1話
Ⅴ(ふぁいぶ)
職員室を退出する一人の男子生徒。
無造作に伸ばされているにもかかわらず、黒髪は眉にかからず耳を隠すことなくしっかりと高校の校則を守っている。ワイシャツの第一ボタンをしっかり閉め、ネクタインも襟元までしっかり閉まっている。ブレザーもズボンも適切な長さで、身嗜みはまさに模範的な生徒だ。
しかし、身嗜みは模範的でありがなら彼からは規則やルールをしっかり守る厳粛な雰囲気は感じられない。猫背で肩は落ちており、顔も常時俯いている。全身から暗い雰囲気がただよっており、教師が見れば「しっかりしろ」と言いたくなるだろう。
「はぁ」
職員室を出てそうそうに大きなため息をつく。
彼は星野優人。今年の春で高校三年生になった受験生だ。
ため息の原因は右手に持った中間テストの成績表と進路調査表にある。
中間テストはゴールデンウィークに行われて、一週間前に成績表が配布された。そしてそれをもとに二者面談が行われたのだ。
優人はまさにその二者面談を終えた後なのだが、結果はその大きなため息で全てを察することができる。
中間テストの結果はかんばしくない。いやはっきり言って最悪だ。
学年二〇三人中、二〇三位。つまり最下位。
これで進学志望だというのだから身のほどを知らない。
進路調査表に優人が書いた大学は、今の学力で合格は絶対不可能と言っていい。
担任の教師から言われた一言は「大学進学をあきらめるか、死ぬ気で勉強しろ」だ。
決して中間テストで勉強しなかったわけじゃない。受験もあるしそろそろ本気だすか、と自分でも驚くくらい勉強したのだが、もともと勉強してないかったせいで、普通に勉強しても周りに追いつくことができなかったのだ。
(このままじゃマズイ。勉強しないと)
三年間の高校生活で初めて勉強への意欲が高まったその時、窓から強い風が吹き込んだ。
不意の突風にあおられて、優人の手から成績表と進路調査表が飛ばされる。
「えっ、やばッ!」
誰かに成績表を見られるのはかまわない。優人がバカなことは同学年の生徒全員が知っていることだ。だが、成績表と一緒に進路調査表を見られたら「うわぁ、コイツ、この学力で大学行く気なのかよ」と思われてしまう。
(それは流石に恥しい!)
駆け足で空中を飛ぶ二枚の紙を追う。
紙切れにもてあそばれる自分がみじめで少し泣きたくなる。
ようやく紙は廊下へと舞い落ち、余力で廊下を滑る。
しかし、最悪なことに二枚の紙は誰かの足元で止まった。
学校指定の上履きと白いふくらはぎが見えることから女子生徒だとわかる。
視線をゆっくりと上げていくと、膝まであるスカートを履き、身の丈に合ったブレザーを着て、ワイシャツは第一ボタンまで閉めている。校則通りの服装だ。
小さな顔には一点のシミはなく、顔は美しさを極めた造形のようだ。
彼女は自分の足元の二枚の紙を拾い上げると、彼女の黒い瞳がこっちに向く。
再び風が吹き込んだ。
肩まで届く彼女の黒髪がなびき、艶のある髪が宙を舞う。髪が乱れるのが嫌なのか、左手で髪を押さえる。
風が止むと、再び瞳がこっちを向き彼女は苦笑した。まるで困った風だね、と愚痴をこぼしているようだ。
あまりにも綺麗なワンシーンに、もはや優人は画面越しに映画を見ているような錯覚さえ覚えた。
彼女は清水凛子。優人と同じ三年生で優人とは別のクラスの委員長を務める女子生徒だ。
教師から信頼され生徒からは尊敬され、まさに本物の優等生。さらに家は代々医者をやっている良家。ここまでくると神に愛されていると言ってもおかしくない。
美人と有名な彼女に偶然出会った。しかも自分の持ち物を拾ってもらえた。
なんたる幸運だろうか、と普段の優人は思っていただろう。成績表と進路調査表を拾われさえしなければ。
凛子は手にした紙を一枚ずつ見て――
「ふっ」
(鼻で笑われたッ!?)
完全にバカにされたことにショックを受けるが、次の瞬間凛子は何事もなかったかのように優人に笑いかけた。
「こんにちは、星野君。もしかして二者面談だったの?」
「う、うん。まぁ……」
「私も二者面談だったんだ。さっき終わったところ」
「そ、そう……」
恥しくて視線を合わせられない。彼女の手から紙を奪って走り去りたい。
「これ、落としたよ」
「あ、ありがとう」
ようやく紙を返してもらえるとホッとするが、再び紙に視線を向けた。
「ふっ」
(また笑われたッ!?)
もはや優人のプライドはズタズタだった。
凛子から紙を受け取ると、「それじゃ」と優人は足早にその場から立ち去ろうとするが、凛子とすれ違ったところで腕を掴まれる。
「そんなに急いでどうしたの?」
「いや、その急用があるといいますか、なんといいますか……」
もちろん急用などない。
見下された恥しさと何やらさっきから凛子が獲物を見つけた小悪魔のような目をしているので早く逃げたいのだ。
「ふーん」
意味深な声と共に凛子が優人の前へと回り込んで来て、上目遣いに顔を覗き込んでくる。
「……な、なに?」
「急用って嘘でしょ?」
(なんでバレた!?)
