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冥府学園  作者: 大石次郎
7/11

オオグチ 1

 部室はカビと汗の臭いが濃縮されていて一年の頃は鼻の奥がツーンと痛くなったものだが、二年の二学期ともなるともう何ともなく、臭いとすら思わなくなっていた。通常は部の無い木曜日の放課後、トキタ達二年部員達は部室の大掃除をしていた。三年が引退した後に二年部員だけで掃除するというのが部の習わしだった。

 本来夏休みにするものだが夏の部室は暑過ぎる為、ここ10年程の間にズルズルと二学期の頭辺りに大掃除の実施時期がずれてきていた。

「あ、ヤベっ、時間だよ。俺、バイト間に合わねぇから抜けるわぁ」

 時間を見たトキタは手を止めて、荷物を取ると立ち上がった。

「ええ?」

「オイーっ」

「トキタぁ」

「早ぇよ」

 他の二年部員達からの避難の声にトキタはさほど構わず出入り口に向かった。

「明日、長めに残っからさ」

 とだけ言い残していった。



『それ』の兄と弟は逃げ延びることに成功した。兄は右腕、弟は左腕を犠牲とし、他の家族達を見捨てて自分達だけ助かった。他は一体も残さず『狩られて』しまった。噂には聞いていたが、あれ程危険な相手とは一族の中で誰も思っていなかった。

「油断シタ。力ヲ蓄エナクテハ。隠レテ、タクサン、タクサン、栄養ガ必要ダ。隠レテ食ベル隠レテ食ベル隠レテ食ベル・・・」

 傷口から汚物のような体液を撒き散らしながら兄は呟き、弟は独り言を言う気力も無く兄についてゆくので精一杯だった。『それ』の兄弟は黒い風のように路地裏を走り抜けていた。と、前方の当然のように放置された錆び付いたいくつかの家電の脇を悠々と歩いていた首輪もしていない雑種の猫が、背後に迫る異様な気配に気付いて振り向いた。

「猫ゥッ! 隠レルゥゥウウウウッ!!!」

『それ』の兄は紙縒りと同じに体を細長く捩曲げると旋回して高速で飛び付き、猫の肛門に体を捩じり込んだ。

「ゴッ?! ブゲニャァアアアアアッ!!!」

 叫ぶ猫。『それ』の兄は見た目には到底入りきれない己の体を猫の体の中に全て収めた。

「アッ? 源太兄チャン。俺モ隠レタイヨ」

『それ』の弟も兄と同じに猫の肛門から中に無理矢理入り込んだ。

「ニ、ニャ、ニッ? ニャッ?」

 小さな猫の体は膨らませ過ぎた水風船のごとくはち切れそうになった。『それ』の兄弟は顎が外れる程口を開けさせ、そこから小さく縮めた殆ど口ばかりの自分の醜い顔を二人して覗かせた。

「馬鹿、何デオ前マデ入ッテクル? 五助。狭イダロッ。猫狭イッ!」

「ダッテェ、源太兄チャンバッカリずるイヨォ。俺モ隠レル」

「ショウガナイやつダ。モット大キイ体カ、モウ一匹何カ必要ダ。コノ体ハモウ、スグだめニナル。マッタクッ、待ッテレバ取ッテキテヤッタノニ、五助ッ、オ前ハイツモソウダ」

「ゴメ~ン、兄チャン」

「謝レバイイト思ッテイルダロウ?」

 白眼を剥いて震える猫の口の中、『それ』の兄は弟に説教を続けた。



 トキタは原付でバイト先への近道に駅近くの路地裏を通っていた。そのまま路地裏通りのさらに脇の細道を通り過ぎた所でトキタは原付にブレーキをかけた。

「何だっ?」

 細道を振り返るトキタ。細道の入り口に赤黒い液体が飛び散っていた。

「血?」

 トキタは少し迷ってから原付を通りの左端に寄せ直してから駐車し、一度ヘルメットを取ろうとしてからやはりやめ、細道の入り口に慎重に近付いて行った。

 入り口に飛び散っていたのは大量の血液だった。生臭さと鉄のような臭いが漂う。

「おっ・・・マジかっ?! 事件? 警察っ!」

 トキタはすぐにスマホを取り出したが全く繋がらない。警察だけでなくどこともメールも電話もSNSも繋がらない。あらゆるサイトに繋がらなかった。

「嘘だろ?! 街中だぞっ?」

 混乱しながらもトキタは血溜まりから顔を上げ、暗い細道の先を見た。まだ夕方だが建物の陰で細道の先はロクに見えない。血溜まりの血は細道の奥へと続いていた。引き摺られた、とトキタは思った。

 血溜まりをさらによく見ると、近くに小さな手提げ袋が一つ落ちていて、中身も出ていた。ビニール袋に入ったスコップ、別のビニール袋、水と思われる液体の入ったミニペットボトル。

「犬の、散歩?」

 トキタは呟き、改めて暗い細道の先を見てみた。小さなモノが一ヶ所に止まりそこで何か、動いていた。パキッと枝を折るような音も聴こえた。

「何だよ? ちっくしょうっ」

 トキタは手近な放置されたプラスチック箱の中のビールの空き瓶と路地裏通りの先に停めた原付を交互に見た。

「最悪だ」

 うんざりと言って、トキタはビールの空き瓶を手に取った。『それ』の兄弟は猫の体に入ったまま食事に夢中になっていた。他の体を別に手に入れる必要があったが、己達でも驚く程に飢えていた為にさっき仕止めた人間は滅茶苦茶に喰い散らかしてもう使い物にならなくしてしまった。猫よりはマシなその人間が連れていた大型犬も今、こうして食べてしまっている。

