2話
優人が目覚めて目に入ったのは白い天井だった。
ここはどこかの病院の病室のようで、優人はベッドで寝ている。個室のようで、優人以外に入院患者はいない。
なぜこんなところにいるのか、自分に何があったのか。疑問に思ったことは山ほどある。
優人の記憶では学校の裏山で天体観測をしていたはずだ。
それが気付けは病院で入院中。
酷く体がだるい。頭もボーとする感覚が残っていてすっきりしない。
顔を洗おうとベッドから立ち上がろうとした時、何かに体を引っ張られてそのまま地面に倒れる。
不思議とまったく痛くはなかった。
視線を上げると右手に管が繋がっており、その先には点滴装置がある。胸には電極パッドがついており、機械と繋がっている。
優人は鬱陶しくなり、その全てを無理やり引き剥がして立ち上がった。
体はだるいと感じるのに、体が異様に軽い。本気で飛べば高い天井まで届くんじゃないかと思うほどに。
個室に備えられた洗面台の前に立ち鏡を見た時、「うわぁッ!」と優人は思わず鏡から一歩退いてしまう。
優人の体から青白い光が溢れていた。
光は体から一センチにもみたない球体で出てきて、宙へと上がっていきやがて消える。
「な、なんだッ!? これッ!?」
ついに頭だけじゃなくて目もバカになったのかと思って、ジッと鏡に映った自分を観察する。
やがて水道の蛇口が閉まったように光は優人の体から生み出されなくなる。
しばらく呆然と鏡を見ていたが、ハッと我に返る。
(もしかして僕はこんな体になったから入院しているのか?)
思考は体からここはどこなのかということに移る。
優人の地元の病院なのか、それとも別の病院なのか。まずはそれを確かめようと病室を出た。
廊下にある地図を確認して、まっすぐ屋上へ向かう。
屋上へと出られるドアを開き、コンクリートの地面を素足で進む。
青空か降り注ぐ日の光が優人の瞳孔を刺激する。思わず右手で顔を庇い、ゆっくりと視線を上げる。
「な、なんだこれ……」
優人の声が屋上に響く。
結論から言うとここは優人の地元ではなかった。屋上から見える景色に見覚えのある建物や光景はない。
そしてその景色は異様だった。
工場地帯ように倉庫やら重機やらが目に映る。そしてその先、工場地帯を抜けるとさらに景色は一変していた。
ゴーストタウンだ。工場地帯から地平線までが全て廃墟や瓦礫なんかで埋め尽くされている。当たり前だが、人が生活している様子はない。放置されて数年は経っているように見える。
優人が知る日本にはこんな場所はなかった。地平線まで続くほど広いゴーストタウンなど日本には存在しない。
それじゃあここは日本じゃないのか?
それも違う気がする。
病院の廊下ですれ違ったのは全員日本人だった。病院内の表記も日本語だった。
ここは間違いなく日本だ。だが、優人が知っている日本ではなくなっている。
もはや優人の頭はパンク寸前だった。
自分の体に起きた異常な現象、廃墟が広がる景色となった日本。
「何がどうなってるんだ……」
優人が寝ている間に、自分が、世界が、一変していた。
「星野君、心して聞いてください。今は二〇五九年九月二日。つまり君が生きていた時代の十年後の未来です」
「……は?」
白衣を着る男の言葉に優人は首を傾げた。
屋上であの景色を呆然と見つめていると、看護師が慌てた様子で現れて優人を病室へと戻した。
しばらくすると、宮岸誠也と名乗る医者が現れて検診を行った。そして「今、君に起きている事態を説明します」と言い出し、開口一番今は未来だと言い出したのだ。
優人が最初に思ったのは(この医者は何を言っているんだ?)という疑念だった。
「先生、ストレスが溜っているならカウンセリングを受けた方がいいですよ。大丈夫。ストレスがなくなればまた仕事に身を打ちこめるようになります」
「……」
絶句して笑顔が固まる宮岸。
数秒して我に返った宮岸は苦笑する。
「ま、まさかカウンセリングをしていて、患者さんにカウンセリングを勧められる日がくるとは思いませんでした」
「ストレスが溜って患者で遊ぶのはよくないと思いますよ。いや本当に」
「社会人って大変だ」と理解ある子供のような振る舞いをする優人。
「星野君がそう思ってしまうのはわかるけど、これは事実です。君は十年前に落下した隕石に衝突して昏睡状態になったんです」
宮岸曰く、二〇四九年五月二十三日、世界に無数の隕石が落下した。そして優人は天体観測中に隕石の落下に巻き込まれ、隕石が腹部を貫通。奇跡的に一命を取り留めたが、その後目覚めることはなかった。
話を聞き終えた優人は「いやいやいや」と首を振った。
「ありえないですよ。隕石が落下した? いったいどんな確率ですか」
「確かに限りなくゼロに近いですが、ゼロではないですよ」
そう言う宮岸の瞳は真摯だ。
冗談半分で聞いていた優人の気持ちが引き締められる。
すると宮岸はタブレットを取り出し、何やら操作する。
優人の視界にいつくもの画像が現れる。まるで液晶画面に映る画像だけを取り出して宙に浮かせたかのような光景に目を点にする。
「これは君が生きた時代にはなかった技術でしょう。ホロウモニターといって何もない場所でもこうして映像だけを見ることができるんです」
「……」
驚きのあまりに言葉が出ない。
指でそっとホロウモニターに触れると、感触は無く指はそのまま映像を突き抜けた。
「そしてこれは君が眠った後に発行された新聞のデータです」
