プロローグ
チャスナット村の中を、風が静かに駆け抜けて行く。
建物の隙間を、街路を、家々の庭先を。
普段であれば風は喧騒も運び行く筈だが、日中ならば当たり前の光景が、この村には無かった。
生活感、活気、ざわめき、言い表し方は様々あるが、それがまったく見られない。
人は居る、そこかしこに。
但し、思い思いの姿勢で横たわって居るが。
ある男は畑の畦道で片手には鎌を、もう片方の手には雑草を握り締めて寝転がり、ある女は家の庭で洗濯籠に洗濯物残したまま、横たわっていた。
少し離れた場所には、チャンバラごっこでもしていたのだろうか、二人の子供が棒切れを横に転がしたまま、重なる様にして横たわって居た。
家の中を覗き見ればベッドで横になっている者も居るが、それは極少数に限られた。
大多数の者が屋外で横たわり、村の大通りでは、それが更に顕著であった。
露天商達は商品を放置したままその場で横になり、買い物客らしき者達も露天の目の前で横になっている。
荷馬車を引いていたであろう馬は倒れ、瞼を閉じて身動ぎ一つせず、御者台には御者の姿は無く、地面で手綱を握ったまま倒れていた。
道の至るところに幾人もが寝転がり、その有り様は猛烈な睡魔にでも襲われてそのまま眠り込んでしまった様にも見えた。
ただ一つだけ普通の眠りと違う所は、全ての人々が白磁、と言っても良い程に生気の抜け切った肌の色をしている、という事だけであった。
そんな異様とも言える光景は村のそこかしこで見られ、人々は全ての活動を停止して、ただ只管に眠りを貪り続けていた。
村がその様な状態でも風は心地よい温もりをせっせと運び込み、横たわる人々を優しく撫で回して行く。
何時もと変わらぬ風が吹く中、眠りに着いた村を起こす様に微かにシュッシュッ、という規則正しい音が聞こえ始めたかと思えば、それは徐々に大きくなり、最後に一際大きくシュー、と言う溜息の様に力を抜く音が響いた後、静かになった。
一拍の間を置いて油の切れた蝶番を無理に動かす様な音が響き渡ると、
「おじさん、ありがとう!」
「おう! 譲ちゃんも両親にしっかり甘えて来い!」
村の中に明るく元気な少女の声と、粗野だが優しい響きの男の声が飛び込んで来た。
軋む音を立てて何かを閉じる音が響いた直後、甲高い笛の音が辺りを震わせるとまた、シュッシュと規則正しい音が響き始め、次第に遠ざかって行った。
代わって、リズム良く地を蹴る足音が近付き、息を弾ませながら笑顔を浮かべた少女が村の入り口に姿を現した。
が次の瞬間、一瞬にして表情を無くし、その身を硬直させた。
「何……」
真歴一六九七年七の月、ここに生者の動きを得た事で惨劇は漸く表舞台へと上がる。
後にこの村の名は得体の知れない恐怖の代名詞として、人々の口の端に度々上る様になるのだった。
更新頻度は月、一~二話程度になります。