イシナゲンジョ~前編~
放課後、数学教員のコウサカと体育教員のキタノは校舎の空き教室の多い棟を古ぼけた甕を二人掛かりで抱え、ほぼ横歩きで運んでいた。甕は油紙と荒縄で封をされ、さらに奇妙な札まで貼られていた。甕の大きさは南瓜をせいぜい二つか三つ縦に積んだ程度に過ぎなかったが、どうも中には『小石』のような物が詰まっているらしくむやみに重かった。
「これ、中身何ですかね? 何か、お札も貼られてるし、ちょっと怖いんですけど」
そう言うキタノはまだ26歳の女性で、30過ぎの健康な独身男性であるコウサカはさっきから間近で息を切らしてキタノと『共同作業』する状況にドキマギしていた。キタノはジャージの前を開けてその下はポロシャツ一枚だった。体育教員特有の他意の無い明け透けさだったが、たまに古い知り合い達とアウトドアレジャーを楽しむことはあっても大学を卒業するまでスポーツとは無縁だったコウサカには少々刺激が強過ぎた。
「ナグモ教頭は『石』だと言っていましたけどね?」
動揺を悟られまいとしたが、コウサカは少し声が上ずってしまっていた。
「石?」
「何でも教頭の御先祖は明治時代に『イシナゲンジョ』という妖怪を退治したそうです」
「え? 妖怪? これ? ええっ?」
キタノは抱えている甕から手を離しそうになり、重さが自分一人に掛かってコウサカは慌てた。
「キタノ先生っ」
「あ、すいません。コウサカ先生」
キタノは恐々と甕を抱え直した。
「そのイシナゲンジョという妖怪は石を投げつけてくる妖怪で、この甕に入っている石がその石だそうです」
「大丈夫なんですか? これ?」
嫌でしょうがないという顔のキタノ。コウサカはやや子供っぽく見えたその顔を見て、ああ年甲斐も無く随分簡単に惚れてしまったな、と思った。
「お札も貼られているし、大丈夫でしょう? それに、妖怪ではなく、妖怪が投げてた石が入ってるだけでしょうからね」
コウサカがそう言うと、キタノは心底ホッとした顔をして、やっぱり可愛い人だ、とコウサカは改めて惚れ直していた。
「妖怪っていないですよね?」
「数学教員としては否定したいところですね」
そんな事を話しながら、甕を抱えて旧社会科準備室まで来た二人は一旦、甕を廊下に置いた。
「実家の蔵の整理だか何だか知りませんけど、学校の空いた部屋をトランクルーム代わりに使うのはどうかと思いますねっ」
うんざりと言うキタノ。
「職員会議でもチクリとやられてましたね。まあ、ナグモ教頭は選挙に出るから今期で退職するそうですし、構わないんでしょう」
コウサカは応えながらポケットから鍵を出して準備室の鍵を開け、戸を開けた。
埃っぽい旧社会科準備室には元々置かれていた高校の様々なガラクタに加え、教頭の実家の蔵から運ばれてきた骨董と言えないではないような古物が既に押し込まれており、積んだ品々が一度地震でも起きればたちまち崩れそうになっていた。
二人は空いた場所に適当に甕を置いた。
「教頭ってどっちから立候補するんですか? 与党? 野党?」
「さあ? 出馬させてくれるならどっちでもいいんじゃないですか?」
ナグモ教頭はどちらから立候補しても、自分を推薦しなかった方の政党を口汚く罵るだろうと思いながらコウサカは答えた。相手を落とす為なら記者とホステスか芸能人崩れに金を渡し、ガードの甘い議員を籠絡させてスキャンダル自体を『創作』する可能性すらあるとコウサカは思っていた。正直、ナグモが校長になる前に早々に退職してくれて安堵していた。
「ああ、っぽいですよねー」
苦笑するキタノ。コウサカも笑った。
「部の指導終わったら飲みに行きませんか?」
「いいですねっ。サカシタ先生達も呼びましょう」
「あ・・・はい。そうですね。『皆で』行きましょう」
「行きましょう、行きましょう!」