優人の目の前のホロウモニターに映し出された新聞の日付は二〇四九年五月二十五日と書かれている。優人が天体観測をした翌日だ。
「地球に隕石落下……」
新聞の一面を飾っていたのは、宮岸の語った隕石が落下したという記事だった。
『二十四日、午後十一時ごろ、地球に無数の青白く輝く隕石が落下。ほとんどの隕石は海へと落下したが、一部は地上へと落下。現在観測されたものだけで十二個の隕石があることがわかっているが、まだまだ多くの隕石が存在しているだろう』
記事にはそう書かれていた。
優人の右側にあるホロウモニターにはさらに翌日の新聞もある。
『男子高校生、隕石と衝突し意識不明』
心臓が跳ね上がる。
『五月二十四日に男子高校生、星野優人氏が隕石と衝突し意識不明であることがわかった。現場には大量の血痕が残されていたが、星野氏の体に外傷はなく担当医も「まったくもって不可解だ」と述べている』
記事には星野優人と自分の名前が記載されている。
新聞は宮岸の言葉が真実だと主張しているのだ。
心がざわめく。全身から嫌な冷や汗が吹き出す。
(なんだ? どういうことだ?)
本当にここは十年後の未来ではないのか、という疑問が生まれる。だが優人の中にある常識がそれを否定する。
(わからない。誰か教えてくれ。何が起こってるんだ!?)
「ちなみに、データは過去十年分が用意してあります。他にもいろいろありますよ。当時のニュースやラジオ、実際に隕石が落下する映像なんかもね」
「あ、ありえない……」
「本当にそう言い切れますか? 君はもう見ているはずです。ここが十年後の未来だという証拠を。君は屋上に行ったそうですね?」
ゴーストタウンと化した街のことを宮岸は言っているのだろう。
あれが寝ている間に起きた事態というなら優人はどのくらい寝ていたんだ?
一週間? 一か月? 半年?
無理だ。街並みを見る限り、あれは年単位で放置されていた。そんな短時間であんな状態になるはずがない。
「私の言葉を聞いた時から君は薄々真実だ、と感じていたはずです」
(そうかもしれない……)
あのゴーストタウンを見た時から自分が長い間眠っていたのではないか、と感じていた。
だが受け入れたくなかった。
自分が寝ている間に世界が変わっている。
いったい十年という時間は世界をどれほど変えてしまっただろう?
いったいどれほど自分が知らないものが増え、知っているものが減っているのだろう?
自分一人を残して世界は先に行ってしまった。
置いて行かれた自分に居場所なんてどこにもない。
「ここが十年後の世界だとしても――」
往生際が悪いと言われるかもしれないが、まだ認めることはできない。
未だにわからない最大の謎がある。
「僕の体が十年前と同じ姿をしているのはどうしてですか? これが説明出来ない限り、僕はここが十年後だと信じられません」
そう、優人の顔や体は十年前と同じ、十七歳のままだ。
「それじゃ次に君の体のことについて話しましょう。――とは言っても私も君がなぜ十七歳の姿のままなのかはわかっていないんです」
それは遠回しに都合のいい嘘が考えられなかった、と聞こえる。
宮岸も失言だと気付いたのか、「すいません。言い方が悪かったですね」と慌てて否定する。
「優人君がどうして十年間その姿のままでいられたのか、その方法はわかっていませんが原因ははっきりしています。最初に説明しましたが、君は隕石の落下に巻き込まれた。そして全ての原因はその隕石にあります」
「隕石が?」
「そう。私たちはその隕石をラピスと呼んでいます。これを見てください」
と宮岸は新聞が映ったホロウモニターを消すと、新たなホロウモニターを出す。今度は映像だ。
映し出されたのはどこかの実験の映像だろうか。ケージに入った一匹のマウスが映っている。
『ケージの中にラピスを投入します』
男の声と共に、ロボットアームが瑠璃色の石をケージの中へと入れた。
マウスは自分のパーソナルスペースに現れた石に興味を示し、鼻を近づけて匂いを嗅いだり、前足で触れたりする。
察するにこのラピスと呼ばれる石が宮岸の言っていた隕石だ。そしてこの映像はその特殊な効果を検証した記録なのだろう。
二分ほどが過ぎてマウスに異変が起こる。
体が痙攣を始め、内側からボコボコと凹凸を始める。体は肥大し、やがてケージにおさまらなくなり、ケージを突き破る。
肥大は納まり、マウスはサッカーボールほどにまで大きくなり、その姿はもはやマウスではなくなっていた。
「……」
唖然となる優人。
「今見てもらったのは、ラピスが生物に与える影響を実証実験したものです。この後、何度も実験は繰り返され、人類は一つの結論にいたりました。――ラピスは突然変異原であると」
「突然変異原?」
「突然変異原とは、生物の突然変異を起こす原因物質のことです。ラピスは生物と接触することで、そのDNAの塩基配列を変異させ生態を変異させます」
正直何を言っているのか半分もわからないが、その結果マウスはこんな姿になったということだろう。
「私たちがラピス変異と呼ぶ突然変異は、生物の全ての機能と器官をより強くします。まるで数億年先に起こるであろう進化を前倒しにするかのように」
まるでSF小説の内容だ。
「そして優人君、君はそのラピス異変を起こしたラピス変異体、数億年先に起こる進化を遂げた人類です」
「――」
小説の内容を聞いていたはずなのに、いきなり現実の話を持ち出された。
(僕が進化した人類?)
