Sign008 名状し難きもの
「ちょ、ちょっと、零? アリアドネ?」
ペルセフォネが叫ぶ。
現在、拳銃の形に戻っている彼女は、零に握られている、というよりは掴まれているといった方が正しいだろう。
呼びかけに反応しない零やアリアドネに必死に語りかける。
瞬間。
「あ、く……」
意識の濁流がペルセフォネに流れる。
それはペルセフォネの肢体に駆け回り、抵抗さえも許されず、その姿を強制的に変化させる。
「零の意識が……流れ、込んで……」
銀色の回転式拳銃は飛散し、パーツ毎に細かい変化を遂げ、零のマントローブの左から生えるように再結合する。電子回路のような紅い光が走る、細長い腕部兵器へと。
そこにペルセフォネの意思は存在しない。
機構どころか使用法すらもペルセフォネにはわからない、地球の歴史上に存在しない兵器。
零はその腕部の先、螺旋状に細く絞られた銃口を巨大な黒き怪に向ける。
「…………」
音も無く、赤い燐光を纏った針のような弾丸がマシンガンのように数多放たれた。
それらはニャルラトホテプの黒き表面に大量に突き刺さり、
数瞬の後、風が巻き起こって赤い針が同時に破裂する。
「ぐけ……くぐるぅふたぐぅるむ……」
ニャルラトホテプが何事かを呟く。
サイズがサイズなので大したダメージは無いのだろう。
今の巨大な姿のニャルラトホテプに対して、赤針の爆発は蚊に刺されたにも等しい。
零は左腕を引っ込めると、下部のマントの端から、脚の代わりに幾本の触手を生やした。
ニャルラトホテプの触手が迫る。
零はそれを蛸が海中を泳ぐように、自由自在に触手を動かして空を舞う。
ヒュヒュ、と零が触手を動かす。
その瞬間、発生した見えない真空の刃が再びニャルラトホテプの触手を落とした。
「う、……く…………れ、い……起き、……て…………」
暫く、意識を取り戻したアリアドネが微かに声を発する。
しかし、零にその声は届かない。
「……ペルセフォネ……」
アリアドネは力を振り絞り、零の瞳から、面に刻まれた窪みからするっとアリアドネが飛び出した。
小さな蜘蛛の姿になって、糸で自らを縛りながら、空を漂う零の体の上で、左腕の袖に収納されたペルセフォネに近付こうと足掻く。
零の瞳はもう、紅きそれではない。
邪神を払う『旧神の印」は消え去り、瞳は藍きに染まり『黄の印』が刻まれている。
「……………」
零はニャルラトホテプの周囲をふわふわと漂い、舞いながら、何を考えているのかもわからない眼光を尖らせていた。その視線は常にニャルラトホテプに注がれている。
Sign008 名状し難きもの
「ペルセ、フォネ……」
アリアドネは鋼の細糸を紡ぎ、零の腕ごとペルセフォネを引き離す。
その瞬間、二柱の女神が人の姿に変わった。
アリアドネはペルセフォネを細腕に抱え、邪神相対す戦場から少し距離をとる。
「大丈夫……?」
「ん、はあ……ええ、ありがとね、アリアドネ」
ペルセフォネは溜息を吐いて黄衣を纏った零の姿を見詰めた。
「はあ……何アレ、聞いてないんだけど」
「……エンダージュ、湖は……ハリ湖の……元になった、らしい……から……」
「ハスターに取り込まれたっていうの?」
多分……、とアリアドネが頷く。
もう一度、ペルセフォネは大きな溜息を吐いた。
「夢の中なのにそんなことが起こるものかしら? ……どうやったら戻るかしらね、アレ」
「……ニャルラトホテプを、そのまま……倒してもらったほうが……都合……いいんじゃ……?」
「一応、可愛い弟分だし、放ってはおけないでしょ。それにハスターに取り込まれてるだけで体は人間なんだから、勝てると思うのは希望的観測ね……それなりに私達の祖の血を継いでいるといってもね」
ペルセフォネは自分がいつも姿を変えている銀色のリボルバー拳銃を魔力で創り出す。
「とりあえず、あのマントを脱がしにかかるわよ」
「着せるのが……専門……」
「文句言わない」
「……わかった……善処、する……」
二人の女神は動き出す。
「……WKkG6CyzTJnPPMKKUbapasLEkuAfKJrXHDbZ5t5NiTyXczMcszkBCs3KQjG8 」
零の詠唱に、風と光が収束して手元に黄金の輝きを成す。
「…………」
顕現したのは装飾過多な純金のツヴァイハンダー。銘は地球の古い妖精の言葉でティターニアと刻まれている。
零はそれをペルセフォネの居なくなった右腕で無造作に掴む。
「……征くか」
夜の雲間から黄金の燐光が伸びる。
零は剣を構え、空を泳ぎ、踏み込む。
対するニャルラトホテプは、数多の触手を新たに伸ばして振るった。
「ハストゥゥゥルルゥフ……」
零はいとも簡単にそれらを斬り払う。
そして次々に生える触手を、手当たり次第に落としていった。
「……キリがない、な」
「待たせたの」
そこから少し離れた雲の上で、ペルセフォネ達の前にイルカのような生物に引かれた二枚貝に乗って、白く長い髭の老人が現れる。
「状況はどうじゃ?」
老人は長い顎鬚を撫でながら、ペルセフォネに尋ねた。
「遅いわよ、ノーデンス。……ヒュプノスは?」
「もう居る」
ノーデンスが更に高い空を指差す。
そこには、闇の中で輝く白い羽毛に包まれた少年の姿があった。
少年は零とニャルラトホテプの戦いを興味深そうに眺めている。
「ヒュプノス……彼を、起こせる……?」
すぐ側に昇ってきたアリアドネが、睡眠を司る神であるヒュプノスに尋ねた。
「いやさ、邪神が覚醒してるようじゃ厳しいね」
「引き剥がすしか……無いかな……」
「だろうね。僕らは戦闘的な神族じゃないのが辛いところだよね、オーディン達なら何柱かで邪神化した人間なんて抑えられそうなものだけど」
その会話を聞いていたペルセフォネが、拳銃に魔力を装填する。
「泣き言禁止。それに北欧系じゃ眠りから覚ますのは無理でしょ……さあ、まずはあの陰気なお面から割りますか」
混沌の血を分けた兄弟の為、地球の神々は動く。