キタノとコウサカは話しながら準備室から出てゆき、コウサカは鍵を閉め、二人は廊下を去って行った。
と、準備室の古物の陰から、やや体の透けた小さな奇怪なモノが姿を現した。細長い肉の柱のような体に多数の目と卑小な鼻、口、耳、手足、尻尾を持つ妖怪『百目』であった。百目の大きさは冬瓜一つ程度だった。片手に頭をかじり取られて死んだドブ鼠を持っていた。百目はその肩口をかじったり、滴る汚ならしい鼠の血を啜ったりしつつ、用心深くコウサカ達が運び入れた甕に近付いた。
「あれぇえええっ? これ、石投女の『尽不悪礫甕』じゃああん。へぇええっ、おっ!」
百目は甕のすぐ傍の細長い箱に気付いた。百目は箱の中身を目の妖力で『見て』みた。
「ほげぇえええっ?!」
箱から大きく後退る百目。
「『南雲打男御杖』まであったのぉおおおっ?!」
動揺した百目はドブ鼠の傷口を丸ごと加えてジュルルルッと全ての体液を吸って干からびさせた。
「ぷはっ、びっくりしたなぁっもうっ! これはアレだねぇえ、子孫が阿呆で全部忘れちゃったパターンだねぇええ。そっかぁ、どうしよっかなぁ?」
醜い体を捻るようにして考える百目。
「どうせ今、力が足りなくて暇だしぃいいっ、石投女が人打ち殺しまくったら人間の死体、漁り放題だよねぇええ? 俺、一杯食べて元の大きさに戻れるかもぉおおっ? ブフェフェフェフェファっ!!」
一頻り笑った百目は慎重に、短い片手を蛇のように伸ばして甕に封をしている札を剥がしに掛かった。その卑しい指が、札に触れようとした途端、バシッ! 札の文字が鋭く光り、百目の片手の指を吹き飛ばした。慌てて伸ばした腕を縮める百目。
「痛ぁあああいぃっ! これ、痛いよぉおおっ!!」
片手の指を失い、その場でジタバタして多数の目から涙を溢して痛がる百目。
「何だよこの札ぁっ? もぅ~っ」
百目は目の妖力で甕に貼られた札を『見た』。
「ああ~、『女』の札かぁ。善心の生娘しか剥がせないヤツだぁ、めんどくさいなぁ。やめよっかなぁ。石投女ってバカだから話し通じないしなぁ、う~ん」
取り敢えず干からびさせたドブ鼠の死骸を全て一呑みし、口からハミだした尻尾もチュルリっと吸った百目はそれを一瞬で消化してその滋養で失った片手の指を復元させた。戻した指を開いたり閉じたりして確認する百目。
「ま、いっかぁ」
甕の傍の細長い箱を見る百目。
「手に負えなくなったら南雲打男御杖を人間に使わせて適当に退治させよう。鬼太郎まで来ちゃうと俺まで退治されちゃうもんねぇええっ、うひょっ」
百目は蚤のように跳び跳ねて準備室の出入り口までゆくと『見た』だけで鍵を開け、尻尾を伸ばして取っ手に掛けて戸を開け、外へ跳び出した。
「人間のガキどもが下校するまでに石投女を復活させないとねっ」
そう言って、百目は姿を時折消したり表したりしながら、素早く廊下を駆けて行った。
百目は高校の校舎内をざっと見て回ったが『善心を持つ生娘』探しに苦労していた。格下と見ている石投女の為に本気で妖力を使いたくなかったのと、姿の小さくなった百目自体の力が弱まっているということもあったが、生娘であっても善心を持っていなかったり、善心を持っていても生娘ではなかったり、条件に合致しても油断のならないような気配の女で手が出し辛かったり、問題無く合致していても一人で行動しておらず近寄れなかったり、妙に強い力の御守りの類いを身に付けていて厄介だったりと、どうにも手こずっていた。
「何だぁ、上手くいかないなぁもうっ」
百目がボヤいていると、ふと、人気の無い教室の窓辺で頻りに消音アプリを使ってスマホで写真を撮っている女を見付けた。
「おっ?」