「ダメよ、星野君。君は思ってることがすぐに顔にでるんだから、嘘をついたってすぐにわかるわよ」
と言われて思わず自分の顔を触ってしまうから優人はバカだった。
「ほらやっぱり嘘」と笑う凛子は小悪魔だ。
「星野君って本当に面白いね。――そうだ。実は私、今進路のことで悩んでるの。できれば星野君に相談に乗ってほしいんだけど」
(いやいやいや、むしろ相談したいのは僕の方なんですけど!)
自分、バカで悩んでるんです。
勉強してください。
はい。
(一瞬で解決してしまった……)
脳内完結したところで現実に戻る。
優人は学校の美人に相談のお誘いを受けている。学校中の男子生徒が羨むだろう。ただその小悪魔が獲物を見るような目でこっちを見ていることを除けば。
何か裏がある。
甘い蜜に誘われて行ったら食虫植物でした的なオチだ。
「ごめん! 本当に用があるんだ! それじゃ僕はこれで!」
無理やり話題をうちきって、急いでその場から離れようとする。
しかし面談室から男子生徒が出てきて、優人の進行方向をふさいだ。
「しっつれいしましたぁ」
ダルそうな声、ダルそうな目。ブレザーはシワだらけ、ワイシャツは第二ボタンまで開けネクタイを緩めている。ズボンとブレザーはサイズを間違いてるのではないか、と思うほどダボダボ。
まるで不良生徒の見本のような男子生徒だ。
少し色素の抜けたボサボサの灰色の髪をかきむしる。苛立ちに耐えられないといった様子の男子生徒。
だがウサギのような赤い瞳が優人と凛子の姿を見つけると退屈そうな顔が一転、面白いものでも見つけたような無邪気なものに変わる。
「よぉ、お二人さん。廊下で何やってるんだぁ?」
近藤純介。それがこの男子生徒の名前だ。優人と凛子と同じ三年生で、二人とは別のクラスに所属している。
その性格は傍若無人。
周りのことなどおかまいなしに自分の気の向くまま、やりたいことをやりたいだけやる。教師ですら手のつけられない狂人。
彼に関わったが最後、振り回され続けボロ雑巾となると言われている。事実、彼を更生させようとした教師たちはことごとく彼に振りまわされ心労で倒れてしまい、酷い時には教師を辞めてしまった者までいる。
(最悪だ)
抗いようのない天災を目の前にしているような絶望感が襲う。
「あら、近藤君。貴方も二者面談だったの?」
「まぁな」
「そんな服装で?」
と両腕を組んだ凛子が咎める。
しっかり制服を着て身嗜みを整えている凛子には、純介の乱れた服装が見ていられなかったのだろう。
「あぁ? 別にいいだろ。教師も何も言ってこなかったし」
(言っても直さないってわかってるんだろうな)
凛子もそれはわかっているだろうが、それでも言う所が彼女の性格だ。
そんなことより、今二人の注目は優人から外れている。逃げ出すなら今がチャンスだ。
スーと自然にその場から離れようとする。
「おいおいどこ行くんだよ。俺が出てきてすぐに帰ろうとすんなよ。傷つくだろ」
今度は純介に腕を掴まれた。
勘弁して、と天を仰ぐ。
「純介。君は友達に逃げられて傷つくような人じゃないだろ!」
「ひでぇな。俺のハートってけっこうナイーブなんだぜ」
「ナイーブって言葉の意味わかって言ってんのか!」
「お前こそわかってんのか?」
「え……」
数秒間考える。
「……」
そこで何も言えなくなるのが、優人がバカたるゆえんだ。
そんな優人を無視して純介が尋ねてくる。
「それでお二人さんはこんなところで何してんだ?」
まるで優人と凛子がこれから楽しい遊園地へ連れて行ってくれるとでも思っている顔だ。
事態は悪化した。天災と小悪魔に挟まれたバカ。
彼らから逃げるのは至難の業だ。
(どうする、僕!?)
