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セルティムⅤ  作者: Uma
五番目の覚醒
8/20

6話

 黒い車の中で、向かい合うように優人と上林が座る。

 行き先も告げずに車は動き出すが、そんなこと今の優人にはどうでもよかった。さっさと話をすませて、適当な場所で降ろしてもらえばいいだけの話だ。

「それでその話っていうのはなんですか?」

 喫茶店で言ったセリフを再び口にする優人。

「そう急がなくてもいいでしょう。少し離れた場所ですが、いい和食の店があります。そこで食事をしながらでも話しましょう」

「遠慮しておきます。家族が待ってくれているので」

 取りつく島もないように突き放す。

「そうですか、それなら仕方ない」と少し残念そうな表情をする上林。

 外面が分厚い人、というのが上林から感じた印象だ。

 分厚すぎて本性が見えてこない。

 こういう人は大抵、本性がどす黒いことを、優人は凛子を見て学んでいる。

 ただ、凛子は可愛いものだったが、今回の相手は軍の総司令官だ。うちに秘めているものが想像できない。

 こういう人間を食えない人というのだろう。

「なら本題に入りましょう。――国連軍に入隊してくれないでしょうか?」

 予想通りの言葉だ。

「その返事はもう篠江さんにしています」

「もちろん聞いています。ですが、もう一度考えてはくれないでしょうか? オルティムは恐ろしい。国連軍は万年、戦力不足で少しずつ追い詰められている状況。このロクスソルスもいつオルティムの手によって落とされるかわからない。これはテレビ画面の向こうの他国の戦争ではないのですよ」

「わかっています。それを知った上で僕は入隊を断っているんです」

「……」

 上林は悩むような素振りを見せると、再び優人と向き合った。

「これはまだ公表されていませんが、索敵衛星がロクスソルスへ向かうオルティムを確認しました。数は推定四万」

「よ、四万――」

「ロクスソルスがこの数を相手にしたことはありません。他の基地にも援軍を要請していますが、間に合わないでしょう。今、ロクスソルスに在中する部隊で相手にできるかわからない。なにせ前例のない数です。だからどうしてもセルティムの力が必要なのです。どうかロクスソルスを救ってくれないでしょうか?」

 頭を下げる上林。

 四万のオルティムがロクスソルスを襲う。もしそんなことになれば、この街はどうなる?

 オルティムは人を食う。街の人間はオルティムに食われ、街は病院の屋上で見た光景のようにゴーストタウンになる。

 そしてロクスソルスが襲われるということは、真紀恵も美奈々も襲われる、ということだ。

 それを許していいのか?

(いいわけがない)

 じゃあ軍に入隊するのか、と問われれば優人は首を横に振る。

 今の優人は家族と共にいることを決めた。その決意を覆す気はない。

 たとえロクスソルスが崩壊しようと、優人は家族と共にいることを選ぶ。

「すいません、上林さん。それでも僕は入隊しません。家族と一緒にいたいんです」

「その家族がオルティムに襲われる可能性もあるのですよ?」

 上林は顔を上げて、厳しい口調でまくしたてた。

「そんなことはさせませんよ。家族には僕がついているんですから」

「……どうしても入隊する気はないですか?」

「ええ」

 力強く頷く優人に、上林は黙る。顔は険しい。上に立つ者の表情というものは、周りの空気さえも変えてしまう。

 重苦しい空気が車内に漂う。

「星野君には親しい友人がいましたね」

 そろそろ車を止めてもらおうか、と思った矢先、上林が話題を変える。

「……ええまぁ」

 曖昧に頷く。質問の意図が読めない。

「名前は近藤純介と清水凛子」

 上林が二人を知っていることに驚きはしない。篠江が知っているのだ。上司である上林が知っていても不思議ではない。

(だけどなんで今二人の話題を出すんだ?)

