出会い
20X2年2月25日 新宿
さらに1年前に遡る。
所属するテニスサークルの練習を終え、僕は急いで新宿に向かっていた。
今日は別の大学のテニスサークルに所属する学生との顔合わせがあるのだ。
向こうはわざわざ横浜から来てくれるのだが、サークルの練習は新宿区の公園。すぐ近くで練習している自分たちが遅れてはいけない。
電車に乗るよりも走った方が早いと思い、荷物は自転車にのった同期の渡辺亮一に任せて、僕はとにかく走った。
僕と亮一はサークルで「練習統括」という役職についていた。
サークルでは大学2年の1月から3年の12月まで運営役として、「会長」や「副会長」といった役職につく。
3年の12月で運営を手放すのは就職活動に専念するためだ。
僕が担当する「練習統括」は、練習のメニューを考え、実際に練習が始まるとその場を仕切るのが役割だ。
僕も亮一も中学、高校とテニス部だったから、サークルの中ではテニスがうまい方だった。
所属するサークルは数あるテニスサークルの中でも真面目にテニスの練習をする部類のサークルだったので、例年そういった経験者が練習を組み立てるという風習があった。
今回の別大学との顔合わせも、今度実施する合同練習に向けての打ち合わせを兼ねたものだ。
サークルとしても別の大学との合同練習自体が初めてだったので、その事前準備は勝手が分からないことだらけだった。
もともと大学内だけで数十のテニスサークルが存在する上、所属しているテニスサークルは交流メインでもない。
そんなサークルでなぜ別の大学と合同練習する話が持ち上がったのかというと、いくつかの小さな偶然が重なったためだった。
そもそも、学内に数十のサークルが存在するため、基本的には学内サークル同士での合同練習は盛んに行われていた。合同練習と言ってもそのほとんどが交流会メインだが、実施される時期は運営担当が交代したときと、新入生歓迎のときだった。
僕らも2012年1月に新体制となったため、いくつかのサークルと合同練習の話が持ち上がった。
例年そうやって合同練習をやってきたし、その中で他のサークルにも友人ができている。
しかも同期で「会長」になった平山はもともと外交的な人間だったし、誘いはほとんど全て断らなかった。
だが、1月の終わりに、1つのサークルから練習はせずに飲み会だけにしようと提案されたのだ。
普通ならばその申し出を断る理由はないのだが、平山はこの提案を破棄した。
何年か前に飲み会だけのサークル交流で1年生の女の子が交流先の会長に泥酔させられ、暴力を振るわれそうになる事件が起きた。
うちのサークルはテニスを真面目に楽しみたい学生が集まっているため、いわゆるテニスサークルのコンパに免疫のある学生が少ない。
その結果、総じて女の子もおとなしい。
交流をメインに活動しているサークルからするとターゲットにしやすいのだろう。
平山は会長になるに当たり、諸先輩方からかなり釘をさされていたようだったし、この提案の破棄については僕も賛同するところだったが、その伝え方が良くなかったらしい。
練習もして飲み会もするといった形になると思っていたが、全てなくなってしまったと連絡を受けた。
結局大人数で予約した練習場だけが残ってしまった。
ほぼ同時期にインゼミがあった。
インゼミというのは、ゼミの活動を他のゼミと一緒に行うものだ。
お互いの研究成果を発表しあったり、ディベートなどを行ったりする。
僕の所属するゼミでは、教授同士のつながりで横浜の大学と毎年インゼミを行っていた。
研究発表を終え、飲み会の席で隣に座った学生は庄司美貴という風貌に似合わない名前の男だった。
話をしてみると、彼もテニスサークルに所属しており、1月から会長になったばかりということだった。
俄然親近感が沸いて話を続けると、サークルの雰囲気も僕のサークルと似ているし、庄司も同じく中学・高校とテニス部に所属して体育会系で揉まれた人間だった。
あえて違いをあげるとすれば、体格だろうか。
僕は痩せ型でひ弱そうに見られがちだが、庄司はどう見ても筋骨隆々のマッチョだった。
酒の力もあってすっかり意気投合した僕らは今度プライベートででも一緒にテニスをしようという約束をして分かれた。
学内の合同練習を断ったと平山から話を受けたとき、ちょうど僕は庄司とメールをやり取りしていた。
偶然マナーモードにし忘れていた僕の携帯がなったため、平山は興味を示して相手を聞いてきた。
「誰からだよ?」
大方彼女でもできたのかと聞きたかったのだろうが、相手はマッチョ男である。
「この前インゼミで知り合ったやつ」
「何だよ。彼女じゃねぇのかよ」
平山は残念そうなそぶりを見せた。
取り繕うわけではないが、平山も合同練習を断った件で心なしか落ち込んでいるようだったし、庄司には悪いが、笑いのネタにさせてもらおうと思った。
インゼミの後の飲み会で撮った写真を探して携帯の画面に表示する。
そこには庄司と、庄司と肩を組んでいる、いやヘッドロックをされている僕が笑顔で写っていた。
「でも、こいつ美貴って名前なくせにマッチョだし、そんな体型してテニサーだぜ」
「ふっ」
平山は微笑したが、すぐに真面目な顔になると、「よし」とつぶやいて続けた。
「じゃあ、そいつのサークルと合同練習しよう!」
大変だったのはその後だ。
当然平山のその意見に僕は賛成した。
