よろしく、ディストピア
『マイコード制度』
マイコード制度は国民生活の安全と利便性向上のために定められた制度です。
国民ひとりひとりには5桁の数字が割り振られ、身分証明の代わりとして使用して頂くことができます。
また行政の管理するデータベースにアクセスする事で皆様にはいつ、どこにいても自分の情報を照会してもらうことが可能です。
納税記録や通院歴、日々の買い物の記録も一目瞭然。マイコードさえあれば家庭の財布の管理までバッチリです。
なぜならマイコードとは行政が国民に保証する新しい安心の形だからです。
国民生活省『知ってる!?ここがすごいよマイコード!』より
雑多な居酒屋が軒を連ねる国道沿いを自転車で走りながら40305はバイト先のハンバーガーショップへ向かう。
大学の講義が長引いてしまった。
出勤時間まであと10分。
今日遅刻したら減給は免れない。
昔はよかった。
多少遅刻したくらいではバレることすらなかったのだ。
マイコード制が導入されてからはどこにいくにもカードをかざす必要がある。
カードリーダーだらけになった街並みは以前よりも少し無機質に感じるもののそれを違和感と感じなくなる程度の時間はすでに流れていた。
今ではテキトーに業務をこなしていた店長でも従業員の勤務態度をワンクリックで確認することができる。
黒光りするマイコードカード(通称ブラックカード)のデータをよく見てもらえれば遅刻の理由もわかろうものだがそこは容赦なし。
時代は発展しても人間の雑さまでは変わらないということか。
もっとも今さらマイコードのない生活に戻ることなど願い下げではあったが。
「18時02分。コード40305、2分の遅刻です。本日の給与は30%減額されます」
慌ててカードを切るも合成音声は無情に言い捨てる。くそっ。機械に情状酌量という言葉を学ばせるにはあと何年かかるんだ。
「40305ォッ!」
その音声を聞き付けた店長の怒声が厨房の奥から控室まで響き渡った。
まったく地獄耳だな、あの人は。
狭い更衣室で片手を壁に着きながら制服への着替えを手早く済ませると念入りに手洗いをして厨房へ向かった。
持ち場のフライドポテトマシンの側まで行くと先輩の22386が忙しそうに両手を動かしながらポテトをゆで揚げていく。
その華麗な手さばきに熟練の技を見て取り、40305は思わず息を呑む。
時代がいくら進もうと結局のところ、本当に重要なのはアナログな人の手による力なのだ。
だれが言ったか忘れたが"神は細部に宿る"のだという。
細かな技術の蓄積だけが人を高みへと導くのだ。
「ちょっと、40305くん。ぼーっとしてないで動いて!」
「あ、はい!すみません!」
22386は目視だけで40305の姿を確認すると手を止めることなく指示を出していく。
18時台は40305のような学校帰りの学生や退勤途中のサラリーマンが立ち寄ることで店の混雑は即座にピークに達する。
気を抜いている暇は全くない。
隣では同じ時期にバイトを始めた92521と88675がバンズの焼き加減を確認している。
38216や52884も額に汗を浮かべて一心不乱に仕事をこなし続けた。
あっという間に時間は過ぎ去り、時刻は22時を回った。
店長以外では唯一の社員、55621とチーフの39005が退社するとスタッフの数は40305を含めて3人だけの深夜体制に移行した。
今日の勤務時間はあと2時間。
気を抜かずにいかなければ。
人数が少なくなったこともあって40305は
22386の指示でレジへ移った。
この時間帯はほとんど人が来なくて楽だ。レジから店内を見渡すとカップルが一組いる他は受験勉強に熱心な学生がコーヒー片手にねばっているだけだった。
ブザーが鳴ってダウンジャケットの男性客がひとりで店内へと入ってきた。
「いらっしゃいませ」
見慣れない顔だ。
40305が知る限り始めての客。
男はメニュー表を一瞥するとすぐにレジ前まで進んで矢継ぎ早に注文した。
「チーズバーガーとコーラ(M)」
「かしこまりました」
オーダーを受けると厨房の22386へと即座に内容を伝える。
「226と134がひとつずつです」
「あいよっ!」
長時間勤務だというのにまったく疲れもみせない22386は1分とかからずにハンバーガーひとつを用意し、コーラをカップに注ぐ。
うちのハンバーガーショップではできたてにこだわるため、オーダーを受けてから調理を始める。
いかに早く商品をお客様に届けるかは常に問われ続ける課題だ。
「お待たせしました。ご注文内容を確認致します。226と134がひとつずつでお間違いなかったでしょうか?」
「は?」
男が怪訝な表情を見せる。
しまった。
間違えたか?