 嫌な胸騒ぎがする。

「星野君は彼らが今どうしているのか知っていますか?」

「いえ……知りません」

「知りたくはないですか?」

「できることなら知りたいです」

「私は知っていますよ」

 ドクンと心臓が跳ねる。

 今の純介と凛子を上林は知っている。

 教えてください、と言いかけたが、開いた口を無理やり閉じた。

「もしかしてそれを教える代わりに入隊しろってことですか?」

 それ以外にこの話題を持ち出す理由が思いつかない。

 しかし上林は「そんなことは言いませんよ」と微笑んで優人の言葉を否定した。

「貴方が望むなら今ここで二人の情報を教えましょう。もちろんこちらは見返りを求めません」

「……」

 望んでいた情報なのになぜか素直に教えてほしいと言えない。さっき出会ったばかりだというのに、この上林という男は不快にしか感じない。この男には関わらない方がいい、と頭が叫んでいる。

(だとしても純介と凛子のことが知りたい)

 その気持ちだけはどうしても抑えられなかった。

「教えてくれませんか、二人のことを」

 一瞬、本当に一瞬だが上林の頬が釣り上がったように見えた。

 やってしまった、とは思っても前言を撤回する気はない。上林の企みにハマったとしても、優人は二人の情報がほしい。

「もちろん。――まず清水凛子ですが、彼女はすでに死亡しています」

「――」

 過去の戦いの話を聞いて、真紀恵の反応を見て、覚悟はしていた。

 覚悟はしていたが感情を殺すことはできない。生まれる感情を必死に押さえつける。

 胸から溢れ出す感情は圧力を押しのけて、食道を伝い、喉を通り、そして瞳へと辿り着く。

 最後の抵抗、と感情を涙に形作ることだけは必死に抑えた。

 この男の前でだけは弱みを見せたくない、と真っ直ぐ上林を見つめる。

「感情を抑えるのは得意のようですね」

 どうやら上林にはやせ我慢をしているのは見え見えのようだ。

「……彼女はなんで死んだんですか?」

「質問は後で受け付けましょう。話が長くなってしまうからね。家族が待っているのでしょう?」

「……わかりました」

「次に近藤純介ですが、彼は今、国際指名手配中で行方不明です」

「え……?」

 素っ頓狂な声が出る。

 国際指名手配。つまり純介は世界中から追われている。

「純介が何かしたんですか……?」

「ええ、彼は人類史上最悪の研究を行い、その研究結果で今まさに人類を滅ぼそうとしています」

 人類史上最悪の研究? 人類を滅ぼうそうとしている?

 普通に聞けばドラマの見過ぎだ、と切り捨てられてもおかしくない。

 だがそれは優人が生きていた時代の話だ。この時代で聞くと冗談に聞こえない。

「八年前、アメリカの大学に在籍していた近藤純介は大学に保管されていたラピスを盗み出しました。そして六年前、近藤純介はオルティムを作り出し世界中に解き放ったのです」

「――」

 優人の中で時が止まる。ハンマーで頭を殴らたような衝撃。

 頭の中で上林の言葉を何度も繰り返して、ようやく理解した。

 なぜか自然と頬が釣り上がった。

「何言ってんですか。純介がオルティムを作って世界中に解き放った? それじゃあ世界がこんな風になっているのは純介のせいだっていうんですか?」

 力強く上林が頷いた。

「嘘言わないでください。純介がそんなことをするわけがない」

「本当ですよ」

 我慢の限界だった。

「嘘をつくな!!」

 優人の怒声が車内に響く。

「残念だが事実ですよ。彼は百三体ものオルティムを作り、世界に解き放った。その年、アメリカのハワイ島、ロシアのモスクワ、南アフリカの諸国がオルティムの襲撃を受けて壊滅しました」

