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心情

 フィグ村支部で、ナミヴィアが小太郎に説教をした日の夜。

 村から南西方向に向かって、数十キロほど離れた場所に広がる草原を抜けた更に先に有る深い森の入り口に、一人で佇む男の姿があった。

 黒色で纏められた服装は、夜の闇に同化してしまいそうな程だが、頭髪だけは炎の様に赤く染まっている。

 そして、男の視線の先には、微かな月明かりすら射し込まないほど濃密に樹木の葉が生い茂り、地面からは、男の腰にまで達する下草で埋め尽くされていた。

 どんなに夜目が利く人間であっても、そんな場所では周囲の様子など見える筈も無いのだが、それなのにその男は、臆する事無く森に足を踏み入れてしまった。

 昼間とは一変して夜の森は、凶暴な魔獣達が支配する領域と化す。そんな危険極まりない所を男は、無造作、ともいえる足取りで歩いていた。

 二時間ほども歩いただろうか。不意に男が足を止めた。

「……ここで良いか」

 小さく一言だけ呟くと、その場で静かに佇む。

 歩いている間もそうであったが、この男には一切の恐怖心、と言うものが見受けられない。それどころか、警戒心すら見られなかった。

 だが、只一つだけ分かる事があった。

 それは気配。

 確かにそこに存在するというのに、男は人としての存在感が異様な程、希薄だった。

 無論、注意して目を凝らせば認識は出来る。

 しかしそれは、其処に居ると知っている事が前提であり、誰にも知らせずひっそりと只其処に〝在る〟というだけでは認識する事すら儘なら無い程に、周囲と酷似する気配を漂わせていた。

 男が闇の中に身を浸してから、どれ程の時間が経ったのかは分からない。

 一時間か、二時間、あるいは、三十分だったかもしれない。

 時間感覚さえ儘なら無い森の中であっても、樹木の遥か頭上には月が輝き、中天に差し掛かろうとした正に時、それまで静寂に包まれていた森に、一陣の風が迷い込んだ。

 木々の葉をざわめかせる程度の力しか無かったが、先ほどまで闇に覆われていた森の中に月の雫を導き、微かな明りを齎した。

 それは佇む者にも零れ落ち、煌く光の粒と成って飛散する。

 月の雫を飛散させた原因は、微かな光を受けて銀色に輝く、人間とは思えない瞳。

 そして、その男の周囲には、無数の死骸が横たわっていた。




            *




 説教された翌日、小太郎は日が昇ると同時に起き出し、懲りもせずフィグ村支部の組織(ユニオン)へと顔を出していた。

 無論、ナミヴィアが眠っている事を確認してから、ではあるが。

 建物内は流石に早朝とあって、昨日、小太郎が訪れた時と比べれば、討伐者の姿はかなり少なかった。が、あの時の顛末は既に彼等の間に広まっており、小太郎が姿を現した途端、忍び笑いや囁き合う声がそこかしこで上がった。

 何を囁き合っているのか分からなくとも、微かに響く声は小太郎にも届いている筈。だが彼は、そ知らぬ振りで受付へと歩を進めて行く。

 尤も、その程度の事で目くじらを立てていては、討伐者家業などやっては居られない事も確か。

 討伐者に成り立ての者など、簡単な依頼を失敗する事も有るし、ベテランでさえ油断からの失敗もある。

 勿論、ベテランの場合と初心者の場合とでは失敗の次元が違うのだが、どちらも依頼を失敗している事には変わりなく、心無い者が影で誹謗中傷して、それが噂話になる事もしばしばであった。

 それなりに年季を積んだ者であれば、噂話が収まるまで無視を貫く者や、自身の失敗を教訓としてもらえるよう、討伐者仲間に話をする者、果ては自虐話として笑いのネタにする者も居るくらいである。

 だが中には噂を気にし過ぎる余り、失敗を恐れて適正ランク以下の依頼しか受けなくなる者までいる事もまた、事実だった。

 それとは逆に、噂を払拭しようと躍起になる余り、身の丈を越える依頼を受け、命を落とす者もあった。

 適正ランク以下の依頼しか受けない者に対して組織は何度かの警告後、行為の改善が見られなければ、強制的に最低ランクにまで下げる事も有る。

 だが組織側としても、将来が嘱望される若い討伐者が命を落としたり、強制的にランクを下げなければならない事態は望んで居ない。寧ろそれ等を避ける為にと、技術指導や定期的な講習会などを開いたりして、それなりの支援体制を構築してはいる。