対策を考えているうちに凛子が口を開く。
「二者面談が終わったからこれから遊びに行こうかって話をしていたの」
「ええッ!?」
平然と嘘をつく小悪魔。
ニヤリと笑みを浮かべる天災。
そしてバカは逃げられない。
凛子と純介を敵に回して優人が勝ったためしはない。それでもいつも彼らを敵に回すのだから、優人はバカだ。
やって来たのは三人行きつけのカラオケ。何かあるたびに三人はここに集まり、カラオケ本来の目的を果たさずに過ごす。
カラオケの個室へと入ると同時に凛子はソファに座って口を開いた。
「ったくなんでこの私が二者面談なんてやらなくちゃいけないのよ。もう学部だって大学だって決まってるし、別に難しいわけじゃないし、このまま普通にやれば受かるわよ。なに? 私が信用できないの? はっ、これまで私がどんだけ頑張ってきたかわかってるでしょ。それなのに、三十分もペラペラペラペラマニュアル通りのこと聞いてきて、いったいなんの意味があるっていうのよ。その三十分なれば問題集が三ページは進むわよ。どっちが有意義かなんて比べるまでもないと思わない? ね? 優人?」
「……そーですね」
(神に愛された子は愛の重さに耐えられない時があるんだろうなぁ)
弾丸をまき散らすマシンガンのように喋る今の凛子には、学校で見られた品行方正な姿はない。着ていたブレアーはソファの上に放り投げられ、「あーもうッ」とやけくそ気味にソファに身を投げる。ワイシャツに皺が付きそうだが、そんなことも気にせずに彼女はソファに顔を押し付けて「うぉうぉ」唸っている。
これが清水凛子の本当の姿。
愛の重さに耐えかねて押し潰された人間の成れの果てだ。
凛子の家は代々医者をやっている家系。そのため家族たちは凛子を医者にしたがっている。というか医者になること以外の選択肢を凛子に与えていない。
この十八年間、凛子は家族の期待を裏切らないように努力を続け、学校では学年二位という成績をキープし続けている。そしてついには性格さえも家族が望む優等生へ変えて、仮面を被り続けている。
家でも外でも仮面をつけている凛子は、時折こうして心を許している優人と純介だけに愚痴を漏らすため、カラオケの個室に呼び出しストレス発散をしているのだ。
そんな様子をニヤニヤと笑みを浮かべながら見つめる純介が尋ねる。
「その様子じゃ二者面談も無事に終わらせたみたいだなぁ、仮面優等生?」
「それはもう自分に絶賛したくなるくらい無事に終わらせたわよ。でもね、終わったと思ったらくだらない世間話を話し始める担任は殴り倒したいわ。あと、仮面優等生言うな」
憎たらしそうに純介を睨む凛子。
ストレスの原因はそれみたいだ。
「別にそこまで媚びへつらう必要はねぇだろ。お前の成績ならもうどこの大学だって選び放題じゃねぇか」
「しょうがないでしょ。もう家族が推薦で進学するのが当然みたいな雰囲気を出しているんだから。ここで少しでも本性をさらして推薦が危ぶまれるようなことがあったら大変なの」
「良家のお嬢様は大変だねぇ」
凛子を見てケラケラと他人事のように笑う純介。
「ホントよ。純介ぐらい頭がよかったら逆に開き直って好き勝手するんだけどね」
純介は特別な家の出生ではないが、純介自身は頭が良い――というより異常だ。さっき凛子は学年二位をキープしていると言ったが、なら一位は誰か?
純介だ。
純介は高校に入学してから一回も百点を逃したことがない。三年間全ての教科が百点。本人曰く、こんなテストでミスるわけがない、だそうだ。
だが、その傍若無人な性格のせいで教師と他の生徒からはかなり嫌われている。たぶん内申点はバカな優人よりも低いと断言できる。
そのせいで純介には優人と凛子以外に友達と呼べる人間がいない。
「そんなことより優人!」
「は、はい!?」
突然凛子に名前を呼ばれて裏返った声が出てしまう。
「あんな成績で大学に進学しようなんて、何考えてるのよ!」
純介が飲んでいたジュースを吹きだす。
「優人が大学進学!? おいおい、それはなんの冗談だ?」
「私も最初はそう思ったけど、本気なんでしょ?」
「はい。本気です……」
なぜか物凄くいけないことをしてる気分になる優人。
凛子に「進路調査表を見せて」と言われて素直に差し出す優人。
純介がそれを見た瞬間、ケラケラと笑いだす。「バカが大学進学ってバカだろ」と。
酷い言われようだ。
「な、舐めるなよ。僕だってこれから勉強して大学ぐらい行ってやる!」
凛子が冷たい視線を送って来る。
「へぇ、それで勉強してるんだ?」
「お、おうとも!」
「どれどれ」
凛子が勝手に優人の学生カバンを漁りだす。
「おいコラ、やめろ!」
慌てて止めようとするが時すでに遅し。
凛子は優人の勉強の成果らしきものを取り出してしまう。
「高校受験の参考書……」
手に取ったものをそのまま口に出す凛子。
再び純介がケラケラと笑いだす。
