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10月の桜  作者: 佐々木コジロー
第1章 サクラチル
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別れと祈り

2013年3月31日 下北沢喫茶店


 1年前。


 いったい何がどうなってしまっているんだ……。


 このところ毎日就職活動で説明会や面接、グループワークとバタバタしていた。

疲れていたが、久々に1日ゆっくり時間が取れるということで、お茶でもしようと彼女である篠田真紀しのだまきを誘ったのだ。

 だが、事態は僕の想定しない方向に進展した。


 ホットコーヒーにミルクを落として混ぜる。

 真紀は珍しく何も注文しなかった。席に座ってもうつむき加減で黙っている。

 そして唐突に口を開いた。

「就活始めてからのワタル、愚痴ばっかだし、わたしの話にだって聞く耳持ってくれないし……。正直もう重荷でしかないよ」

 さっき会ったときから雰囲気がおかしいと思っていた。今まで1年近く付き合ってきて、彼女がこんなふうに不満を漏らすのは初めてだった。

 これはまるで別れ話を切り出されているみたいじゃないか……。

 何でこんなに唐突に……。一方的に……。

 確かに愚痴はこぼしていた。

 話を聞いてあげられなかったこともあった。

 でも、昨日だって電話でサークルの話とか聞いてあげたじゃないか。

 とはいえ、ここで対立しても溝が深まるだけだ。

 僕は今後も付き合っていきたいと思っているし、2か月前には家にだって招待した。

 多分彼女が取り乱してしまっているだけだ。まずは体裁を保って落ち着いてもらうのが一番だ。

「確かに就活で余裕なくてマキには迷惑もかけたし、寂しい思いもさせた。それは申し訳なかったと思っているよ。でも、就活だってもうすぐ終わるはずだし、また元通りの関係に戻れるって」

 昨日受けた最終面接には正直手応えがあった。第一志望のコンサル会社で、面接官の反応も上々だった。

 早ければ今日にも内定の連絡が来るはず。

 他の選考だってまだ可能性がある会社がいくつかあるけど、ここで内定をもらえばもう就職活動も終わりだ。

「電話でも話したけど、昨日のとこは面接うまくいったんだ。大丈夫だよ」

「そんなこと言って、前もうまくいってなかったじゃん。それに就活が終わったとしても、またワタルの余裕がなくなったら今みたいになっちゃうって不安を抱えながら付き合うのは嫌だよ」

 真紀はうつむき加減で表情はよく見えなかったが、泣いているようだった。

 恐らく昨日まで悩み抜いた上での宣告なのだろう……。

 待て、いつの間にそんなに決意が固まってしまっていたんだ。

 突然の告白に焦りでいっぱいいっぱいだ。もはや僕には苦し紛れの言葉しか思いつかなかった。

「大丈夫今回はうまくいくって。今後だって何とかするから……」

「そういう適当にごまかそうとするのワタルの良くないとこだよ。もういいよ……」

「え、あ、だから……」

「ごめんなさい……。別れよ……。今までありがとう……」

 彼女は鼻をすすりながら伝票を持って立ち上がり、そのまま去っていってしまった。

 僕は立ち上がることすらできず、そのままぼう然と正面の窓ガラスに映る自分の姿を眺めていた。

 窓に映る自分は人生で初めて出会った人間に見えた。


 夢なんじゃないか。

 その思いは拭いきれないが、このままぼう然としていても仕方ない。とりあえず家に帰ろう。そう思えるまでに既にかなりの時間が経っていたのだと思う。

 電車の時間を確認しようと思い、携帯電話を手に取るとメールを受信していることに気がついた。

 恐らく、昨日の面接の合格通知だろう。あの会社はいつもメールで詳細なフィードバックを送ってくれていた。

 喜々としてメールを開いてすぐに確認した。

 だが。

 メールの内容は僕の予想に反するものだった。


  沖田 航 様

  このたびは弊社の選考を受験していただきありがとうございます。

  さて、選考の結果につき慎重に協議いたしましたが、

  誠に残念ながら、今回は採用を見送らせていただくことになり、

  貴意に添えぬ結果となりました。

  ご期待に応えられず申し訳ございませんが、ご了承の程を

  お願い申しあげます。

  今後の沖田様のご健勝・ご活躍をお祈りしております。


 いわゆるお祈りメールというやつだ。不合格……。

 お祈りされても仕方ない。

 お祈りするくらいなら、おたくの会社で雇ってくれよ……。何でだよ。

 あんなに僕の話に共感して聞いてくれていたじゃないか。

「なんで……、う、ぅ……」

 声にならない声が漏れた。

 第一志望の会社だったこと。

 面接の手応えがあったこと。

 就職活動が終わるのだと期待してしまっていたこと。

 理由は何でもいい。

 とにかく、何をしていいのか、どこにこの気持ちをぶつけていいのか分からなかった。

 静かな喫茶店で喚くことができないというギリギリの理性だけを保ってとにかく涙をこらえていた。

 窓に映る自分はもう見られなかった。


 どれくらい時間が経っただろうか。

 携帯電話を確認すると、16時だった。彼女が去ってから1時間くらい一人でいたようだ。

 気持ちの整理は全くついていなかったが、ここにいても仕方がない。携帯電話のメール画面を閉じて帰路についた。

 最後に飲み干したコーヒーは今までに飲んだどんな飲み物よりも苦いと思った。

 帰りの電車はまだ通勤ラッシュ前で、座れはしないものの、立っている人はほとんどいなかった。

 電車のドア横の手すりをつかんで立ち外を眺めていると、彼女に言われた言葉が思い返された。

「そんなこと言って、前もうまくいってなかったじゃん」

 まさにその通りだ。あんなに手応えを感じたのに、結局内定はもらえなかった。

 真紀は年も学年も一つ下だったが、僕よりもよっぽど冷静に状況を見ていたのだろう。

 そういえば、出会った頃もそうだった。

 思い出すとまた目頭が熱くなったが、必死にこらえた。

 涙でにじんだ視界に真紀と出会った頃の思い出が映っているような気がした。

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