決断
20X3年7月20日 新宿
今日は荻原さんと2人だ。
時間は夜8時。
あの日メールを送ってからその日のうちに返信があり、「早い方がいいだろうし、遅くてもよければ」と荻原さんが今日を指定してきた。
就職活動を再開するなら1日でも早い方が良い。断る理由はなかった。
もともと時間を遅くしていることもあり、荻原さんも待ち合わせ時間の前にやってきた。
ポニーは面接があり参加できないと残念そうだった。
「何か前よりもすっきりした顔をしているね。就職する理由は見えたのかな?」
簡単に前回のお礼等を交わした後、荻原さんはそう切り出した。
「はい。まだ具体的にやりたいことは見つかっていないですが、何となくはイメージできるようになりました」
「聞かせてくれる?」
「はい」
続けて自分の出した答えを口にだそうとして、自分の出した答えをそのまま人に話すのは、実はすごく恥ずかしいことなのではないかと感じた。
一瞬そのまま話すべきなのかと迷う。
が、前回も散々恥ずかしい話をしてきているではないか、と思い直した。
前に会ったときよりも思考もスムーズでよどみがない気がする。
「将来日本全体に影響を与えるような大きな仕事がしたいと思いました。そのためにも、早く就職して実務経験を積みたいんです。できる限り早く仕事をすることで、ものの考え方とかスキルを磨いた方がチャンスは広がりますし。だから、大学院に行くのではなく、就職しようと結論を出しました。仮に具体的にやりたいことが明確にならないまま就職したとしても、大学院に行くよりかは将来的にやりたいことに繋がっていくような気がしたので」
話を進めながら、荻原さんの相づちが大きくなるのが見えた。
「一人でここまで考えてくるなんてすごいね。オレがいままで相談に乗ってきた学生さんでも、なかなか一人でここまで考えてくる人はいなかったなぁ」
「ありがとうございます」
以前よりも前に進んでいるという自信からか、前回会ったときよりも余裕を持って受け答えできている気がする。
荻原さんの言葉も素直に頭に入ってくる。
「でも、今の学生さんって、海外志向とかも強い人が多いけど、どうして日本、なのかな?」
「それは……。あまり細かくは考えられていないですが、日本全体に影響を与えるといいましたが、どこかに長期的に良い影響を与えたいという前提に立ったとき、その対象はやっぱり自分が育った国かなぁと思いまして……。別に海外が嫌だというわけではないんですが。
あまり説得力のある説明ではないかもしれないですけど、僕個人の感覚からすると、結構しっくりきているんです」
荻原さんはうん! と強く相づちを打った。
「そっかそっか。別に海外を視野に入れないとだめってこともないと思うし、仕事していく中でもしかしたらその辺りの対象とかは変わってくるかもしれないしね。
いずれにしても、そこまで自分で考えられているのなら話は早い! 今日は具体的にやりたいことをもう少し明確にしていこう!
前回も言ったけど、オレには沖田君が何をしたいのかは分からない。だから、答えはあくまで沖田君自身が出すしかないよ。オレはそのお手伝いをするだけだから。いいね?」
「はい。よろしくお願いします」
荻原さんに相談に乗ってもらっている以上、向こうから僕が欲している答えそのものが提示されることはない。前回はそれでがっくりとうなだれてしまったが、今回は分かってここに来ている。予想通りの流れだ。
前回のような動揺はなく本題に入れた。
もしかしたら、就職する理由を自分で導き出したことから、自分のやりたいことなんて、人から教えてもらうようなものではないことを何となく理解していたのかもしれない。
人に頼ることと自分で考えることが僕の中で両立しているのではないかと感じた。
「やりたいことを探すときは、大きく分けて2つ方法があると思っているんだ、オレは」
さっそく荻原さんは本題に入った。
僕も準備はできている。どんとこいという気持ちだ。
