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10月の桜  作者: 佐々木コジロー
終章
16/16

旅立ち

20X4年3月31日 品川駅喫茶店


「ワタル君? ワタル君?」

 呼ばれて目を開ける。

 眼下を見下ろすと相変わらず家路につくサラリーマンの群れが見えた。

「ワタル君ずっと目を閉じて何もしゃべらないから寝てるのかと思っちゃった」

 目の前にポニーテールの女性がいる。ポニーだ。

 就職活動が終わった後も何度か会っていたが、就職活動が終わっても気が合うことが分かって冬に正式に付き合うことになった。

 事実上ほとんど付き合っているような状態で改めて告白するのはどこか恥ずかしいところがあったが、ポニーは喜んでいた。

 荻原さんも「やっとか」などとからかいながらも喜んでくれた。

 僕は明日の入社式に向けて今日宿泊しなくてはならないが、ポニーは明日朝に出勤すればいいので飲み会までという短い時間にもかかわらずわざわざ足を運んでくれたのだ。

 確かに、学生のときと違って社会人になると会える時間も短くなるし、継続して付き合っていくことが難しくなるのだろう。

「あ、ごめんごめん。さっき下に就活生っぽい人がいたじゃん? 何かいろいろ思い出しちゃってさ」

「そうなの? 気づかなかったぁ。うまくいくといいね」

「そうだね。僕たちは苦労したけど、後輩たちにはそういう思いはあんまりして欲しくないね」

 そう言いながら、一年前の自分は何も分かっていなかったというのを思い出していた。

 周囲の学生と自分を比べて都合のいい物差しで自分の優位性を信じて自信を持っていた。

 自分の言いたいことを言ってアピールすれば面接官が勝手に理解してくれて合格がもらえると思っていた。

 だからこそ、不合格だったときは自分自身が否定されたと思って一回一回落ち込んでいた。

 自分が落ちて周囲が合格すると、自分の方が出来が悪いのだと思って妬んでいた。

 やりたいことがないと就職できないと思って学業のためでもなく大学院に行こうともした。

 思い出すだけでも恥ずかしくなって胸がざわつく。

 逆に言えば、それだけ当時は本気で悩んでいたということなのだろうが。


 そういえば、内定が出た後サークルの同期たちと久々に会ってテニスをした。

 思い悩んでいた約半年間はあんなに縁遠く感じた同期たちも、就職活動を終えた後は元に戻ったように楽しく関わることが出来た。

 話を聞くと、ともに練習統括をしていた渡辺亮一は公務員試験に失敗して留年することになったそうだ。「試験は試験。合否がつくものだし、来年また頑張るさ」と前向きだったのが印象的だった。

 新入生歓迎会で夢を持っている亮一に嫉妬したのも懐かしい。

 自分よりも進んでいそうな人をつかまえて勝手に嫉妬して、自分を追い込んで空回りしていた。

 右往左往してたどり着いた今の内定先に不満はない。就職活動を始めた頃は眼中になかった会社だが、自分がやりたいことができる可能性を感じているし、将来に向けたスキルの習得もできると思っている。

 でも、就職活動を始めた頃はそんなことは全く考えなかった。ネームバリューや一見したかっこよさを追い求めていた。そして、それを自覚できていなかった。その結果、現実の厳しさにぶつかったときに自分のせいだと思えずに面接官や社会のせいにしようとしていた。

 就職活動は確かに苦しいことが多かったし、自分の無力さを痛感して逃げ出したくなることも多々あった。実際に一度大学院への逃げ道を考えた。でも、そうしてもがき苦しんだ結果いろんなことが学べたのも事実だ。

 自分にかかる結果は自分に何かしらの原因があること。

 自分が何をやりたいかだけでなく、相手が何を求めているかを考えることが重要だと言うこと。

 最後は自分一人で面接に向かうとしても、頼れる先輩や仲間がいることでどれだけ大きな力になるかということ。

 他にもたくさんあるが、これらが社会人になるにあたって最低限必要なものなのだとしたら、就職活動は必要な過程なんだと思う。

「本当に無事に就職できて良かったねぇ」

「そうだね。でも、大事なのはこれからだからね。やっとスタートラインだよ」

「確かに。何かスタートラインに立つのが大変過ぎて勘違いしちゃうけど、これからなんだよね」

「うん。お互い目標を達成できるように頑張らないとね」

「そうね。はぁ、何か緊張するなぁ」

「ははは。それはみんな同じなんじゃない? でも、就職活動でも苦労しながらも乗り切ったから多少のことだったら難なく乗り越えられるよ」

「ありがとう。わたしも頑張ろっと」


 しばらく他愛もない話をしているとポニーが時計を見た。

「そろそろ飲み会じゃないの?」

 18時40分。

 飲み会は19時からだから確かにそろそろ出た方がいい。

「そうだね。ありがとう。じゃあ、そろそろ出ようか」

「うん。飲み会楽しんできてね」

「ありがとう。それに、こんな短い時間なのに来てもらっちゃってごめんね」

「ううん。働き始めてからも、忙しくなるとは思うけど、会えるときには会いたいな」

「そうだね。時間を見つけて会えるようにしよう。今日も飲み会終わってホテルに戻ったら電話するよ」

「ありがとう。楽しみにしてるね」


 会計を済ませて階段を下りる。人の波は18時過ぎよりもましになっていた。

 飲み会の場所と改札は逆方向だ。

「じゃあ、またね」

「うん。電話待ってるね」

 そう言ってポニーは僕に背を向けて改札に向かって歩き出した。

 しばらくポニーの背中を見て見送った後、僕も飲み会会場に向かって歩き出した。

 少しだけいつもより早足になる。

 ワクワクとドキドキが折り混じった感情だった。不思議と不安はほとんどなかった。

 せっかくの縁があって入社する会社だ。

 自分の精一杯をぶつけて、できる限りのことを吸収して成長しよう。

 それを発揮できるようになる頃には僕も一人前になっているはずだ。

 そうなったときに自分にどれくらい大きな仕事ができるのか。

 就活を終えた後それを考えるのが楽しみになっていた。

 いよいよこれからがスタート。

 さっき自分で言った言葉を思い出す。

 気づくと駆け足になっていた。

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