Sign004 Change the world
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「……ここは?」
マガリに連れられ零が辿り着いたのは、エンダージュ湖の北西に茂る大森林の中にポツリと存在するログハウスだった。
「画家だった祖父が使っていた小屋なんです、少し古いですけど……」
勧められて、零は足を踏み入れる。
中には簡単なキッチンとベッド、開いたスペースには画材道具が散乱している状態だった。
「父方の祖父はそびえとの人だったので、私は一応くぉーたーなんですよ」
父方の祖母がどいつの人で、母方はふぃんらんどでしたか。と首を傾げながらマガリが笑う。
「こーひーでも飲みますか? …さすがにどんぐりのこーひーはありませんけど」
「…何だそれは?」
「あれ? 祖父が極東の島ではどんぐりでこーひーを作るって言ってたんですけど、日本のことじゃなかったんですかね?」
「いや、作れなくはないだろうが…聞いたことはないな……」
あれー? と首を傾げながらコーヒーを淹れるマガリ。
「はい、どうぞー」
マガリが笑顔で湯気たつマグを手渡す、普段零は紅茶派なのだが、まあたまにはいいか、と。そして、零がコーヒーを受取ろうとした刹那、まだ残る右目の痛みの中で意図せずに触れた手が、彼を「不可思議な世界」へと引き込んだ。
目覚めた時、零は夜中の自室に居た。
零はすぐに体を起こすと、カレンダーを確認する。
また、何年か「喪失」したのではないかという念に駆られてのことだ。しかしカレンダーを見る限り、少なくとも年月は経過していないように思える。
窓から空を見ても、月の満ち欠けは昨夜からあまり変化がない。どうやら少し気を失っていただけのようだ。
「はあ……」
安堵の溜息を吐いて、時間を確認しようと時計を見た。
時刻は十一時十七分。だが、秒針が全く時を刻んでいない。
ピタリと接着剤で貼りつけられたかのように静止したままだ。
「……壊れているのか?」
今ある情報でわからないことはあまり気にもせず、零は現状確認のために再び外を見る。
集合団地の棟と棟の間ある小さな公園。遊具の近くに植えられた樹の木の葉が動いていない。 無風と言われている旧式のドーム内ではありふれた景色。
刹那、葉の一枚が枝を離れ垂直に落ちて、水溜まりに浮かぶ。波紋すら立てずに。
その景色を見て、この世界の異常さに零はやっと思い至った。
「…何だ、ここは……何が起きている?」
そう静かに口にした時、まるでSF映画のワンシーンのように、世界が罅割れて。
「なん、だ?」
鱗が剥がれ落ちるように、闇が広がり変わっていく世界。
やがて一瞬、光に反転し、気が付くと零は見下ろしていたはずの公園に立っていた。
しかし、そこは先ほどまでの公園ではない。
傍らにある樹は枯れ果て、あるいは腐り朽ち、そして青々と葉を茂らせている樹まであった。
一方向ではなく多方向に、さらに自由な速度で時が進む世界。
腐り朽ちた樹はやがて影もなくなり、青々としていた樹はどんどんと縮んで、いつか芽となり、やがて消えた。
そんな世界の中心、滑り台と回転する円形の遊具との間に「それ」は居た。
4フィート程の子供のようなシルエット。
痩せこけ、ミイラのように干乾びた体。
遥かなる時の加速化によって近くの時間の流れを歪ませるという「それ」を、零は母の残した書物の記述に記憶していた。
曰く、塵を踏むもの「クァチル=ウタヌス」。
クァチル=ウタヌスが現れる時、不自然なまでに時間の流れが変貌する、と。
「……何故、こんなところに」
零の呟きなど意にも介さずに、萎びた棒切れのような足で、クァチル=ウタヌスは零に近付いてきた。
すると、零の指先に次第と皺が刻まれていく。
「おいおい…」
クァチル=ウタヌスが近付いてくる毎にそれは加速し、やがて前髪にも白いものを帯びてきた。
奴は永遠の命を持たない生物にとっての死神となり得る。ただの人間に逃れる術はない。
目と鼻の先までクァチル=ウタヌスが近付く。そして、細い指先を伸ばした。
その時、零はもう立っても居られないほどに体は老化していた。
しかし右目の奥の痛みだけは、逃れられぬ運命のように唐突に襲ってきた。
そして、クァチル=ウタヌスの指先が零に触れる。
刹那、零は意識を再び手放した。
次に目覚めた時、零は再び自室に居た。
ベッドから体を起こし、自身の体を眺める。
「体は戻っているな……」
右目の痛みも消えていたので、零はベッドから降りて窓の外を見た。
外の公園では枯れた木の葉が、木の根本に溜まっている。
「…俺は夢を見ていたのか?」
呟いて、零は時計を確認した。
十一時十七分。先ほどと変わらない時刻だ。
「……とりあえず、外に出てみるか」
零は長袖のワイシャツの上に黒いロングコートを羽織り、外に出た。
そして、何となしに立ち寄ったこの前の酒場の前で、零は「それ」を見つけた。
「………じいさん」
「彼」とは呼べないまでに変貌した姿の老人、ザドック・アレンがそこには打ち捨てられていた。
蛆や蝿に集られ、腐臭を放つザドック老人だったものは、つい昨日の死体ではないようにも思えた。
「やっぱり逃げられなかったんだな、あんたは…」
零は溜息を吐いて、そこから離れようとした。
「くっ!?」
不意に、右目に激痛が襲う。
もう今日は何度目になるだろうか、目の奥が灼けるような、その痛みは。
そして再び、零の意識は深い闇へと落ちていった。
.a day dream[Chaos]
深く渦巻く混沌。
光と闇、あらゆるのものが入り混じった原初のカタチ。
その混濁に溶け合うようになにながらも、零は自己を保っていた。
「(……ここは、どこだ?)」
万物の溶け合ったプールのような流れの中に、零は居た。
深い混沌の中で、たゆたう零は目を閉じる。
.the day dream[Yellow kings]
そして、次に目を開いた時、零は深い夜のエンダージュ湖の中心に立っていた。
湖の上に、足を着けて。
「……ん?」
息苦しい顔には仮面のようなものが覆っており、右手にはコルトパイソンのような形状の錆びた回転式拳銃が一丁。体にはボロボロのマントローブが全身を覆っていた。
よく状況がわからず、とりあえずと言った感じに零は湖岸に向かって歩き出す。
歩く度、湖面には波紋が広がっていく。
湖の上を歩く不自然さを、零は何故だか自然に感じていた。
顔を覆う蒼白な仮面も、息苦しいくらいで何故か邪魔には感じない。
黄色のマントが風に靡くのも気持ちがいい。
しかし実際問題、仮面を着けながら湖の上を歩くのは常軌を逸しているのではないか、と至極まともな思考に辿り着いた。
「む…?」
そして仮面を外そうと、零が左手を伸ばすと仮面は砂のように溶けて消えた。
「はあ…、不思議ではあるが便利なものだ。やはり夢というのはこうでなくちゃな。自由で、意味不明で…………しかし何かしら関係がある」
右手に無造作に銃を持ったまま、零は湖岸に降り立った。
左方には深い森が見える。
「ログハウスに寄ってみるか。どうやらこれは夢の中のようだが……現実だったらまだマガリが居るかもしれな───」
ザッ
零が森に向かおうとしたその時、森から見覚えのある人影が現れた。
「あれ、零さん…ですか?」
「…マガリ、か?」