「黙れッ!」

 上林の胸倉を掴み上げると、助手席に座っていたサングラスの男が優人に銃を突きつける。

 上林は男を制止し、銃を下ろさせる。

「純介はそんなことはしないッ!! 僕はバカだけどそれぐらいはわかるッ!!」

「なら本人の言葉を聞くんですね」

「……どういうことですか?」

 車に付属していたモニターの電源が付いた。そしてモニターに映し出されたのは少し大人びた純介の姿だった。

「純介……」

 胸倉を掴んでいた手に力が抜ける。

 ジッと純介が映ったモニターを見つめる。

『初めましてだ、人類の諸君。俺は近藤純介。ラピスの研究をしてるもんだ』

 大人びても不遜な喋り方は変わっていない。

『今日は世界中の人類に報告がある。去年の六月、九月、十一月に未確認生物がいろんな国を襲撃したと思うが、あの未確認生物を作って世界中に撒いたのは俺だ』

「……何言ってんだよ、純介」

『あーたぶんみんな「何言ってんだ、コイツ」と言ってると思うけど事実だ。俺と同じ大学にいたヤツならわかるだろ。俺はラピスを盗んで今までずっとラピスの研究をした。いやーいろんなことがわかったよ。凄過ぎてここで自慢したいんだけど、まぁ今はどうでもいいか。とりあえず、俺は百三体の未確認生物を撒いた。今頃いろんな国に行ってると思うから、会ったら仲良くしてやってくれ』

 そこでモニターは真っ暗になる。

 先に口を開いたのは上林だった。

「この映像は二〇五四年の一月一日に全国の放送局が乗っ取られて流された映像です。その後、近藤純介が言う様に当時未確認生物と言われていたオルティムは世界中を襲撃しました。そして世界は近藤純介を国際指名手配し、全ての国が協力してオルティムに対抗すべく国連軍を設立したのです」

「……嘘だ」

「本当のことですよ」

「純介はこんなことしない……」

「そう思っているのはこの世界で君だけでしょうね」

 否定したい、否定したいのにさっきまでの勢いがでなかった。

 優人はもう知っているのだ。世界が知っていて優人だけが知らない事実がいくつもあることを。今回も一つの事実を知っただけのことだ。最悪な事実を。

 不意に車が停車した。

「君の家に着いたようです」

 沈んだ顔を上げる優人。鋭い視線を上林に向ける。

「帰れません……。まだ聞きたいことは山ほどある」

 助手席に座っていた男が車から降りて、後部座席のドアを開く。

「家族が待っているのでしょう? 早く帰ってあげるといい」

 車と乗った時と立場が逆になった。

「ふざけないでください! 一方的に話すだけ話して! 僕の質問に答えてください!」

「聞きたい事は夕食で家族に聞くといいでしょう。君の知りたい事は世界中の人が知っていますから。清水凛子のことは篠江大佐に聞くといいでしょう」

「篠江さんに? どういうことですか?」

「おや? 彼女に会ったのでしょう? 彼女は生前の清水凛子の友人ですよ」

「なに?」

 つまり病院で篠江は優人に嘘をついたということだ。

「それでは家族によろしく」

 強制的に車から降ろされた優人は走り去っていく車を見送った。

 マンションへと戻ると、ドアを開けた途端美奈々が駆け寄ってきた。

「優人!」

「……美奈々」

 その顔は別れた時と同じように不安に染まっている。

「あの人となんの話をしたの? まさか軍に入るとかいわないよね?」

 質問攻めに遭うが答える気力がない。

 リビングから真紀恵も顔を出す。美奈々同様不安そうだ。

「……二人は純介と凛子のこと知っていたの?」

 優人のその言葉に喋り続けていた美奈々が口を閉じた。

 不安の表情は苦悩の表情へと変わり、重い沈黙が流れる。

 答えはそれだけで十分だった。

「そう……」

 優人は部屋へと上がると、呼び止める真紀恵の声を振り切って自室へと戻る。

 電気も点けずにベッドの上に寝る。

 努めて頭は空っぽにする。今、純介と凛子のことを考えると頭がどうかしてしまいそうだ。

 とはいってもそんなことを考えている時点で、二人のことを考えているのと同じだ。

 もう寝てしまいたい。寝れば一時的だが何もかも忘れていられる。

 そう本気で思って、「最悪だな、僕」と自己嫌悪に陥る。

 一瞬でも二人のことを考えたくないなんて思って、それは友人と言えるのか?

