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起点

 部屋の床には埃がうず高く積り、石壁の所々は剥げ落ちて使う者の居なくなった年月を感じさせ、開け放たれた小さな天窓からは月明りだけ射し込み、唯一の光源として部屋の中を照らしていた。

 長い間放置され、住む者が居なくなった筈の部屋の中に、唐突に影が生まれた。

 一つは壁から、もう一つは天井から突き出す様に生えていた。

 水中で揺れる海藻の様にゆらゆらと揺らめく影は、薄暗い部屋と相まって非常に不気味であり、光源の方向から考えれば、決して有り得ない位置に二つの影はあった。

 しかも、影は厚みが持てない筈なのに、その二つは明確な厚みを感じさせていた。

 静寂が支配する薄暗い部屋の中に、突如として楽し気な声が流れる。

「漸く最適な素材を見付けましたよ。これで一歩、いや、もっと前進出来るでしょう」

 その声は、天井の影から漂う様に流れた。

「――我らが総統(フューラー)は、その事をご存知なのか?」

 一拍の間を置いた後、やや不機嫌な声が流れた。

 こちらは壁から生えた影のものの様だ。

「私は総統閣下からのオーダーを受け素材を探し出したまで。そしてその回収役として貴方を指名し呼び出した。ただ、それだけです」

 天井の影は先程とは打って変わり、至極真面目な声で告げる。

「ならば是非もなし、か」

 どこか諦めた様な、それでいて嬉しそうな、良く分からない感情の混じった声音を壁の影は響かせた。

「では、頼みましたよ?」

 それを最後に会話は途切れ、部屋の中の影は現れた時と同じように忽然と消え去り、射し込む月明りと静寂だけがまた、部屋の主となるのだった。



           *



 二人はその後、単独の跳蛇を探し当てて、無事に討伐証明部位である頭部を確保した。

 その際の戦闘は、小太郎の前では能力を隠す事を止めたナミヴィアの手の一振りで終わった事は、言うまでもない。

 ただ、小太郎はそれが不満だった様で、森の中を歩いている時も、更には森から出てからも、ぶつくさと文句を垂れていた。

 それを全部要約すると、最初に発見したのは自分なのだから、ナミヴィアが手を出すのはおかしい、となる。

 尤も、ナミヴィアに言わせれば、適材適所、の一言で終わりなのだが。

「――だからと言って、あれは無いだろう」

「なによ? 文句あるの?」

 半眼に成ってナミヴィアは睨み付けるも、小太郎には通じない。

「確かに俺は遠距離からは無理だ。でもな、あいつ等が一匹なら――」

「あたしが居るのに態々危険を冒す必要はないでしょ? それともあれなの? 危険な方がよかった?」

 小太郎の愚痴はナミヴィアに遮られ、最後まで言わせてもらえなかったばかりか、正論まで叩き付けられては、最早口を噤むしかない。

 口をへの字に曲げて、小太郎は憮然とした表情で無言の抗議を示したものの、そんな彼の態度など与り知らぬ、とばかりにナミヴィアは続ける。

「しかもマキにはさっきの跡がしっかりと残ってるじゃない。それって、少なくないダメージを受けてるって証拠なんじゃないの?」

 ナミヴィアが向けた視線の先――、小太郎の首筋には、跳蛇の鱗の跡がくっきりと残っていた。

 その事から推察すれば、他の部位にも締め付けられた跡がある、と断言出来るし、それ相応の痛みも伴う筈。

 そう言った観点から鑑みれば、どこかで必ず動きに影響は出るだろうし、ナミヴィアとしては万全ではない状態の小太郎に、戦わせる訳にはいかなかった。

 この辺の判断は流石、軍属、と言えた。

「それにあたしは殆どダメージ無いし、だったらあたしが狩るのが一番確実でしょ?」

 それでも小太郎の憮然とした表情は消えなかった。

 小太郎とてナミヴィアの言っている事を理解しているのは、態度を見れば良く分かる。

 だからこの態度は、男としての意地の現れ、なのかもしれない。

 俺は大丈夫だ。

 俺は問題ない。

 俺だって戦える。

 無言でそう主張している様に見えて、ナミヴィアは和らなか慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 勿論、彼女の感じた事が正解とは言えない。が、当たらずとも遠からずといった所は、女のカン恐るべし、である。