 しかし、討伐者と成る者達は意外な程プライドが高く、利用者は余り多く無いのが現状であった。

 その事を踏まえて小太郎の態度を鑑みれば、理に叶っているともいえる。

 とは言え、今回の件に関してだけは、些かの羞恥も見られない姿は、男としてのプライドを疑わざるを得ない。

 彼の場合は依頼を失敗したのではなく、ナミヴィアに説教をされて縮こまって居ただけなのだから。

 何食わぬ顔で、と言っても表情は読めないのだが、小太郎は〝討伐請負申請〟と書かれたプレートが下がる受付前で立ち止まった。

 目が見えないのに何故すんなりと? と疑問に思うが、ここに居る者達は然して気にもして居ない様で有る。

 それは受付譲も同様で、正面に小太郎が立つと、

「何か御用ですか?」

 静かに声を掛けた。

「今有る依頼を聞かせて欲しい」

 そう言いながら、小太郎は一枚のカードを差し出す。

 それは昨日、ナミヴィアが示したカードと同じ物だった。

「拝見させて頂きます」

 丁寧に受け取ると、昨日の受付譲と同様に、ボックスにカードを刺し込む。

 そして、映し出された情報に受付譲は「うそ、でしょう……」と目を見開いて小さな驚きの声を漏らした。

 其処に映し出されていたものは、眼帯を外して目を瞑った小太郎の顔と、討伐者としてのランクに戦闘スタイル、討伐者登録をした場所が表示されていた。

 時間にして十秒程度であろうか。驚きで固まる受付譲の耳に、小太郎の声が流れ込む。

「済まんが、確認出来たなら、直ぐにカードは返して欲しい」

 声には少しだけ困った様な色が混じっていたが、責める感じは微塵も無い。

 受付譲は小太郎に言われて慌ててカードを抜き取ると、両手に持って差し出しながら、

「真に申し訳御座いませんでした」

 同時に深く頭を下げ謝罪した。

 小太郎は差し出されたカードをそっと受け取ると、着衣の内側へと仕舞い込む。

「構わん。それよりも、早く情報を教えてくれ」

「畏まりました」

 受付譲は恭しく礼をすると、手元にある依頼書を捲り始め、該当する依頼を口にし始める。

「マキサカ様が受注可能な依頼は以下になります。跳蛇(ジャンピングスネーク)と――」

「それで」

 行き成り受付譲の言葉を遮った小太郎に、キョトンとした表情を受付譲は返した。

「え?」

「跳蛇討伐を受ける、と言ったんだが……」

 困惑に困惑を返す小太郎だが、受けるならば受けると最初からはっきり言わなければ、幾ら受付譲であっても、あの一言では伝わる筈がない。況してや、最後まで聞かずに返したのだから、尚更であった。

 二人の間には微妙な空気が流れ始めたが、そこは流石プロ。受付譲は直ぐに気を取り直して対応して見せた。

「畏まりました。ではこちらの用紙にサインをお願いします」

 受注完了用紙、と書かれた紙を台の上に置き、小太郎にはペンを渡す。そして、ペンを握った彼の手を取り、用紙の記入場所へと導いた。

 これには小太郎も素直に返す。

「有難う」

「いえ、仕事ですから」

 自分が見えて居ない相手にも微笑を向けながら、小太郎がサインする様子を眺めていた。

 滞りなく手続きが済んだ小太郎は、組織の建物を出て宿の方角へと身体を向ける。

「頼むから、まだ寝ててくれよ……」

 願望と祈りを篭めた一言を呟いた後、表情の窺えない顔を真っ直ぐ前に向けて歩き出すのだった。



           *



 小太郎が組織を出る少し前、ナミヴィアは起床して身嗜みを整えてから、小太郎の部屋の扉をトントンと叩いていた。

 無人と成った室内には、ノックの音だけが虚しく響く。

 そして、一分ほど待って何も動きが無いと見るや、今度はもう少し強めに扉を叩き、声も掛けた。

「マキー、起きてるんでしょー。朝ごはん食べにいこーよー」

 そしてまた一分ほど待ったが、何の反応も返って来なかった。

 すると、顔はやや俯き加減になり、今にも泣き出しそうな表情を見せ、瞳は潤み始める。が、唇を引き結んでナミヴィアは顔を上げると、何度か深呼吸を繰り返し、表情に柔らかな笑みを浮べ、再びトントンと扉を叩きながら、柔らかく呼び掛けた。