 友人の悪事に背を向けて、友人の死に耳を塞いで、それは本当に友人と言えるか?

 言えるわけがない。

「僕はバカだけどそれぐらいはわかる」

 そんなものは自分の都合がいい時だけの関係だ。純介と凛子、そして優人の関係はそんな表面をすくっただけの薄い関係じゃない。

 友人は助けるものだ。そして助けてもらうことだってある。

 そこに損得なんてなくて、自分の都合なんてなくて、ただ友人を想う気持ちだけがある。

 再び問う。

 星野優人は純介と凛子の友人と言えるのか?

「僕は二人の友達だ」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 だったら目を背けるな、行動を起こせ、友人を助けるんだ。

 優人はベッドから飛び起きて、机の上に置きっぱなしだったソレを手に取った。


 時間は十一時を回った。

 優人はリビングの固定電話の前に立っていた。

 すでに美奈々と真紀恵は自室へと戻り就寝している。いや美奈々は勉強をしているかもしれない。

 リビングに灯はなく、カーテンの隙間から漏れる月光だけが部屋の中を照らしている。

 優人は受話器を持ち上げ、逆の手に持つ紙を見ながら番号を押す。

 篠江の電話番号。

 あの時番号をもらっておいてよかった、と心の底から篠江に感謝し、受話器を耳元にあてる。

『はい、篠江です』

 時間が時間だから出ない可能性もあったが、篠江はワンコールで出た。

「星野です」

「……久しぶり、ってほどでもないけど、何かあったの?」

 優しい声が耳をくすぐる。

 歳の離れた姉と話している気分だ。

「篠江さんに聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

「はい、篠江さんの友人の清水凛子について、聞かせてくれませんか?」

「――ッ」

 電話越しでも篠江が息を呑んでいるのが伝わってくる。

「誰にどこまで聞いたの?」

「今日、ロクスソルス基地の総司令官の上林さんと会いました。上林さんがいうには純介がオルティムを作った張本人で、凛子はすでに死んでいる、と」

「上林総司令が……」

 数秒の沈黙の後、「今から外に出られる?」と篠江は訪ねてきた。

 思わず優人は時計を見た。時計の針はそろそろ十一時半を示そうとしていた。もう日が変わる時間に呼び出しだ。

 だが、優人にとっては願ったり叶ったりだ。

「ええ、大丈夫です」

「十分したらマンションの前に出てきて」

 と言い残すと篠江は一方的に電話を切った。

 そしてちょうど十分して優人はマンションの前に出てきた。当然、人通りなどまったくない。そんな中で、ド派手な真っ赤なスポーツカーが路上駐車している。

 うわぁ、と優人は引く。あんな派手な車に乗れる人の気がしれない。車の持ち主は目立ちたがり屋のナルシストだろう。

 車を見ていると、不意に車のドアが開いて人が出て来た。

 出て来たのは篠江だった。

 こっちに駆け寄ってくる。

「時間ピッタリね、星野君」

 あまりにも車と持ち主が一致してない。いや今はそんなことはどうでもいい。

「さぁ行きましょうか」

「どこに行くんですか?」

「凛子のところよ」

 篠江が連れてきたのは軍事墓地だった。ここに眠っている軍人たちのほとんどがオルティムに殺された人だという。

 優人は軍事墓地を見渡す。広大な土地に敷き詰められている墓標。ここにいる人たちはみんなオルティムと戦って死んでいったらしい。

 そして軍事墓地の一角に、その墓標はあった。

『清水凛子』

 優人がよく知る名前が刻まれた墓石。優人の親友が眠る墓標。こうして墓の前に立つと本当に凛子は死んだのだ、と実感した。

 感情をさらけ出して泣き叫びたい。もう凛子に会えないことを悲しみたい。

 だが、優人にはまだ聞かなければいけないことがある。

(もうこれ以上、振り回されるのはごめんだ)