「ひとつは、自分が好きなこと、興味のあることを突き詰めて考えて行く方法。もうひとつは、自分の経験からやりがいを感じることとかやりたいことを探って行く方法。それぞれ一長一短あるんだけど、沖田君はどっちの方がやりやすそうかな?」
自分の経験から導き出して行くという方法はこれまであまりやったことがなかった。興味のあることから似たようなことができる仕事を探してくというやり方の方が一般的だと思ったし、前の就職活動のときにもやってみたのでそちらの方がとっかかりが良さそうだ。
「好きなことを突き詰めていく方がやりやすそうです」
うんと相づちを打って、荻原さんが早速最初の質問を投げかけてきた。
「じゃあ、まずは月並みな質問だけど、沖田君が興味あることってどんなこと?」
これは、やりたいことに悩んでいると人に相談すると大体定型的に出てくる質問だ。
仕事に限定しない聞き方は他の人よりもオープンな気がするが、根本は同じだ。
「そうですね……。ずっとやっているテニスがまずひとつです。テニスつながりで言うと人に何かを教えたりするのも好きです。あと、ネットとか最近の文化にも結構興味があります」
「うんうん。他にもある?」
「う~ん……。強いて挙げれば読書、でしょうか。最近はあまり読めていないですが……」
「そっかそっか。了解。無理して挙げなくて良いよ。じゃあ、ひとまずテニス、教えること、ネットの3つって感じだね」
「はい」
「じゃあ、それらには何で興味があるんだろう?」
簡単に質問してきたが、なかなか難しい質問だ。
「そうですね……。ちょっと時間をもらってもいいですか?」
「どうぞ。勘違いしている人も多いんだけど、これがまさに自己分析。適当にやらない方がいいよ。
長所とか短所とかを列挙して自己分析をした気になっている学生さんも多いんだけど、こうやって自分の思いや考えに『何で?』って問いかけることで自分の根本をつかむのが大事なんだ」
「なるほど……」
半年前にネットで同じような内容が書いてある記事を見たのを思い出した。
大分前に知った知識なのに、結局なかなか実践できずにここまで来ている。
理由は簡単だ。
好きなものについて、「なぜそれが好きなのか?」と聞かれても、なかなか答えが出ない。難しいのだ。
「好きだから好きじゃダメなのか」と言いたくなる。
十数秒ほど結局固まったままうなっていたようだ。荻原さんが先に口を開いた。
「一応あらかじめ言っておくけど、この質問の答えが出なかったり、具体的にやりたいことが見つからなくても、内定は取れるし、就職しても問題なく働いていけるよ」
「えっ?」
「この前も少し話したけど、やっぱり仕事はやってみないとわからないことも多いしね。やりたいことが明確になっていることは決して悪いことではないけど、やりたいことが明確になってしまっているが故に、就職した後の仕事とのギャップが耐えられなかったりする人もいるしね」
「はい……」
「ただ、結局はこれも程度問題なんだ。具体的過ぎるとさっき話した悪い例みたいになってしまうこともあるし、かといって抽象的過ぎても何がやりたいのかが分からないままになって面接で不利になるしね。
まぁ、さっき沖田君が話してくれたレベルからもう1、2段階掘り下げたくらいがちょうど良いと思うし、もう少し考えてみようか」
「なるほど。分かりました」
「じゃあ、まずテニスは何で興味があるんだろう?」
「そうですね……」
再び考え始める。
なぜ自分はテニスに興味を持っているのか。
うーん……。
やはり時間をかけてもそれらしき答えが出ない。
僕がまたしばらく黙っていると荻原さんがフォローしてくれた。
「何でも良いよ。ぱっと思いつくものを言ってみて」
「あ、はい……。そうですね……。答えになっているかは分からないですが、やはり、テニスはやっていて楽しいからですかね」
「なるほど。それは確かな理由かもね。別におかしなことじゃない。
では、じゃあ、何でテニスをやっているときは楽しいのかな?」
やはり。この質問が来ると思っていた。
だが、これこそ理由などない気がする。楽しいから楽しいのだ。
