中で無数の蛇の蠢く血煙に既に覆われていることに気付いていなかった。
「夜から雨降るらしいぜ?」
部員の一人が不意にそう言った。
「マジで?」
他の一人が開いている窓を見た。
「え? 夜?」
窓の外に見えるモノを理解できないまま呟くと、血煙はその部員を覆い掛かり、中の無数の一つ目の蛇達は部員の全身に喰い付いた。
「うわあああっ?!」
絶叫して血煙に飲まれ、すぐに悲鳴も聴こえなくなる部員。
「ちょっ?!」
「蛇?」
「はぁ?」
残りの部員達の内、即座に状況を理解できる者は一人もいない。眠っている部員に至っては眠ったままだった。
ここで部室の出入り口が開いた。トキタが、入ってきた。
「トキタ?」
「お前、それ」
ヘルメットを被り、猫の血に塗れた白眼の姿のトキタに益々混乱した様子の部員達。眠っている者はまだ起きない。
「・・・気が変わった。やっぱり今日、長く残ってやるよ」
オオグチの兄は愉快そうにトキタにそう話させるの同時に、部員の一人を飲んだ血煙の中から血と肉のこびり付いた頭蓋骨が吐き出された。
オオグチの弟はカトウをどうにかB棟までたどり着かせたが、出血でカトウはもう絶命寸前になっていた。廊下もまともに歩けはしなかった。
「アア、モウッ! メンドクサイナァッ。出チャオウカ? ココダト目立ツカ。マダ『煙』デ建物覆ッテナイシ、やばイやばイ。ア、厠デ出ヨウ。チョウドイイヤ。ホラ、歩ケ歩ケ、頑張レ頑張レ」
大きくフラつくカトウを励まし? オオグチの弟は手近な女子トイレに入り込ませた。
「ヨシ。ヨイショッ」
オオグチの弟は紙縒のような姿でカトウの体から跳び出した。
「ハァ~、出ラレタァ」
カトウはすぐに倒れ、意識もなくトイレの床の上で痙攣し始めた。
「オ前、運ガ悪イやつ。一応殺シテカラ食ベテヤルカ。生キテルママ食ベタ方ガ美味シイケドサァ」
オオグチの弟はしゃがんで残った右手で痙攣するカトウの頭を摘まむとポキッとカトウの首を簡単にへし折って絶命させた。
「アバヨ、運ノ悪イやつ。マンマハ残サズ食ベテヤルカラヨォ」
そう言って、オオグチの弟はカトウの死体を喰らい始めた。
「ンン、マア、ソコソコダナァ。『徳』ガ低イ味ダ。嫌ナやつナノカナァ? 記憶見テナイナァ。マァ、イッカ。ングング」
オオグチはカトウの死体を喰い続けた。と、ガタッ。個室の一つから物音がした。
「ンン?」
咀嚼しながら顔を上げるオオグチの弟。物音のした個室の周りの床は水浸しになっていた。
「何ダ、誰カイタノカ。ドレ」
オオグチの弟は立ち上がって個室の前までくると鍵の開いていたドアを開けた。
中には縛られてガムテープを口に貼られた水浸しの女子生徒が便座に座らされていた。殴られた痕もあり、『ブス』『ビッチ』『クソ女』と書かれた紙もテープで貼られていた。
「何ダァ? オ前?」
オオグチの弟は困惑していた。
部室で眠っていた部員は夢を見ていた。憧れていた弓道部の二年生モチヅキカズネから弓道場で告白される夢だった。
「ずっと君が好きでした」
「ええ? でもモチヅキさんは大学生と付き合ってるんじゃないんですか? 駅裏のホテル街で目撃情報が」
「とんだ風評被害でちゃんちゃらおかしいわ。大丈夫、どちらかと言えば私は処女な方よ」
「処女な方何ですか?」
「そう、処女な方の私よ」
「そっかぁ。処女な方のモチヅキさんだったのかぁっ。やったぁっ!」
夢の中でガッツポーズで喜ぶトキタと同じ部の男子。モチヅキも微笑んだ。
「ふふふ、私の処女は、君が射抜いていいのよ?」
夢のモチヅキは妖艶に笑って胸当てを取り、弓道着の胸元をはだけさせ、水色のスポーツブラジャーを見せた。
「み、水色のスポーツブラジャーだっ!」
「そう、君が憧れる水色のスポーツブラジャーよ。水色のブラジャーを付けている方の私よ」
「水色のスポーツブラジャーを付けている方のモチヅキさんだっ、やったぁっ!!」
夢の中、跳び上がって喜ぶトキタと同じ部の男子。だが、
「オイっ」
現実で、オオグチの兄はトキタに同じ男子が寝ていた一列に並べた椅子を蹴らせて男子を床に転がした。
「あ? ええっ?」
床で目覚めた男子は、同じく目の前に血煙の蛇達が吐き出して床に捨てられた他の部員の全身の骨と頭蓋骨を見た。
「おおおおおおぉっ?!」
驚き、横に転がって骨から離れて座り直す男子部員。部室全体が血煙に覆われていた。トキタ以外に部員の姿は無く、床に捨てられた骨は一人分のみだった。
「え? え? トキタ、皆は?」
「ソコニ転ガッテルやつト、後ハ皆、俺ガ喰ッタサァアアア!!!」
猫以外の血で全身を鮮血に染めている白眼を剥くトキタに、オオグチの兄は顎を外させて自分の醜い顔を表した。
「ちょっ?! ちょっ? トキタ? はぁっ?」
「最後ニイイ夢見テタンダロウ? ヤッタァトカ寝言、言ッテタナァ? オ前、運ガイイヨ」
「いやっ、え? これ、夢?」
男子部員は混乱したが、オオグチの兄はトキタの口から首を素早く伸ばし、その名の通りの大口を開けて男子部員の顔と頭のおよそ半分をジャクリッと骨ごと喰い千切った。