 優人は篠江と向き合った。

「……凛子はどうして死んだんですか?」

「死因は病気だけど、根本的な原因はラピスよ」

(またラピスか)

 優人は奥歯を噛みしめた。

「少し話は長くなるけど順を追って説明するわ。星野君は生物がどうやって進化するか知ってる?」

「え……」

 いきなり難しい質問をされて言いよどむ優人。生物の授業でいろいろ教わった記憶があるが内容までは出て来ない。

 必死に思い出して出た答えは「すごい時間が経つと進化します」だった。

「……」

 篠江がどう言葉をかけていいのかわからない、とばかりに苦笑する。

「ごめんなさい……」

 少し遠い目をする優人に、篠江は慌てて両手を振る。

「いいのよ、いきなり聞いた私が悪かったわ」

 一つ咳払いをして改めて篠江は話し出す。

「一般的な進化っていうのは一つの種から複数の種が生まれる小進化が起こって、その小進化を積み重ねていくことで新しい系統の種が生まれる進化が起こるの。でも、進化した生物ってほとんど地球環境に適応できずに九十九%以上の確率で死んでしまうわ。それはラピス変異での進化でも一緒だった。たとえラピスと接触してラピス変異体になったとしても地球環境に適応できずに病死してしまう生物がほとんどだった。ラピスが落下して二年、地球にラピス変異体となって生き続けた生物は現れなかった。それどころか、ラピス変異で地球の生態系は崩れてしまっていた。世界はラピスを地球の生態系を脅かす危険な鉱石として回収と破壊を決めたの。にも関わらず二年が過ぎて、突如としてオルティムは現れた」

「純介ですね」

 篠江は頷く。

「オルティムとの戦いでラピス粒子の存在が明らかになって、オルティムと戦うにはラピス変異体の人類を生み出すことが必要だった。そして日本でその研究をしていた一人が凛子よ」

 医者を目指していたはずの凛子がどうして研究者なんかに、と考えてすぐに答えが出た。

 純介を止めるためだ。

 学校では純介が問題を起こすと、真っ先に叱るのが凛子だった。優人が面倒臭がって学校行事をサボって怒るのも凛子だった。普段は仮面を被って、誰に対しても肯定的であまり怒ることがない凛子だが、唯一優人と純介には本気で怒った。

 親しいからこそ凛子は本気で怒るんだ。

 だからこそ純介が許せなかった。

 凛子は純介を止める決意をしたんだ。

「でも、当初研究はうまくいかなかった。研究は人間にラピスを移植するセルティム化の人体実験まで進んだんだけど、実験はことごとく失敗した。急激な塩基配列の変異に対して脳が拒絶反応を起こしてしまったの。被験者は全身から血を吹きだして死亡した」

 言っていることの半分も理解できなかったが、全身から血を吹きだしたという言葉に身の毛がよだつ。

 下手をすれば優人もそうなっていたということだ。

(いやそんなことより凛子が人を殺してしまうような実験をしてたのか)

 凛子が人を殺すような実験をして平気な顔をできるわけがない。

 いったいどんな想いで実験に望んでいたのか、優人には全てを知ることはできない。ただ人を殺してしまったことに相当な責任を感じていたはずだ。

「そこで凛子は君を参考にしたの」

「僕を?」

「ええ、君はラピスを体内に取り込みながらも生きていた。凛子は脳の活動が著しく低下してる仮死状態だったからできたんじゃないかと考えたの。それは半分成功した。仮死状態時でのラピスの移植は脳の拒絶反応は起きず、人類初のセルティムが生まれた」

「凛子がセルティムの生みの親……」

 純介がオルティムを作り、凛子がセルティムを生み出した。

 純介は世界を壊し、凛子は世界を救っているのだ。

(そんな二人が友人同士だなんて皮肉すぎる)