「すみません。復唱致します。226と134が1点ずつ。以上でお間違いはないでしょうか?」
「いや…チーズバーガーとコーラを頼んだんだけどさ…」
今度は40305のほうが目を丸くする番だった。いまどき何を言ってるんだか。
商品は商品コードで確認するのなんて常識じゃないか。
「お客様、恐れ入りますがコードがおわかりにならない際はこちらの商品カタログをご覧下さいませ」
「おいおい。ちょっとくらい融通きかせろよ。これだからエリア6の店はよぉ」
もういいと言うように手を振ると男は中身も確認せずに商品を引ったくって店を出た。
まったく何てヤツだ。
危機管理意識のカケラもあったものではない。
間違いない。
あいつはコードレス主義者だ。
世間にはいまだマイコードの利便性を理解しようとしない頭の悪い連中が大勢いる。コードレシリアンと呼ばれるそれらの連中は驚くべき事にいまだに親から授かった名前で互いを呼びあうという。
正気じゃない。
個人情報をそこまであけすけにできるその神経をこそ40305は何より恐れる。
そんな一件に煩わされることもあったものの概ね何事もなく仕事を終えると閉店作業をこなして40305は帰途についた。
もちろん退勤前にブラックカードを通して本日分の給与の確認は怠らない。
6時間勤務で3050円也。
やっぱり減額されてるか。
給与の計算はマイコードカードが勝手に行うシステムになっているのでわりと本当に店長の仕事は減っている。
今日もさっさと退勤してしまって深夜はバイトだけで回していたのだから驚きだ。
演算システムの発達は人を衰えさせる。
経理という職種がなくなってからもう何年が経過しただろうか。
夜風にふかれながら家路を急ぐ。
独り暮らしの気ままさは家庭に縛り付けられないことにあった時代はとっくに終わりを迎えている。
今では未成年者の深夜外出はすぐに警察が嗅ぎ付ける。
マイコード制は犯罪者を許さない。
早く帰らなければ。
時計の針はすでに1時に達しようとしていた。
「君、待ちなさい」
後ろから声をかけられた。
ぱりっとしたスーツ姿の女性。
長い髪を後ろで団子状にまとめたその姿はやり手のオフィスレディにも見えたがきっと違う。
OLはこんな時間に学生を逆ナンしたりしないだろう。
今はマイコードで学歴も素性も簡単に調べられる時代なのだ。
女性は付き合う前に彼氏候補の生い立ちや趣味嗜好をカンペキに把握しておくのが普通。
見ず知らずの人間にいきなり話しかけるなんてリスキーな行動は基本的にはとらない。
何か特殊な職業にでもついていない限り。
女性は古めかしい二つ折りの手帳を広げるとよく通る声で名乗った。
「警視庁捜査一課の南場舞だ。マイコードは99999。捜査協力願いたい」
驚いた。
警察手帳なんて見るのは始めてだ。
それは何も40305が今まで品行方正に過ごしてきたからというわけではない。
単に警察手帳などという時代遅れの遺物を所持する必要が警察官になくなったからに過ぎない。警察官は常に警察の膨大なデータベースを閲覧できるカードリーダーを所持しており、自分のパーソナルデータもカードひとつでそこから取り出すことができるようになっているのだ。
だから身分の証明に手帳なんて不便な物を持ち歩く必要はなかったし、いくら警察官だからといって本名を名乗る義務などはない。
つまりこの女性は本名という重大なパーソナルデータを開示することによって自身の信頼性を高めているのだ。
そして一番の驚きはそのコードである。
ゾロ目の5ケタ。
"奇跡の9人"と呼ばれる伝説級の人物が所持するマイコードだ。
横並びの同じ数字をコードに持っているのは国家に対して多大なる貢献を果たした9人の人物のみが手にしている正しく奇跡のような数字なのだ。
警察関係者に奇跡の9人が存在するという話は耳にした事はあったがまさかこんな若い女性だとは知らなかった。
人は見かけによらないものだ。
「昨夜未明、この付近で殺人事件が発生した。若い女性が惨殺されてね。非常に痛ましい事件だ。犯人の目星はついてる。ちょうど君くらいの年齢の男性だ。女性の死亡推定時刻は午前1時。おや?今は何時だったかな、少年?」
「午前1時ですね…」
しらじらしい。
要するに疑われているのだ、俺は。
でもなんて事はない。
俺はやってない。
それが事実だ。
俺のアリバイはマイコードカードが証明してくれることだろう。
この制度が確立してから冤罪は極端に減った。隠し事が出来ないからだ。
刑事や司法の現場においてもマイコードの有用制は確立されている。
制度が人を救う。
法治国家のあるべき姿の理想形だろう。
「ここらを歩いている20歳前後の男性にはみんな声を掛けさせてもらっているんだ。悪く思わないでくれ。差し支えなければマイコードカードの提示を願いたい」