馬鹿なことを言うな、と怒ればいいのか? ありえない、と悲しめばいいのか?
自分の感情をどこにどう向けていいのかわからない。
あまりにも常識外れだ。
「二〇四九年五月二十三日、君はラピスの落下に巻き込まれ、ラピスが腹部を貫通。その傷はおそらく致命傷。何もしなければ星野君は死んでいたでしょう。だが、貫通した隕石がラピスであったせいで、そうはならなかった。ここからは推測なので、半信半疑で聞いてください。ラピスは君の体内へと侵入し、突然変異を起こした。進化した君の体は治癒力が上がり、体はできるだけ出血を抑えようと仮死状態となったのでしょう。その後、傷が治癒されても君は目覚めることはなく、十年という時間が流れてようやく目覚めた。君の体が十年前と変わらないのは、体が細胞の老化を防ぐためにコールドスリープのように体の体温を下げて仮死状態だったからでしょう」
「……ははは」
中身のない笑みがこぼれる。
もうなんて言ったらいいのかわからない。
「これはまぎれもない事実です。優人君の腹部にはラピスがあることがレントゲンで確認できている。それに星野君自身も自分の体の異常はもう感じているでしょう?」
やたらと軽い体、青白い光を出す体。目覚めてすぐ自分の体の異常は感じている。
それがラピスとかいう石が自分を進化させたせいだ、と言われても信じていいのかどうかわからない。
ただ今は自分が人間じゃないと言われたことが衝撃的過ぎる。
優人の精神的ショックを察して宮岸が口を開く。
「気休めにしかならないかもしれませんが、優人君のようなラピス変異体の人類の例はあります」
宮岸の言葉に俯いた顔が上がる。
「僕の他にも?」
「はい。ラピスによって進化した人類を私たちはセルティムと呼んでいます。そのセルティムは世界で星野君を合わせて五人確認されています」
つまり優人は世界で五番目のセルティム。
「五人だけですか……」
その少なさに愕然とする優人。
「人類のセルティム化の研究は今でも行われていますが、その成功例は少ないんです」
「人工的にセルティムを作る? どうして?」
「セルティムを増やすことは今の人類の急務です。星野君、さっきも言いましたがラピス変異は生物のDNAの塩基配列を変異させる。動画でも見てもらいましたが、ラピス変異体になれるのは人類だけじゃない。人間以外の進化生物はオルティムと呼ばれています。このオルティムは人間を捕食するんです」
「人間を、捕食?」
捕食。つまり、オルティムにとって人間は餌。
「生物にとって捕食は生きるために必要。餌は多いことにことしたことはない。人間が溢れている地球の環境に適応するなら、人間を餌として捕食することはもっとも効率がいい。地球上のどこにでも人間はいますからね」
それは食物連鎖の逆転。生物の下剋上。
今まで天辺で安心して生きていた人類がついに生物たちの逆襲を受けた。
人類は食物連鎖の頂きから引きずりおろされようとしている。
「オルティムが現れてから六年。今、地球では種をかけた生存戦争が行われているんです」
「……」
優人の体から力が抜け、背もたれのベッドに体をあずける。小さく息を吐き、天井を見上げて瞼を閉じた。
(ダメだ。意味がわからない……)
嘘だ。
確かに宮岸の言っていることは難しくて時々わからなかったが、話は理解している。
だけど、それを全て受け入れることができない。
事実を受け入れようとしても未だ優人の中にある信じたくないという気持ちが邪魔をする。
事実と気持ちが頭の中で喧嘩しておかしくなりそうだ。
宮岸はそんな様子の優人を見つめると、「今日はここまでにしましょう」と話を切り上げた。そして何も言わず久瀬と一緒に病室から立ち去った。
ドアが閉まる音が聞こえると、病室は無音になる。時々開いたままの窓から風が吹き込み、カーテンを揺らす音が聞こえる。
窓へと視線を向けた。
そこには青く澄みきった空が見える。
変わらない。
優人も、世界も変わってしまったが、空だけは十年前と変わっていなかった。