 もし自分がいれば何かが変わったのかもしれない、と思うと後悔が尽きない。

 意味のない後悔を振り払う。

「でも実験が成功してよかったです。これ以上実験で人が死んだら凛子は辛いことになっていたから」

 そんな優人の言葉に篠江は「実はね」と話を続けた。

「その実験で凛子は自分を被験者に選んだの」

「えっ――」

 優人は頭の中を整理する。

 篠江はその実験で人類初のセルティムが生まれた、と言った。そして凛子は自分を実験の被験者に選んだ。

 それはつまり――

「人類初のセルティムは凛子なの」

「り、凛子が……」

 うわ言のように優人は呟く。

 それが凛子の選んだ道。

 純介を止めるために自分の命すらかけることを選んだ。

 そこで優人は思い出す。

「待ってください。その実験って半分成功だったんですよね。ならもう半分って?」

「……もう半分は失敗だった。ラピス変異は凛子が実験後に目覚めた後も続いたの。初期変異を終えていたおかげで全身から血を吹きだして死ぬことはなかったけど、脳の拒絶反応で凛子は体の抗体が弱体化していくようになってしまった」

 抗体が弱くなると言われても優人にはピンと来ない。

「具体的にどうなるんですか?」

「細菌やウイルスに弱い体になっていくの。でも、安静にしていればもっと長く生きられるはずだった。弱体化の進行は本当に少しずつだったから」

「じゃあ、どうして凛子は……」

「彼女はセルティムとして戦うことを選んだの」

 顔を顰める優人。

(どうしてそんな選択をしたんだよ、凛子)

 いや当然の選択かもしれない。

 自分の命をかけてまでセルティム化の実験を行った凛子だ。そんな彼女なら戦うことを選ぶのも予想できる。

「その後、凛子は人類最初のセルティムとしてオルティムと戦って、そして戦いの中で深手を負ってしまった。それが原因で抗体の弱体化が早まって、いくつもの病気を併発したわ。そして最後は――」

 急に言葉を止めた篠江に視線を向けると、彼女は声を殺して泣いていた。

 優人に見られていることに気付くと、篠江は慌てて涙を拭いた。

「ご、ごめん。星野君だって辛いのに」

 篠江の言葉に首を振る。

「僕は大丈夫です。僕よりセルティムだった頃の凛子を見て来た篠江さんの方が辛い。凛子とは友達だったんですよね?」

「ええ、あの性悪女がなんて思ってたのかわからないけど、私は彼女のことを親友だと、今でも思ってる」

 性悪女という言葉に思わず笑ってしまう。

 凛子をそういう風に評価するということは、彼女は間違いなく凛子の友達だ。

「……どんな最後でした」

 篠江に聞くのは酷だと思ったが、どうしても聞きたかった。

 聞かないといけない気がした。

 篠江は涙を堪えながら、口を開いた。

「君を救えなかったことと、近藤純介を止められなかったことを悔やんでいたわ」

 最後まで決意が揺らぐことのなかった凛子は純介を止めることができなかった。

 それは彼女の未練、心残り、やり残したもの。

 それはいったいどこにいってしまうのだろう。

 彼女と共に消えていったのか?

 違う。

 優人には見えている。彼女が残したものが、しっかりと目の前に見えている。

 ならどうする、星野優人。それが見えているお前はそれをいったいどうする?

 優人は凛子が眠る墓標を真っ直ぐな目で見つめた。

「……星野君、君に渡すものがあるの」

 と篠江は一通の手紙を差し出した。

「凛子からよ」

 裏を見れば『清水凛子』と書かれていた。その字は間違いなく、凛子の字だ。

 生きているかもわからなかった優人に宛てた手紙。

 純介を止めてほしい、という願いだろうか? 優人は戦うな、という忠告だろうか?

 少しの緊張感を胸に、優人は手紙を開け四つ折りになった便箋を広げた。

「――」

 一瞬の沈黙。そして優人は微笑んだ。

 どうやら過去の凛子は優人がどういう決断をするかわかっていたみたいだ。

 便箋には、たった一文だけ書かれていた。

『バカ、身のほどを知れ』


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