「高校受験の参考書ってお前、中学レベルか!?」
「うるせぇ! 基本に忠実なんだよ!!」
「これで本当に大学行けるの?」
「すげぇ勉強するから大丈夫だよ」
「これは人の家庭の問題だからあんまり口を挟みたくないんだけど、優人ってまだバイトしてるわよね?」
「う、うん。週四で」
優人の家は母子家庭で裕福とは言えない。高校に通うのにも奨学金を貰っており、優人はその返済を自分でするためにバイトをしてお金を稼いでいる。
「それで勉強する時間あるの?」
「あるよ。バイト終わりとか」
「いやそれじゃぜんぜん足りないから。優人、大学受験舐めてるでしょ」
「え、マジ……?」
「というか大学の費用はどうするの? 私立とかじゃ千万以上はかかるのよ?」
「え、マジ……?」
優人のあまりの無知さに頭をかかえる凛子。
「もう少し先を見て行動しなさいよ。それじゃ大学に進学するなんて夢のまた夢よ」
「バカに先を見ろって言う方がバカだろ」と呟く純介に「貴方は黙ってて」と凛子に睨まれて肩をすくめる純介。
「とりあえず大学と勉強のことなら相談に乗るから、少しは現実的な計画をしなさい。わかった? わかったなら返事!」
「は、はい!」
そんなやりとりを見てケラケラと笑う純介。
「そういえば肝心なこと聞いてなかったなぁ。お前、大学行って何勉強するんだ?」
「天文学だよ」
そう答える優人に二人は「「あー」」と納得する。
「そういえばお前が唯一人並み以上に博識な分野だったな」
「おうともさ。目指せ天文学者。そしていつか宇宙に行くんだ!――ってなんだよその目は?」
凛子と純介が冷めた目で見つめてくる。
そして二人でコソコソと話しだす。
「おいおいバカが宇宙行くとか言ってるぞ。現実とか見えてないのか?」
「別に言うだけならタダなんだしいいじゃない? それにバカに現実を見ろって言う方がバカだよ」
酷い言われようだった。
「少しは気をつかえよ! そういうことは本人がいないとこで言え!」
泣きそうな顔をする優人を見てケラケラと笑う純介と「ごめんごめん」と謝る凛子。
笑い終えた純介が言葉を続ける。
「でも、優人の夢も現実的じゃないってわけじゃないだろ。ほら、今日完成式がある月面基地の話だってあるだろ」
「知ってる。確か日本時間だと九時から始まるんだっけ? 世界中でテレビ中継されるのよね。基地の名前は確かる、るー……なんだっけ?」
「ルーナだよ」と優人が教える。
「そうそう月面基地ルーナ」
月面基地。
その計画が本格的に建設に入ったのは二〇四〇年の時だ。アメリカのアドルフ・メイの計画に基づいて作られ、そして二〇四九年五月二十四日、つまり今日完成に至る。
月面基地ルーナにより有人宇宙飛行での莫大な費用の削減、有人調査の効率が上がり、他惑星への拠点としても運用される。
だが優人たちのような民間人の注目を集めたのが、民間人の月への宿泊が可能になったことだ。
二〇五五年には民間人の受け入れが始まる。
よくSF映画で見る宇宙での生活が夢ではなくなるのだ。
このことが世界に発表された時、鳥肌が立つくらい興奮したことを優人は思えている。
「もちろん優人はテレビ中継見るんでしょ?」
「まぁね。でも最初だけ見たら天体観測に出かける予定だよ」
「えっ、全部見ないの? 確かニ時間くらいの特番だったはずだけど」
「今日は満月で月が綺麗に見えるから」
そう言うと純介がケラケラと笑いだす。
「なに突然笑い出してるのよ」といぶかしげに凛子が尋ねる。
「いやいやなるほどな、と思って。つまり月に行けない腹いせにここから月を見てやろうってことだろ。なんとも庶民臭い考えだなぁ」
そう言われるとカチンとくるが、まったくもってその通りだ。
優人が望遠鏡から覗いた三八四四〇〇km先には、大勢の人類が月の上に立って、月面基地の完成を祝っている。月はとても遠く優人が立っている地球とはまったく違う場所なのに、同じ時間を過ごしている。
地球から遠く離れた月。だが、決して行くことが不可能ではない場所となった。
それならいつかきっと自分も月に行くことができる日が来るかもしれない。
そんな想いを抱きながら月を見つめるのは、とてもロマンがある。
「純介、物には言い方ってものがあるでしょ」
咎める凛子に「わりぃわりぃ」と反省の色が見えない謝罪をする純介。
「別に悪意はねぇよ。実際俺も月に行けない庶民の一人だからなぁ。ってことで庶民仲間として俺もその天体観測行くぜ」
「……え?」
「あ、私も行く。天体観測なんてやったことないからやってみたい」
「……うん?」
話がおかしな方向に進み始めた。
進路のことで煮詰まった頭を癒すために、一人で感傷にでも浸りながら月でも見よう、と思って計画したのだが、まさかの純介と凛子の参加表明。
正直に言って嫌だ。
この二人が来ると騒がしくてたまったものじゃない。感傷に浸るどころではなくなる。
