01 事件前夜
「――――ッ!?」
文字通り、布団から飛び起きる。
その際右脚に衝撃が走ったが、それに構ってやる余裕は無かった。
全身にかいた尋常じゃない量の寝汗のせいで服が張り付いていて、気持ち悪い。
手の甲で額を拭うと、ぬるりとした感触が直に伝わってきて鳥肌が立った。反射的に手の甲を見るが、それは当然ながら何て事のない透明な液体だった。
「……ゆ、め……?」
ほっと安堵の息を吐き、全身から力が抜け落ちそうになるのを何とか踏ん張って辺りに視線を配る。
不覚にも自分が居る場所が一瞬何処か分からなくなって混乱したが、冷静になって見てみれば何の代わり映えもしない自分の部屋だった。
――とても恐ろしい夢を見た気がする。
そんな漠然とした感想が浮かぶ。
確かにオレは今までやけに鮮明で、長くて、リアリティ溢れる夢を見ていた筈だった。
なのに肝心の夢の内容は酷く断片的だった。
確か、皆が出てきて……あれ、まず皆って誰だよ。途中親しい人が出てきたような雰囲気が流れていたから、多分あの馬鹿共は居たんだろうな……オレ友達少ないし。他に親友と呼べるような存在は居ないし。
頭をフル回転させて内容を思い出そうとしても、断片的に思い出せていた記憶のピースすらも砂をザルでこしたように頭の中からこぼれ落ちてゆく始末。
「はぁ……っつ……!?」
どうやっても思い出せなくて、諦めの嘆息を吐いた瞬間、右脚に鈍い痛みが走った。
平常を取り戻しかけた頭で改めて自身の状況を顧みると、オレはブランケットを体に巻きつけたままで畳の上に仰向けに横たわっていた。
右脚の側にはオレの身長よりも高い桐箪笥が置かれている……というよりかは聳え立っているという表現が合っている様相で、無様に布団から転げ落ちたオレを見下ろしていた。
……以下の状況から推察するに、オレは飛び起きた際に勢い余って布団から転げ落ちた挙句、あの箪笥に脚を強打した模様。
そういえば起きた瞬間に衝撃を感じたような気がしたが……どうやらオレは痛みにも気付かないくらい動揺していたらしい。いや、気付いていたが無視していたという方が正しいか。
仰向けに転がっていた上体を起こし、次いで脚に力を込めると、まだ痛みはするが動かせない程では無いらしい。なるべく右脚に負担を掛けないようにして立ち上がった。
寝汗も凄いし、これは着替えないと。どうせだからシャワーも浴びて来ようかな……
「今、何時だろ……」
布団の脇に置いてあったタッチパネル式の携帯電話を取ると、二十三時を少し過ぎたくらいの時刻だった。
まだ眠ってから一時間も経っていないのか。中途半端な時間に目が覚めてしまったな……
何気なく携帯のロックを解除すると、ゲームのアイコンがずらりと並ぶホーム画面の中、オレの視線は迷う事なく緑色のチャットアプリに誘導された。
何故かって? 他のアプリに比べてそこだけ格段に通知の桁がおかしかったからだよ。
案の定、それらの通知は全てオレの所属する二年二組のクラスメイトが所属するグループからだった。
此奴ら夜中でも元気だな……明日は月曜日だってこと忘れてないよな。いつまでも日曜日気分に浸ってると翌日痛い目を見るのは自分だぞ。
今尚増え続けている数字を遠い目で眺め、一体何がそんなに盛り上がっているのか確認しようとしたその時、夜特有のひやりとした冷たさが頬を撫でて行った。
突き刺すようで、通り抜けてゆくような冷たさに身震いする。
「……隙間風?」
薄っすらと差し込む月明かりを頼りに窓に触れるも、しっかりと閉まっていた。
ならあの冷たさは何処からやってきたのかと室内を見渡すと、襖が少し開いているのが見えた。
寝る時に閉め忘れたんだろうか。
閉じる為に近づいてみると、襖の隙間から覗いた廊下に細長い赤色が伸びている。
それは光の方向からして、玄関の方からここまで漏れ出ているようだった。
不思議に思ってそろりと襖を押し開ける。そして赤い光線を目で辿っていって、驚いた。
「ドアが、開いてる……」
引き戸から漏れる月明かり。
それは鍵が開いていたという意味ではなく、扉そのものが開きっ放しになっていたという意味だ。
そしてまた、オレの横を風が通り抜けた。
* * *
「……寒い」