 そんな事も知らずに剥れている小太郎と、彼の子供っぽい部分を見付けて嬉しそうなナミヴィアは、肩を並べて村へと向かうのだった。



          *




 村へと戻った二人は、組織で討伐完了報告をすると同時に、跳蛇の異常行動も報告していた。

 勿論、同行者だったナミヴィアが、フィグ村の周辺を記した地図で大凡の場所も伝えた。

 そして、報告を受けたフィグ村支部支部長は、速やかに調査するようにと、職員幹部へと指示を飛ばしていた。

 もしもこの報告をしたのが小太郎一人であったならば、調査への同行は必須だった筈だ。だが、ナミヴィアが共に居たお陰でそれを免れた彼は、彼女に感謝しなければ成らなくなった事が最大の誤算だったと言えよう。

 因って、

「お金は半分貰ってもいいわよね?」

 こんな要求を突き付けられても断れなかった。

 にっこりと微笑みながら片手を差し出す彼女に、支払われた報酬の半分を渡す小太郎だったが、口元には何かを言いたげな雰囲気がありありと浮かんでいた。

 だがナミヴィアの同行を許してしまった時点でこうなる事は予想して然るべきで、ここで何かを言えば喧嘩に発展しかねない事も十分理解しているからこそ、小太郎は口を噤んでいた。