さてどうやってオブラートに断ったものか、と思考する。
「優人、思ってることが顔に出てるわよ」
「……なんのこと?」
「今絶対めんどくせぇとか、どうやって断ろうとか考えてるでしょ。顔に出てるのよっ」
「……そんなことないさ」
「顔を背けるな、こっちを見なさい」
「うぎゅ――」
両手で顔を掴まれて凛子と向き合う。
近い。少しでも顔を傾けたら鼻先が当たりそうだ。くっきりとした二重の目、赤味を帯びた艶のある唇、高い鼻は顔に鼻筋を通す。女性が羨むような全てのパーツがその小顔に並べられている。
性格は最悪のくせに無駄に顔だけはいいせいで、距離が近くなると男としては意識せざるをえない。
凛子もそれをわかってやっているのだ。顔がニヤニヤしている。
彼女の思惑通りになるのは癪なので、必死に冷静を装おうとするが優人の意思に反してもう顔は異様に熱い。
「私たちも天体観測に連れて行って? いい?」
もはや優人に拒否権はなかった。
そして二十一時のカウントダウンがゼロを刻み、ルーナの完成式が始まる。開式の挨拶、ルーナの設立の経緯、そしてアドルフ・メイの挨拶を見終えたところで、優人は出かける支度を始めた。
そしていざ天体観測へと家を出ようとした時、問題は発生した。
優人の左足にしがみつく女の子が優人の行く手を阻む。五歳になる優人の妹、美奈々(みなな)だ。
「いやぁ、私も一緒に行くっ」
これから天体観測に行くと言ってから、一緒に行くと駄々をこね始めたのだ。
純介と凛子は優人との付き合いも長いだけあって、美奈々と面識がある。美奈々は二人にとてもよく懐いており、二人が来ると伝えた時の彼女の目の輝きは眩し過ぎて直視できないほどだった。
星野家のアイドル、美奈々お嬢様のわがままをなだめるのは至難の業だ。シングルマザーとして母親の真紀恵が働いている時、親代わりとして面倒を見てきた優人でさえ彼女のわがままをなだめて成功したためしは数えるほどしかない。
まぁただ単に優人が美奈々に甘いだけなのだが。
そんな姿を見かねてか、真紀恵がリビングから出て来た。
「ほら、美奈々。あんまりわがまま言ってお兄ちゃんを困らせないの」
「ママァ」と今度は真紀恵の膝に泣き付く美奈々。
「美奈々はそろそろ寝る時間でしょ?」
「ミナ、眠くないもん!」
と主張する美奈々だが、優人が出かけようとする前までは目がトロンとして頭が船を漕いでいた。テレビを見ていた優人に付き合って眠いのを我慢していたのは明らかだ。
「ごめんね、ミナ。ミナはまだ小さいから夜に連れていけないんだ」
「なんで!」
「だってミナ、寝ちゃうだろ。そしたら僕がミナを背負わないといけなくなっちゃう。でも今日は荷物がいっぱいあるから、ミナを外へ置いていかないといけなくなる。ミナも外に置いてきぼりにされるのは嫌だろ?」
「寝ないもん! ミナ、寝ないもん! うぇえええええ」
ついに美奈々は真紀恵の膝に顔を埋めて泣き出してしまう。
「ほらほら、泣かないの」と真紀恵が美奈々を抱き上げる。
「ミナも行きたいよぉ」
抱きあげられた美奈々の頭をそっと撫でる。
「ごめんね。今度、凛子と純介を家に連れてくるから」
そう言うとようやく美奈々は泣き止んで視線を優人に向けた。
「ほんと?」
「ホント。ミナが会いたがってるって言ったら飛んでくるよ。だから今日は我慢して」
「……わかった」
コクリと頷く美奈々の頭をもう一度撫でると、真紀恵と向き合った。
「それじゃ母さん、行ってきます」
「いつものことだから心配はしてないけど、あんまり遅くならないでね」
「日付が変わらないうちに帰ってくるよ」
最後に「行って来るね、ミナ」と美奈々の頭を撫でて家を出た。
外は雲一つない星空が広がっている絶好の天体観測日和だ。
望遠鏡を担いでまずは高校を目指す。純介と凛子と集合するためだ。その後、学校の裏山へと登り、天体観測を行うことになっている。
学校の校門にはすでに二人が待っていた。
「お持たせ」
「遅い」
「おせぇ」
集合時間の十分後に来た優人を同時に非難する声。
「ごめん。ミナに連れてけってせがまれてね」
「ミナちゃんに?」と凛子。
「二人が来るって言ったら行くって聞かなくて」
「そっかぁ」とまんざらでもない顔をする凛子。
「今度、またミナに会いにきてよ」
「行く行く、絶対行く!」
純介はけらけらと笑い、「また泣かせるなよ」と呟く。
一年ぐらい前の話だろうか。凛子が美奈々の好きなゲームで対戦をした時、あまりにも容赦なく美奈々を負かしたせいで、美奈々が大泣きをしたことがあったのだ。
あの時の気まずさを思い出したのか、凛子はばつが悪い顔をして「泣かせないわよ」と反論する。
夜の学校の校門は当然、閉まっているため、学校の敷地をグルッと回って裏山へと入る。裏山には街灯がないせいで真っ暗だ。持ってきた懐中電灯で暗闇の山道を照らす。