「ええ、構いませんよ」
40305は勝ち誇ったように笑うとカードを99999へと手渡した。
99999はカードを宙に透かしたり、裏側をしげしげと眺めたりと無駄な動作を何回か行った後でカードリーダーへそれを差し込みコードを読み取った。
「コードナンバー40305、本名・鈴木二朗。1997年産まれの18歳。大学生。ハンバーガーショップ、オスバーガーにてパートタイム労働に従事。この情報に偽りはないか?」
「はい」
あるわけはない。
マイコードカードは嘘を吐かない。
嘘を吐くのは人間だけだ。
「昨夜12時45分に近隣のコンビニ、ナイントゥエルブに立ち寄っているな」
「ええ」
「そこで貴様は商品コード116・コーヒーゼリーと589・ミックスオーレを購入した」
そこで99999は一拍置いた。
前置きが終わりましたという感じ。
何を追求されるのか。
「それと共に貴様は秘匿コード386を購入している。問おう?386とは何だ?」
予想通りだった。
マイコードカードは嘘を吐かない。
納税記録から日用品の購入履歴まですべてがそこには記載される。
相手は警察官。ごまかしが効く相手とは思えなかった。
「どうした?黙秘か?ならば署で話をきかせてもらおう」
99999が腰のポケットに手を差し入れたところで40305は曖昧な態度でいることの愚を悟った。
「雑誌です…」
「雑誌?マンガ本か?嘘をつくなよ、小僧。秘匿コードの雑誌があるものか!タイトルを言え!」
「うっ…」
「どうした!言え!」
「じょ…"女子高生緊縛責め わたしの巨乳を揺らさないで"です…」
一瞬の沈黙。
夜風は冷たく40305の肌を射した。
「そうか。手間を取らせたな。では失礼する」
淡々と、事務的に、告げると99999は汚らわしいものを見るような目で40305を見据えその場を立ち去ろうとする。
いや、待て。
せめてツッコめ。
ツッコんでくれよ。
これでは立つ瀬がない。
「あの…」
つい呼び止めてしまった。
99999が振り返る。
まずい、あやしまれたか。
「早く帰りたまえよ。私の巨乳は揺らさんでほしいからな」
顔が赤くなった。
何なんだよ、まったく。
いいじゃないか、健全な大学生がどんな雑誌を購入しようとも。
恥ずかしさに身を捩らせている間に99999の姿は消えていた。
疲れがどっと出る。
とんでもない1日の終わりになってしまったな。
40305は溜め息を吐くと再び家路を急ぎ始めた。
翌朝。
寝覚めは悪い。
何故か99999が巨乳を揺らしながら迫ってくる夢を見てしまった。
我ながら情けない。
大学の講義まではまだずいぶん時間がある。
40305はハンドドリップでコーヒーを落とすとテレビのスイッチを入れる。
「続いての速報です。マイコード詐欺で指名手配されていたコードナンバー58921・舞鶴文枝容疑者が今朝未明、他人名義のコードで預金を引き落としているところを現行犯逮捕されました。この詐欺での被害総額は1億円に上るとのことです。皆様もくれぐれもマイコードの提示には細心の注意を払っていただきますようお気をつけ下さい」
詐欺か。
いつの時代も良からぬことを考える人間は後を絶たない。
人から金を巻き上げるそのテクニックを他の事に利用すればもっとまともな生活を送れそうなものを。
なぜ犯罪などに走ってしまうのだろうか。
コーヒーをすすりながら他人事のように考えていた40305の眼が画面に釘付けになったのは舞鶴という容疑者の顔写真が液晶いっぱいに写し出されたからだった。
「嘘だろ…」
99999だった。
思い返せばばあの女は最初から不自然だった。
OL風のスーツ。
警察手帳。
秘匿コード。
迂闊だった。
警察所有のカードリーダーが秘匿コードを読み取れないはずがない。
パソコンを立ち上げてデータベースにアクセスし、自分のコードとパスを入力する。
預金残高は0。
ぽつりとひとつだけ表示された完全なる円環を眺めながら40305は肩の力が抜けるのを感じた。
深呼吸で気持ちを整えると386を開いて頭から読み始めた。
『マイコード制度』
マイコード制度の利便性には落とし穴があることをご存じだろうか?
個人情報の全てを行政に委託することは煩雑な作業を簡略化し、分かりやすい形で明示してくれる。
だがそれは諸刃の剣なのだ。
"楽"であることは強烈な毒を孕んでいるものだ。
考えてみてほしい。
国が自分の個人情報の全てを握っているという状況を。
それは完全なる管理社会である。
管理社会の行き着く先はつまるところとっくに化石化したはずの全体主義の復権なのである。
我々は国に全てを委託することが国家の奴隷と化す事に気づかねばならないのだ…
カタストロフ出版『本当は怖いマイコード制度』より