 それに加えてあともう一点、理由がある。

 報酬の上乗せがあったからだ。

 本来ならば十万テソの所を、異常行動の報告をしたお陰で五万テソ上乗せされて十五万テソ。

 半分をナミヴィアに渡したとしても、残り半分の七万五千テソは小太郎の手元に残る。

 単独討伐の時よりも二万五千テソほど少なくなってしまったが、あんな目に合い助けられた事を考えれば、これはこれで良しとしなければいけない事も重々承知していたからだ。

 尤も小太郎にしてみれば、どこか釈然としないのも当然かもしれない。

 一人であれば、十万テソを手に出来ていたのだから。

 しかし、今更たらればを語った所で、詮無い事。

 無論、跳蛇の異常行動は除いてだが。

 大きな溜息を吐き出すと、それと一緒に溜まった澱も吐き出す。

 そんな小太郎を見ていたナミヴィアは、少しだけ済まなそうな表情を浮かべた。

 そして、謝罪を口にしようとした時、

「気にするな」

 そう言われてしまい、開き掛けた口を噤んで自分の至らなさを痛感して俯いてしまった。

 彼女のそんな気持ちを感じたのかは分からないが、小太郎はやや緊張気味の面持で口を開いた。

「そ、そんな顔、するな」

 珍しく気を使う素振りを示した小太郎に驚き、ナミヴィアが顔を挙げると、当の本人は顔を逸らしていた。

 ただ、頬にはうっすらと朱が上っていて、小太郎は少しだけ気恥ずかしさを感じている様だ。

 そんな彼を見上げていたナミヴィアは、更に飛び出して来た言葉に驚きを隠せなかった。

「な、ナミは、その――。笑っている方が、か、かか、可愛いと、お、俺は、思う」

 ここまでの場面で、見えない筈では? という言葉は聊か無粋と言えよう。

 ぎこちなくて拙い褒め言葉を羞恥に身を震わせながらとは言え放った小太郎を、ここは褒めるべきである。

 付き合いが長ければ、一蹴されてしまう様な無様な姿。

 しかも今までの小太郎を見て来たナミヴィアに取っては、青天の霹靂にも似た珍事に分類されて然るべき発言。

 今までであれば笑うか、軽い冗談として受け取り、おざなりな対応をしたに違いない。

 だが今回は、ナミヴィアに驚きだけではない感情を芽生えさせた。

 自然、彼女の口元は綻び、

「うん!」

 花開く様な満面の笑みを向けさせた。

 小太郎は小太郎で、笑顔を見せた彼女に、自分も笑みで以て返していた。

 出会った当初は擦れ違うばかりで、何時も喧嘩をしていた二人。

 それが小太郎の単独行動という、ほんの些細な切っ掛けから、少しずつ近付き始めた気持ち。

 そして、討伐という仕事を通じて、互いの命を守り助け合う経験もした。

 一人で居る事が常だった二人に取って、この意味は大きかった。

 故に、意識的にしろ無意識的にしろ二人は、互いの必要性を強く感じたのかもしれない。

 短い時間の中で芽生えた信頼が、違う感情に置き換わってしまう程に。

 これを、吊り橋効果、などと言われてしまえばそれまでだが、急速に気持ちの通じ合った二人の男女が見せる次の行動と言えば、決まり切っていた。

 眼帯に覆われた瞳と、嬉しさで潤んだ瞳とが見詰め合いながら、その距離を徐々に詰めて行く。

 但し、組織の建物内でそんな事すれば当然、視線は集まる。

 結果、年長者からは生暖かい視線を向けられ、同年代の者達からは、やっかみ半分からかい半分の冷やかしが向けられた。

 そんな眼差しと声を向けられた二人は、今どこに居るのかを急速に自覚して茹蛸の様に顔を真っ赤に染めた。

 直後、二人はそこから逃れる様にして、組織を後にしたのだった。

 だた、出て行く時の余りにも呼吸の合った動きに、年長者は感心し、同年代の者達は羨む視線を閉じられた扉に注いで居た。



            *



 翌日、何時も通りに二人は朝食を取っていた。

 無論、陰から見守る主人の姿も同じ。

 ただ主人は、二人の姿に違和感を感じていた。

 今までならば喧嘩になっていた筈なのに、今朝に限ってその気配がまるで無い。

 これは何かあったな、と思いながら主人は、陰から二人の姿を見守り(のぞき)続けた。

 そして、テーブルの上にある香辛料の入った筒へと二人同時に手を伸ばした時、互いの指先が触れ合った途端、二人ともビクっと身を震わせたと思えば、その手は素早く元へと戻された。