観測場所は山の中腹にある開けた場所だ。光を遮る木々もなく、満月が惜しげもなく放つ月光が三人を照らす。
「わぁッ」
「ほぉ」
凛子と純介が感嘆の声を上げる。
周りに余計な光がないので、星の光が際立ち自分たち存在をアピールしている。街中では決してみることのできない星の海がそこには広がっている。
「すごいッ! 学校の裏山でこんな綺麗な夜空が見られるなんて知らなかった!」
「確かに悪くねぇな」
興奮が抑えきれない凛子と冷静に感想の述べる純介。反応は対照的だが、二人とも喜んでいることには変わりない。嫌々だったが連れて来たかいがあった。
「じゃ準備するから」と背負っていた望遠鏡を下ろして組み立てに入る。
その間も二人は飽きずに夜空を見上げる。
純介がその知識を披露して夏の星座の解説を始めて、「へぇ」「あれが」と凛子が解説に相槌を入れるのが聞こえる。
そんなBGMを苦笑して聞きながら、優人は望遠鏡を組み立てて調整を終わらせた。
まず凛子が望遠鏡を覗いた。「おおぉッ! すごいよく見える」という感想。次に純介が覗くと「あーまぁ見えるな」という感想。結局二人ともフィルターを通さない夜空の方がお気に召したようで、その後はあまり望遠鏡を覗かなかった。
(まぁ確かにこんなに星が良く見えるなら自分の目で夜空を見た方が綺麗だ)
優人も二人と一緒に夜空を見上げる。
静かな森の中で誰も一言も喋らずに夜空を眺めていると、純介の声が響いた。
「なぁ、いつか三人で月に行こうぜ」
「「はい?」」
優人と凛子の声が被る。
再び純介が繰り返す。
「だから月に行こうって言ってんだよ」
「月に行こうって、確か月に行くのって何億とかお金がかかるんでしょ? 三人で行くってなったらどんだけお金がかかるのよ」
珍しく夢みたいなことを言う純介に現実をさとしたのは凛子。
「そのくらい俺が出してやるよ」
純介のたった一言の言葉で現実は打ち砕かれた。
「「……」」
流石にこの言葉には純介との付き合いが長い二人でも唖然とした。
高校生が何億というお金を出してやる、と言っているのだ。しかも本気で。
「言っておくが俺は天才だ。あと五年、いや三年もあれば俺の名前は世界で知らないヤツはいなくなる。金なんて腐るほど湧いて出てくるさ。そしたら三人で月に行くことなんて楽勝だ」
何をバカなことを、と純介以外の誰かが言ったら優人は思うだろう。優人と凛子以外の誰かが純介の言葉を聞いたら何をバカなことを、と言うだろう。
だけど、優人と凛子は近藤純介という人間を知っている。この男にどんな才能があるのか、この男がどれだけすごいのかも知っている。だからこそ純介が語るそんな夢物語も、純介から本当に叶えられるんじゃないか、と思える。
「月に行けるならぜんぜん行くよ!」
「私も! 私も行く!」
二人の返事を聞くと純介は「なら決まりだ」と本当に楽しそうな無邪気な笑みを浮かべる。
「月に旅行かぁ。確か宇宙に行くのって事前にいろいろ訓練が必要なのよねー。あ、社会人になった後じゃ休暇とらないといけなくて面倒ね。そうなると、大学のうちに行きたいわね。純介もさすがに一年や二年じゃ無理だろうから、四年生の時かしら? 卒業旅行で月に行けたら最高よね」
屈託のない笑顔を浮かべる凛子。
学校ではいつも微笑み笑顔を崩すことがないが、結局それは笑顔の仮面をつけているだけだ。凛子が自然に笑みを浮かべることは滅諦にない。
三人で月に行けることをそれほど喜んでくれている、と思うと優人も悪い気はしなかった。
一瞬にも思える時間が過ぎた。三人は優人が用意したビニールシートに座り、星空を眺め時折くだらない談笑に花を咲かせる。
たった一時間の出来事だ。
今日カラオケにいた時間の方が長いにも関わらず、この時間はとても美しくて尊いものに感じた。
「私、そろそろ帰るわ」
腕時計の針はそろそろ十一時を示そうとしている。未成年が外出していい時間ではない。
そもそも凛子の家は躾が厳しくて、優人の記憶では門限もあったはずだ。
今日はよく来れたなぁ、と思った疑問を凛子に尋ねると、「大丈夫、部屋の窓から抜け出して来たから」と涼しい顔で言った。
「いや、それはダメなんじゃ……」
「いいの。いつもやってるから」
(もっとダメだ……)
と言っても凛子は止めないだろうから口にはしない。
それがいつも周りの期待に応えようとする凛子の唯一の反抗なら止める気もない。
「凛子が帰るなら俺も帰るか。優人、お前はどうする?」
今帰れば日付が変わる前に家に帰れる。
だが、優人は帰る気分になれなかった。もう少しこの心地の良い気分を味わっていたい。
「僕はもう少し残るよ」
「まぁ、最初は一人で来るはずだったんだぁ。凛子は俺が送り届けてやるから安心しろ」
「あら、珍しく優しいわね」
「ついでに家の前で叫んでやるから安心しろ」と純介の軽口に凛子のチョップが飛んだ。
「それじゃ先に帰るね。今日はありがとう」