僕の表情からそんな僕の考えを見抜いたのか、荻原さんは続けた。
「じゃあ、サッカーはやっていて楽しくない?」
「え? はい。そうですね……。サッカーもやっていて楽しいですが、やはりテニスの方が楽しいですかね。自分の思うようにプレイできますし」
「うんうん。つまり、テニスは今まで練習してきて、自分なりに思う通りにプレイできるから楽しいのかな?」
「それが全てとは言いませんが……。まぁ、そういう面もあると思います。」
「そっかそっか。じゃあ、少し観点を変えるけど、テニスを始めたときは何で他のスポーツじゃなくて、テニスをやろうと思ったの?」
「えぇっと……。それは、テレビでテニスの大会を見て、サービスエースを決めたりするのがかっこいいし、気持ちよさそうだなぁと思ったくらいだったと思います。あまり正確に記憶していませんけど」
「なるほどね。今もテニスの醍醐味はそこだと思っているの?」
「そうですね……。そういう面も残っていますが、今はどちらかというとラリーでの相手との駆け引きを楽しんでいる気がしますね」
「ふむふむ。駆け引きっていうのは具体的にはどういうこと?」
「相手のプレイスタイルや性格、心理状態に合わせて弱点を突いたりするようなことですかね。戦略とも取れますが、それを試合中に実際プレイしながらやるので、駆け引きって言ってますが」
「それは他のスポーツとは違うのかな?」
「うーん。改めて考えてみると、そうでもない気がしますね。サッカーだって相手との駆け引きは常にありそうですし、自分が仮にサッカーがうまかったとしたら楽しめるような気もしてきますし」
「そっかそっか。ということは、沖田君はテニスが好きだと教えてくれたけど、何がしたくてテニスをやっているかというと、そういう相手との駆け引きを楽しむためにやっているんだね」
「あ、はい……。あっ! そういうことですね!」
思わず声が大きくなってしまった。
なぜテニスが楽しいのか? という質問だったから思いつかなかったが、要するにテニスのどこが楽しいのか? ということなのか。
結果的に誘導尋問のようになったが、結局僕はテニスが楽しいと思う理由にたどり着いた。
そして、同時にテニスという興味のある事柄の裏にある自分の志向を認識することができた。
素直にすごいと思った。
「うん。基本的にはそういうことだね。あとは、なぜ沖田君がそういった駆け引きを楽しいと感じるのか? 駆け引きのどういうところに楽しさを感じていることなのか? という点だね」
「そうですね。テニスの例になってしまいますけど、相手の次の行動を読みきって逆を突いたりするのが楽しいから、かなと思います」
「なるほどね。それは相手が返しきれなくて苦しんでいるのを見るのが楽しいということ?」
「いえ。確かに、結果的には同じなのかもしれないですけど、相手の考えや次の行動を読みきったという実感が一番嬉しいですね」
「じゃあ、沖田君自身は相手の裏をかいてボールを打ったけど、相手がうまくてそれを返されて負けてしまったとしても良いのかな?」
「そうですね……。まぁ、負けるのは嫌ですけど、悔いはないような気がしますし、そういう試合ならやってみたいですね」
「そっかそっか。今の極端な質問でも相手の考えを読むことに喜びを感じられるのなら、本当にそうなんだろうね。
ちょっと観点は変わるけど、いつでもどこでも人の考えを読もうとしたりしているの?
例えば今もオレの考えを読もうとしていたりするのかな?」
「うーん。そんなことはないと思います。テニスで嬉しいのも基本的には勝つためにやっていて、うまくできると嬉しいというレベルですし……。
ん? ちょっと待ってください」
「いいよ。何か思いついたのかな?」
荻原さんは結露のひどいコップに手を伸ばして水を飲んだ。
僕も喉の渇きは感じていたが、今水を飲んでしまうと、出掛かっている何かも一緒に飲み込んでしまいそうだったのでやめた。
なぜテニスだったら相手の考えを読むことに喜びを感じて、今は荻原さんの思考を読もうとしていないのか?