まだ夏休みが明けてから三週間程度しか経っていないというのに、既にひやりとした外気が覆う田舎道をオレは宛てもなく彷徨っていた。
いくら此処が電車が一日に四本くらいしか来ないド田舎の小さな町といえど、自ら強盗に入ってきてくれと言っているような状態の扉をそのまま放っておく訳にも行かない。
慌てて周囲を確認して、特に荒らされたような形跡がなかった事に安堵しつつ、シャワーを浴びたり着替えたりするついでに散歩にでも出たら眠くなるかとそっと家を出た、九月十三日の二十三時過ぎ。安心してください、玄関は閉めてますよ。
流石に吐く息が白くなる程ではないが、少し前まで真夏日が続いていたのが嘘のような冷え込みっぷりに身震いする。
シャツの上に薄手の黒いカーディガンを羽織っただけの格好で出てきたが、もう少し厚着してくれば良かったかもしれない。
少しだけ後悔しながら、何となしに空を見上げる。
墨汁を垂らした様な澄んだ夜空には待宵の月と、都会ではまず見れない星々が散りばめられていて、それがオレ達を見守っている様に感じた。
「……手を伸ばせば届きそうだな」
ふと、そんな在り来たりな言葉が浮かんでくる。
頭ではこの手を伸ばした所で空に届く訳がないと理解しているのに、つい手を伸ばしてしまいたくなるのは何故だろうか。
星を眺めながらぼんやりと歩いていたが、ふと上を見ながら歩くのは危険だと我に返ってと視線を下ろしかけた時、オレの視線は今度は月に縫い付けられる。
いつもより地球に近付いているせいで大きく見える其れは、仄かに赤く発光している。
その色合いは美しいけれど、オレにはどうもその赤が何処か不吉なものに思えてならなかった。
……やめよう。
頭を振って、浮かんだ考えを振り払う。
たかだか月の色が違うだけじゃないか。
そうだ、今のオレはさっきあんな夢を見たばかりだから赤色を変に意識してしまっているだけだ。
等間隔に並ぶ街灯を頼りに歩いている内に、オレは知らず知らずの内に公園の前まで差し掛かっていた事に気付く。
坂道の中腹、斜面に沿って立てられた柵の向こう側にある公園には今度開かれる祭りで使うのだろう屋台の骨組みや、シートなどが乱雑に置かれていた。
ふと小学生の頃は此処でよく遊んでいた事を思い出し、少し感慨深い気分になって一歩踏み入れた。
何も変わっていない。
塗装が剥げて錆びついた遊具も、この時期になると仄かに色づき始める街路樹も……
相変わらず遊具は少ない。すっかり風化して錆びたブランコ、不安定にぐらついたシーソー、後は象をデフォルメ化したキャラクター型の滑り台くらいで、仄淡いパステルピンクの塗装は剥げ、風化していた。
これといって特徴がある訳でも無い、言ってしまえば何処にでもありそうな公園だ。
けれど当時の十六夜町は今よりも娯楽施設が少なく、小学生が遊べるような場所なんて此処以外では河原か学校の裏山くらいのものだった。
あの時と何も変わっていない筈なのに、陽が出ているのと出ていないのでこうも不気味な景色に変貌するのか。
人は薄暗く視界の悪い環境に置かれるだけであらぬ妄想を抱くというのに、静まり返った公園は木々のさざめきや砂利を踏む音でさえもよく響く。
それに、オレの気のせいでなければさっきからきぃきぃと何かの鳴き声みたいなのが聞こえるんだが。
甲高い音が重なり合い、耳触りな不協和音を奏でているそれは笑い声のようにも聞こえて、心底気味が悪い。
向こうの茂みから何か飛び出して来やしないだろうか、と恐る恐る進み、鉄棒の横を通り過ぎた所でオレは騒音の正体と出会った。
――公園の奥、ブランコの座板の一つが揺れていた。
不快な騒音の正体はブランコを吊り下げている金属の鎖が擦れ合う音だったらしい。
その上に乗せられているものを見て、背筋が凍りついた。
「……人?!」
無造作に垂らされた長い髪から覗く青白い顔。だらんと力無く投げ出された手足はブランコに合わせてゆらゆら揺れている。
一瞬死体に見えてぎょっとしたが、よくよく見てみればそれはただの日本人形だった。
何だ、ビックリした……いや、ただの日本人形が置き去りにされているというのも充分奇妙な状況ではあるが。
「一体、誰がこんなもん置き忘れたんだか……」
何となく人形を抱き上げ、入れ違いにブランコに腰掛けながらぼんやりと人形を見つめる。