お互い真面目に練習するサークルなので、学内のサークルと比べても合同練習するには相性が良いと思ったし、今までになかったイベントなので、後輩も喜ぶと思った。
問題は平山がほとんど手を貸してくれなかったことだ。
庄司との連絡役は良かったが、その他学校への申請や練習場への連絡といった事務作業のほとんどを僕がやることになった。
他のサークルとの連絡は会長、それに伴う事務作業は副会長の仕事のはずではないかという疑問はあったが、2人とも学内の交流会の作業に追われていたため、手が空かなかった。
僕はとにかく必死に調整を行った。
そういった雑多な作業に比べれば、今日の顔合わせは楽しみが多かった。
そもそもの「練習統括」という役職の通りの仕事でもあるし、1か月ぶりに庄司にも会える。
予約していた店には待ち合わせ5分前に着いた。
まだ庄司たちは着いていないようだった。
肩で息をしながら「良かった」とつぶやいた。
店の前で庄司たちを待つと、5分ほどで通りの向こうに見覚えのある体格の人間が見えた。
待ち合わせぴったりの時間だ。
「久しぶり。遠くからありがとう」
「いやいや。こちらこそ何から何まで準備してもらってありがたいよ」
そんな形式的な会話をしながら店に入った。
こちらは僕と亮一の2人だが、向こうは庄司と可愛らしい女の子の2人だった。
庄司が大学生離れした風貌をしているからというのもあるのだろうが、その子は大学生というよりも高校生か中学生にも見えた。
「初めまして。篠田真紀、1年です。よろしくお願いします」
席について自己紹介すると、彼女が1年生であることが分かった。
「篠田は1年生だが、テニス経験者で、サークルではオレの次にうまい!今日は練習の打ち合わせもするっていうんで連れて来たんよ」
「そうなんだ。1年生なのに、運営にも携わるなんて凄いね。こちらこそよろしくお願いします」
庄司との面識があるのは僕だけだし、この合同練習の話を持ちかけたのはこちらのサークルからなのだから、自分が話し合いを仕切っていくしかないと思っていた。
実際最初は僕と庄司二人の会話で会が進んだ。
多少お互いに打ち解けてくると、亮一もお互いのサークルの話や、ちょっと前のウィンブルドンの話をして盛り上がった。
こういったところの適応力というのは凄いと思う。僕がいきなり初対面の人に囲まれて打ち合わせをしたらこうはいかない。
一方で篠田さんも僕と同様なのか、あまり発言は見られなかった。
打ち合わせのほとんどは庄司が話をしていた。
会も終盤になると、亮一と庄司はすっかり意気投合していた。
店を出ても肩を組んで街をうねり歩いていた。
結果的に僕は篠田さんと二人で並んで歩くことになったが、ほとんど会話をしていなかったので、気まずい空気が流れていた。
亮一の自転車を押しながら、しばらく無言で歩いた。
無言の時間が長くなればなるほど下手な会話はできないような気がした。
こういうときは先輩の僕から話を振らなくては。
「今日はわざわざ遠くからありがとね」
差しさわりのない会話をと思い、出たのがこの言葉だった。後から考えるとひどいものだ。
「いえ。わたしの家豪徳寺なんで、近くなんです。庄司さんはああ言って持ち上げてくれたんですけど、多分新宿に家が一番近いのが私だったから声をかけられたんだと思います」
「そっかぁ。あいつもあの格好して意外と気が利くんだね」
正直な感想だった。気が利かない自覚のある僕としては、少し劣等感のようなものも感じたが、そんなことよりも今この会話を成立させることに必死だった。
でも、この言葉が共感を生んだのか、彼女から少し笑みがこぼれていた。
「ふふっ。サークルでも同じこと言われてますよ。庄司さん」
やっと会話が広がりそうだと安心したそのとき、ネタにした庄司から呼びかけられた。
すでに新宿駅は目と鼻の先だった。
「お~い。帰るぞ~。篠田ぁ」
篠田さんは手を振って応えると、振り返って僕の方を向いた。
「今日はありがとうございました。一生懸命盛り上げてくれて楽しかったです。練習当日も楽しみにしていますね」
いきなりの賛辞と、会の盛り上げに必死だったことがばれていた事実に気付き、僕があっけに取られていた。
彼女は僕の返事を待たずに笑顔で一礼すると、走り去っていってしまった。
庄司は亮一と握手して、こちらに大きく手を振ると、追いついてきた篠田さんと並んで帰っていった。
「お疲れさん。最初うまく取り持ってくれてサンキュー。庄司君いい人だし、合同練習うまくいきそうだな」
亮一は今日の僕をねぎらってくれた。
やっぱり亮一から見ても今日の僕は必死だったように見えたのだろうか。
「ありがとう。僕今日明らかに頑張ってた?」
亮一は怪訝そうだった。
「いつも通りだったけどな。どうした?」
「いや、何でもない。疲れたからさ」
「まぁ、初めての企画だしな。お疲れさん。当日も頑張ろうな」
「だね。じゃあ、今日はお疲れ」
「ああ。あ、チャリありがとう」
「いやいや。はい」
チャリを亮一に返した。亮一は大学近くで一人暮らしだ。自転車にまたがり、少しふらふらとしながら動き出した。
「ありがとう! じゃあ、またな」
亮一はそういって去って行った。
僕は電車に乗り、今日の顔合わせを振り返っていた。
庄司とも会ったのは一度だけだったし、不安もないわけではなかったが、とにかくうまくいきそうで安心した。
そして、何よりも、彼女が最後に見せた笑顔が網膜から消えなかった。