その問いに対して僕の頭は久々にフル回転しているように感じた。
「ええっと……。確かに今は荻原さんの考えを読もうとはしていないですが……、初めてお会いしたときは、荻原さんが何を求めているのか、何を答えればよい反応が返ってくるのか、と考えていた気がします……」
それは必ずしも考えを読むという行為ではないかもしれないが、その答えを見つけるためには相手の思考回路を把握して自分の行動に反映する必要がある。
そう考えれば、相手の考えを読む行為に繋がっていると言っても良いのではないだろうか。
そして、自分の口から出た言葉であるが、相手が何を求めているのか、という言葉が心に刺さったような気がした。
「そうです。僕はたぶん相手が何を求めているのか、何をしたら喜んでくれるのかを読んで、その通りに結果がついてきたときに喜びを感じているんだと思います!」
自分でも少し声が震えていることに気づいた。
就活の準備を始めて少なくとも半年以上経つが、自分がどういうことがしたい人間なのかまるで分かっていなかった。
僕は自分の力で相対する人を喜ばせたいんじゃないのか?
そうなのだ。
テニスでは、勝つという目的のために、あえて相手が望んでいることの逆を突いているが、僕が喜んでいたのは相手が欲しているものを読んでいることで、それが逆を突いたことで分かるからなのだ。
「なるほど。それが沖田君の根本的な行動原理なのかもしれないね」
相づちを続けていた荻原さんが口を開いた。
行動原理。
確かにそうかもしれない。
いくつかの過去を思い返してみても自分はそのとき相対している人に喜んでもらおうとして行動していた気がする。
就活がうまくいかず余裕がなくなって感情的になっていたときは別として……。
でも何で僕は人を喜ばせたいんだろうか……?
そんな思いにたどり着いたとほぼ同時に同じ質問を投げかけられた。
「だとしたら、沖田君はどうして相手に喜んで欲しいんだろう?」
喜んでもらうことで自分は何を得ているのだろうか。
答えは今までの質問に比べてあまりにも自然に頭に浮かんだ。
「喜んでいる姿が見たいからだと思います。自分が何かした結果、目の前の人が」
今では苦い思い出になりつつあるが、別れた篠田真紀と初めて会ったあの日の彼女の笑顔が思い出された。
一生懸命会を盛り上げて、良い関係を築こうとしていた。
その結果功を奏して庄司にも真紀にも気に入られた。
それは僕にとって非常に嬉しい出来事だった。
誰かに褒められることよりも、目の前の人が喜んでくれる姿を見るのが嬉しい。
それが僕の本質なんだろう。
ずっと探していたものが見つかったような気がした。
ふうっと大きなため息が漏れた。
荻原さんもそのしぐさや表情を見て分かったような口ぶりでねぎらってくれた。
「何か答えにたどり着いたって感じだね。
そこまですぐに答えが出るくらいだから、普段から自然とやっているんだろうね。となると、わざわざその経験談を聞くのも野暮だろうから聞かないよ」
「はい」
僕は大きな息を吐きながら答えた。
ほぼ同時に荻原さんの携帯がなった。
「おっ。ごめん。少し休憩しようか」
僕は無言で頷いた。
荻原さんは来たメールを確認し、「ちょっと席をはずすね。すぐに戻ってくるから」と店の外に出て行った。
程なくして、荻原さんは戻ってきた。
「沖田君、時間は大丈夫?」
時計を見るともう9時を回っている。
「僕は大丈夫ですが、荻原さんは大丈夫ですか?」
「あぁ、オレも大丈夫。良いペースで沖田君の自己分析も進んでいるし、今日大分進みそうだね。それに……」
めずらしく荻原さんが言葉に詰まった。
「それに、何ですか?」
「あ、いや、ごめん。終わったら話すよ。11時くらいになってしまうかもしれないけど、問題ない?」
むしろ僕としても早く就活に向けて答えを出したい。
願ってもないことだ。
「はい! 逆に申し訳ないです」
「了解! オレのことはいいよ。前も言ったようにオレも勉強させてもらっているわけだから。
じゃあ、続きを始めようか」
なんだかうまく濁されたような気がしたが、再三突っ込むのも気が引けて自己分析、自己分析と頭を切り替えた。
「さて、少しおさらいすると、沖田君は自分が影響を与えて目の前にいる人に喜んでもらい、その姿を見ることでやりがいを感じるということだったね?」
「はい。そうです」