胸辺りまでだらしなく伸びた髪に、所々ほつれて破けた青い振袖。
土や埃で汚れてこそいるものの、人間の死体と見間違えただけあって顔立ちなんかはかなりリアルだし、造られたばかりの頃はさぞ美しい人形だったのだろうと容易に推察できた。
というか、やたらリアルに造られてて怖いくらいだ。
それに所々汚れや欠けている箇所があるのが不気味さを一層掻き立てていた。
不法投棄か……? 町のゴミ捨て場は三ヶ所知ってるが、どれも此処からは距離があるし、不法投棄にしてもわざわざ公園のブランコの上なんて目立つ場所を選んで捨てるだろうか。
子供が遊びっ放しにしたまま忘れて行った。
そう考えるのが自然なんだろうが、この人形、オレの両腕にすっぽり収まるくらいのサイズなのに実際抱えてみると意外にずっしりと重みがのし掛かってくる。
持てない事はないが、子供が持ち運ぶにはちょっと不向きな気がしないでもない。
『あーっ! リオンはっけーん!』
間近から降ってきた大きな声に心臓が跳ねる。
反射的に顔を上げるが、何処にも人の姿は無い。
『ちょっと待って! 今そっち行くから!』
またさっきの声が降ってきたかと思うと、やはり風も無いのにガサガサと落葉樹が擦れ合う音がして、はらはらと落ちてきた葉が頭上に積もる。
――上?
『よいしょ、もう少し……うわっ!』
程なくして、短い悲鳴と共に一際大きな影が落ちてくる。
影は地面に叩きつけられる直前でくるりと器用にその身を反転させると、そのまま優雅に地面に降り立ってみせたのだった。
『っと、改めましてこんばんわ~! 見つけてくれてありがとね!』
何事もなかったかのように話しかけてきたのは、やたらとテンションが高い、小さな少年だった。
「……見つけた?」
『その子の事だよ~』
彼が指で示した方向にオレも視線を向けると、そこにはオレの腕……正確にはさっきの人形が収まっていた。
ああ、成る程。
「コレ、お前のなのか?」
『うん! それ振り回して遊んでたんだけどね、うっかり手を放して行方不明になっちゃってたんだよね~』
「ふーん……」
子供は頬を軽く掻き、眉を八の字にして困ったように笑う。
オレはそんな少年の顔をじっと覗き込んでいた。
右半分は漆黒、真ん中から左半分にかけては純白のメッシュになった不思議な髪型をしていて、頭の左側にはミニハットがちょこんと乗っている。
服装も白地に所々モノクロのタイル模様が入ったワイシャツ、ズボンとブーツは真っ黒とほぼ白黒でまとめられていて、白と黒の世界の中でオレを見上げてくる双眸とネクタイの鮮烈なまでの赤色が妙に目に焼き付く。
勿論この町全ての人間の顔を見たことがある訳ではないが、何となく初めて見たという感覚を覚える。
――何だか、不思議な子供だ。
軽く少年を観察していると、彼もオレの視線に気が付いて負けじと見つめ返してくる。
高校生相手にガン見されても一切動じず、それどころか自分の方から真っ直ぐ視線を合わせてくる事からも相当気が強く、肝が据わった人物だという事が伺える。
『ん? ゲーマスちゃんの顔に何か付いてるかな?』
「あ……いや」
少年が胡乱気に問いかけてきた所で我に返り、俯く事で彼の視線から逃げた。
今の時点でもかなり不自然だが、ここで黙り込むのはもっと不自然だ。だから何か喋らなくては。しかし何を話せば良いのやらさっぱり分からない。
友達と呼べるような存在は片手に収まる数しか居ないし、子供だってあまり得意ではない。むしろ苦手な方だ。
ここは無難に天気の話でもするか? 星が綺麗だし、丁度今日の月は珍しい色をして……あれぇ? いつの間にか曇ってらっしゃる。
夜の黒に差し込む僅かな光をも埋め尽くす分厚い雲。この怪しげな空模様で良い天気ですね、とか無理じゃん。確実に変人認定されるじゃん。言う前に気がつけてよかった。
というか、話題に困って天気の話を振るとかベタすぎてコミュ力の低さを自ら曝け出してるみたいで嫌だわ。確かに対人スキルなんざ初めから持ち合わせてないけどさ。
あれ、オレってこんなにコミュ障だったっけ? 取り敢えず何でも良い、何か言わないと。天気以外で。
会話の種になり得そうなものを探して視線を彷徨わせていると、ふと人形を抱き抱えたままだった事を思い出す。そうだ! これだ!