女を『見て』みる百目。生娘で、やや拗らせてはいるが善心を持っていた。一人で行動し、全く効果の無い雑貨屋で売っている恋愛成就の御守り人形をスクールバッグに付けているだけで、ある種のバイタリティのようなモノも感じたが間抜けそうでもあった。何より今、行っている『行動』に付け入る隙があった。
「コイツだっ」
百目は邪魔が入らないよう『人払い』の妖力を使って、教室に他の人間が近付かないようにした。女は気付かず夢中で『撮影』を続けていた。百目は廊下から教室に身軽に跳び込み、撮影する女の背後に一番近い机に跳び乗った。自分も体を縦に伸ばして女が撮っているものを見てみた。女が撮っていたのは向かいの棟の下階にあるトレーニングルームで懸命にベンチプレスをする男を撮っていた。
うっとりした顔で撮影している女。やや小柄な二年の女子で前髪の片側だけお下げに編んでいた。
「いい写真、撮れたぁあ?」
「ん~、今日はボチボチね。角度がさぁ、でもバドミンドン部がトレーニングルームを使えるのって今日は5時までだから、もう一頑張りするよっ」
「自撮り棒使えば角度調節できるんじゃないのぉ?」
「あっ、それナイスアイデアっ!」
熱中したまま気付かず会話していた女は流れで百目の方を振り返り、一瞬固まった。
「・・・・えっ? どぅあっ?!」
後退る女。
「何? デカいバイブ? え? テンガ? 凄いデザインっ」
百目を凝視する女。
「違うよぉ?」
「うわっ? 音声? えっ? 誰?」
周囲を見回す女。
「どういう意味の機能?」
「だから、違うってぇえ。テンガって初めて言われたよぉ、ヒドくなぁい?」
「テンガ、喋ってるぅううっ?!!」
教室の後ろの壁際まで下がる女。
「だからっ、一回テンガとかバイブから離れてくれるぅ?」
内心やっぱりコイツはずれかも? と思いながらも何とか話を進めようとする百目。
「お前っ、わかった。お前、『アレ』だな。ゲームとか、アニメとか、漫画で知ってるヤツだ。とうとうっ、あたしの所に、アレがっ! 来た、のか?」
様子のおかしい女。
「とうとう? アレ? ああ、鬼太郎的な意味でね。そうそう、俺は」
「違うっ!」
「ええっ?」
強く否定されて戸惑う百目。
「お前は、お前はぁああっ!」
スマホを持っていない方の手で百目を指差してくる女。百目はよくわからないが魂胆を見破られたのかと、両手の爪と、尻尾の先に出す事のできる毒針を密かに構えた。
「お前っ、『淫獣』だなっ?!!」
叫ぶ女。唖然とする百目。
「あたしをどうするつもりだぁっ! イヤぁあああーんっ!!!」
左手で制服の胸元、も右手で制服の下腹部の辺りを押さえて赤面してしゃがみ込む女。何やら嬉しそう。百目は引き続き唖然としていたが、すぐに我に返った。
「いやっ、違うからっ! それ別の種族だからっ! 確かに見た目がちょっと被ってるけど、全然違う種族だからぁっ!!」
全力で否定する百目。
「え? 違うの?」
「俺、そういう趣味無い」
「・・・・何だ」
失望した様子で立ち上がり、明らかに見下した顔で百目を見る女。
「で? 何、お前? インポチンコ神?」
「変な名前つけないでっ!」
百目は動揺した。この女のペースで話しを進めてはならない。こういう怪異を怪異とも思わない人間は昔から稀にいた。そしてこういう人間には妖力が効き難く、ほぼ確実に悪運も異様に強い。百目は自分の人選ミスに舌打ちしたかったが、今更引き下がれなかった。
「俺の名は百目ぇっ!」
「あたしはフミコっ!」
「お前の名前どうでもいいっ!!」
「んんっ?!」
対峙する百目とフミコ。
「いいか、フミコ。俺は全ての百々目鬼を従える大妖怪なんだぞ?」
「ときめき?」
「トドメキっ!」
「ああっ、それね。で?」
「俺は百目っ!」
「もうそこはわかったから」
フミコと話す内、百目は消耗してきた。何故、自分が石投女の為にこんな不毛な会話を人間とせねばならないのか?