「そして、それはなぜテニスが好きなのかを分析することで出てきたわけだけど、他にも2つ好きなことを挙げてくれていたよね。
教えることと、ネットだったね?」
荻原さんは手元のメモを見ながら問いかけてきた。
「はい。そうですね。ただ、こうやってテニスについて分析してみると、人に教えることは同じように喜びややりがいに繋がる意味での好きなことですが、何となくネットというのは単なる興味のような気がしてきました」
僕はただ感じたことをそのまま口に出しただけだったが、荻原さんは「おお!」と感嘆の声を上げて続けた。
「本当に沖田君はすごいね。こうなるとどうして以前に就活がうまくいかなかったのかが不思議になるくらいだ。
それは、正しい感覚だと思う。沖田君が好きな事柄をひとつ分析したことで、好きだということ自体がどういうことであるかも分析できたのさ」
そういわれるとすごいことをした気がしてくる。
あくまで僕は感覚的に感じただけであるが。
「となると、もうひとつの人に教えることというのを分析していきたいんだけど、今回は逆の道をたどろうと思う」
「逆、ですか……」
「そう、逆。さっきは好きな事柄にたいしてなぜを繰り返すことで沖田君の本質に迫ったよね?」
「はい……」
何か難しい話が始まるのではないかと感じ、僕はつばを飲んだ。
「今度はさっきの検証も兼ねて、その本質部分から考えてみようと思うんだ」
うーん。分かるような分からないような。そんな感じだ。
そんな僕の顔を見て荻原さんは補足が必要だと感じたようだ。
「具体化と抽象化って言った方がピンとくるかな?」
「あ、はい。そっちの方がイメージがつく気がします」
そう話しながらぼんやりと荻原さんが言っていたことが分かってきた。
「そう。さっきはテニスをプレイしたりする具体的な事柄から沖田君の行動原理という抽象的なものを導きだしたよね。
次は逆にさっき導き出した行動原理から具体的な事象を導き出していこうと思うんだ」
「そういうことですね。あまりそういう考え方をしたことがないので、不安ですが、やってみたいです。お願いします」
正直うまくいくのか不安ではあったが、ここまできたら荻原さんを信じる他ない。
「うん。じゃあ、最初の質問だけど、人が喜ぶのはどんなときだと思う?」
「どんなとき、ですか……」
これはまたかなり抽象的というか、一般的というか、とにかく難しい質問だ。
「うーん。これもかなり抽象的ですが、自分が欲しているものを手に入れたときでしょうか」
「なるほど。確かにそんな気がするね。じゃあ、その欲しているものっていうのはどういうものなんだろうか」
どういうものといわれても、欲しているものは欲しているものだ。
そう思いながらも、自分に置き換えて考えてみた。
今僕が欲しているものは……、内定であり、それに繋がる情報やアドバイスだ。
何でそれを欲しているのか。
就職という目的のために必要であるが、僕が手に入れていないからか、もしくは情報などであれば不足しているからだ。
そうか!
「その人が何か実現したいと思っていることには必要なのに、全く持っていなかったり不足していたりするものですね!」
「早いね。なんでそう思ったの?」
「えぇっと。それは、僕自身が欲しいと思っているものを思い浮かべたら、そうだったからです」
「なるほどね。そういう発想に至るのがすごいね。沖田君は」
「あ、ありがとうございます」
そう答えながらも、自分でも驚いていた。
確かに今日の僕は今までにないくらいに頭が冴えている気がする。
もしかしたら、荻原さんに誘導されているだけなのかもしれないが、僕としてはあくまで荻原さんの質問に対して僕自身で考えて答えているという実感があった。
そして、こうして誉めてもらえると、素直に嬉しい。
「そうなると、仮に沖田君が人に喜んでもらおうと思ったら、相手がやりたいと思っていることに必要だけど持っていない何かを与えなきゃいけないということだよね」
「確かにそうなりますね」
少し抽象論でついていけているかどうか不安な面もあるが、言っていることは分かる。
「そうすると、沖田君が人に与えられるものって何だろう?」
「僕が人に与えられるもの、ですか……。しかも、当然最終的には仕事でって話になりますよね」
