勇者はいま 最下層へ
(レジーナ……・アルメルト……)
その名がアイシアの口から告げられてから、何秒も過ぎているのに、バーニング・レジーナの耳にその名が何度も響き渡る。
そして、ついにバーニング・レジーナは右手を力強く握りしめた。
「あなたは……、私の何を知ってるわけ?」
「さぁな」
「教えなさいよ。私は、あなたと一度顔を合わせただけのはずなのに!」
バーニング・レジーナは、アイシアに向けて強い口調で尋ねる。だが、バーニング・レジーナの熱のこもった言葉とは裏腹に、アイシアは軽くあしらうようにこう返した。
「そりゃ……、俺は……アルメルトを……支配する、平民だったからな……。アルメルトの中で……、注意を要する……奴の名は……、覚えてた……」
「平民……」
バーニング・レジーナは、何年かぶりに平民という言葉を耳にし、思わず目を下に落とした。
圧倒的な炎の魔術を武器に、王に仕えるようになってからは、意識したことがないはずの言葉が、いまバーニング・レジーナの脳裏に、否応なしに甦ってくる。
フレイ王国に深く根付く階級制度は、非常に単純なものだ。王家など、限られた人間しかなれない貴族階級の下に平民、そして平民の下にアルメルトと呼ばれる底辺階級の人々がいる。貴族階級からの圧力のはげ口として、平民はアルメルトを奴隷のように扱っているのだった。
アルメルトか否かの区別は、生まれながらにして額に刻印が施されてしまうため、周囲から見れば明らかだった。平民たちは、その刻印を見て、アルメルトたちをあしらっていたのだった。
「こんな……、アルメルト……らしくない……きれいな……女は……、目につくわけだ」
息絶え絶えに、しかし軽く笑うようにアイシアはバーニング・レジーナに告げる。だが、バーニング・レジーナはすぐに支線をアイシアに戻した。
「そう。……でも、私はアルメルトを捨てたのよ。勇者として、この国を背負うために」
「刻印を……つけられて、でもか……」
「いいえ。私は、国王にも認められてる!この国の多くの人が、私をバーニング・レジーナと呼んでくれてるの。今更、アルメルトに戻りたくないのよ!」
バーニング・レジーナは、徐々に声のトーンを上げて、アイシアを睨みつける。
だが、アイシアの口を、黙らせることはできなかった。
「それは……、ただの一度も……、任務に……失敗してない……からだ」
「失敗……」
「守れなかったんだろ……。王子と……、王女を……」
「そうよ。それでも、私は戦っ……」
その時、アイシアの口はバーニング・レジーナの言葉を完全に抑え込んだ。
「負けたら……、ただのアルメルトなんだよ……っ!」
バーニング・レジーナは、その言葉に唇を噛みしめた。
初めて任務に失敗した、女勇者バーニング・レジーナ。
彼女を待ち受けていたのが、これまでその強さのあまり言うこともできなかった平民たちの、溜まりに溜まった不満だということを、バーニング・レジーナはこの時初めて思い知ったのだ。
勇者としてのプライドを、ズタズタに引き裂こうとしているアイシアを前に、バーニング・レジーナは引き下がるわけにはいなかかった。
「それでも……、私は勇者よ!バーニング・レジーナよ!」
「黙れ!」
アイシアの右手に、再び白い光が宿り始めた。バーニング・レジーナに向けて再び氷の刃を解き放とうとしている。バーニング・レジーナの目には、アイシアがより力を入れているように映った。
(来るわ……)
次の言葉を待っていたバーニング・レジーナは、身構え、そしてすぐにでも炎を出せるように、右手を大きく広げて、アイシアに向けた。
そして、二人の魔術は同時に解き放たれた。
「バーニングファイヤー!」
(苦しい……)
赤く燃え上がる炎を解き放ったバーニング・レジーナは、すぐに体が悲鳴を上げていることに気がついた。
炎に力が入らない。メサイヤを相手に使い切ってしまった精神力が、全く回復していないのだ。
わずか数分前、アイシアに炎を放ったが、あの程度の弱い炎を放つのが、今のバーニング・レジーナにはやっとだったのだ。
一方、アイシアの放つ氷の刃は、先程よりも勢いを増し、バーニング・レジーナの放つ炎を次々と無に変えていく。炎の勢いは、あっという間に弱くなってしまった。
「負けるわけには……、いかない……!」
バーニング・レジーナは、肩で呼吸をしながら、それでも懸命に灼熱の世界を広げようと右手に力を入れていた。だが、一度崩れた形勢を元通りにする力は、今のバーニング・レジーナにはなかった。
これまで強敵を退けてきたはずの炎が、またしても消えていく。
勇者バーニング・レジーナのプライドは、完全に裂かれようとしていた。
そして、バーニング・レジーナは氷の刃に弾き飛ばされた。
「うわあああああっ!」
再び力尽きたバーニング・レジーナの耳に、ほとんど何も聞こえなくなってしまった。
決着がついた後に、アイシアの言い放ったこの言葉が、何度も反射して聞こえるだけだった。
やはり……、その正体は……レジーナ・アルメルト……。本当は……力のない、最下層の人間……。
(……っ)
ようやく意識を取り戻したバーニング・レジーナは、ゆっくりと起き上がった。
真っ暗になったヒルフロントには、全く明かりがついていなかった。もはや、負けたバーニング・レジーナを照らす明かりすらなかった。
最後に見た明かりが、アイシアの放った青と白の光。その光が、何度か頭の中で反射する。
「悲しい……」
アイシアに傷つけられたプライド。その傷は、バーニング・レジーナが立ち上がったところで癒えるものではなかった。
その場に座り込んだまま、バーニング・レジーナは静かに言った。
「私は……、もう……勇者じゃないの……?」
その時、バーニング・レジーナに向けて暖かな風が流れ込んだ。
その風に誘われるように、バーニング・レジーナがふと顔を上げると、その風に乗っているかのように、ささやくように声が聞こえてきた。
「バーニング・レジーナらしくないよ」
(えっ……?)