「うん、また明日」
「じゃあな」
二人の背中が見えなくなるまで見送り、一人になると小さく溜息を吐いた。
今日は一日中動いていたせいか、少し疲れた。
学校では進路のことで呼び出され、放課後は凛子の愚痴を聞き、夜は三人で天体観測をして、一緒に月に行く約束をした。
(純介には驚かされてばかりだ)と苦笑いを浮かべる。
たぶん、これからの人生で純介と凛子以上の友達は巡り会えないだろ。彼らが優人のとっての最高で最悪な友達で、これはこれから一生変わらない。
最高だ。
言葉にできない充足感を抱きながら、優人は再び空を見上げた。
「あれは……?」
すると、月のすぐそばに青い光を見つける。
「星、じゃない……。なんだ、あれ?」
さっきまでなかった光の正体を知ろうと、望遠鏡を除きこんだ。
その瞬間、爆弾が爆発したような轟音が耳を劈いた。
「え――」
気付いた時には地面に横たわっていた。
何が起きたのかわからず、起き上がろうとするが体に力が入らない。それどころか、全身が麻痺しているようで、思うように体が動いてくれない。
酷く息苦しい。視界もなんだかぼやけて見える。
自分の体が異常なことになっている。それを理解する思考は残っていた。そして救急車を呼ばないといけないという判断も下すことができた。
右のポケットに入っているはずの携帯電話へと感覚の薄い手で探す。
「あ、れ?」
しかし、手は空をきるばかりで、自分の体にさえ触れられない。
感覚的にはここにポケットがあるはずだ。自分の腰はここにあるはずだ。
(何かがおかしい)
力を振り絞って首を最大限まで伸ばして視線を向けた。
「な、に――?」
視界に入ってきた光景は、腰の右側半分が抉れた自分の体。上半身と下半身はかろうじて繋がっている状態だった。
「ごほぉッ――」
息苦しさでせき込むと、口に鉄の味が広がる。
吐血したと理解したと同時に眠気が襲う。意識が保てず混濁し始める。
そんな中、ぼやけた視界に映る夜空に光輝く一閃が横切る。
流れ星。
それを認識するだけの思考と意識は残っていた。
流れ星はその一つだけに留まらず、一つまた一つと流れ、ついに夜空いっぱいに耐えず流れ、流星群となる。
(綺麗だ……)
本当に綺麗だった。青色の光を放つ星が雨のように次々と流れていく。
そして意識は限界を迎え、脳は思考を停止させ、視界は暗く閉ざされた。
戦場の全ての情報が集まる作戦指揮所、CS。
真っ暗な部屋には空中にいくつものホロウモニターが浮いている。その灯りに照らされるように一人の女性が両腕を組んで仁王立ちで立っている。
歳は二十代後半ぐらいだろうか。青い軍服を見に纏い、少佐以上の佐官に与えられる軍の礼服に袖を通している。
篠江恋。
地平線まで続く荒野を走る戦艦アウラの艦長にして、今回の作戦の司令官だ。
無造作に伸ばされて目にかかる栗色の髪を鬱陶しそうに払うと、その凛とした顔立ちがよく見える。
真摯な顔でホロウモニターに視線を向ける篠江が声を上げる。
「アウラ、オルティム群の現在位置は?」
CSには彼女以外に人の姿はない。それにも関わらず彼女の声に返事がくる。
『オルティム群、本艦との距離五十キロ。主砲射程内に入る』
それは戦艦に搭載されたAIから返答だった。
軍艦の操縦、索敵、通信、火器管制、その全てをこのAIが管理し操作している。そのため、CSには司令官である篠江しかいない。
戦艦アウラの全てを任されているAIはもはやアウラそのものだ。故にAIの名もアウラ。
「モニターに敵の映像出せる?」
『肯定。メインモニターに出す』
CSの最も大きいホロウモニターに外の映像が出る。
荒野に土煙を上げるサメの胴体に四本の足を生やしたような生物は、時速三十キロメートルでこちらに向かい侵攻する。
サメが進化を遂げて生まれた第一生態オルティムだ。呼称はシャーク。
その数は目測では数え切れない。事前のアウラの報告ではその数は五千。
「相変わらずノロマなサメみたいね。各隊の状況は?」
『第一、第二戦車中隊、第三防衛ラインに集結。配置につく。同じく第二、第一防衛ライン配置完了』
「予定通り時間。これよりオルティム群殲滅作戦を開始する。アウラ、ラピス兵器による飽和攻撃開始」
『了解』
アウラが即座に反応し、轟音と共に主砲が火花を散らす。
瞬間、メインモニターに映るオルティムが青白い光を放つ。
砲弾が着弾する。
激しい爆発が起こるが、オルティムは健在だ。変わらない速度で侵攻している。
だがこの砲撃はオルティムを倒す目的ではない。オルティムが放つ青白い光を消滅させるための砲撃だ。
砲撃は続きやがてオルティム群を包むように輝いていた青白い光は消えうせた。
瞬間、篠江は叫ぶ。
「飽和攻撃を通常攻撃に切り替えて攻撃を続行。戦車隊攻撃開始。航空隊も順次出撃させて」
『了解』
一度砲撃が止むが、再び轟音が響く。