「うん。そうだね。まぁ、今の質問で仕事でっていうのはあまり意識しなくてもいいけどね。いろいろあると思うけど、いくつか考えて挙げてみてよ」
と言われても、何か買ってプレゼントするくらいはできるかもしれないけれど、ものづくりができるわけではないし、芸術のセンスだってあるとは思っていない。サービスを提供するといっても、何か人に提供するならば、人よりも勝っているものだとは思うが、テニスだってそこまでうまいわけではない。一応そこそこの大学に行っているつもりではあるけども、勉強だって僕よりできる人はいくらでもいる。就職活動だってうまくいっているわけではないし、僕が人に自信を持って提供できることなんてないような気がしてくる……。
逆にそんなものがあるなら就職活動では苦労していないはずだ。
「沖田君はいま、世界中のどんな人と比べても自分の方ができるものを探しているのかな?」
どきっとした。
まさに図星だ。
「え? あ、はい……。でもどうして分かったんですか?」
「この質問をして困った顔でなかなか回答が出ない学生さんはたいていそういう考えをしているからね」
「はぁ」
「音楽とか絵画とかで作品が作れればそれを言ってくれる人もいるんだけど、そうでないと日本で一番とか、世界で一番という何かを探してそれを人に提供するって考える人が多いんだよね」
「でも、やっぱり人に与えるとなると、日本一とかではなくても、所属している会社だったり部活だったりで一番じゃないと自信を持って提供するのは難しくないですか?」
「確かに、自信を持ってっていう基準は人それぞれだと思うから、否定はできないけど、少なくとも何も提供できないことはないよ。そうしないと、学校の先生だって、医者だってその分野で一番の人しか教えたり診察したりできなくなってしまうしね。
もう一回前提を確認するけど、沖田君は人に喜んで欲しくて、そのためには相手が望んでいるけど持っていない何かを与えることが一番だと思ってるんだよね?」
確かにそうだった。
「はい。すぐに忘れてしまっていました……。
ということは、一番とか考える必要はなくて、相手が持っていないものを与えるわけですから自然と相手と自分を比較したら、自分の方が精通しているものになりますしね。無用な心配でした」
「そうそう。
ただ、もちろん仕事にするとしたら日々の研鑽は必要だと思うけどね。
さて、でも目の付けどころはかなり良いと思うよ。
さっきも言ったけど、音楽とか絵画とか芸術的な何かを提供できるわけでもないし、沖田君は文系だから何か商品開発とかものづくりがすぐにできるわけでない。そうなると自然にサービスを提供するっていう話になるよね」
「はい。僕も同じこと考えていました」
「うんうん。
じゃあ、サービスを提供するっていうとどういうイメージがある?」
「そうですね……。サービスって言うと、モノというよりはお金とか情報を扱うというイメージがあります」
「なるほどね。お金っていうと、金融とか保険とかそういったものだね。一方で、情報っていうと通信とかコンサルとか教育とか、その辺りだね」
荻原さんの口から出た業界名が引っかかった。僕の中で教育はサービスというイメージがなかった。
「教育ってサービスなんですか?」
「ん? そうだね。確かに義務教育とかっていって公的な機関で実施される部分が多いから仕事としてのサービスというイメージはあまりないかもしれないね。でも、沖田君は私立の大学に入っているんだし、塾とかはまさに仕事としてのサービス業だよね?」
そういわれると確かにそうだ。
そして、僕がもともと言っていた教えることとも繋がる。
「はい。そうですね……。つまり、教えることというのもサービスを提供しているってことですね」
「もともと沖田君が受けていたコンサルも教えることと定義すれば同じくサービスを提供している訳だしね」
「つまり、僕の根底にある『人に喜んでもらいたい』ということを実現する方法の中に、教えることも含まれているということですね」
「そうそう。
ただ、沖田君が考えている教えることと教育が一致するとは限らないけどね」
確かにそうだ……。
僕がもともと考えていた教えることとして考えていたのは、テニスサークルの練習統括としてサークルメンバーに指導していて楽しかったからだ。
別に塾とか家庭教師でバイトして興味を持った訳ではない。
自分が考えた練習メニューで同輩や後輩が上達してくれる。