「だからぁ、ちょっと旧社会科準備室に甕が一つあるから、そこに貼られた札を剥いでくれよぉ。中に、そう、アレだよ、そうっ! 恋の願いを叶える力を持った俺の知り合いの妖怪が閉じ込められてるんだぁ」
「何それ? 露骨に怪しいんですけど?」
魔除けのつもりか、全く効果の無いスクールバッグにつけた御守り人形を掲げてくるフミコ。
「大丈夫なヤツだよぉ?!」
「大丈夫じゃないヤツだよっ!」
睨み合いになる百目とフミコ。弱っているとはいえ、百目の『視線』には力があるはずだが、やはりフミコには全く通っていなかった。
「フミコが盗撮していたさっきの男、『一発』で落とせるぞぉ?」
「一発で? ニカイドウ先輩を一発で・・・・」
スマホの中のニカイドウの写真を見るフミコ。百目はここだっ、と思った。
「あれだけ真面目に体を鍛えてるんだからぁ、絶対凄いよぉ?」
「ニカイドウ先輩、絶対、凄い・・・・っ」
思わずよだれが出て、慌てて口元を拭うフミコ。もう一押しと見た百目が改めてトレーニングルームのニカイドウの様子を伺うと、ちょうど一年生の女子がニカイドウのアイシングに入っていた。
「ほらぁ、あの後輩にニカイドウが盗られちゃつよぉおおっ?」
「ううっ、嫌だっ! ニカイドウ先輩を渡したくないっ!」
「そうだよぉっ? 盗撮はどこまでいっても盗撮だよっ? もっとアグレッシブに行こうよフミコぉっ!」
「・・・・よーしっ、よしっ! わかった! その話、乗ったよっ、ヒャクメっ!」
「ブフェフェっ! なら急ごうっ、フミコっ」
百目は相手が冷静になる前にと、素早く廊下へと走り出した。
「わっ?! ちょっ、待ってよヒャクメっ!」
フミコは急いで追ってきた。先行して走りながら、厄介な人間だがやはり間抜けは間抜けだと、内心ほくそ笑む百目だった。
百目について旧社会科準備まできたフミコは、足元にいる少し姿の透けた冬瓜程度の大きさの百目をしげしげと見詰めていた。
「何?」
体全体に目があるので自分を『見た』者とは必ず目が合う百目だったが、口や鼻のある面を一応顔として、フミコの方を振り仰いだ。
「あんた透けてるけど、ここに来るまで誰にも見えてなかったね。何であたしにだけ見えてんの?」
「見せるつもりでいるからさぁ。一度見られると、そいつには見付かり易くなるから特別サービスだよぉおお?」
「ふうん?」
フミコが概ね納得した様子だったのとまた妙な事を言い出されると面倒なので、百目はさっさと進めることにした。
「あの甕だよぉ。中に尽不悪礫甕逆神っていう妖怪が入ってるぅ」
「ツカズアクレキサカガミ? 舌噛みそうな名前」
「ま、ねぇ。この札剥がしてぇ」
百目は片手を蛇のように伸ばし、甕に封をしている札を指差した。
「手、伸びるんだ。ヨガとかやってる?」
「やってない。早く」
「はいはい」
フミコは甕に近付き、貼られた札に手を掛けた。
「ヒャクメ、ホントに大丈夫だよね?」
「大丈夫大丈夫ぅ」
「恋、叶うよね?」
「叶うよぉ? ニカイドウ先輩を一発で『仕止めて』くれるよぉおお? アイツは『百発百中』だからさぁ。ブフェフェっ!」
「百発百中っ、頼もしいね。よぉおしっ。うりゃっ!」
フミコはバリッと簡単に甕の札を剥がした。だが、何も起きない。
「・・・・ん? 何も起きないよ? ヒャクメ?」
剥いだ札を持ったまま、フミコがヒャクメを振り返り、甕に背を向けると、
ドォオオオンッ!!!