「昨日の事はホント反省してるから、機嫌なおして出て来てよー」

 こんな事を告げるのには訳があった。

 昨日は実の所、ナミヴィアの説教の途中で小太郎は立ち上がり、怒りながら静止する彼女を無視して、一人で宿に戻ってしまったのだ。しかも、夕食の時間になっても食堂に姿を見せなかった。しかも呼びに行った彼女は「俺にはもう、構うな!」と扉越しに怒鳴り付けられてしまったのだ。

 小太郎がはっきりと拒絶の言葉を口にしたのは、一緒に行動する様になってからは初めてであり、そこで初めて自分が遣り過ぎた事を悟らされた。

 今の今まで、もう何年も一緒に居るような気でいたナミヴィアだったが、出会ってからまだ数日しか経って居ない事を思い出させられ、自分自身の思慮の足りなさを痛感させられた。

 扉越しではあったが直ぐに真摯な謝罪をして許しを請うたが、相当機嫌を損ねてしまったのか、一切返答を貰えず、昨晩は一人で寂しい食事を取らなければならなかった。

 久しぶりの一人の食事は、(わび)しく味気ないものだった。

 それは今まで感じた事の無い気持ち。

 食事中も部屋に戻った後も、彼女はずっとその事を考え続けていた。

 小太郎と出会うまでの二年間、彼女は常に一人で過ごした。だが、侘しいとか寂しいと思った事は一度も無かった。

 そして、就寝間際になって思い出したのだ。

 家族と、友達と、気心の知れた仲間と、食事が出来る事や共に居られる事の嬉しさを。

 今の彼女には、友と呼べるような人物は居ない。正確には、二年前のあの時までは友達が居た、と言うべきだろう。

 だがあの時の事件が、彼女の全てを狂わせてしまった。

 忌まわしく呪われた村出身の者、というレッテルまで貼られて。

 無論、そんな事を気にしない者も少なからずは居た。

 だが彼女は、その者達を自ら拒絶してしまった。

 両親の、そして村の皆の敵討ちを成す為に。

 そんな彼女は、ここフィグ村で小太郎と出合い、彼に自分と似た様な匂いを嗅いだ。

 全てを拒絶し、何事も一人で成そうとする匂いを。

 近親感を覚えると同時に、何故か酷く悲しかった事を、彼女は覚えている。

 何故そんな事を胸に抱いたのか、未だに彼女自身も分からない。

 だが身体的に過酷な状況の中で旅をして、挙句にここ、フィグ村では暴漢に袋叩きにされても誰にも助けを求めず、一人じっと耐えていた小太郎を目にした瞬間、彼女の中で何かが動いた。

 助けたのは義憤に駆られたからなのは確かだ。

 ただ、酒場まで追い掛けて声を掛けたのは、騙されないか心配した所為もあるが、ほんの少しの興味があったからでもある。

 彼女自身、何故興味を持ったのか良く分かって居ない。

 でも今は、そんな事などどうでも良かった。

 小太郎が顔を見せてくれない、というだけで何故か悲しくて、寂しくて、不安な気持ちになってしまっていたからだ。

 幾ら扉を叩いても、何度名前を呼んでも出て来る気配はおろか、動き出す気配すら無く、何時しかナミヴィアは、叩くのを止めて扉に手を置き、額までも扉に付けていた。

「お願いだから……。出て来てよ……」

 だが無人の室内からは何かが返って来る筈も無く、それを知らない彼女の瞳からは雫が零れ落ち始め、きつく引き結んだ唇からは、くぐもった声が漏れ出した。

「――一人ぼっちになるのはもう、やだよ……」

 その時だった。ここ数日で聞き慣れた声が耳に飛び込んで来たのは。

「何故泣いている?」

 声の主を確認する為にナミヴィアは顔を上げその姿を瞳に納めると、ぽろぽろと雫を零し始める。

 そこには、数日前から共に過ごす様になった巨漢が静かに佇み、困惑の姿勢を見せていた。

「お、おい……」

 自分を見て更に涙を零し始める彼女の姿に、小太郎はどうすれば良いのか分からず狼狽える。

 が、次の瞬間、

「なんで――なんで黙って、いっちゃう、のよ……。あた――、あたし……、置いてかれたと、思ったんだからあ!」

 小太郎の胸に飛び込み握り締めた拳で叩きながら、声を上げて泣きじゃくり始めてしまった。

 決して強くは無い殴打。

 だがそれは小太郎の身体を小さく揺らしただけだ。

 しかし、心を大きく揺らした。

 そして小太郎はそんな彼女に見えない視線を落とし、只黙ってその場に立ち尽くしていた。

 廊下には、何時終わるとも知れないナミヴィアの慟哭が木霊し、小太郎の心の内を揺らし続けるのだった。

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