確かに最初はうまく行かなくて同じ練習統括の渡辺亮一と2人で頭を抱えたものだが、軌道に乗り始めてからはそれが非常に楽しかった。
上達してメンバーたちがまた楽しそうに練習してくれる。
結果的に自分たちの考えた練習メニューでみんなが楽しんでくれるのがまた嬉しくなる。
それが良循環として繰り返される。
そうか……。
僕は教えるという行為自体が好きなのではない。
僕が何かしたことによって、その人が変わってくれるのが嬉しいのだ。
テニスを教えたらテニスを楽しんでもらえるようになったように。
何か全てが繋がった気がする。
自分が今まで力をいれてやってきたと思ってきたことは結局誰かに喜んでもらうためにやっていたのかと思うと一本筋が通る気がした。
「確かに僕の考えていた教えることというのは教育と同じ意味ではなかったですが、結局は誰かに僕の持っている情報を伝えて喜んでもらうということに変わりはありませんでした」
「そっかそっか。何かスッキリしたみたいだね」
時計に目をやるともうすぐ22時半だ。
時間が過ぎるのが早く感じたのは、自己分析に集中していたからだろう。
そして、自分が働くモチベーションが明確になったことですごく清々しい気分だった。
「はい。おかげさまで少し前に進めるような気がします」
「そういってくれるとありがたいや。
もう1杯コーヒー飲んでいこうか」
「そうですね」
返事をしながら僕は店員を呼び止めた。
「荻原さん、沖田さん!」
びっくりした。
ポニーがやってきた。
「友子ちゃんお疲れ様!」
「あれ? 今日は面接じゃなかったの?」
「あ、はい。面接だったんですけど、近くだったので、終わってから来ました」
とはいえ、もう11時前だ。こんな時間まで面接と言うことはないだろうということは僕にも分かった。
面接会場は近くないのだろうと思った。
そこまで僕は心配されているのだろうか……。まぁ、前回の件があるので仕方ないとは思うが。
「お話は終わりましたか?」
「うん。さっきね」
ポニーの質問に荻原さんが答える。
「あ、お待たせしてしまいましたか。すみません」
ポニーが頭を下げる。その名の通りのポニーテールが縦に弧を描いた。
「いや、別にコーヒー飲んでたから、待ってはいなかったよ。僕は来ることすら知らなかったし」
「本当ですか? それなら良かったです」
「ところで、友子ちゃん面接はどうだったの?」
「あ、はい。面接は普通に終わったんですが、その後今の第1志望の会社から内々定の連絡をいただけました!」
「えっ?」
思わず声が出てしまった。
「あ、すみません。沖田さんがいる前で」
「いや、いいよ。おめでとう! 別に悪い気もしないから」
本当に不思議と悪い気がしなかった。
僕自身が今日の荻原さんとの会話で前に進めている実感を得られたからかもしれないし、ポニーが合格したなら僕も合格できるのではないかと思ったからかもしれない。
どちらかというと仲間の合格を祝う気持ちに近いのかな、とも思った。
同じサークルの同期たちが内定を取ったときも喜べなかったため、初めて感じる感覚だった。
以前の就職活動中はほとんど自分ひとりでやっていたし、他の人との競争意識も強かったのが大きいのだと思う。
「おめでとう!」
荻原さんも続く。
「ありがとうございます!!」
ポニーが再び一礼した。
「お祝いをと言いたいところだけど、今日は遅いし、またの機会、かな」
「そうですね。せっかくなら沖田さんが内定取られてからにしましょうよ。沖田さん、就職活動再開されるんですよね?」
「うん」
驚くほど自然に肯定の回答が口を突いた。
もう僕の中でバイト先への就職という選択肢もなくなっていた。
先ほど見出した自分がやりがいを感じることができる会社を探そうという気になっていた。
「よし、じゃあ、コーヒーだけど乾杯して解散しようか」
荻原さんがそういって、僕と荻原さんはコーヒー、ポニーは水で乾杯して解散となった。
帰りの電車は途中までポニーと一緒だった。
「沖田さん、就職活動頑張って下さいね」
別れ際にそういわれた。
「ありがとう。荻原さんのことも含めて」
「はい!」
屈託のない笑顔で返事をして、ポニーは電車を降りていった。
どんどん人家の明かりも減っていく窓の外の景色を見ながら、改めておめでとうと言うべきだったかと考えていた。




