6.5話
病状は最悪と表現される状態まで侵攻してしまった。
もう無菌室から出ることは許されず、併発している全ての病気は末期状態だ。
担当医からも「おそらく後一か月持つか持たないかでしょう」と宣告されてしまった。
辛くはあるが、自分を被験者にすると決めた時から覚悟をしていた。
「何をしているの?」
不意に声をかけられ、凛子は走らせていたペンを止めた。
視線を声の方へと向けると、そこには軍服姿の女性が立っている。
篠江恋。凛子が国連軍に入隊した時から付き合いのある親友だ。こうして週に一度は一時間もかかる殺菌作業をして、凛子の部屋へと入って来てくれる。
なかなかに思いやりのある彼女はこの前大佐へと昇進した。それに加えて今度完成する最新型の戦艦の艦長にも任命されたと聞いている。
部下想いの彼女の戦艦に乗れる人は幸せ者だ。できるなら彼女の指揮の下で一度は戦いたかった、と今では叶わない夢を見る。
「手紙を書いてるの」
「手紙?」
篠江が覗き込んでくる。
たった一文しか書かれていない便箋には『優人へ』と宛名が書かれている。
「星野君への手紙……」
彼女の表情がかげる。
「ほらそんな暗い顔しない。美人が台無しよ、恋」
「名前は呼ばないでって言ってるでしょ」とむくれる篠江。彼女は自分の名前があまり好きではない。人に名乗る時も苗字しか言わないほどだ。
本人になぜと聞いたら「そんな可愛い名前、私には似合ない」と呟いていた。
凛子的には可愛さの中にも凛とした響きがあって、篠江にぴったりだと思っている。だからこうして本人が嫌がってもたまに名前で呼ぶようにしているのだ。彼女が自分の名前を好きになってもらえるように。
「凛子、なんで星野君への手紙を?」
大規模オルティム群の西日本襲撃で優人は行方不明。公式には死亡扱いとなっている。
そんな優人に手紙を書くのは意味のないことだ。
「確かに優人はもういないかもしれないけど。でも私はなんとなくまだ生きてる気がするの。だから私が死んだ後でも私の言葉が伝えられるようにしないと」
また篠江の表情がかげる。
「ほら恋」と凛子が茶化すと「名前を呼ばないで」と抗議してくる。
「ああ、そうだ。篠江がこの手紙持っててくれない?」
ナイスアイディアとばかりに凛子が指を鳴らす。
「え? 私が?」
「そうそう。篠江が持っててくれれば私も安心だし。篠江って偉いからもし優人が生きてて目覚めることがあったら、優人に渡せる機会ありそうだし」
本当にただの思い付きで、重要なものを人に渡そうとする凛子。
「私が持ってていいの?」
「うん。というか今考えれば篠江以外に選択肢はないから」
そう言われればもう受け取るしかない。
篠江は頷いて「わかった」と呟いた。
「あ、でも待って。もし、もしだよ? 優人が生きてて会えたとしても、すぐには渡さないでね」
「え? どうして?」
「だってこの手紙渡したら、私が死んじゃってることも、純介がクソ野郎になってることもすぐに知られちゃって優人、戦おうとするでしょ? 優人にはまだミナちゃんと真紀恵さんがいるから、戦わずに家族と一緒に過ごしてほしいの。だから篠江も優人に私のこと話しちゃだめだよ」
「それじゃ手紙を書く意味ないんじゃない?」
「手紙は優人が全て知っちゃった時に渡して。私の願いと、セルティムとして戦うことは甘くないぞって想いが籠ってるから」
凛子は微笑んだ。
「でもきっと優人は戦うんだろうな。それで純介とも戦って、たぶんギッタンギッタンにされる」
勝ち誇った純介と負けて悔しがる優人の顔を思い浮かぶ。
「やっぱり言葉だけじゃ足りないか」と呟いて不意に凛子はラピス粒子を放出した。
粒子は手紙に集束し包み込む。
粒子が凛子の死後も残るかどうかはわからない。だけど、残るならたった一粒だけでもいい。粒子に込めた凛子の想いを、凛子の意思を、凛子の思念を優人に届けてほしい。
たぶん優人は挫けるから。
挫けた優人を励ましてほしい。
もういない自分の代わりに。
その約一か月後、二〇五八年十月二十日。
前日から凛子は意識不明に陥った。その後一度も目覚めることなく清水凛子は息を引き取った。