甕に蓋をしていた油紙と、それを縛っていた荒縄が大きな音を立てて弾け飛び、中から強い海水や海草の臭いのする靄が溢れ出し、あっという間に旧社会科準備室を充たした。
「え? え? 何? 霧? 磯臭い??」
改めて甕の方に向き直るフミコ。濃い靄の中、蓋の取れた甕は浮き上がりその前面には能楽の翁の面を醜悪にしたような顔が張り付いていた。有機的でもあり、器物には見えなかった。
「あ、あの、二年C組オノフミコといいます。手芸部です。幽霊部員です。コンビニのバイトは週2日、塾も週2日です。恋を叶えてほしいのです。実は」
例によってすぐに動揺から立ち直り、フミコが剥いだ札を両手で前に構えるようにしてモジモジとイジりつつ、殊勝に話し出すと、甕の翁の面は血走った目でフミコを睨み、吠えた。
「石ぃっ、投げんじょおおおっ!!!」
甕の翁の面は甕をフミコの方に傾け、甕から猛烈な勢いで小石を噴出させた。フミコは至近距離で石の散弾を受けたようなものだったが、両手で持っていた札が激しく光り、石の散弾を防いだ。
「うわぁああっ?!」
直撃は免れたが後方に吹っ飛ばされるフミコ。弾かれた石は旧社会科準備をめちゃくちゃにし、予期していつの間にか古い武者兜の中に隠れていた百目も一発で兜を弾かれた。
「およよっ?!」
甕の傍の細長い木箱も弾かれた石によって蓋等を叩き割られ、中から木刀のような杖が一本転がり出た。
「札ぁああッ!! 女の札ぁッ! 石っっ投げんじょおおおおおッ!!!」
甕の翁は吠え、再び倒れたフミコに石を噴出する構えを見せた。と、突然箱から転がり出ていた杖が光り出し、ひとりでに飛び上がって甕の翁の左のこめかみの辺りをガツンッ! と打ち据えた。
「ぬぅううっっ?!!」
中空で怯んで後退する甕の翁。杖は打ったまま埃っぽい床に落ち、すぐに光りを失った。打たれた甕の翁の左のこめかみはひび割れていた。
「杖ぇえええっ!! 南雲の者かぁああっ?! おのれぇええっ! おのれぇえええッ!!」
甕の翁は部屋の窓を突き破って飛び出していった。
「イテテテテっ」
ガラクタの山の中からフミコは体を起こした。
「あれで生き残るってフミコ、お前、相当だねぇええっ? ブフェフェっ!」
「何笑ってんだよっ?! ヒャクメっ!」
フミコは大股でヒャクメに近付いた。
「恋とかそんな話のヤツじゃないじゃんかよっ?!」
「うん、まあ嘘だからねぇ。アイツはさぁ」
百目は得意気に語り出そうとしたが、フミコは問答無用に『札』を百目の頭? と思われる所に勢いよく貼り付けた。
「おおおおおうぅぅうううっ?!!」
叫ぶ百目。札は激しく光り、百目は焼かれたようにジュウウウっと音を立てて体を縮めてゆき、冬瓜サイズからさつま芋サイズになった。干からびた姿は特大のサラミソーセージのようでもあったが、縮んだ分、実態は濃くなり、姿は透けなくなった。泡を吹いて気絶し掛ける百目。フミコは容赦無く百目を上履きで踏んだ。
「べふぅっ?! ちょっ? 出る出るっ、口から中身出ちゃうよ! フミコっ!」
「出ちゃえよ、ヒャクメっ! お前何だアレっ?! 軽く殺されかけたぞっ?」
「だからっ、アイツは人間の女に取り憑いて石投女にする海辺の妖怪、尽不悪礫甕逆神なんだよぉっ! 男や妖怪じゃ剥がせない札で封じられたけど面白そうだから、お前を騙して復活させてみたんだよっ! それだけぇっ」