砲撃が着弾すると、メインモニターにはオルティムの残骸が映し出される。その数は砲撃が続くたびに積み重なっていく。
『敵、オルティム三十%殲滅。残存勢力第三防衛ラインに接近』
「第三防衛ラインを破棄。第一、第二戦車中隊は攻撃を続けつつ後退」
ここまで作戦通りの状況だ。
しかし、一瞬生まれた慢心をうち砕くかのようにアウラから報告が入る。
『日本海側から新たな粒子反応。距離五十キロ。数一万』
「い、一万!? 今侵攻してる二倍の数!?」
これは根本的に何かを見誤っている。
篠江が本隊だと思っていた五千のオルティム群は牽制。本命はこっちだ。
握りしめる手に汗が滲む。
『防衛ラインを迂回し本艦に向かっている。本艦との接触まで百分。このオルティム群をオルティム群Bと呼称』
第一防衛ラインの第五、第六戦車中隊を呼び戻したところで、この数では相手にならない。この戦艦での砲撃を合わせたとしても一万という数ではどうしようもない。
篠江は腕を組み、深く思考する。
「百分の時間があれば全中隊を呼び戻すことは可能。一度戦艦を後退させて新たに防衛ラインを敷き直すしかないね」
ぶつぶつと呟きながら考えをまとめる。
よし、と頭の中でまとまった。
「CSから全部隊へ。全ての――」
『高粒子反応確認』
再び篠江の言葉を遮るアウラ。
「また新手!?」
出鼻を挫かれたことと新な敵への苛立ちをぶつけるように声を上げる。
『オルティム群Bの五十メートル付近に高粒子反応。過去例を見ない反応』
「もしかして第二生態オルティム?」
『詳細は不明』
続々と現れるアンノウンに思わず頭を抱えたくなる。
第一生態オルティムを軽く凌駕する力を持つのが第二生態オルティムだ。
もし一万のオルティム群Bと第二生態オルティムが合わせて侵攻してきたら、この戦いは間違いなく篠江側の負けだ。
だが命令は変わらない。即時の後退だ。
「CSから――」
『アンノウン、オルティム群Bと接触。オルティムの粒子反応が次々消滅』
三度篠江の言葉をアウラが遮る。
「粒子反応が消滅!? どうして!?」
『現状からしてアンノウンがオルティムと交戦していると予測』
「それで戦況は?」
『アンノウンがオルティム群Bを圧倒。次々に粒子反応消失』
たった一体のアンノウンが一万のオルティム群Bを圧倒。
その事実に驚きながらも、篠江は頭の中で作戦を組みかえる。
「アウラ、オルティム群Bの動きはどうなってるの?」
『完全に停止。アンノウンに集中』
アンノウンが何者なのか、なぜオルティム群Bと戦っているのかはわからない。だが、いい足止めになっていることは確かだ。
ならばこれを利用しない手はない。
「作戦を変更。第一防衛ラインは第二防衛ラインへと移動し、ただちに攻撃開始。本艦も第二防衛ラインへと移動し、全力攻撃を開始する。アウラ」
『了解。機関始動、出力最大まで五十三秒』
アンノウンがいくら強くてもずっと一万の相手を圧倒できるわけがない。やがてオルティム群Bは五千のオルティム群と合流しさらなる大群となって押し寄せてくる。
ならばアンノウンが時間を稼いでいる間に、五千のオルティム群を殲滅する。
「何か知らないけど利用させてもらうわ」
「そんな……」
五千のオルティム群は殲滅した。残りはアンノウンと交戦しているオルティム群だ、と篠江はアウラに戦況を確認させた。
戦況はオルティム群B壊滅。アンノウンは健在していた。
「アウラ、無人ヘリを飛ばして、アンノウンを目視で確認するわ」
『了解』
一万という数を相手にしながら圧倒する存在。一番可能性があるとしたら、第二生態オルティムだ。だが、この第二生態オルティムの行動にはどんな意味がある?
縄張り争い? 捕食? それともただの遊戯だろうか?
どれもこれも確信の得られる回答になりえない。
こんな状況は篠江も初めてだ。第二生態オルティムが第一生態オルティムを殺戮するなど。
もし、この行動に何かしらの意味があるのなら、それはもしかしたら人類にとって有益な情報になりえる。
篠江に高揚感が生まれる。
『無人ヘリからの映像メインモニターに出る』
アウラの声と共にメインモニターの映像が切り替わる。
オルティム群が侵攻し、雑草一本残らない荒野。辺りにはオルティムの残骸が転がっており、その中心にソレはいた。
「……」
言葉が出ない篠江。
無人ヘリが映したアンノウンの姿は、どこからどう見ても人間だった。
顔立ちはどこか幼さが残る青年だ。ボサボサの黒髪、虚ろな黒い瞳から日本人であることがわかる。
上半身は何も身に着けておらず、下半身はボロボロの布切れでかろうじて隠れている。体にはオルティムの返り血を浴び、真っ赤になっている。
そして彼の体からはほのかに青白く輝く光が溢れていた。
「……生きてたんだ」
小さく呟く篠江。
青年は無表情に佇んでいる。
「初めまして、星野優人」
アウラさえにも聞き取れない声量で、篠江は呟いた。