「それにしても、随分悪趣味な人形だよな」
会話を逸らすと、少年は途端に不機嫌そうに頬を膨らませる。
あれ、話題選び失敗した?
『悪趣味とは何なのさ! リオン可愛いじゃんかー!』
「えぇ……ま、まぁ世の中には色んな趣味の人がいるしな……ダイジョーブダイジョーブ」
『片言で言われても説得力皆無だからね!? ゲーマスちゃんマジでおこだよ!? 激おこだよ!?』
「落ち着け、どうどう」
リアルで激おことか使う人初めて見た。
漫画みたいにオーバーな怒り方といい、此奴本気で怒ってるのか? と下世話な疑いをかけてしまいたくなるような台詞を吐きながらポカポカと叩いてくる少年を適当に宥めていると、またしても違和感が。
「……ゲーマスちゃん?」
そういえばこの子さっきから「ゲーマスちゃん」という単語を繰り返している気がするが、ゲーマスって何だ? なんか俺、とか僕、みたいなニュアンスで使っているように聞こえるんだが……
『ん? ゲーマスちゃんはゲーマスちゃんだよ?』
きょとんとした顔で自分自身を指差す少年。
そこから推測するに、やはりというかそれが彼の一人称なのだろう。
自分の事を名前で呼んでる人は偶にいるから、この子もそうなのか?
オレの知り合いにも所謂キラキラネームの奴は何人か居る。まぁ世界はオレが思うよりもずっと広いんだし、色んな名前の人が居てもおかしくないか。
「……あ、そういえば、これ」
持ちっ放しだった人形を突き出す。
持ち主が現れた以上、いつまでもオレが持っているのもおかしい。
そう考えて人形を渡したのだが、少年はじっと人形の顔を見つめていたかと思うと、オレに突き返してきた。
…………ん?
『その子、あげるよ~』
「は?」
ぽかんと口を開け、間抜け面を晒すオレの手にぐいぐいと人形を押し付けてくる少年。いや、ちょ、ちょっと待って!?
「いや、何で……? 別に要らないし、お前のなんだろ……?」
『もー、ガタガタ言わなーい! リオンがそれを望んでるんだからお前は何も見猿聞か猿言わ猿受け入れればいいの!』
なんという理不尽。オレの人権は完全無視かよ。せめて見猿と聞か猿は撤回してくれ。
「り、リオン? どちら様?」
『もー、さっきから質問多いー。少しは自分で考えてよね!』
喧しいわ。
何投げやりになってんだよ、一体誰のせいだと思ってやがるんだこの野郎。
もしかしてこれって喧嘩売られてるのか? 買うぞおら。子供相手じゃなかったらどうにかしてやってる所だからなこの野郎。
『…………は……の…………たし……』
「……え? 今何か言ったか?」
『んーん? 何も~』
ゲーマスは木から降りてきた時と同じく、にっこりとオレに微笑みかけてくる。
おかしいな、何か呟いた気配がしたんだが……本人がそう言うなら大した事ではないのだろうと、オレはそこで思考を終了させた。
『じゃっ。時間も時間だしゲーマスちゃんはそろそろ帰らせていただくとしまーす』
そう言うなり背を向けて、オレの反応も待たずに唯一の出口に向かって走り出すゲーマス。っておい、マジでこの人形オレに押し付けるのか!? 真面目に要らないし困るんだけど!?