 しかも、小太郎の頬が微かに赤くなっている。

 主人は心の中で狂喜乱舞した。

 終に――、終に二人の間に恋の炎が燈ったと。

 だがしかし、と主人は思った。

 確信に至るには、今の状況だけでは確証が少な過ぎるからだ。

 逸る気持ちを押さえ付けて、主人は更に見守る。

 そんな中、小太郎が意を決した様に手を伸ばすと、香辛料の入った筒をナミヴィアの方へと押しやった。

「あ、あり、がとう……」

 恥じらいと嬉しさの混じり合った声音で礼を言った彼女の声を聞いて、ここで一つの確信を得た。

 これは、と主人が思っていると、今度は照れる彼の声が響いた。

「――いや」

 それを聞いた主人は、何故か無性に腹が立った。

 そして、思わず呟いてはいけない一言を呟いてしまった。

「羨ましい……」

 二人に聞こえる事は無かったが、別の場所に居たもう一人の人物には、しっかりと聞かれている事に、主人は気が付いていなかった。

「何が、羨ましいの?」

「あいつだよ、あいつ。俺ももうちょい若かったら言い寄ってたのに、ちくしょうめ!」

「あらそれって、浮気したい、って事?」

「ちげーよ。今のカカアを放り出して乗り換えたいんだよ」

「あんた、いい度胸してるわね。あたしの前で」

 背後で突如膨らんだ怒気に、主人が恐る恐る振り向けば、そこには蟀谷に青筋を浮かべて笑顔で仁王立ちする、妻が居たのだった。



        *



 昼を僅かに過ぎた時間、村の通りを歩く男女の姿があった。

 天を衝く様な大男と見目麗しい少女という、一見すると釣り合いそうもない組み合わせだ。

 だがしかし、村の者達は知っていた。

 この二人が、噂の人物だという事を。

 ただこの噂は今現在、村人達が目にしている光景とは異なっていた。

 その広まっていた噂を簡単に纏めれば、こうだ。

 曰く、二人の仲はあまり宜しくない。

 原因は男の察しの悪さにある、と。

 それが今は仲睦まじく、二人とも口元には笑みを浮かべて楽し気に歩いている。しかも少女は男の腕を取り、男は少女に引かれるがままに、素直に歩いているのだ。

 無論、それには訳がある。

 男の両目は豪奢な眼帯に覆われて居る事から、盲目である事は一目瞭然であるし、男の腰には青杖がぶら下がってはいるのだが、無残にも折れ曲がっていたからだ。

 盲目の者を誘導するには、自身の腕を取らせるのが一番なのは、村人達のみならず、殆どの大人ならば知っている事。

 だがそんな事実など、彼等の表情を見れば些細な事であった。

 恋人との外出を力いっぱい楽しむ雰囲気を撒き散らしているのだから。

 そんな彼等が目指していた場所はと言うと、村唯一の雑貨屋だった。

 二人の行き先を見ても、何故、と思う者はこの村には誰一人として居なかった。

 理由は、大きな村や街等であれば通常の雑貨屋の他に魔術具を専門に扱う雑貨屋が在るのだが、この村では一つの雑貨屋が両方を兼業している為であった。

 噂とは違う姿を見せる二人に村人達はやや驚きはしたものの、概ねの者達はその姿が雑貨屋の扉を潜って消えるまで、温かい視線を送り続けていた。

 そんな村人達に混じって、一人だけ異質な雰囲気を漂わせる男が居た。

 がっしりとした体格に使い込まれた装備類。

 腰の左側には剣を佩き、反対の右側にはかなり大型の拳銃を吊っていた。

 それらを鑑みるに、組織に属している討伐者の一人にも見えなくはないし、髪を短く刈り上げ頬髭を生やした顔は、一種独特な雰囲気を醸し出している。

 そんな男に対して道行く人々は忌避するでもなく、かと言って疎ましい目線を向ける訳でもない。寧ろ彼を目にすると頭を垂れ、男も口元に柔和な笑みを浮かべてそれに会釈を返していた。

 しかも村人達の態度からは男に対する敬意と尊敬の念が感じられ、必ず一度は彼の胸に目線を送っていた。

 その胸には、猛禽を思わせる彫金が施された、金色に光り輝く小さなな円形のバッヂが光っていた。

「お勤めお疲れさまっす! ザクセンさん!」

 不意に背後から声を掛けられた男――ザクセンが振り向けば、そこには小太郎を嬲っていた六人組の男達が畏まった姿勢で立っていた。

 彼等を一瞥すると、ザクセンは大きな溜息を一つ吐いて顔を顰めながら口を開いた。

「俺はこれでもこの村の保安隊の隊長で、チンピラの親玉じゃねんだがなあ」

「あ、いや、その、これはついクセで……」

 ザクセンと正面から向き合っている男は、苦笑いを浮かべながら頭を掻く。

 そんな男にザクセンは、先程とは打って変わって鋭い視線を飛ばした。

「ところでよ、ニコール。俺が本部へ赴いてる間に、おめえらが村の外で問題を起こしたって聞いたんだが、本当か?」

 向けられた視線と質問にニコールの表情は青ざめ、後ろにいた者達も体を強張らせた。

「まあ、寸での所で()らすのは止められたって聞いてっから、今回だけは大目に見てやるけどよ、次何かやらかしたら、箱行きじゃ済まねえからな?」

 全身が泡立ち背筋が凍り付く程の迫力を叩き付けられ、ニコールは一も二もなく頷いていた。

 引き攣った表情で一様に頷く様を見ると彼等の事を頭の中から追い出し、ザクセンは体を元へと戻した。

「――面白くなりそうだぜ」

 雑貨屋の扉へと視線を向けてザクセンは、口元に笑みを浮かべて呟く。

 その呟きを耳にしたニコールは何が面白くなるのかと首を傾げ、彼と同じ方向へと目線を向けるのだった。

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