 飢えることは『それ』達にとって何よりの恐怖であった。なぜそれ程に自分の一族が飢えることを恐れたのか? 何か、とても深刻な理由があった気がしたが、それはもう思い出せない。だが、忘れたことで飢えを満たすこと自体に痛みを感じることもなくなった。するとどうだろう? 『それ』の一族は自由になれた。暴れ、喰らい、満たし、とても美味しい。その繰り返し。力も高まってゆき、他の異形の者達からも『それ』の一族は一目置かれるようになった。

「美味イヨ、美味イヨ。マンマ美味イ。又助ヤ三郎達ニモ食ベサセテヤリタカッタ。ン? 又助ト三郎達ッテ誰ダ?」

 ふと犬を喰らうをの止め、考える『それ』の兄。だが、もう今日死に別れた他の家族達のことをはっきり思い出せなくなっていた。

「源太兄チャン、ドウシタ? 顔ヲ上ゲタラ俺モ食ベラレナイヨ」

「五助、又助ト三郎ッテ誰ダッケ?」

「フェ? 知ラナイヨォ?」

「ソウカ。マ、イイカ。美味イヨ、美味イヨ・・・」

 もう構わず、呟きながら『それ』の兄は弟と共に犬を喰らい続けた。そこへ、

「猫がっ、犬を喰ってる?」

 背後から人間の声がした。夢中になり過ぎて気付かなかった。再び喰らうのを止め、『それ』の兄弟は猫の口の中で醜い笑顔で顔を見合わせた。獲物が、自分から、来た。

「え? うわああっ!!!」

 新しい獲物はどうやら傍に転がしていた先に食べた犬の飼い主の食べカスを見付けたようだった。『それ』の兄弟がはち切れそうな猫の体に入ったまま振り返るとヘルメットを付け、武器のつもりらしいビールの空き瓶を持った新しい獲物、トキタは尻餅をついて驚いていた。

「滑稽ナ奴ダナ」

「ソウダネ、兄チャン」

「喋った?」

 トキタが血塗れの猫を覗き込むと、口の中の『それ』の兄弟と目が合う。

「顔? はぁあっ?」

 尻餅をついたまま後退ったトキタはここまで引き摺られた血の跡に手を付き、その手を見た。黒々とした血が、掌についている。

「お前、だよな? 何だよお前っ?!」

 トキタは震える膝で何とか立ち上がり、ビール瓶を構えてきた。『それ』兄弟は嘲笑った。

「アハハッ、アハッ。オ前、俺達ト戦ウノカ? 勇気ガ有ルンダナァ。アハハッ」

「面白イネェ、源太兄ちゃん。キヒヒヒッ」

 『それ』兄弟は猫の体を内側から炸裂させて姿を表した。

「俺達ハ『オオグチ』ダ。『マガリネブッチョウ』ッテ呼バレタコトモアッタナ」

「アッタヨネェ」

 オオグチの兄弟の兄は右腕を、弟は左腕が失われたままだったが、全身の傷は殆ど塞がっていた。大き過ぎ、鱗で覆われているが裸の人のような形をしており、頭以外の全てが細長く、粘土を上から潰したような醜い頭は口だけが異様に大きい。

 炸裂して飛び散った猫の血と骨と肉片を浴びたトキタは唖然としていた。

「ちょっ? 二人? おっ、おお?」

「猫ハ窮屈ダッタ。俺ハ、引ッ越シシヨウト思ウ」

「へっ? 引っ越し? どこに?」

 オオグチの兄は堪らなく嬉しそうに醜い笑顔をトキタに見せてやった。

「オ前ノ中ダァアアアアアアッ!!!」

 オオグチは猫の中に入った時と同様に体を紙縒り状にするとトキタの口から体の中に滑り込んでいった。

「おげぇえっ?! ぶぅっべぇっ! べべっ? ぶぼぼぼぼぉうぅっ?!!」

 トキタは中に入り込まれ、白眼を剥いてガクガクと全身を震わせる。

「アッ、兄チャン。ずるイヨォ」

 オオグチの弟が猫に入った時と同じく、続けてトキタの口かれ体に入っていった。

「おっぐっ! ぐももももっ!!!」

 猫程ではないが、体が少し膨張し、血管が浮き出るトキタ。

「オイッ、五助ッ! イイ加減ニシロッ。狭イダロッ!」

 オオグチの兄がトキタの中から顎が外れる程、口を開けさせて、そこからわずかに縮めた醜い顔を覗かせて怒り出した。

「ゴメ~ン、源太兄チャン。デモ猫ヨリましダカライイジャンカァ」

 オオグチの弟も口の中に顔を出した。

「ヨクナイッ! 狭イッ! 動キ難イッ! 次ノ獲物モ捕マエ難イダロ?!」

「ゴメ~ン、兄チャン」

「オ前ハイツモソウダッ! 謝レバイイト思ッテイルッ」 オオグチの兄は口の中で弟に説教していたが、やがて気を取り直した。

「マア、イイ。トニカク栄養ガタクサン必要ダ」

「俺、モットマンマ欲シイヨ、兄チャン」

「俺モサァ弟ヨ。俺達ハ何シロ底無シダカラナァ。アハハッ」

「ダヨネ、キヒヒッ!」

 オオグチの兄弟は白眼を剥いたまま顎を外して立っているトキタの口の中で、醜い顔で、楽しげに笑い合い続けた。

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