犠牲者の死体を喰うつもりだったことは黙っていた。フミコはさらに百目を強く踏んだ。
「おっふぁあっ! そんなにぃっ?! だ、ダメだってフミコっ。札、貼られてるから、死んじゃう! これ、死んじゃう方のヤツだからぁっ!!」
「どうやったら何とかできる? 吐けよっ! おらぁっ!!」
踏んだ足でグリグリとやるフミコ。
「べぶぅっ」
軽く変な汁を床に吐く百目。フミコはグリグリする力を弱めない。
「わ、わかった。言う言うっ。マジでやめてぇええ?」
フミコはグリグリはやめ、一定の力をキープして踏む体勢を取った。
「吐けっ。ズル剥けイボサラミ野郎っ!」
「うっ、うっ、ありがとうございます」
「お礼を言うなっ!」
「はいぃぃっ。男達にその南雲打男御杖を使わせて、石投女を祓う事ができますぅ。石投女を祓った事自体が甕本体のダメージになるで、7~8人払えばやっつけられるんじゃないですかぁ?」
「ハラう? ハラうって、その、取り憑かれる人達は大丈夫なの?」
「杖は人間はあまり傷付けませんよぉ? さっきも守ってきたでしょうぅ? ただ石投女自体は人間とそんな変わんないんで、祓う前にあんまりダメージ受けると死んじゃうかもぉ?」
百目はそう言ったが、本当は甕本体に札を貼って弱らせて杖で打てばもっと容易く退治できる他、海の妖全般を弱体化させる祝詞もいくつか知っていたが、これだけの目に遭って相当な犠牲者の屍肉にもありつけないのではわりに合わないと思い、黙っていた。
「あたし、この札持ってるしっ。あたしのせいだし、あたしがあの杖でやっつけに行った方がいいんじゃないっ?」
フミコは切迫した様子で踏んでいる百目に言ってきた。百目は一瞬呆気に取られた。これだから善心を持つ者は意味がわからない。
「無理だよぉ。その札は善心を持つ生娘にしか使えないように、あの杖は勇むる男子しか使えないよ」
「ゼンシン? 生娘、イサムル? 生娘?! いやっ、まぁ、そうだけどっ」
照れるフミコ。
「善心は善い心持ちっ! 勇むるは勢いある、まあ、バカになれるヤツってことっ! もういいっ? 早くした方がいいんじゃないの?」
指摘され、フミコは慌てて足を退けた。
「そ、そだねっ。早く使える男子に杖、渡さないと」
フミコは床に落ちてる杖を触れようとしたが、パリッと軽く放電されたように弾かれた。
「痛っ。女子は触れもしないの?」
「さっき因縁の相手と接触したばかりだしねぇ。何か布か何かを挟んだらいいんじゃないのぉ?」
百目は教えつつ、札を貼られた縮められた姿のまま、起き上がろうとしたが、全く起きれなかった。内心舌打ちする百目。
「布か」
フミコはポケットからハンカチを取り出しハンカチ越しに杖を掴むと拾うことができた。
「よしっ」
続けて身動きできない百目も拾うフミコ。
「あの化け物、退治できなかったら、わかってるよね?」
「ええーっ? 俺、動けないし、もう教えたから札、剥いでよぉおお?!」
「ダメに決まってんじゃんかよっ!」
「そんなぁあああ~っ」
フミコは南雲打男御杖と女の札を貼って封じた百目を手に、めちゃくちゃになった旧社会科準備室から出た。既に校舎の内外は磯臭い濃い靄で覆われていた。