「おい待っ……!」
『またねっ、緋咲キンタロー君っ』
遠ざかってゆく小さな背中に向かって呼びかけようとした瞬間、ゲーマスも声を上げた。向こうの方が声が大きかったので、オレの声は必然的に掻き消される形になった。
尚もゲーマスを追いかけようとした瞬間、一際大きな風が吹き抜ける。
しかも飛んできたゴミがコンタクトの隙間に入り込んだようで、あまりの痛さに目を覆ってその場で悶える。
「いっ……」
うわぁあ目が! 目がぁあああ! と内心某大佐みたいに大騒ぎしながら、一旦片目のコンタクトを外す。
ちくしょう今日はなんて日だ! 一日の間にちびっ子にも風にも煽られるとか自慢にもなんねーよ。あっ今のちょっと上手かった。おい誰か座布団一枚持ってこい。……うん、オレ一人で何茶番してるんだろ。虚しいね。
再び顔を上げるも、さっきまで目の前にいた筈のゲーマスの姿を見つけることは叶わなかった。
「……ゲーマス?」
覚えたての名前を呼んでみても、何一つ意味なんて成さない。
慌てて公園の入り口まで出て、周囲を確認するがゲーマスどころか蟻すら見当たらない。
この公園は三方を雑木林に囲まれていて、出口は一つだけ、つまり此処しか無い。それにオレが目を離したのはほんの数秒。人一人消えるにはあまりにも短すぎる時間で。
すっかり静まり返った公園は全てが元通りで、つい先程まで異空間に切り離されていたような、そんな錯覚を覚えたがすぐに馬鹿らしいと考えを振り払う。
そんなことよりも、だ。今オレが最も気にするべきは……
「…………これ、どうしろと……」
落とした視線の先、左手には日本人形がだらりとぶら下がっている。うん、やっぱり不気味だ。
こんな人形持って帰ったら確実に親に訝しがられる。
かといって人に貰ったものを捨てるのは気が引けるし、それにこういう人形って捨てたら祟ってきそうで怖い。メリーさんの電話みたいな都市伝説もあるくらいだし。まぁあれは西洋人形だけど。
今後の事を思うと疲れがどっと襲ってきて、オレは倒れ込むようにその場にしゃがみ込んだ。
ちなみに正直に話すという選択肢など初めから無い。
こんな時間に散歩に行ったなんてバレたら母さんにバイクに繋がれて引き摺られる。もしくはばーちゃんに説教された後最低でも六時間は正座させられる。うわぁあ自業自得だけどどっちも死ぬ。
ここは適当に言い訳して誤魔化すか? 嘘を吐くのが下手なオレが? はは、ご冗談を。我が家の女性陣は皆さん勘が鋭くていらっしゃるから即見破られるわ。
『またね、緋咲キンタロー君っ』
別れ際に言われた台詞がふと脳裏に蘇る。
あの野郎、面倒事押し付けやがって。リオンが望んでるからだの訳分かんねーこと言ってんじゃねえよ。電波か? あ?
沸々と込み上がる負の感情に任せて呪詛を垂れ流していると、ふとゲーマスの発言の矛盾に気がつく。
「……あれ……? オレ、彼奴に名前教えたっけ?」
名乗った覚えは無いが、きっと話してる途中にポロリと言ってしまったのだろう。
しかし、じゃあね、でもさよなら、でもなくまたね、って言ったってことはまたいつか会えるかもしれないってことか。
まぁ、こんな小さな町なんだし、この辺りに小学校は一つしか無いからどうせ近い内に顔を合わすだろ。人形はその時に何が何でも押し付け返すとして、一応日付が変わるまでには帰らないと。
我が家の人間はオレ含めて十時頃には就寝している。
家を出る前、一応親の寝室の前まで行って確認した時には皆いつも通り眠っていた。
途中起きてきた場合も考えて、抜け出したことがバレないように寝室の布団には軽くカモフラージュを施してきた。
靴も普段履いているものをそのまま履いて行くと玄関を見られた時に終わる可能性があったので、わざわざ物置から埃を被ったサンダルを引っ張り出して来る周到っぷりだ。そのお陰でさっきから足が冷えて感覚が無くなってきてるのは気にしない。
携帯電話で時刻を確認すると、今日が終わるまでもう残り数分を切っていた。
結構長居してしまったな。そろそろ戻らないと。
まぁ家族がオレの部屋に勝手に入ってくる事は無いし、どうせバレはしないと思うけど油断は禁物だ。
別に寒いし色んな意味で疲れた気がするから早く帰りたいとかではない。決してない。
疎らに降り始めた雫がコンクリートで固められた道路に当たって弾けて、黒いシミを幾つも残す。
そんな道を、オレは少し早足に戻ってゆくのだった。